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(回答先: 日本海海戦100周年記念大会行事に関するご協賛のお願い【名誉会長 中曽根康弘 、会長 増田信行三菱重工業会長等】 投稿者 なるほど 日時 2004 年 1 月 04 日 00:00:57)
04/01/16 (金)
西よりのかなり強風、Pmやや沈静
「鎖国派も開国派に」イラク派遣で首相、国民理解に自信
「鎖国を論じていた人も、明治維新の時、全部開国になった」。小泉首相は15日、自民党全国幹事長会議など党の会合でのあいさつで、イラクへの自衛隊派遣について国民に賛否両論があることを明治維新になぞらえ、最終的に国民の理解は得られると自信を示した。
首相は、鎖国派も明治維新では「開国の先頭に立って近代国家を築き上げた」と指摘。自衛隊派遣について「一国平和主義が良いのか、国際協調が良いのか、(幕末と)似たような国論で二分されている。いま理解して頂けない方々にも粘り強く説明して、ご協力頂けると思う」と語った。
さらに「恐らくこのイラクの問題が大きな参院選の争点になる」と指摘し、国民の理解を得ることの重要性を強調した。
明治維新以後の近代国家ニッポンが欧米諸国の巨大軍事システムを真似、その結果、ニッポンも軍事大国となっていったことも忘れてはなるまい。 実質的には1868年の戊辰戦争を経た新政府が、王政復古を諸外国に通告した時点で、日本は鎖国を脱して近代国家としての道を歩み始めた。それから三年後の1871年、廃藩置県を経て日本は中央集権国家を成立させる。その骨子となす産業保護政策「殖産興業」によって民間払い下げで民間ブルジョワジー「政商」が誕生した。こうした巨大資本体系が富国強兵政策と結びついてニッポンは近代軍事大国となっていく。それから18年後の1889年にプロセイン憲法を真似た大日本帝国憲法が公布、以後59年間あまり、天皇に軍の統帥権を直結させて日本は世界戦争の渦中に呑み込まれていくのだ。そして1904年2月、日本がロシアに宣戦布告をした日露戦争が勃発、旅順総攻撃で死傷者6万人を出す。短期間の戦いでこれほどの犠牲者を出したのは日本の歴史上始まって以来のことではなかったか。ここに、近代化された軍事力の大量殺戮という側面が重くのしかかってくる。多くの犠牲者を出しながらも日露戦争の勝利に酔った日本は、9年後の1914年、今度は第一次世界大戦に参戦する。戦い終わってみれば、たった4年間で約3000万人とも云われる死傷者のうち、1000万人の兵士と500万人の民間人の累々たる死体が横たわっているばかりであった。戦争に勢いづいた日本は1931年の満州事変を発端に、10年後には太平洋戦争へと再び世界大戦に突っ走っている。その死者世界でおよそ4000万人、日本は原子爆弾による最初の実験国となり、一瞬して数十万人の犠牲者を出した。
コイズミ首相は「明治維新が日本に近代国家をもたらし、その結果、日本も世界の仲間入りできた」と云わんばかりだが、その近代国家も軍事大国という側面からみれば多大な国民の命を失ってきたことにもなる。イラクへの自衛隊派兵を通じて明治維新=近代国家の賛美をぶちあげるコイズミは、まさに戦争を肯定したうえでの詭弁ではないのか。国民の命を己が机上の駒にしか見えないような指導者は危険ですらある。
http://csx.jp/~gabana/Zaakan/hibi0401/hibi-040116.htm
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