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(回答先: Re: 世界観の相剋と謀略 投稿者 あっしら 日時 2003 年 9 月 04 日 03:54:40)
あっしらさん。 お呼び立てして申し訳ありません。
とても遅い時間に書き込みをしていただいていますが、最近はお忙しいんでしょうか?
(見当たらないという「米英支配層とナチスドイツの合作」の内容を末尾に添付しておきます。)
ありがとうございます。
(イスラムは啓示宗教ですから、ユダヤ教やキリスト教と同じように、個と神の関係が直接的に措定されますが、個相互の関係性としての共同体性を個から切り離さずに、個の行動規範を共同体内存在として定めていることを高く評価しています。)
(イスラムは、聖−俗二元論が通用したキリスト教とは異質ですから、心の中にある信仰や価値観という話で済むものではなく、生活や共同体(国家)の在り様と切り離せないものです。(イスラムは政治運動でもあります))
イスラムについては無知です。
コーランは少し読んだだけですが、宗教的と言うより、わりと卑近で具体的な話が多いと思いました。
(イスラムが商人の生活様態や価値観を出自にしていることは確かですが、地域そのものが遊牧&遠隔地商業を生業にしていましたから、日本で商人から生まれた宗教というのとは違って、地域包括的な基盤があったと思っています。
アラビア半島南部は遊牧・遠隔地商業が米作と同じ重みを持っていた地域ですから、日本で言えば農村共同体から生まれた宗教に相当するものです。)
なるほど。
(過剰とも言える貨幣的富の獲得とそれを支える産業力が、多数派国民の生活レベルを向上させ、福祉政策などの擬似的共同体性を実現し、“非共同体”的な価値観が妥当なものであるかのように意識(錯覚)させてきました。
(「近代」は、内と外の両方の共同体を瓦解させましたが、外から得た利益を原資として基盤である内の国家統合をなんとか維持するという歴史を歩みました)
だから利益をむしり取られた国々は過剰にボロボロになってしまうわけですね。 それは良く分かります。
(イスラムは、7世紀の時点で、利益独占的な商業活動が共同体(国家)の存続を脅かすことを理解し、「近代」は、7世紀の時点でイスラムが否定した価値観や経済活動に基づいているとも言えます。)
なるほど。
(啓示宗教の信仰は、本来“原理主義”であるべきだと思っています。
何が義であるか、何を為すべきで何は為さないべきかは、理屈(人が考えたもの)ではなく、神が示したからそうなのです。
神はたぶんこう思ってそういうことを言ったのだろうかとか、ある部分は尊重するがある部分は棚上げするという態度は、啓示宗教としての存立基盤を壊す振る舞いです。
(全知全能の神を信仰していながら、その意思を人が忖度したり、取捨選択するのは不遜傲慢なのです))
うーん。 そういう信仰者としての態度を原理主義とかりに呼ぶのであれば、確かに啓示宗教の信仰者は原理主義でしかありえないわけですね。
(ただし、神が直接言及していないことは数多くあるので、それにどう対処するかは、直接言及していることを基礎に人知で推し量って決定することになります。)
イスラム教では、この幅はわりと大きいというか柔軟なのではないですか?
(現在の中東諸国のほとんどの支配層は、イスラムを隠れ蓑にした世界支配層のエージェントだと思っています。)
ホメイニはどう思われますか?
とっくに死んでますけど、一番気になっている人なんです。
イランでは、上記の意味での「原理主義」的な統治が行われているんでしょうか?
サウジアラビアで、貧困階級の不満を抑制し、王政打倒へと政治的エネルギーを結集させないために、イスラム教、それも復古的色彩を強い教えを政府が積極的に宣伝、推奨しているという話を読んだことがあるのですが、そういう「政治的利用」はかなりあるのではないんでしょうか?
もっと根本的な問題として、イスラム地域は、人口が急増し、若年者に職がなくて結婚もできず、富が偏在しているところが多いという話を読んだ覚えもありますが、それは近代市場社会が中心の世界において、統治システムがうまく行っていないことを意味していませんか?
(まあ同じようなことは先進諸国でもあるわけで、程度問題でしょうけど)
こういう状況下では、状況を見て柔軟に対応するといったことはイスラム法には反しないのでないかと思いたいのですが(無知なので判断はできません)。
以上とりとめのない話でしたが、以前から疑問に思っていたことです。