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(回答先: Re: 山本氏の仕事は「日本教」なのですか「日本教の相対化」なのですか? 投稿者 かわうそ君 日時 2003 年 7 月 12 日 10:22:29)
初めまして。
えーとまず私の理解(誤解?)ですので、他の方に押しつけるつもりはもちろんありません。
Ddogさんの方が詳しいみたいなので、そちらもご参照下さいね。
彼は軍隊とか他の組織内で、ある種の決定が明らかに非合理であるにもかかわらず、何となくその場の雰囲気で皆が反対できず、ずるずると決まってしまうといった経験を何度もしたんでしょう。
ところが、日本教徒は、それを「客観視」することができないわけです。
魚は水の存在を感じる(理解する)ことができません。
魚は水なんか存在しないと思っています。
しかし魚を水から出すと死んでしまいます。 その意味で水は厳然と存在するわけですね。
鋭敏な彼は、クリスチャンだからか、軍隊経験からかわかりませんが、「水」の中に魚が生きていることを認識しました。
それはやはり西洋の一神教との対比なくしては認識できないのかもしれませんね(私は一神教じゃないので、あまり自信はありません)。
「水」の外に出て、魚が水の中を泳いでいることを認識するということは、他の宗教の行動様式(エートス)との対比比較を可能としたわけです。
これは一種の「相対化」だと思っています。
以上でよいでしょうか? 当たり前すぎてつまらないかもしれませんが、私は大事なことではないかと思うんです。