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(回答先: イラスム教地域についての初歩的な疑問 投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 9 月 04 日 22:23:10)
すみちゃん、こんばんわ。
少々バタバタした日々をおくっています。
>コーランは少し読んだだけですが、宗教的と言うより、わりと卑近で具体的な話が多
>いと思いました。
イスラムについては、“政教分離”や信仰(世界観・価値観)の個人性という近代的宗教イメージがあるので、宗教というより政治社会運動と捉えたほうがわかりやすいと思っています。(宗教の概念やイメージを見直すという逆方向でも同じですが...)
イスラムに関する書きかけのものに、『イスラムは世界史上最大の「革命運動」』という仮タイトルを付けています。(宗教学者・哲学者・歴史学者がプロジェクトで取り組むべきような壮大な構想になってしまったので手にあまして中断しています)
イスラムを近代精神が思念する宗教と考えるとグロテスクなものに映り、ある勢力が望んでいるイスラム解体(政教分離)を好ましいことして歓迎してしまう可能性もあります。
バビロン捕囚後に確立したと考えているユダヤ教も上からの政治社会運動と受け止めていますが、セム系地域ではいわゆる宗教的体系性を持たない政治運動は成功しない(受け入れられない)精神的土壌があるのかもしれません。
このような意味で、世界観を提示しつつ国家社会の変革運動を進めてきたマルクス的共産主義もイスラムやユダヤ教と高い類似性があると思っています。(マルクス共産主義は私の概念に照らせば宗教です。神の実在・非実在は宗教であるかどうかの基準ではありません)
キリスト教やグノーシスそして仏教は、それらを統治の糧に利用することはできても、政治社会運動や国家社会(包括的共同体)の観念体系にはなり得ないものです。
(それらは覚醒者の生き方や覚醒者になる道を教えるものです。グノーシスにとっては世界そのものが悪ですから、覚醒者保護以外の政治運動は出てこないはずです)
東アジアで興った儒教は実に割り切った宗教ですね。国家をどうきちんと治めるかに目的を絞り、端から多数派の被支配者は相手にせず、支配者のみに対し、為すべきこと為さざることを示したものですから、現実を弁えているというか無駄がない思想です。
(儒教は、農業共同体という基底があったからこそ成立した考え方だと思っています)
>うーん。 そういう信仰者としての態度を原理主義とかりに呼ぶのであれば、確かに
>啓示宗教の信仰者は原理主義でしかありえないわけですね。
>イスラム教では、この幅はわりと大きいというか柔軟なのではないですか?
コーランが公理(原理)だとしても、数学的公理とは性格が違うものですから、現実への適用論証では様々な異説が出てきます。
スンニ派とシーア派の分裂は、イスラム共同体の統合形態をめぐる対立に由来したものですが、イスラム法の適用や解釈の食い違いから数多くの分派が生まれています。
このあたりは共産主義が数多くの分派を生み出したのと同じですね。原理主義は、否応なく分派を発生させる“原理”を内包していると思っています。
論議を潰そうとしないという面では柔軟ですが、それを踏まえて原理をどう考えるかについては妥協がないと思っています。
>ホメイニはどう思われますか?
>とっくに死んでますけど、一番気になっている人なんです。
>イランでは、上記の意味での「原理主義」的な統治が行われているんでしょうか?
ホメイニ氏は、うまく誘導されてしまったシーア派法学者だったのではないかと思っています。イラン革命は、たぶん、成功させてもらった「シーア派革命」なんでしょう。
イランに疲弊と対立をもたらし、経済制裁でイランの天然資源の温存をはかるという筋書きに嵌ったと思っています。(米国大使館占拠事件などを考えると、乗せられたわけではなくホメイニ氏が主体的に取り組んだ可能性もあります。戦前の日本と同じように誰が合作者だったのかという判定は難しいですね)
コーランには統治形態論は示されていないので、カリフ(イマーム)−スルタン制が原理主義的な統治とも言えず、イスラム法も公理(原理)から導き出された定義ですから、それをもって原理主義かどうかの基準にはできません。
(コーランに拠るなら、深酒や悪酔いは諌めていますが、飲酒そのものを禁止しているわけではありません。女性の服装もアニュアル化されてはいません)
政治的建物のなかにホメイニ氏の肖像写真を掲げているのは、反イスラム(非原理主義)ですね。
>サウジアラビアで、貧困階級の不満を抑制し、王政打倒へと政治的エネルギーを結集
>させないために、イスラム教、それも復古的色彩を強い教えを政府が積極的に宣伝、
>推奨しているという話を読んだことがあるのですが、そういう「政治的利用」はかな
>りあるのではないんでしょうか?
