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通りすがりさんの以下の投稿に注目。
http://www.asyura.com/0306/dispute11/msg/974.html
投稿者 通りすがり 日時 2003 年 7 月 11 日 00:46:50:
(回答先: Re: 日本教について--3 投稿者 Ddog 日時 2003 年 7 月 10 日 01:27:53)
引用開始
なつかしいねえ。学生時代『日本教について』とか、
山本七平の著作にはまってたよ。(そのおかげで今は実生活ではうだつがあがらんが...)
山本七平の「日本教」とは、
1.日本人は、企業、官庁等の職場で、家族的な擬似的血縁集団を作る。
その集団の成員はその集団に人格的に依存、埋没しなければならない。
2.その擬似的血縁集団の内と外は厳しく峻別される。
(いわゆる内輪だけでかたまり、よそ者は差別・排除される
「2人称、お前とお前のお前の関係」)
3.その擬似的血縁集団内では、独特の価値観が優先され、
その集団の成員は、
それに反するような客観的な事実や思想は絶対に出してはならず、
思考を停止しなければならない。(これが「空気」)
もし、無理やりこれに反することをした場合、集団から永久に追放される
(リストラ、クビ)
と、以上のことを守ることが、真っ当な「人間」であり、「自然」なことなのであり、
どのような価値観が優先されるのか、つまり「ご神体(神様)」は、
「天皇」であろうが、「社長」「会社」であろうが、「鰯の頭」であろうが
何でもかまわない。
このような心性は、人間社会を超越し、全ての人間がそれに従わなければならない
絶対者、絶対的な価値観があるとする一神教の世界観とは、隔絶しているということで、
「日本教」という言葉を山本七平は作ったんだろう。
ところで、山本七平って、阿修羅的にはどうなんだろう?
引用終わり
山本七平は「天皇」であろうが、「社長」であろうが、「鰯の頭」であろうが、社会として信奉するものが何であろうとかまわない、つまり、信仰するものが、時代の仕掛けでなんとなくいちいちくるくるかわる、それが絶対的不動の価値をもたない日本人というのが山本の論旨。近代天皇制の本質は山本によれば、天皇を信奉する価値体系を政府が選んで国民がそれを受容してしまった、この時代の「鰯の頭」に過ぎないと説明している。山本はご存知知のとおり、筋金入りのキリスト信仰者、つまり絶対的価値の信奉者であり、「天皇教」信者でもなんでもない、自分は「鰯の頭」を信じるほど馬鹿ではない、といいたい人物なのである。一時の政府宣伝である天皇教えにクルクル・ホイホイ乗っていく日本人Ddog氏のような日本人を苦笑しながら馬鹿にして批判しているのが、このキリスト者の「日本教」のフレームワークの機軸なのだ。なんでもかんでも、規範なく、その時代のファッション(空気,ニューマ)で信仰対象をクルクル変えていく日本人の無規範的ふしだらさに誅を加えている人物なのだ。神道・古神道すら自分の価値観にはそぐわない、という日本人の皮を被った西洋人なのである。Ddog氏は自分が山本から批判されている対象であることもわからずに、山本七平を自分の立論に用いている論理破綻ぶりであり、掛け値なしの楽天的「日本教」の一員なのである。日本教教徒の最大の特徴=規範的価値なし=非論理的その本質を彼は備えているのだ。
彼が末期、ツアーを自ら組んでエルサレム・イスラエルに日本人を連れ出していたことが思い出される。