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アナキズムは何を主張してのいるか? アナキストはなぜ、自由(liberty)を強調するのか?
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投稿者 AiN 日時 2003 年 5 月 11 日 09:41:04:2OiOnRU9wBg9c

(回答先: アナキズムとは何か? 投稿者 AiN 日時 2003 年 5 月 11 日 09:31:37)

A.2 アナキズムは何を主張してのいるか?
 次に掲げるパーシー・B・シェリーの詩は、アナキズムが支持する思想(idea)とそれから引き出される理想(ideals)を表わしている。
    高潔な魂を持つ人間は、
  命令もしないし、服従もしない
      権力(power)は
 ペスト菌のようにさわったもの全てを汚す
        服従は
才能・美徳・自由・真実の全てに害毒(Bane)をもたらし
人間を奴隷にし、人間の枠組みを機械人形にしてしまう

 シェリーの詩が示唆しているように、アナキストは「自由(liberty)」に高いプライオリティを置いており、自己と他者双方にとっての自由を希求している。また、「個人性(individuality)」--それは人を唯一の人間(unique person)にする--を、人間性の最も重要な面と考えている。
 もっとも、アナキストは、個人性は真空状態に存在するものではなく、社会的な事象であることを認識している。社会なくして個人性はありえない。なぜなら人が発達し、伸長し、成長するには他者が必要であるからだ。

 さらに、個人の発展と社会の発展の間には、相互に影響を与え合っているという関係がある。個人は特定の社会の中で成長し形作られるのであるが、同時に個人一人一人が社会を形作っている。思考や行動によって社会のいろいろな面を変化させるのも個人なのである(自分自身や他者を変化させるのも同様)。
 自由な個人に基づかない社会では、希望も夢も思想も空虚であり、それは死んでいるに等しい。したがって『人間(human being)の創造は、集産的な過程(collective process)である。その過程には、社会共同体(community)と個人の双方が参加しているのである。』[Murray Bookchin, The Modern Crisis, p.79]
 つまり、社会か個人のどちらかだけに基づいた政治思想は、間違っているのだ。

 個人性(individuality)を可能な限り伸ばすためには、3つの原則に基づいた社会を創ることが重要だ、とアナキストは考えている。自由(liberty)・平等(equality)・連帯(solidarity)の3つである。そしてこの3つの原則は、互いに依存する関係にある。

 自由は、個人の知性・創造性・尊厳を花開かせるのに最も重要なものである。他者に支配されるということは、人が自分で考え・行動するチャンスを奪ってしまう。自分で考え・行動することが、自己の個人性(individuality)を成長・発達させるたった一つの方法なのに。また、支配は、個人の責任感と進取の精神を締め殺し、日和見主義と凡庸さを生み出すのである。したがって、個人性を大きく伸ばす社会は、権力と強制による組織ではなく、自発的な組織(voluntary association)に基づかなければならないのは当然である。プルードンを引用すれば、『誰もが連合し、誰もが自由である』のだ。またルイジ・ガリアーニはこう言う。アナキズムは『組織の自由中にある個人の自治である』[The End of Anarchism?, p.35] (A.2.2「なぜアナキズムは自由を強調するのか」を見よ)

 「自由(liberty)」が個人性の発達にとって重要なら、「平等」は真の自由(genuine liberty)が存在するために重要である。権力・富・特権の著しい不平等によって歪められている「階級分化したヒエラルキー社会」には、本当の自由(real freedom)は存在しない。そういう社会では、ヒエラルキーのトップにいる少数の人間だけが相対的に自由なだけであり、その他大勢は半奴隷状態である。したがって、平等なしの自由など偽物でしかない。資本主義下では、せいぜい主人(master)・ボスを選ぶ自由あるだけだ。
 そういう状態では、エリートでさえ本当に自由とは言えない。なぜなら、エリート達も、多数者の疎外と圧政によって歪められ、不毛にされた「発育を妨げる社会」に生きなければならないからである。個人性は、他の自由な個人との幅広い接触によって発展するものである。、エリート階級に属していても、相互に影響を与え合うような自由な個人が少ない社会では、自分達自身の発展の可能性も限られてしまうのだ。(A.2.5「なぜアナキストは平等が好きなのか?」参照 )

