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(回答先: アナキズムは何を主張してのいるか? アナキストはなぜ、自由(liberty)を強調するのか? 投稿者 AiN 日時 2003 年 5 月 11 日 09:41:04)
A.2.18 アナキストはテロを支持するのか?
支持しない。それには二つ理由がある。テロとは、何の罪もない人々を殺す標的にしたり、それを憂慮したりしないことを意味している。アナーキーが存在する為には普通の民衆がアナーキーを作り出さねばならない。人は、他人を爆破することで自分の考えを認めさせることなどできないのだ。第二に、アナキズムは自己解放に関するものだということである。人は、社会的な関係を爆破することなどできないのだ。大多数のためになされるごく一部のエリート支配者の破壊的行動では、自由は創造できない。民衆が支配者を必要としている限り、ヒエラルキーは存在する(詳細はセクションA.2.14)。以前に強調しておいたように、自由は与えられるのではない、勝ち取るのだ。
さらに、アナキストは、個人にではなく、ある種の個人が他者に対して権力を持ち、その権力を乱用(つまり使用)できるようにしてしまう団体と社会的関係とに反対しているのだ。したがって、アナキスト革命とは、そうした構造を破壊することに関わっているのであって、民衆の破壊に関わっているのではない。バクーニンが指摘しているように、『我々は、人間の死ではなく、身分と物事の廃止を望んでいるのだ』[The Lullers]。
では、アナキズムはどの様にして暴力と関係があるかのようになってしまったのか?これは、一部には、国家とメディアが、本来アナキストではないテロリストをアナキストだと決め付けているからである。ドイツのギャング、バーダー=マインホフは、マルクス=レーニン主義だと自分達で述べているにも関わらず、「アナキスト」だと呼ばれることが多かった。残念だが、悪口は広がるものなのだ。しかし、テロとアナキズムが関連して見られる主たる理由は、アナキスト運動で「行為による宣伝」時代があったことなのである。
当時(大体1880年から1890年まで)、少数のアナキスト個々人が頻繁に支配階級のメンバー(特権階級や政治家など)を暗殺していた。これには二つの理由があった。まず、フランス国家がパリ=コミューンを残忍な方法で抑圧したことで、二万人以上の人が死に、多くのアナキストが殺されたことに対する復讐であった(行為による宣伝はフランスで始まり、フランスで最も多かった)。第二に、民衆の叛乱を奨励する一手段として、抑圧者を倒すことができるということを示すためになされたのだった。
当時も、アナキストの大多数がこの戦略を支持していなかったことに注意されたい。この戦略はいかなる場合であれ失敗に終わり、国家にアナキストと労働運動双方を弾圧する理由を与えることになると同時に、メディアがアナキストを非情な暴力と関係づける良い機会を与えることになってしまった。そして、多数の民衆はアナキスト運動から遠ざかってしまったのだ。
加えて、行為による宣伝の裏にある前提、つまり、誰もが叛乱の機会を待っている、は誤っていたのだ。実際、民衆は、自分が生活しているシステムの産物なのである。従って、民衆は、そのシステムを存続させるために使われる作り話の大部分を受け入れていたのだ。行為による宣伝の失敗と共に、アナキストは、その運動の大部分でそれとは無関係に以前から行っていたことへと戻っていった。階級闘争と自己解放プロセスの奨励へである。このアナキズムのルーツ帰りは、1890年以降のアナルコサンジカリスト組合の勃興以来よく見られるようになって来たのである(セクションA.5.3を参照)。
大部分のアナキストが行為による宣伝には戦略上反対しているものの、それをテロだと考えていたり、いかなる状況下でも暗殺を禁止しようと考えている者はほとんどいない。そこに敵が一人いるという理由である村全土を爆撃することは、テロである。しかし、多くの人を殺している独裁者を叩き出すことは、良くて自衛、悪くても復讐である。アナキストが長い間指摘して来たように、テロとは、「何の罪もない人々を殺すこと」を意味する。だとすれば、史上最大のテロリストは国家なのだ。 「恐怖の行為」を行っている人々が真にアナキストであるなら、その人は無実の人々を傷つけないように出来るだけのことをし、国家主権主義者の文句、「付帯的な損害」は遺憾だが避けることはできない、などとは絶対に言わないであろう。
要約しよう。テロはアナキストによってなされて来た。他の多くの政治的、社会的、宗教的集団や派閥もテロを行って来た。例えば、キリスト教徒、マルクス主義者、ヒンズー教徒、国粋主義者、共和主義者、回教徒、シーク教徒、ファシスト、ユダヤ人、愛国者、皆テロを行ったことがある。これらの運動や考えが、「本質的にテロリスト」だとレッテル貼りされたことはない。このことが、アナキズムは現状に対する脅威だということを示しているのだ。ある考えの評判を落とし、格を落としめるためには、悪意ある人や間違った認識をしている人が、その考えを信じ実践している人を何の見解も理想も持っていない、単に破壊への狂った衝動だけをもった「爆弾気違い」だと描写することほど有効なやり方はない。
もちろん、キリスト教徒などの大多数は、モラルに反し、生産的ではないとしてテロに反対している。アナキストの大多数も、いつでもどこでも同じ様に主張して来ている。しかし、私達の場合に限り、テロに対する反対声明を何度も何度も繰り返さねばならないようだ。
まとめると、テロリストのごく少数がアナキストであり、アナキストのごく少数がテロリストだったのだ。アナキスト運動全体としては、社会的関係を暗殺したり、爆破したりすることはできない、ということをいつも認識しているのだ。
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/faq/faqa25.html