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(回答先: 阿修羅テーゼ2003:万国の自由人へ,貨幣発行権をロスチャイルドから奪回せよ! 投稿者 馬場英治 日時 2003 年 8 月 06 日 16:15:50)
あっしらさん,こんにちは.
ていねいなレスありがとうございました.ムラのある読みづらいテキストを読み砕いて頂きまして,
大変感謝しております.一言で申し上げれば,私とあっしらさんの間には決定的な対立要因とな
るような基本的見解の相違は存在していないことが確認されたのではないかと思います.論点
の相違,力点の置き方の違いはあるにしても,私の主張も誤解されることなくご理解頂けたよう
に思います.実際のところ,私が(身の程もわきまえず)このような草稿を物することになったきっ
かけとして,阿修羅版を知り,そこであっしらさんを始めとする方々の議論を読ませて頂き,初め
て開眼したところがありますので,それもある意味では当然であるのかもしれません...
レス1〜6まで詳細なレスを頂きましたが,失礼してここでまとめてレスするつもりで書き始めた
のですが,さらに議論を深めるべきスレッドもあるかと思いますので,個別にレスすることに致し
ます.なお,(仕事の関係で)あまりハイペースな議論展開には乗り遅れるかもしれませんので,
あらかじめお許しをお願いします.(むしろ,手離れしてゆく方が望ましいかもしれません.)
《共同的資本主義論》を一言で要約すれば,「銀行無き社会への展望」つまり,経済母体(経済
共同体)に寄生する金融資本を排除した社会を構成・運営可能か?という問いに(理論的に)答
えようとするものです.この意味において《あっしらの原理》を発見したことの意義は非常に大き
いものがあると言えます.マルハナバチさんからはお叱りを受けましたが,阿修羅テーゼが提
起している変革が本来まったく暴力性を内包していないことは強調される必要があると思います.
あっしらさんは同時に,この提起を実現するためには,「経済活動の起動因」つまり,価値観の
転換が必要であることを指摘されました.私もそのことを原則的に認めます.あっしらさんは共
同的マネタリシステムでは社債も廃止されるべきだと主張されておられます.これは経済活動
の起動因としての「利潤追求」の手段が残されることを意味し,それによってすべてが水泡に帰
してしまう可能性があることを見抜かれておられるからだと思います.(千年後に獄から解放さ
れる年を経た蛇というのはそれでしょうか?)
すみちゃんの精緻な論理展開に太刀打ちできるかどうか,はなはだ心もとないのですが,すみ
ちゃんとあっしらさんの議論を比較すると,すみちゃんの論理はより悲観的な立場からのもの
ではないかという気がします.あっしらさんは自由貨幣経済のもとでの物価調整つまり,貨幣
価値の維持(これはそのまま経済母体の死活に関わります)が徴税という制度なしに可能であ
ると見ておられます.すみちゃんはむしろかなりの重税が必要になる可能性すらあると見てお
られるようですが,私の立場はおそらくその中間あたりかと思います.
前に劣化する貨幣の理論を応用した擬似的な税制を導入して実質的な無税社会を構成可能
であることを示しました.この仕掛けを目を凝らして見ると,場合によってはそれすらも不用で
あることを理解するのは難しくありません.つまり,政府支出と無利子金融を調整するだけで,
物価安定は可能であるとするあっしらさんのお考えは,少なくとも理論的には正しいのではな
いか?という気がしています.私の現在の考え方は@劣化する貨幣,A取引税,B外形課税
の3種の徴税方式を併用するのがもっともよい(現実的なのではないか)というものですが,
いずれにしても貨幣価値の変動という現象をより精密に(既成概念に囚われず)解析・考察す
る必要があるのではないかと思います.
前にご紹介した劣化する貨幣を使った徴税システムは,毎日所有貨幣量が減価するというか
なり現実離れした机上の空論に近いものでした(理論的には十分ですが).ことのついでに,そ
れをもう少しアレンジしたやや現実的な案を提示しておきます.政府貨幣の日日の投下量に応
じて所有貨幣を減価するというのは,明らかにやり過ぎています.たとえば,1年に一回調整す
るだけで十分です.政府はクリスマス前夜までにすべての支出を完了して国庫を閉じます.大
晦日までの一週間に学者たちは翌年の経済のベースになる当初流通貨幣の名目的総量を決
定します.その答申に従い,正月元旦から3日にかけてのいわゆる三が日を使って,中央銀行
は全国民の所有貨幣額の調整を行います.この期間では,一切の経済的取引行為・キャッシ
ュの出し入れはできません(現流通貨幣の総量はクリスマス前夜に確定し,固定されます).
これは私たちが持っている古来からの正月の風習を復活させるものになるかもしれません.
多分,クリスマスには(個人の財布の中身の減価を回避するという理由から)盛大なセールが
行なわれ,子どもたちには思い思いのプレゼントが(多分サンタクロースから)届くことでしょう.
同様にほとんどの企業は大晦日に集中して決済を実行するでしょうし,家庭では一週間分の
食料の買いだめが行なわれ,主婦の腕を振るったご馳走が家族や友人・親族との会食のた
めに準備されることでしょう.名目貨幣額の切り換えが実施される大晦日から元日にかけての
聖なる時間は「過ぎ越し」と呼ばれる祝祭に似たものになるはずです.
英治
ps:この小話から連想されることは,もし,一国的に共同的資本主義を実現しようとするなら,
それはほとんど出エジプトの困難を国民に求めるものになるだろうということです.私たちは
その前にまず私たちのモーゼを見つけなくてはならないのでしょうか?