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「ネオコンの声」 ロナルド・ベイリー
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投稿者 副縞 日時 2003 年 5 月 11 日 09:01:41:GUrP.MmL3aEmM

「ネオコンの声」 ロナルド・ベイリー
2001年10月17日 http://reason.com/rb/rb101701.shtml

「(70年代当時)宗教は、ハーバードで見られるようなエリート文化に加えられることはなかった。高度教育を受けた人々が、宗教についてあまりに多く学ぶのはふさわしくないと考えられていた」とクリストルは述べた。当時、学界で低い認知しか得ていなかった 「シュトラウシアン(Straussians)」たちは、宗教をより重視していた。クリストルは、「彼ら(シュトラウシアン)は、(リベラルとコンサヴァティヴの)文化的な対立の中にあって、ネオコンサヴァティヴ知識人たちを「親」宗教(pro-religion)にとどめるのに重大な役割を果した。」と述べている。

… しかし、実際のところシュトラウシアンたちは、概してに宗教には携わってはいなかったとも、クリストルは指摘している。

… シュトラウスの教え子たちは、大学での職を見つけることができなかったので、その足でワシントンD.C.に向かい、政治編成に参加することになったと彼は主張する。そして実際には、旧左翼のスローガン「個人的なことこそ、政治である。( “Personal is political.”)」を提唱している。「ワシントン在住の多くの家庭が、三世代にまで渡ってシュトラウスに影響を受け、その思想基盤を形成して行った」ことが私にはよく分かるとクリストルは述べる。

… 最後にはクリストルは、1960年代以前の本流の保守思想すら放り投げるような発言をしている。「ネオコンサヴァティヴが現れるまでは、コンサヴァティヴ(保守派)の思想は、大学出の若者たちには届いていなかったのだ。彼らは、「我らの敵 Our Enemy, the State」(アルバート・ノック著 Albert Jay Nock, 1872-1945) や、「農奴への道 The Road to Serfdom」(フレデリック・ハイエク著 Friederich A. Hayek, 1899-1992) では満たされなかった。それらの著作を若者たちに与えて、積極的な反応を期待することはできなかったのだ。」 … クリストルの、トロツキー主義から(新保守主義へ)の大転向を考えれば明らかに、マルクスを読む方がノックやハイエクを読むよりもより面白いと思うのだろう。…クリストルは、「ナショナル・レヴュー National Review」コンサヴァティヴたち(根尾注: ウィリアム・ビル・バックレイ、パット・ブキャナン、ジョン・マクローリン等)が、かつて国家(制度)反対の立場を取っていたことにも触れ、「国家(に賛成か反対か)は、問題ではない」と嘲笑した。 政治権力の存在は、彼の昔馴染みのネオコン知識人たちが影響力を持つ限り、クリストルにとっては何の問題でもないのだ。

…クリストルの話の中で最もネオコンらしさが良く出ていたのは、(最も大切なテーマの)明らかな欠落である。つまり、彼はこの講演の中で、一度たりとも「個人の自由(individual liberty)」について述べようとしなかったのだ。

… イスラエルロビー自体、ユダヤ教徒とキリスト教徒に内分される。ウォルフォウィッツとフェイスは、ユダヤ系アメリカ人のイスラエルロビーにより強いつながりを持つ。イスラエルに親戚を持つウォルフォウィッツは、ブッシュ政権とアメリカ-イスラエル公共関連委員会(American Israel Public Affairs Committee)の連絡係である。フェイスは、全米シオニスト協会(Zionist Organization of America)から、「親イスラエル活動家」として賞を与えられた。権力中枢の外にいたクリントン政権時代には、フェイスは、リチャード・パールと協力してリクード党のための政策論文を共著している。その政策案は、オセロ和平手続きを中止して、返還を約束したパレスチナ領を再占拠すること、さらには、ヤサー・アラファト政権を打倒することを進言するものだった。
こうした「(ネオコン)エキスパート」たちは、2000年の大統領選でほとんがゴアに投票したような、典型的ユダヤ系アメリカ人ではない。共和党有権者の中で、最も熱狂的なリクード党の支持者たちは、南部プロテスタント原理主義者たちである。この宗教右派たちは、神はユダヤ人にパレスチナ全領域を与えたのだと信じており、したがって、原理主義信徒集会は、(パレスチナ人の)占領地におけるユダヤ人居留のための補助金として、数百万ドルをつぎ込んでいる。