 最後に、連帯は相互扶助を意味する。それは、共通の利益と目的をもった人々が、自発的に働き、他者と協力することである。しかし、自由と平等なくしては、社会は、上層階級が下層階級を支配する「競争階級のピラミッド」になってしまう。自分達が今いる社会を見ればわかるように、そういう社会は「支配するか支配されるか(dominate or be dominated)」「骨肉相争う(dog eat dog)」「皆、自分のことしか考えない(everyone for themselves)」のである。したがって共同体感覚を犠牲にした「イビツな個人主義」が助長される。底辺にいる人々は上にいる連中を恨み、上の連中は下の人間達を恐れている。そういう状態では社会全体の連帯は不可能であり、同一階級内の部分的結束にとどまるしかない。また、同一階級の利益はお互いに相反しているから、社会全体が脆弱なものになってしまうのである。(A.2.6「なぜ連帯がアナキストにとって重要なのか?」参照)

 ここで、「連帯(solidarity)」は「自己犠牲」や「自己否定」を意味するものではないということを言っておくべきだろう。マラテスタはこれについて、次のように明らかにしている。

『私たちは皆、エゴイストである。私たちは皆、自分自身の満足を追求している。しかしアナキストは、皆のために苦闘すること、自分が兄弟の中の兄弟になれるような社会、人々が健康で、知的で、教育があって、幸福であるような社会を実現するために苦闘することに、大きな満足を見出すのである。
 だが、考えをすぐに変える人や、奴隷の生活に満足する人、奴隷の労働から利潤を得ているような人はアナキストではないし、アナキストになることもできない。』[Life and Ideas, p23]
 アナキストにとって真の富とは、他の人々、及び私たちが住むこの地球なのである。

 また、個人性を賞揚するからといって、アナキストは、「人々や思想が、社会とは別個に発展する」と考えるような観念論者ではない。個人性や思想は、社会の中で発展するものであり、「人々の行動を分析したり解釈したりする物質・精神両面にわたる相互作用や経験」を通して発展するのである。したがってアナキズムは、「思想は社会の相互作用と個人の精神的営みによって発展し・成長する」と考える、唯物思想なのである。(ミハイル・バクーニンの、唯物論対観念論の古典的著作である「神と国家」を参照)

 これは、アナキストの社会は、神格や超越的理論を創る場ではなく、人間創造の場になるだろうということを意味している。なぜなら、『自動的に解決する問題など、この世には存在しない。とりわけ人間関係はそうなのだ。解決するのは人である。人は、(自己の)物事に対する理解や姿勢に従って解決していくのである。』[Alexander Berkman, ABC of Anarchism, page42]

 したがって、アナキズムは思想の力に依存しているし、人々の生活(人生)を作り変える能力も、人々が正しいと考える思想に依存している。それが自由(liberty)なのである。

A.2.1 アナキズムのエッセンスは何か?
 前に見たように、「an-archy」は「支配者がない」あるいは「(ヒエラルキー的)権力がない」状態を意味する。アナキストは、物知りで賢い専門家(expert)の立場で「権力」に反対しているのではない。どんな権威も、自己の専門的判断を他者に押し付ける力を持つべきではない。言い替えれば、アナキストは反権威主義(anti-authoritarianism)である。

 アナキストは、誰も他者を支配するべきではないと信じる反権力主義者(anti-authoritarian)である。アナキスト、L・スーザン・ブラウンの言葉を借りれば、『人間個人が本来持っている、尊厳と価値を信じる』者である。[The Politics of Individualism, p.107」
 支配とは本来、下劣で品がないものである。なぜなら、支配される人々の判断や意志を、支配する者の判断や意志の中に沈めてしまうからだ。そうして、個人の自治から生まれるはずの自己尊敬(self-respect)や尊厳を破壊してしまう。さらに、支配は搾取を可能にし、たいていそれを実行する。それが不平等、貧困、社会崩壊の根になるのだ。

 別の言葉で言えば、アナキズムのエッセンスは(ポジティブに表現すれば)、自分達の自由と個人性を伸ばすために、平等な立場で、自由意志で協力するということである。

 平等な立場で協力することが、反権力主義の鍵なのである。協力によって、私たちが唯一の個人として本来持っているはずの価値を守り・発展させるし、私たちの生活と自由をより豊かにするのである。なぜなら『他者の人間性を認め、その人間性実現に協力することがなければ、誰も自己の人間性に気付き、生きている間にそれを実現することなどできないであろう』からである。[Michel Bakunin, MalatestaがAnarchy, p27で引用]

