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(回答先: Re: 世界観の相剋と謀略 投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 9 月 03 日 20:13:55)
すみちゃん、こんばんわ。
見当たらないという「米英支配層とナチスドイツの合作」の内容を末尾に添付しておきます。
● イスラムについて
>あっしらさんは、イスラム側に共同体を大事にする価値観があることを評価しておら
>れるようです。
イスラムの共同体は、私自身の概念及び日本的共同体の概念とは異なるものだと思っています。
イスラムの共同体は、信仰と地域が融合したもので、イスラム世界全体がそうだとも言えるものです。
イスラムは啓示宗教ですから、ユダヤ教やキリスト教と同じように、個と神の関係が直接的に措定されますが、個相互の関係性としての共同体性を個から切り離さずに、個の行動規範を共同体内存在として定めていることを高く評価しています。
(エッセネ派やグノーシス派のように世間から距離を置いた脱俗共同体であったり、正統派キリスト教のように聖−俗二元論と教会位階組織に基づくものではなく、世間そのものを信仰共同体にしたイスラムは、革命運動とも言えるものです。もちろん、現実が教義通りに動いていないことは承知の上の原理論です)
「近代」は、独立した諸個人が契約を結んで国家社会をつくるという観念があるくらいですから、個人を共同体内存在とはみなしていません。
共同体を解体して国家社会に再編したのが「近代市民革命」であり近代国家です。
>イスラムというのは、もともとは商人の宗教であり、状況に応じて柔軟さが特徴だっ
>たはずです。
>イスラムが勃興する時点では、アラブ地域は沈滞していました。
>しかし、そのあと11、12世紀に高度な科学、哲学が花開きました。
>イスラムが柔軟であり、寛容だったからに違いありません。
>しかしその後イスラム地域は沈滞していたように見えます(良く知りませんが)。
イスラムが商人の生活様態や価値観を出自にしていることは確かですが、地域そのものが遊牧&遠隔地商業を生業にしていましたから、日本で商人から生まれた宗教というのとは違って、地域包括的な基盤があったと思っています。
アラビア半島南部は遊牧・遠隔地商業が米作と同じ重みを持っていた地域ですから、日本で言えば農村共同体から生まれた宗教に相当するものです。
イスラムは、えげつなさと排他的な富への執着をもたらしがちな遠隔地商業を共同体の持続的な糧にするための価値観だと受け止めています。
「近代」も貨幣経済と言われるように商業の普遍化を特質としていますが、共同体主義ではなく個人(家族)主義を価値観ベースにしています。
そのような「近代国家」(西欧近代国家)がここまで存続できたのは、アメリカ大陸及びアジア・アフリカなど広大な地域がボロボロになってしまったほどの膨大な富の流入があったからです。
過剰とも言える貨幣的富の獲得とそれを支える産業力が、多数派国民の生活レベルを向上させ、福祉政策などの擬似的共同体性を実現し、“非共同体”的な価値観が妥当なものであるかのように意識(錯覚)させてきました。
(「近代」は、内と外の両方の共同体を瓦解させましたが、外から得た利益を原資として基盤である内の国家統合をなんとか維持するという歴史を歩みました)
イスラムは、7世紀の時点で、利益独占的な商業活動が共同体(国家)の存続を脅かすことを理解し、「近代」は、7世紀の時点でイスラムが否定した価値観や経済活動に基づいているとも言えます。
科学や哲学が盛んになるというのは、原理主義や合理主義が基礎にあるからで、脱原理主義だからというわけではありません。
(パラダイムがない科学がどういう姿になるか想像してみればわかると思います)
柔軟で寛容だったことは、広大なイスラム世界の実現に寄与したと思っています。
ムガール帝国に売るものがなく買うばかりだったのですから、19世紀前半までは、近代西欧とイスラムは文明的に優劣がなかったと言えます。
>ましていわゆるイスラム原理主義というのは良く理解できません。
>もともと原理主義にはそぐわないものだったはずです。
>原理主義というのは西洋人の命名であり自称ではないので、これをもって決めつける
>ことはできませんが、イランとかやっぱり硬直していないんでしょうか?