ネオコン「ペンタゴン」の最後、五つ目の角には、英連邦と韓国に基盤を持つという聞くからに奇妙な、右翼メディア帝国がいくつも占拠している。ルパート・マードック(Rupert Murdoch)は、そこからFOXテレビネットワークをとおして、プロパガンダを流布し続けている。ウィリアム・クリストル(William Kristol、アーヴィング・クリストルの息子)と、元の軍参謀総長で、1989−1993に米副大統領に就任したダン・クエイル(Dan Quayle)により編集される、マードックの雑誌「ウィークリー・スタンダード 」は、パール、ウォルフォウィッツ、フェイス、そして、ウールセー(Woolsey)ら国防情報担当たち、および(イスラエル)シャロン政権の「代弁者」として機能している。(私(著者)自身1991年から1994年まで編集責任者をしていた)「ナショナル・インタレスト」誌は、現在、「エルサレム・ポスト」やイギリスやカナダにて「ホーリンガー(Hollinger)帝国」(根尾注: www.hollinger.com 参照)に君臨する、(新聞王)コンラッド・ブラック(Conrad Black)から資金提供を得ている。

何よりも奇妙なのは、韓国の救世主(もと囚人でもある)サン・ミュン・ムーン師 (Rev.Sun Myung Moon)所有のワシントンタイムズ(Washington Times)を中心とする、このネオコンメディア帝国ネットワークである。ワシントンタイムズは、その傘下にUPIニューズ電信を持つ。そのUPIは現在、かつてのマーガレット・サッチャーのゴーストライター、ジョン・オサリヴァン(John O’Sullivan)によって運営されており、サッチャー自身も、かつてカナダにてコンラッド・ブラックの編集者を務めていたことがある。こうした経路を通して、「つかまえたぞ!」式の右翼英国ジャーナリズムは、そのヨーロッパ嫌いの体質と併せてアメリカ保守運動を汚染していった。

これらネオコンサヴァティヴ「ペンタゴン(五角形)」のそれぞれのコーナー(角)は、ウィリアム・クリストルが「ウィークリー・スタンダート」とは別に、その社外で取り組んだ「アメリカ新世紀プロジェクト(The Project for the New American Century, PNAC)」によって、1990年代の間に共にリンクされるようになった。彼らの先導者であるトロツキイストたちによって開拓され磨かれて来たPR(広報宣伝活動)のテクニックを使い、ネオコンたちはウォルフウィッツ他、ブッシュ外交チームの面々までもその署名者に加えながら、一連の公式文書を発表していった。その中で彼らは、アメリカがイラクに侵攻し占領すること、そしてイスラエルのパレスチナに対する軍事行動を支援することを要求した(中国に対する極度の警戒を主張するのも、彼らの好きなレパートリーのひとつだ)。クリントン大統領が就任していた二期間は、こうした怒号は、その外交政策機関や主流メディアからは無視されていた。しかし今や彼らの主張は、躍起になって研究され続けているという現状だ。

… ネオコンは、ブッシュの無知と無経験に付け込んだ。… ブッシュは、「中年の危機(midlife crisis)」にあって、南部(キリスト教)原理主義に転向したのだ。その熱狂的なキリスト教シオニズムは、時にリベラルユダヤ人アメリカンとの敵対とあわせたマッチョなイスラエル兵たちへの賞賛と共に、南部文化の一つの特徴となっている。

ブッシュ・ジュニアは、パウエルからウォルフウィッツ(彼は「ウルフィー」と呼ぶが)へと傾いて行った。ウォルフィッツは、彼に欠けていたものを与えてくれたのだ。つまり、彼の父親(ブッシュ・シニア)の志を継ぐよりもむしろ、自らにとっての人生における使命を得ることができたのだ。