 アナキストは反権威主義であるが、人間はお互いに影響(influence)を与え合う社会的性格を持っていることも認めなければならない。人間はこの相互影響の「権威(Authority)」からは逃れることはできない。バクーニンは言う。
 『この相互影響を廃絶するのは死ぬことと同じである。我々は大衆の自由を叫んでいても、個人や個人のグループが及ぼす自然な影響の廃絶を主張しているわけではない。我々が主張しているのは、人工的な、特権的な、法的な、公的な影響を廃絶することなのである。』[Malatestaによる引用, Anarchy, p.50]

 つまりそれは、「ヒエラルキー的権力から生ずる影響」ということである。

A.2.2 アナキストはなぜ、自由(liberty)を強調するのか?
 バクーニンの言によれば、アナキストは『自由の熱愛者(fanatic lover of liberty)である。自由こそ、人間の知性と尊厳を育み、発展させる唯一のコンディションであると考えているのである・・』[The Paris Commune and the Idea of the State]
 なぜなら人間は考える動物である。自由(liberty)を否定することは自分自身のために考える機会を否定することになる。それはまさに、人間としての存在を否定することになるからだ。
 アナキストは、自由(freedom)は人間性の産物であると考えている。なぜなら、

『人は自我意識を持っている--他人とは異なる存在だという意識をもっている--という事実が、自由にふるまいたい、という欲求を作り出すのである。自由(liberty)と自己表現への強い欲望が、(人間にとって)最も重要で基本的な特徴なのである。』[Emma Goldman, Red Emma Speaks, p.393]
 このため、アナキズムは『個人の自己尊厳と独立を、権力による侵害や束縛から解き放つことを提起する。自由な環境(in freedom)だけが、人間をフルに成長させる。自由な環境だけが、自ら考え、行動することを人に学ばせ、自分にとってベストな状態を与える。自由な環境でなければ、「人々が団結する社会的連帯」の真の強さを理解することはできないのである。その連帯が、通常の社会生活の本当の基本なのだ。』[前掲書, p.59]

 したがって、アナキストにとっての自由(freedom)とは、基本的に、個人が自分のために自分の道を追い求めることなのである。そうすることによって、自分と自分の生活について自分で決断しながら、個人の活力や能力が引き出されるのである。自由(liberty)だけが個人の発展と多様性を保証する。なぜなら、自分を支配し、自分で決定を下すときは、自分の精神を働かせなければならないからだ。このことが、頑張っている個人をさらに刺激し、成長させる効果を生むのである。

 だから、自由(liberty)は、個人の潜在能力を最大限に成長させるための前提条件である。また、自由(liberty)は社会の産物であり、共同体(community)を通じてしか実現できない。健康的で自由な共同体(community)が自由な個人を生み、また、自由な個人が共同体を形成し、それを構成する人々の社会関係を豊かにしていくのである。
 社会の産物である諸自由(Liberties)は、『一片の紙に書かれた法律だから存在するのではなく、人々の習慣の中で自然に成長するから存在するのであり、それが損なわれようとする時には、民衆の激しい抵抗に直面するから存在するのである。人間としての尊厳を守る方法を知っている時、人は他人から一目置かれる。これは個人の生活だけに言えることではない。政治の生活についても同様に言えることなのである。』[Rudolf Rocker, Anarcho-syndicalism, p.64]

 簡単に言えば、自由(liberty)は社会の中で発展するのであって、その逆ではないということだ。マレイ・ブクチンは書いている。

『自由(freedom)・独立・自治などの現代の重要な概念は、民衆の長い伝統と、集産的発展の歴史的成果なのである。「個人の行いを否定しない」ということは、その発展において重要な役割を果たしてきたのだ。自由(free)を欲するのなら、確かに、そうするより他はないのである。』[Social Anarchism or Lifestyle Anarchism]
 自由(freedom)が成長し発展するには、ある種の社会環境が必要である。その環境は、非中央集権的で、労働者による労働の直接管理に基づいていなければならない。中央集権が高圧的な権力(ヒエラルキー)を意味するのに対し、自主管理は自由のエッセンスである。自主管理こそ、一生懸命な個人が、その能力を最高に発揮し、成長する方法なのである。特に精神的能力についてはそれが大きい。一方、ヒエラルキーは、全ての個人の考えや行動を、少数の人間の考えや行動に置き換えてしまう。それは個人の能力を発揮させるよりも、多くの人を疎外し、その成長の芽を摘んでしまうのである。

