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(回答先: Re: こんな見解もあります。 投稿者 Q太郎 日時 2003 年 11 月 21 日 09:34:58)
Q太郎さん、はじめまして。
「ブラックジャック」は読みましたが、「ブラックジャックによろしく」は未読のRuiです。
私は医療従事者ではありませんが、現在、知人に医療従事者が複数いて多少とも話を聞いている者です。かと言って、特に彼等の味方をするのでもありません。
しかし、現実に医療に取り組んでいる生の話を聞きますと、TVドラマや小説はいい加減な事を誇張して書いているようにも思えます。
現実の医療従事者は、朝から深夜まで寝る時間を惜しんで働いています。オーバーな表現をすると、自分の命を削って他人の為に捧げているように見えなくもありません。
有給休暇なんて有名無実ですし、連休もGWも無しです。病院が休みの日でも呼ばれる事がしょっちゅうあるそうです。夏季休暇や正月休みが無いケースも珍しくありません。電話1本着たら、何時でも病院に駆け付け(この場合の交通費は自費)、自分自身のかなり体調が悪くても休めないと言っていました。
人の命を預かっているのだから、「当然」だろうと思われる人もいるでしょうが、彼等は機械ではなく、人間なのです。人として最低限の睡眠時間と休息が必要なのは当然ではないでしょうか。
医療ミスに睡眠不足と休息不足も関係があるのではないかと、実情を聞いている私は密かに考えています。そのせいか、医療従事者の平均寿命は、国民全体の平均寿命より短いそうです。
医療従事者は高給だと世間一般では思われていますが、時給に換算したら、それも疑問だと知人は言っていました。(但し、一部の保険外治療をしている所(美容外科など)は、世間の認識通りだと聞きました。)
>ただ、これまでの患者と医者の関係は
>近年「ドクハラ」という言葉がクローズアップされてきたように
>やはり患者の自己決定に関して医者の側からの説明や(インフォームドコンセント)、
戦前から、戦後の70年代までは、「任せなさい」「お任せします」的な医療がまかり通っていたのは事実だと思います。今でも、高齢者はこの傾向があるように思います。
インフォームドコンセントの言葉が広く認知されるようになったらのは、90年代に入ってからでしょうが、それ以前でも、質問すればきちんと納得するまで答えてくれる医療従事者は割合いたように思います。
(個人的な経験からです。私は納得する説明をしてくれなくい医療は受けたくなかったので、きちんと説明してくれない医療機関にはかからないようにしていました。この当時は、医療従事者に個人的な知人はいませんでした。)
インフォームドコンセントの経済的な側面について言えば、インフォームドコンセントを例え何時間、時間を掛けてしようが、これは1円にもなりません。
お金にあるのは、薬、手術、検査、診療(初診料、再診料など)他だけです。
(現在でもそうですが)以前の医療は、特に薬によって成り立っていました(薬は新薬ほど高価です)。診療報酬自体や医療者の技術料は、とても安価です。近年、検査費用が高騰した背景には、検査機械購入費用の高騰があります。(技術革新が旺盛な現在、機械は、5年程度で陳腐化し、買い替えが必要になるそうです。機械購入費用が赤字のまま...となるケースも少なくないそうです。これらによって、大病院の赤字は慢性化しつつあります。)
この保険報酬システムは、現在の厚労省や旧厚生省の方針によってこのようになっています。
>患者に提示される治療法に関する選択肢が欧米諸国に比べて遥かに少ないという点、
日本の医療機関は、基本的に「保険治療が可能な範囲の治療法しか説明しない」と言うのはあると思います。これも厚労省の指導の賜物かどうかまでは知りませんが。
知人が言うには、海外から日本で未認可の薬を取り寄せたいと言われた場合、頼まれれば副作用の説明はするが、それ以上の責任までは...持ちきれないそうです。
>重大な医療ミスが起きた場合の医療従事者からのきちんとした説明が果たされずに
>患者が泣き寝入りするなどの問題は現実にたくさんあるように感じられます。
医療ミスは、無くしていく必要があります。関係者ぐるみの隠蔽は大問題だと認識しています。
ミスを無くすにはどうしたら良いのか。これは、患者、医療関係者、双方が考えていかなければいけない問題だと思います。
日本でも医療訴訟も増えています。アメリカのある州では、あまりの医療訴訟の多さに医療訴訟用の保険が日本円で年1000万円まで高騰し、医療従事者がいなくなってしまったと新聞にで読みました。
>ご紹介いただいた記事だけでは、Ruiさんが前提としている理解に達することができなかった>ため、単純に経済問題が倫理問題にすりかえられただけ、と言いきってしまうのは
>少し乱暴ではないかと感じました。
上にも書きましたが、倫理や「医は仁術」だけを唱えても、どうにもならない点もあるのでは?