… ジョージ・Wが十分に、ウォルフォウィッツや他の側近たちが広げて見みせてくれる壮大な戦略を理解しているのかどうかは、明らかではない。しかし、彼は本気でサダム・フセインの大量破壊兵器による、アメリカへの切迫した脅威が存在すると信じているようである。 … 「アメリカ新世紀へのプロジェクト(The Project for the New American Century PNAC)」は、クリントンが政権についている間をとおして、イラク占領を主張し続けた。ウォルフォウィッツや他のネオコンの署名による公式文書も、イラクへの侵攻・占拠、レバノンにあるヒズボラ(Hezbollah)の軍事基地の爆撃、さらには、シリアやイランなどの国がもしテロを支援し続けるようであれば、アメリカによる攻撃で強迫することなどを、米政府に要求した。

… アル・カイダによるアタックの後は、どんな大統領っだとしても、アフガニスタンにいるビン・ラディンのタリバン防衛団を倒すため、戦争に行っていたのかもしれない。しかし、もし18世紀アメリカの選挙規約が、ブッシュに大統領の座を与えず、チェイニーに外交政策執行部をPNACの「会合の場」に変えてしまう移行期間を許していなければ、あの惨事以降アメリカが取ってきた政策は、すべて違ったものになっていたかもしれない。

「ネオコンはどうやってワシントンを占領し、この戦争を始めたのか?」
“How Neoconservatives Conquered Washington – and Launched War”
マイケル・リンド(Michael Lind)
2003年4月10日 アンチ・ウォー・ドットコム
http://www.antiwar.com/orig/lind1.html より

(引用終わり)

この「アンチ・ウォー・ドットコム」で、「ビハインド・ザ・ヘッドラインズ Behind the Headlines」(最近も、ネオコンの記事がありました。
http://www.antiwar.com/justin/j043003.html ネオコン派ジョージタウン大学のロバート・リーバー(Robert J. Lieber)教授についてです)という、コラムを書き続けているジャスティン・レイモンド(Justin Raimondo)という、リバータリアン・ライターがいます。彼についての評価は、その強烈なアンチ・ユダヤ人の傾向や、強烈なキャラクターもあり賛否両論です。

しかし、注目すべきなのは、彼の著書 Reclaiming the American Right 『アメリカ右翼返還をもとめて』(Center for Libertarian Studies, Burlingame: CA, 1993)という20世紀初頭から現代に到る、アメリカの右翼・保守派の変遷がまとめられた著作の序文(preface)を、パット・ブキャナン (Patrick J. Buchanan) が書いているということです。この文は、ウェブページで読めますhttp://antiwar.com/raimondo/book1.html (自由人さんのホームページ http://gifu.cool.ne.jp/gunnuts/ から自動翻訳サイトを見つけました。是非この「ウエブページ翻訳」で日本語で読んでみてください。変な日本語ですが、かなり理解できると思います)。


この本は、アメリカの本流保守が、マルクス主義、トロツキー主義ら左翼の勢力拡大にいかに影響されその基盤を失ったのか、それに対抗する形で始まったアメリカ保守再生運動が、冷戦開始とその過程でのどのようにネオコンサヴァティヴたちの躍進により、グローバリスト的なイデオロギーに歪められてしまったかが、歴史の流れに沿って描かれています。

この本の「取り」としてブキャナンを「パレオ(古代型)・コンサヴァティヴ」として登場させ、もう一度、本来のアメリカの保守思想や政策原理を明確にして、ファンディング・ファーザーたちが掲げた、共和制国家(リパブリック)アメリカを、新帝国主義政府、グローバリスト、ネオコンから、国民の手に取り戻そうという反乱を始めた闘士として、書いています。

たとえブキャナンの保護貿易主義が、リバータリアンの自由貿易体制の主張と相容れなくても、こうして保守派の各派閥は、常に横の連携を崩さないように、お互いの交信を維持しています。こうした地味な動きと「草の根」の活動こそが、保守派復興の底力となっているのです。

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