 アナキストが資本主義や国家主義に反対するのはこのためだ。国家と同様、資本主義も中央集権的な権力に依存している。労働の管理を、労働者の手から取り上げているのだ。したがって、真に労働者が解放された状態というのはたった一つしかない。それは、資本 --つまり原材料と土地を含む全ての労働手段--を、全労働者の所有に帰することである。[Michael Bakunin, Bakunin on Anarchism, p.255]

 ノーム・チョムスキーは言う。『筋の通ったアナキストなら、生産手段の私的所有と賃金奴隷制に反対しなければならない。それらはこのシステムを構成する主要なコンポーネントなのだ。労働は、生産に従事する者が支配し、その自由意志に基づいて引受けられなければならないのである。』[Notes on Anarchism]

 アナキストにとっての自由(liberty)とは、個人やグループが自主的に管理する社会を意味するのである。これが意味するところは極めて重要である。第一に、その社会は高圧的ではないということ、つまり個人を納得させるのに暴力や暴力をちらつかせた強要があってはならないということである。第二に、アナキズムは「個人の主権」の確信的支持者であるということである。これを支持するから、アナキストは高圧的権力に基づく組織に反対するのである。最後に、アナキストは「政府」に反対する。だが、それは単に「中央集権的・ヒエラルキー的・官僚的な」組織や政府に反対しているだけである。非中央集権の連邦的な自治政府や、「代議制」などの代表制ではなく「直接民主主義に基づく、草の根組織を基盤とする自治政府」であれば、それに反対するわけではない。
 権力は自由(liberty)の敵である。なぜなら権力を持った代表が牛耳るような組織形態は、人々をそれに従属させ、自由と尊厳に大きな脅威を与えるからだ。

 アナキストは、自由(freedom)こそ、人間の尊厳と多様性を開花させるただ一つの社会環境であると考えているのである。資本主義や国家主義の下では多数者の自由は存在しない。私有財産とヒエラルキーが、多くの個人の判断や意向を権力者(master)の意志に従属させ、自由を制限し、『個々人が潜在的に持っている「物質的・精神的・倫理的な能力の発展」』を不可能にしてしまうのである。[Bakunin, 前掲書] (資本主義や国家主義のヒエラルキー的・権力主義的性格について、詳しくはセクションBを参照]

A.2.3 アナキストは組織(organization)を容認するのか?
 イエス。協同組織(association)なしで、真に人間的な生活を送ることはできない。自由(liberty)は、社会や組織(organization)なしには存在しえないのである。ジョージ・バレットは、「アナキズムへの反論」の中で次のように指摘している。

 『人生を意義あるものにするためには、私たちは協力しなければならないし、協力するためには仲間と合意しなければならない。そういう合意を自由(freedom)の制限と考えるのはまったく馬鹿げている。それは自由の実行(exercise)なのだ。
 もし、合意することは自由を損なう、などというドグマが作られるとしたら、自由はただちに暴君と化す。そのドグマは、日常のささやかな楽しみさえ禁じかねない。例えば、自由(liberty)の原則に反するとして、友達と散歩に行くことさえできなくなる。なぜなら、友達と散歩するためには、いつ、どこで待ち合わせるかを友達と合意しなければならないからだ。全て自分一人でできること以外には、手を出せなくなってしまう。それ以上のことをしようとするなら、必ず誰かと協力しなければならず、協力することは、他人と合意することを意味する。それは自由(liberty)に反することになるからだ。
 この議論が馬鹿げていることは、一目瞭然だろう。私が友達と散歩に行くときは、自由(liberty)を制限しているのではない。自由を実行しているに過ぎないのだ。』

 組織に関してアナキストが考えているのは、『権力を作る、などということではない。私たちひとりひとりが集産的作業の担い手として自覚し・行動するのに慣れるための手段、指導者の手中にある受動的な道具であることを辞める手段としてなのである。』[Errico Malatesta, Life and Ideas, p.86]