>ましてタリバーンとかは私には良く理解できないです。
>もしかすると、イランのホメイニ等は、西洋思想である原理主義を、本来適合性のな
>いはずのイスラム内部に持ち込むためのエージェントではないのかという疑いを持っ
>ています。
啓示宗教の信仰は、本来“原理主義”であるべきだと思っています。
(数学や論理学の公理・定理・前提に信を置くという意味の原理主義だと受け止めてもらえばわかりやすいでしょう。啓示は、その内容を人知で論証する必要がない公理です)
何が義であるか、何を為すべきで何は為さないべきかは、理屈(人が考えたもの)ではなく、神が示したからそうなのです。
神はたぶんこう思ってそういうことを言ったのだろうかとか、ある部分は尊重するがある部分は棚上げするという態度は、啓示宗教としての存立基盤を壊す振る舞いです。
(全知全能の神を信仰していながら、その意思を人が忖度したり、取捨選択するのは不遜傲慢なのです)
ただし、神が直接言及していないことは数多くあるので、それにどう対処するかは、直接言及していることを基礎に人知で推し量って決定することになります。
一部でも原理主義的に信仰できないのなら信仰をやめるというのが啓示宗教だと思っています。
現在の中東諸国のほとんどの支配層は、イスラムを隠れ蓑にした世界支配層のエージェントだと思っています。
タリバンは、理解しやすい考えと行動をとっているイスラム集団として好意的に見ています。
>もしこの疑いが当たっているとすると、あっしらさんのおっしゃるようなイスラム勝
>利という展望にも、疑問を感じざるを得ないのです。
価値観的には、イスラムは、「近代」に疑義を提示するものであっても、「近代」に勝利するものだとは見ていません。
政治的には、世界支配層は自ら仕掛けた「対イスラム戦争」に勝利できない、すなわちイスラムが負けないという見方をしています。
(世界支配層が目的をもって仕掛けた戦争ですから、目的が実現できなければ勝利ではありません)
日本のように国家統治者が敗北したからといって、みんなが占領支配者の意向に唯々諾々従うということはありません。(天皇の上に立ち統治する者の存在を許したのですから、皇国思想がどれほどの“軽さ”であったかをさらしたとも言えます)
イスラムは、聖−俗二元論が通用したキリスト教とは異質ですから、心の中にある信仰や価値観という話で済むものではなく、生活や共同体(国家)の在り様と切り離せないものです。(イスラムは政治運動でもあります)
米英占領者の今後の動きを通じて、サダム・フセインや大量破壊兵器が問題ではなく、イスラムが問題だったということがわかるようになれば、現在とは較べることができない反占領軍闘争が展開されることになるはずです。
米英はイスラムに結びつかないよう民主主義や近代化を楯にことを進めようとするでしょうが、日本や欧米諸国の人たちのようにふわふわと丸め込まれることはありません。
(そのときには、対抗力としてサダム・フセイン一派の復活が画策されるかもしれませんね)
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第二次世界大戦は「米英支配層とナチスドイツの合作」
( http://www.asyura.com/0304/dispute10/msg/341.html )
すみちゃん、こんばんわ。
>えーと、ドイツ国内のユダヤ人資産の米国流出は、ナチスドイツは良く知っていて目
>をつぶっていたのではないかと思うんです。 だって普通分かりますよね。 とてつも
>ない量の金流出ですから。 いかがでしょう。
ナチス・ドイツは知っていたと思います。
ジャック・どんどんさんへのレスで(第二次世界大戦も八百長だと思っています)と書きましたが、米英(国際金融家)とヒトラー・ナチスは、今回の「イラク侵略戦争」と同じように合作していたと思っています。
1000万人を超える人たちが犠牲になり、多くの国が破壊を受けた大戦争に関する「合作説」ですから、その根拠を簡単に書きます。
[目的]
第一次世界大戦で疲弊したとはいえ最高レベルの産業力を誇りながら価値観が異なるドイツを管理下に置く。(日本も似た動機で対米戦に引きずり込まれました)
戦後世界は、第二次世界大戦がなければ実現されていません。
以前書いたように、第一次世界大戦と第二次世界大戦は、一体で「第一次世界大戦」だと認識しています。
[根拠]
