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(回答先: 陸上自衛隊に特殊任務を務めると見られる部隊が編成された [ダカーポ] 投稿者 なるほど 日時 2004 年 6 月 09 日 18:38:03)
いったい、この国はどうなってしまったのか! 魚住 昭 (著), 斎藤 貴男 (著)より
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二〇〇一年二月二十一日 斎藤 貴男
一九三二(昭和七)年二月二二日、上海に近い廟巷鎮で、三人の工兵が破壊筒を抱え敵陣に突入して爆死した。日中間の全面衝突を不可避にした第一次上海事変の悲劇だが、当時の新聞は「覚悟の自爆」とした軍部の意思を受け、彼らを“爆弾三勇士”と呼んで褒め称え、軍国美談に仕立て上げていった。
三勇士は新聞の公募で軍国歌謡になり、舞台や映画の題材にもされた。将校ではない、庶民から出た兵士だちの英雄的行為に大衆は熱狂し、軍中央は大いに喜んだ(山中恒『新聞は戦争を美化せよ!』二〇〇一年、小学館など)―。
特攻隊の前史を思い出さずにはいられない。さる一月二六日夜、東京のJR新大久保駅のホームから転落した男性(37)と彼を助けようとしたカメラマンの関根史郎さん(47)と留学生の李秀賢さん(26)の三人が山手線の内回り列車に撥ねられ即死した事故に関する連日の新聞報道に、である。
<中略>全国各紙の編集局がお涙頂戴に走りたくなる気持ちがわからないとはいわない。だが、せいぜい一日が限度だ。
新聞はその後も連日社会面トップを潰し、コラムや投書欄を動員しては、関根さんと李さんを讃え続けた。<中略>ワイドショーまがいの話題ばかりが、紙面を埋め尽くした。
「同じ涙 日韓でも」(『朝日』)
「勇気 忘れない」(『毎日』)
「感動の波 韓国でも」(『読売』)
李さんが韓国からの留学生であったことが、ことさらドラマチックに描かれた。日本で強制労働に従事させられた祖父まで遡ると四代に及ぶという日本との縁が「これで途切れてしまうのは残念だ」と父親の盛大さんが語ったと、『産経』にあった。
二人には首相名の表彰状や警視総監の感謝状、天皇の賜杯などが贈られ、葬儀には官房長官や国家公安委員長らが参列した。特に李さんの告別式を訪れた森首相は、母親の閏賛さんに「若い人の手本になると思う。国民にとってもいい教訓を与えてくれた」と話しかけたとか(『読売』)
異常な美談報道の繰り返し。KSD疑獄も外務省の機密費横領事件も、当然のように紙面の隅に追いやれらた。
政治利用に対する警戒心のかけらさえ、この国の新聞には存在しないようだ。<中略>
李さんフィーバーがピークに達した一月三一日、森首相は衆参両院の本会議で施政方針演説を行った。KSD疑獄についての謝罪も解明への意思も表明されなかった一方で、国民総背番号体制に通じる電子政府や、日米ガイドラインに対応した有事法制構築への取り組みは強調された。その翌々日には町村信孝・文部科学相が奉仕活動の強制も辞さない考えを示し、自衛隊への体験入隊を例に挙げた。<中略>
自分たちが今、いったいどんな役割を担わされようとしているのか、仮にも新聞記者なら少しは考えて見るがいい。読者もまた、今度こそ騙されるな。
李さんと関根さん、そして最初にホームに落ちた坂本成晃さんのご冥福を謹んでお祈りしたい。
だが、それはそれ。お悔やみを美談報道に直結させてしまうのでは素人以下である。<中略>彼らを“爆弾三勇士”にしないことがジャーナリストに課せられた責任なのだ。
佐世保女児死亡事件:また出しゃばってきた“マスコミ御用文化人”[辺境通信]
http://www.asyura2.com/0403/nihon13/msg/574.html
私たちは滅びの坂を、転げ落ちているのではないか [魚住 昭氏]
http://www.asyura2.com/0403/senkyo3/msg/807.html