 アナキストが組織を容認すると言うと、最初は奇妙に思えるかもしれない。しかしそれは、私たちが生きる現代社会では、組織形態が全て権力主義に基づいていて、それ以外の方法がないように見えるからである。この組織方法は、「支配と搾取を目的とする特殊な社会」で歴史的に形成されたものだ、という点が見逃されているのだ。考古学者や人類学者によれば、この種の社会はせいぜい5000年前から存在したものに過ぎない。征服と奴隷制に基づく最初の原始的国家--奴隷の労働が、支配者階級を養う余剰を産むことを可能にした--が出現した時に始まったのである。

 それ以前の何十万年もの間、人類や前人類の社会は、マレイ・ブクチンが「有機的結合(organic)」と呼ぶ状態にあった。それは相互扶助を含む経済活動の協力的形式である。人は生産資源を自由に使い、必要に応じて共同体の労働産物を分けあっていたのである。たぶん、そういう社会にも年齢による地位の上下関係はあっただろうが、「高圧的な強制力に基づく、制度的な支配-従属関係」としてのヒエラルキーは存在しなかっただろうし、ある階級が他の階級を搾取するような階級分化もなかったであろう。{Murray Bookchin による The Ecology of Freedomを参照]

 アナキストは「石器時代に帰れ」と主張しているわけではない、ということをここで強調しておかなければならないだろう。私たちが言いたかったのは単に、組織のヒエラルキー的な権力形式というものが、人間社会の進化過程で比較的最近に現われたものであって、それが永久に運命づけられていると考える理由はない、ということだけである。人間の権力的・競争的・攻撃的な習性が、遺伝的にプログラムされたものだとは思わないし、その主張を裏付けるはっきりした証拠もない。そうではなくて、それは社会的に条件づけられ、学習されたものなのである。だから、学習しないこともできるはずだ。[Ashley MontaguのThe Nature of Human Agression参照] 私たちは運命論者でも遺伝学的決定論者でもなく、人間の自由な意志を信じているのである。自由意志とは、「人類は自分たちのやり方を変えることができる」という意味だ。もちろん社会の組織方法だって変えることができるはずだ。

 社会の組織方法を改善する必要があるのは、間違いないことである。なぜなら現在は、多数者が生産した富や権力のほとんどが、社会ピラミッドの頂点に位置する少数のエリートに集中しているからだ。それが欠乏の原因となり、他の人々を苦しめている。特にピラミッドの底辺に位置する人々を苦しめているのである。「エリートが、国家の支配を通して威圧的な政治権力を握っている」ことが、「多数者を抑圧して、その苦しみを無視する」ことを可能にしているのである。同じことが、より小さなヒエラルキー組織でも常に起こっているのだ。したがって、権力主義や中央集権構造下に置かれている人々が、「自由を抑圧するもの」としてそれを憎むようになっても、何ら不思議はない。アレクサンダー・バークマンは次のように言う。

『資本主義社会の組織方法は非常に悪いので、多くの人々を苦しめている。ちょうど体のどこかに不調があって体全体が痛み、病気になっているようなものである。
 組織や団体の少なからぬメンバーが、人々を抑圧し・無視し・差別していても平気なのである。それは歯が痛いのを無視しているようなものだ。やがて体全体が病気になってしまうだろう。』[ABC of Anarchism, p.53]
 これは、まさに資本主義社会に起こっていることである。その結果は、社会全体が病気になってしまうということだ。

 このため、アナキストは組織(organisation)の権力的な形式を否定し、自由合意に基づく協同組織(association)を支持するのである。自由な合意は重要である。なぜならバークマンの言葉を借りれば、『一人一人が自由な独立主体であって、相互利益に基づき・自らの選択によって他者と協力すれば、世界は最もうまく機能し、パワフルになるのである。』[前掲書, p.53] 政治の領域においては、これは自由な環境の表現としての「直接民主制」や「連邦制」を意味する。自由と平等には、人々が平等な立場で議論・論争できるフォーラムが必要である。直接(参加型)民主主義が重要なのは、それが、マレイ・ブクチンが『意見相違の創造的役割』と呼ぶところの、自由の実行をさせるからなのである。

 リバータリアン組織や、直接民主制・連邦制が必要だというアナキストの思想は、後出のセクションA.2.9、A2.10で より詳しく論じる。
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/faq/faqa21.html

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