戦前の米国支配層とナチスドイツのつながりは脇におき、ナチスドイツ側の不可解な動きのなかで3つほどに限定して説明します。
● ダンケルクに追い詰めた英国大陸派遣軍への攻撃を中止し英国に帰還させた
西部戦線初期の出来事ですが、ダンケルクに追い詰めた英国大陸派遣軍を壊滅させていれば、英国は継戦意志を喪失していたはずです。(モンゴメリー将軍など錚々たる将官たちが含まれています)
この攻撃中止理由として軍事行動・政治的判断など9つほどの説が唱えられていますが、そのなかで納得できるのは、ヒトラーの「親英」価値観に基づく中止説だけです。
ヒトラーは、戦争後期まで英国とは講和できるという構えで動いています。
● 命取りになる対ソ戦に踏み切った
対英戦が決着していない段階で、価値観を別にすれば利害衝突がそれほどないソ連に対して戦争を仕掛け、ナチスドイツ敗北の道筋をつけた。
(穀倉地帯であり反共産党意識が強かったウクライナを自陣営につける利益は理解できますが、はるかシベリアまで続くソ連との戦争に踏み込むのは、シナ事変に踏み込んだ日本以上に無謀な軍事行動です)
米国の武器貸与がそこそこあったとはいえ、ナチス・ドイツを軍事的に敗北に追い込んだのはソ連です。(ソ連だけで1000万人が犠牲になったとされています)
ノルマンディ上陸作戦は、ドイツ軍が対ソ戦で疲弊した後に敢行されたものです。
逆に言えば、米英が西部戦線でドイツ軍と戦端を開けば、ソ連はずっと少ない犠牲で戦争に勝利することができたことになります。
『帝国以後 − アメリカ・システムの崩壊 −』も、米国の陸軍力の弱さの説明として、第二次世界大戦の真の勝者がソ連であったことを書いています。
● 日本が米国に戦争を仕掛けたことを受けて対米宣戦布告を行なった
ナチス・ドイツは、日本が「真珠湾奇襲攻撃」で始めた対米戦を受けて米国に宣戦布告を行ないました。
日独伊三国同盟は、小室直樹氏に見られるように攻守同盟だと誤解している人もいますが、「日本國、獨逸國及伊太利國ハ前記ノ方針ニ基ク努力ニ付相互ニ協力スヘキコトヲ約ス更ニ三締約國中何レカノ一國カ現ニ欧洲戦爭叉ハ日支紛爭ニ参入シ居ラサル一國ニ依テ攻撃セラレタルトキハ三國ハ有ラユル政治的、経済的及軍事的方法ニ依リ相互ニ援助スヘキコトヲ約ス」とあるように防御同盟(集団自衛体制)です。
日本が米国に戦争を仕掛けたのであれば、それ以前にドイツがソ連に戦争を仕掛けた時点で日本がソ連に宣戦布告しなかったように、ドイツも日米戦に対して中立政策を採ることができました。
ナチス・ドイツは、西欧・中欧・東欧で新秩序を確立し有利な条件で英国と講和できたのに、泥沼化が必至で勝利の展望がない対ソ戦に踏み切り、さらには、わざわざ大国である米国に宣戦布告を行なって破滅の道を用意したことになります。
(もちろん、ヒトラーはオカルトの非合理主義者で無能だったという説明もできますが、その見方には与しません。ヒトラーは1985年まで生存していたという説もあります)
※ 日本は、海軍が合作に関与したと考えています。
『Re:貴重なご指摘ありがとうございます』(山本五十六問題)
( http://www.asyura.com/sora/bd16/msg/625.html )
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★ 参照書き込み
『「バチカンとナチス」そして「ユダヤ人の近代的識別」について』
(http://www.asyura.com/2003/dispute5/msg/218.html)
『Re: 「ユダヤ人問題」は慎重に』
(http://www.asyura.com/sora/dispute1/msg/211.html)
『Re: 国際金融家と日本』
(http://www.asyura.com/sora/dispute1/msg/219.html)
『Re: “戦後世界”は終焉を迎えている』
(http://www.asyura.com/sora/dispute1/msg/226.html)
『いわゆる「陰謀論」について』
(http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/172.html)
『Re: 『近代パレスチナ問題』と「文明諸国」の対応』
(http://www.asyura.com/2002/war10/msg/797.html)