>診療報酬を多く得る為にわざと患者の病気を重度のものにするといった改竄があったり、
健康保険ではAという薬は病気aにと決められています。(それ以外では、保険が利きません。)
悪意ある改竄や儲け主義の改竄は、問題外ですが、病気bに薬Aを使いたいケースで、病名を別に付けることもあるそうです。
>医療費の負担や保険の問題については、高額所得者はそれでもゆうゆうしていられるかもしれ>ないけれど、低所得者がどんどんと経済的に圧迫されるという現状が続いてきたとも思えるの>で、今回の措置がアメリカの医療産業に食いつぶされる、という観点からだけで判断するのは>早計かとも思えます。
医療負担増の背景には、国民の側の意識の問題もあったように思っています。
高齢者の方々を悪く言いたくないのですが、医院や整骨院のサロン化にもこの一因があるのではないかと考えます。
少し大きめの病院には、夜間、小児患者が絶え間なく来るそうです。
夜間、子供を連れてくる親の中には「夜の方が空いている」などの理由で、日中連れて来れるにも関らず、夜間しか来ない人もいるとも聞きました。夜間ですから、もし検査が必要でも充分に出来ず、薬も万全ではありません。そして、日中にもう一度来て下さいと言っても来ないそうです。そして、「サービスが悪い」「患者を何だと思っているんだ」と苦情を寄せるのだそうです。
話がそれてしまいましたが、国全体の医療費が高騰する要因は、高齢化、検査費用高騰、新薬、何でもかんでも(病気の見極めを自分でしないで)医療機関にかかろうとする人が増えた結果だと考えます。
ちなみに、医療機関の黒字分(儲け)は80年代以降減少の一途です。
>アメリカでは、これまでの「科学万能信仰」対処療法一辺倒の流れからの反動で、
>ヨガやらヒーリングやらといった、対処療法以外の、「普段から健康に気を使って
>ヘルシーな生活に」という動きが、もうずいぶん前から続いているようです。
明治以降、特に戦後の日本の医学教育は、西洋医療一辺倒でした。
西洋医療は対処療法、東洋医療は体質改善に重きを置いています。
アメリカでは、主に医療保険会社が医療費抑制の為に、「ヘルシーな生活」を推進しています。(「ヘルシーな生活」自体は良い事だと思っています。)
アメリカの医療制度は皆保険ではなく、自分でどの程度の医療保険に入るかを決めます。当然、保険料は入る保険によって異なり、個人の身体状態によるリスクによっても異なります。又、かかれる医療者のランクも、受けられる医療の質も、保険毎に決まっています。ですから、「ヘルシー生活」は、本人にとっても、保険会社にとってもメリットがあり、(日本よりも)動機付けになりやすいわけです。
日頃から、「自分の健康は、自分で守り管理する」という心構えは大事です。
私は、西洋医学にしろ、東洋医学にしろ、病気を治すのはあくまで本人であり、医療はその手助けをするものだと考えています。
返信の内容が、かなり脱線してしまいました。(苦笑)