イラク報道偏重とサウジアラビアの情報閉鎖性からあまり関心をもたれていないようですが、サウジアラビアは、サウド家が支配者である正当性の支えとしてきたワッハーブ派宗教指導者たちとの関係が悪化しています。
サウド王室は、ここ数ヶ月で2千人を超える宗教指導者をモスク立ち入り禁止にしたそうです。
すみちゃんが指摘のようにこれまで政治的に利用してきた宗教勢力と王室の関係があやしくなっています。
これは5月のリヤド爆弾テロをきっかけにした動きで、バリ島爆弾テロを契機にインドネシア政権がイスラム主義者弾圧に乗り出した(米英の圧力で乗り出さざるを得なくなった)のと同じ構図です。
サウド王室は、後ろ盾として、宗教勢力と米英支配層のどちらを選択するか迫られている状況に置かれています。
(15人のサウジアラビア人が関与したと主張された9・11以降、サウド王室は自らの手でイスラム主義者狩りをするよう求められてきたはずです)
宗教指導者多数派が王室につけばなんとかしのげるでしょうが、宗教指導者多数派が反王室に回れば、取り締まりで起きる銃撃戦ではすまない内戦に進んでいく可能性があります。
インドネシアは政教分離政策が続いてきたので対処しやすいでしょうが、サウド王室の場合は、これまでのイスラム活用政策が裏目に出る可能性があります。
※ サウジの状況を考えれば、米英がイラクの治安回復やそれをベースにした主権回復をまったく望んでいないことが理解できます。
イラクの治安が回復しただけでも大部隊が駐留している是非が問われ、主権が回復されれば“安保条約”でも締結しない限り部隊を撤退させざるを得なくなります。
中東のハードランドであるイラクに部隊を送り込んだ米英支配層は、「中東全域の近代化」という目的を成就するまで、混乱するイラクもしくは駐留を認める政権の樹立のいずれかをつくり出し部隊を駐留させるはずです。
(イラクとの“安保条約”は親米政権をつくっても無理でしょうから、選択肢は「混乱するイラク」でしょうね。合作による内戦も考えられます)
>もっと根本的な問題として、イスラム地域は、人口が急増し、若年者に職がなくて結
>婚もできず、富が偏在しているところが多いという話を読んだ覚えもありますが、そ
>れは近代市場社会が中心の世界において、統治システムがうまく行っていないことを
>意味していませんか?
近代市場社会というより、「近代」勢力に蹂躙され富を奪われてきた結果ですね。
19世紀末から大戦期までは植民地支配を受け、戦後は、原油販売支配で縛られ、イスラエルという癌を植えつけられたことで数次の戦争を経験し、膨大な兵器購入も強いられています。
(商業を大きな支えとしてきた地域が、地域産出物の商権さえ握れていないという状況に陥っています。日本のガソリンでさえ税込みで輸入物ミネラルウォーターよりも安いという馬鹿げた状況です。そして、それでも石油メジャーは空前の利益を上げています。原油を安く売って産業製品を高く買っているのが中東産油国の実態です)
「近代世界」では、天然資源供給地域として位置付けられたのが中東です。
どのような生活様式を採るかは各地域の選択ですから、まずは米英支配層の経済支配と政治的くびきから脱することが課題でしょうね。それは同時に米英支配層の後ろ盾で地位を維持してきた支配層の没落につながるはずです。
そこから、原油を当座の糧にしつつ、「近代」によって押し付けられた国境線をどうするのか、どのような生存維持形態を基礎にするのかを決めていけばいいでしょう。
>こういう状況下では、状況を見て柔軟に対応するといったことはイスラム法には反し
>ないのでないかと思いたいのですが(無知なので判断はできません)。
「近代」に強制されたり「近代」を取り入れたことで、イスラム法そのものがそれほど多くの国で施行されているわけではありませんが、イスラム法は公理の現実適用形態ですから、公理に抵触しない限り柔軟に対応できるはずです。