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(回答先: Re: 真脇遺跡、環状木柱列の全容判明 能都町教委、最後の木柱1本発見(北国新聞) −縄文見直しの契機となった遺跡 投稿者 舎利佛 日時 2003 年 10 月 29 日 19:58:29)
はじめまして、舎利佛さん。
レスポンス有り難うございます。環状木柱列と歳差運動との関連についての説には初めて接しました。大変興味深いお説ですが、私には理解できないところが何箇所かございます。ご教示頂ければ幸いです。(お暇な時にお答え頂ければ結構です。)
1)「直径約七・五メートルは半尋の10倍を意味している、此れも歳差運動の10を選んだものだ。」
「歳差運動の10」とはどういうことでしょうか?
2)また、この記事にはありませんでしたが、A環以外の環状木列柱は下記のように直径が違います。この場合も歳差運動により説明できるとお考えでしょうか?
【B環:6.2m、C環:5.3m、D環:7.2m】
(http://www5b.biglobe.ne.jp/~NOTO/newfile17.htm)
3)「二つの遺構は直線に成って居るはずだ。 太陽が昇って沈む二方位を示しているはずだ。」
「太陽が昇って沈む二方位」とは春分・秋分におけるものだと思いますが、これは歳差運動にともない移動していく筈です。この軌跡を環状木柱列として構築した、とお考えなのでしょうか?
4)縄文人は何のためにこの環状木柱列を建設したとお考えですか?
5)世界中に存在する、ウッドサークルやストーンサークルは歳差運動と関連して説明できるとお考えでしょうか?