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『Re:新たなる国生みへの手がかりへ 《共同的資本主義論》』( http://www.asyura.com/0306/idletalk2/msg/519.html )へのレスです。
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馬場さん、はじめまして。
興味深い論考を拝読させていただきました。
通用性の高い制度原理論だと受け止めていますが、詳細の議論をする前に、いくつかの事項について確認させていただきます。
T.自由貨幣
>つまり,中央銀行の発行する貨幣はすべて負債に起源を有すると言える.
>これに対し,自由貨幣は政府支出として直接,産業ないし家計部門に注入される.
>自由貨幣は負債ではないから,それに対する金利は発生しない.
いわゆる管理通貨制の中央銀行券を発行することで負う中央銀行の債務とはどのようなものですか?
(B/S上は負債ですが、金本位制貨幣と違い実質的な債務はないと判断しています)
現状の中央銀行券は、本来的に自由通貨であるのに、中央銀行から外に出る段階から債務性を帯びているだけではないかという問いです。
このような問いを投げ掛けるのは、制度的に信認を得ている中央銀行券をそのまま自由貨幣として制度的に運用したほうがスムーズに移行できるのはないかと考えるからです。
中央銀行が政府所有で政府がその経営に最終的な権限と責任を持つものであれば、「信用創造」の消滅や無利子貸し出しを含め、自由貨幣(政府貨幣)と同じ役割を担わせることができるはずです。
>自由貨幣発行残高は徴収税額によって相殺される.
自由貨幣発行残高が徴収税額によって相殺されなければならない理由を教えてください。
徴税は、貨幣発行残高の調整(物価変動率の調整)のためだけと受け止めてもいいのでしょうか。
U.取引税
徴税目的がわかったのちに検討したいと思います。
V.無利子金融
利息取得に反対するものとして、『無利子銀行論』(ムハンマド・バーキルッ=サドル著・黒田寿一郎訳・未知谷発行)を興味深く読んだことはあります。
>(「投資」は資本主義の根本原理であり,投資家が存在し,あえてリスクに挑戦する
>投資が無ければ経済の成長は有り得ない.証券取引所はそれを機構的に確立するもの
>であるが,詳細は省略する.)
「投資」は、資本主義に限らず、生産手段の生産という迂回的なかたちで生産活動を行なう社会に共通する根本原理だと考えています。
しかし、「投資家が存在し,あえてリスクに挑戦する投資が無ければ経済の成長は有り得ない」とは考えていません。
「投資」を直接的な財の獲得ではなく将来における効率的な財の獲得を実現する活動だと考えれば、そのような活動に従事するひとが必要とする直接的な財を、直接的な財の獲得を実現する活動に従事するひとでどれだけ支えられるかという問題になると思っています。
「経済の成長」は、質的には“生産性の上昇”であり、量的には“付加価値額絶対量の増加”です。
このようなことを書くのは、質的な経済成長は実現できても、量的な経済成長は実現できないという世界経済が間近に迫っていると考えているからです。
(「近代経済システム」では、量的な経済成長がない質的な経済成長は量的な経済成長を縮小させるという経済論理が働き、昨今の日本経済のような経済的災厄をもたらします)
リスクに挑戦するのではなく、智恵を働かせて経済成長を実現しなければならない時代を迎えていると思っています。
>資産貸付は経済主体(市民)が資産を購入するための資金を中央銀行からの貸付で賄
>うシステムである.
個人の住宅などの購入には説明されているかたちで対応すべきだと思っています。
企業の設備投資については、私的所有が今後も妥当性を持ち続けるのかという疑念を持っています。(デフレ経済における設備投資の過剰負担や先行者不利の論理を考えた結果です)