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(回答先: 阿修羅テーゼ2003:万国の自由人へ,貨幣発行権をロスチャイルドから奪回せよ! 投稿者 馬場英治 日時 2003 年 8 月 06 日 16:15:50)
>>前回書いたように家計に対する無利子金融は必要だと考えていますが、経済主体に
>>対する無利子金融が必要不可欠かどうかは、政府支出の在り方に関わる問題だと思っ
>>ています。(投資すなわち生産設備が政府の責任と所有権で担われるのであれば、
>>無利子金融の必要性は大きく減少します。原材料の仕入れや賃金・給与の支払い
>>は、政府支出の先払いやつなぎ融資で対応できます)
>そこまでやってしまうと,資本主義というよりは社会主義になってしまうのではない
>でしょうか?
>私のイメージではこの社会は100%自由市場制資本主義社会で任意の個人,法人は誰の
>指図も受けず,自分の思うままに思うことを実行する権利と責任を持っています.
>従って,ある企業がある設備を購入しようとするときの中央銀行の与信審査は可能な
>限り形式的なものであるべきだと考えています.もちろん与信審査の実務がそれでは
>不十分であることは認めます.
>イスラム銀行家が銀行家と投資家と企業家の役割を兼ねなくてはならないというのは
>その辺りのことを言っています.(共同的資本主義ではさらに政策担当者の面も加わ
>るでしょう.)
>しかし,お説のように設備投資が政府の生産計画に従って行なわれるとしたら,その
>企業の経営者にとって,自己責任でやれることとして何が残るでしょう?
「設備投資が政府の生産計画に従って行なわれる」という考えではありません。
供給主体の生産計画が妥当であれば、政府の責任と所有権で設備投資を行なうというものです。
馬場さんの説との違いは、設備投資が政府支出で行なわれるか無利子の借り入れで行なわれるかに収斂すると思っています。
「資産貸付」が投資設備を担保に行なわれるのであれば、自己責任の度合いも同じです。
それなら「資産貸付」でもいいではないかという考えもありますが、定常状態で、長期にわたって償却(返済)する膨大な設備を私的保有することは無利子でも大きな足枷になるので政府の責任にしたほうがいいという判断です。
(設備を製造するために使われた活動力への支払いは購入時点で終わっています。それなのに、生産物に償却分を上乗せしてだらだらと商売することは論理的に歪んでいます)
設備投資は、治山治水に相当するものだと思っています。