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(回答先: セクハラ辞職から“禁酒”撤回まで 「共産党の常識は『非常識』」との揶揄も(9日付デイリーニュース) 投稿者 ミミズ 日時 2003 年 7 月 11 日 08:25:57)
共産党筆坂セクハラ事件
セクハラ男はカスやけどな もっとカスなんは党やで
(アサヒ芸能7/10日号)
キツネ目事件調書
共産党の筆坂秀世参議院議員が辞職した。原因はご存じのとおり、酒席でのセクハラである。一見、誠実そうな印象がある男だけに意外に感じる読者もいるかもしれんが、俺がつかんだ情報によれば、彼は結構な遊び人だった。行きつけの新宿・歌舞伎町界隈の飲み屋では、酔った勢いで店の女の胸を触って大騒ぎになったこともあるらしい。まあ、普通 のスケベおやじだったというわけだ。
だから、同党書記長の市田が記者会見でセクハラの内容に関して「明らかにできない」の一点張りであったのを見たときも、よほどエゲツないことしたな、と思ったが、これについてはむしろ。逆のようである。これも歌舞伎町周辺の店関係者経由の情報だが、事件の現場は赤坂のカラオケ店。そこで開かれた新人秘書の歓迎会でのこととか。セクハラの中身もケツを触っただけらしい。それが事実なら、被害者女性に対する党中央の過剰反応が、この一件を大きくしたのだろう。ちなみにこの女性は党関係者との噂だ。だが、議員辞職して責任を取るほどのことではない、と俺は思う。一国会議員としての責任を問うべきは、違法行為がある場合、もしくは議員がそれを隠蔽しようとした掃合に限る、というのが俺の主張だ。
今回の件でいえば、すでに当事者間で示談が成立していると思われるフシもあり、これには該当しない。だとすれば問われるのは、市民的道徳から見でどうか、ということだが政治家に道徳心を求めることぼどむなしいものはないのである。小泉やブッシュに知性を問うようなもんやろ(笑)。連中がやってきたことを思い返してみればいい。道義的な人間が犯罪者やヤクザになることはあっても、政治家にはなれん。政治家として生きるということはすなわち、道徳心から外れた世界に入ること、と俺は理解する。
ある老齢のヤクザがヒザに孫を乗せてテレビを見ていた。映し出されたのは収賄で逮捕された政治家の姿だった。それを見ながら彼は「なあ、おじいちゃんはヤクザでよかったやろう」と孫にしみじみ語ったという。いい話や。
ただ、政治家が皆、道徳心の塊になれぱいいと言っているわけではないし、それで国がよくなるとはこれっぼちも思わん。政治家が建て前の道徳心やきれいごとぱかりあげつらうのも気味の悪い話や。政治家とは国民の民度を映す鏡と言われるが、しょせんこの国の国民もその程度。政治家の振リ見てわが振り直せ、ということなのである。決して道徳心は高くない。その意味では筆坂程度がちょうど手ごろでもあるやろな。
むしろ問題なのは、共産党の取った態度だ。一部では、筆坂のセクハラについて某全国紙が動いているとの情報が入ったため、党は慌てて記者会見を開き、早急な対応を図ったと言われている。要は事件が公になる前に、みずから発表したほうが傷が小さくて済むとの判断である。事件発覚の少し前、共産党は党の方針を大きく変更した。これまでかたくなに否定してきた天皇制と自衛隊を認めるとの発表を行ったのだ。
これまでも同党は幾度となく方針転換してきたが、それはすべて選挙を意識してのこと。今回の転換もきたる総選挙をにらんだ、いわば総仕上げと言えよう。そのやさきに降ってわいたセクハラ騒動。得票への悪影響を視野に入れたからこそ、あれほど大慌てで対処したのである。自衛隊(軍隊)と天皇制反対は共産党が戦前、命がけで戦ってきたテーゼだ。それをかなぐり捨ててまで人気取りに走る真意とは、いったい何なのか。きわめて安易に政治理念を放棄するー党自体が取ったこの措置こそが「道徳」に反するものではないだろうか。これにまったく気づかないこと自体、俺は共産党の限界を見た気がする。
組織防衛ということで言えば、筆坂を守るのが筋である。マスコミに追及されても「違法性はない。当事者間ですでに解決済みだ」。これで押し切るのが本来の政党と国会議員の関係である。
しかしまあ、共産党に限らず口で立派なことを主張している者ほど、内実はいいかげんというのは世の常だ。労働者の権利を守れ、と主張する労組の事務局員ほど、過労とストレスで倒れる者が多い、というのがいい例。男女差別 に対して先鋭的な意見を言ってきた共産党のエライ人がセクハラが起こったからといって、別 にいまさら驚くにはあたらんし、驚いたフリすらするに値しない。
ただし、ケツを触るくらいいいやないか、とするほど俺は短絡的ではない。例えば、自分の女房や恋人が別 の男から何かしらの行為を受けたとする。それが自分にとって腹が立つ行為ならば、すべてセクハラに当たる。これが定義だと思っている。さらに言えば、セクハラをする男はクズなのである。フェミニズム系のオバちゃんらがこうした問題が起こると、待ってましたとばかりに「男性は女性の権利をーうんぬ ん」と男の一般論として語るが、まるでお門違いや。男気のある男はそんなマネは絶対にしない。ヘタに手を出してそれでまた1人、よけいな女関係が増えたらあとが大変や。そう考えるのが男の中の男なのであり、それはすなわち俺なのである(笑)。
筆坂もそうだが、辻元 、田中真紀子と、時の政府を攻撃する急先鋒といわれた人間が、次々と本筋ではない事件をきっかけに政治の表舞台から姿を消してゆく。そこに何らかの陰謀めいたことがあったかどうかについて確実なことを今、言うことはできないが、出るクイは打たれるものなのである。だが、出すぎたクイは打たれない、というのも日本社会の通 例だ。消えていった連中に、そこまでの覚悟があったかどうかは言わずもがな。結果 的に足をすくわれたのも、そんな覚悟不足と、そこからくるワキの甘さであったことは否めない事実であろう。
まあ、しょせん、いずこの政治家も党も政治家も似たり寄ったりのセコいやつばっかりやで。
http://www.zorro-me.com/2003-07/ag030710.html