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(回答先: 副縞 投稿者 リバータリアン米学生反戦集会 日時 2003 年 5 月 11 日 09:20:44)
彼らは、国家・政府や資本家による権力や資本の独占、階級(ヒエラルキー)支配社会に反対し、「個人資産の廃止」、「平等社会の実現」「個人の自由と平等のために喜んで戦う」ことを主張する「左翼無政府主義者(左翼アナキズト)」、あるいは、「リバータリアン・ソシアリスト(社会主義者)」あるいは、「リバータリアン・コミュニスト(共産主義者)」であると、自らの立場をまず、明確にしています。
その上で、「リバータリアン」「リバータリアニズム」という名称は、自分たちの大ボスである、19世紀後半に活動していた、左翼革命アナキストのジョセフ・デジャックや、フランスのアナキスト評議会が、最初に使用した。さらに、「無政府主義(アナキズム)」というアイデアも、プルードン、バクーニン、クロポトキン等、19世紀の古典的左翼アナキストの面々が、用いた言葉である。彼ら左翼革命家たちこそが、本物の「アナキスト」であり、彼らが使用した「リバータリアン・ソシアリズム(社会主義)」、「アナーコ・コミュニズム(無政府共産主義)」が、リバータリアニズム、アナーキズムの起源だと述べています(ちなみに、このサイトによると、言語学者で、アメリカ外交政策批判の多数の著作でも知られるノーム・チョムスキーも、「左翼リバータリアン・ソシアリスト」であるとのこと)。そしてそれゆえに、その「リバータリアン」と「資本主義」を合体させ、1972年に結成された、アメリカのリバータリアン党は、用語の使用法のみならず、思想的にも矛盾している。さらに、「アナーコ・キャピタリズム(無政府資本主義)」という言葉を使い始めた、右翼リバータリアンたちは「フェイク」アナキストであり、アイデアと看板名称を盗んだのだ、と主張しています。
ポイントは、以下の四点に絞ることができると思います。
まず、「リバータリアン」という名称に関して、その使用権の問題。歴史的に先に使っていたことから、その名称の独占を主張できるのか。次に、「無政府(アナキズム)」という政治形態の下で、どういう政治イデオロギーや政策に基づいた社会運営が可能なのか。資本主義なのか社会主義なのか、または共産主義なのか。そして、アナキズムという用語のみから、その言葉が提示する政治的コンセプトまで限定されるのか。さらには、「アナキズム」自体、現実問題として、本当に実現可能なのか。三つ目に、左翼リバータリアンが主張するように、もし、労働者が政府や資本家の権力を奪うことができたとして、その後、彼らが主張するように「資本主義」に取って代わって、「無政府社会主義」や「無政府共産主義」、つまり、「個人資産の廃止」や「完全な平等社会の実現」を実現させるという政策思想の、今日的有効性はあるのか。最後に、世界基準における政治・経済学界および、各国の一般有権者市民の間での「リバータリアン」や「リバータリアニズム」という政治用語・政党名に対する、実際の認知度・認識はどうか。以上の四点に、議論のポイントを絞ることができると思います。以下に簡単に解説します。
まず、一つ目と四つ目のポイントは、同時に説明できます。「リバータリアン」、「リバータリアニズム」の用語についてですが、これは、自由人さんが引用された、日本語の左翼リバータリアンウエブサイトでも、彼らが自ら述べているように、もともとは哲学用語であり、辞書的な意味でも、政治的イデオロギーまでは含んでいなかった。そして、上述のように、ヨーロッパ諸国における反マルクス主義・反政府左翼たちが、革命的(物理的強制)手段により政府と資本家の支配を打倒し、労働者による集合主義的生産共同体を作ろうという、自らの活動思想の名称として、最初に使用しました。その後、19世紀末にはアメリカにも移植されましたが、結局、メジャーな指示を受けず、名称としては根付きませんでした。
一方、1900年頃のアメリカでは、「リベラル Liberals」という用語にも、意味の転換が起こります。大きな政府による市場経済への介入を主張する活動家たちが、自らを「リベラル」と呼ぶようになります。そもそも政府権力の制限し、個人の権利と経済活動の自由を絶対的に保護しようという主張が、「リベラリズム」であり、その提唱者であるジョン・ロック、アダム・スミス、トーマス・ジェファーソン等が「リベラル」と呼ばれていたのですが、結果として、彼らは「クラシカル・リベラリズム Classical Liberalism」という新たな名称で、認識されるようになりました。
しかし、20世紀初頭に、この「クラシカル・リベラリスト」たちが、自らの勢力を拡大し新政党として打って出ようとした際、「クラシカル・リベラリズム」の名称では、古臭く響くうえ、自分たちの主張に対して間違ったイメージを与えると考えて、新名称を探していました。デヴィッド・ボウズの『リバータリアニズム入門』によると、新名称案として「マーケット・リベラル」や、さらには、市民社会(シヴィル・ソサエティー)の力により、政府の抑圧から個人の自由を守るという意味で、「ソシアリスト(社会主義者!?)」という案さえ、一時提案されたようです。結局、1950年代になって、クラシカル・リベラリスト、レオナード・リードが自らを「リバータリアン」を呼んだことに始まり、1960年代に「クラシカル・リベラル」への名称として浸透しはじめ、1972年には、新政党名として使用することが決まりました(Boaz, David, Libertarianism A Primer, The Free Press, 1997, pp.23-5)。 結果として、今日、アメリカ国内のみならず世界的にこの名称「リバータリアニズム」が意味する政治思想は、「政府権力の限定または廃止」、「自発的市場原理に基づいた経済政策」、「個人の所有権の確立」、「強固な個人主義、個人の権利の国家介入からの絶対保護」等の主張であるという認識が確立されました。
今私の手元にある、The Oxford Dictionary of Philosophy (Oxford University Press, 1996) や、The Norton Dictionary of Modern Thought (W.W. Norton & Company, 1999) の二冊の思想辞典を見ても、「リバータリアニズム」は、哲学と政治の二項に分けて説明されており、政治面では、現在のアメリカン・リバータリアニズム(つまり、右翼リバータリアニズム、もとの名をの「クラシカル・リベラリズム」)の政策原理をあらわす呼称であるとして、説明されています。実際、ミゼス研究所に所属する、リバータリアン経済学教授に聞いてみたところ、前述の「リベラル」の呼称と同じで、「リバータリアニズム」という名称は、歴史的に先に使っていたとしても、法的な使用権が主張されている訳ではない、とのことでした。
二つ目と四つ目の論点も、同時に考えられます。まず、無政府かどうかにかかわらず、共産主義と資本主義のイデオロギーの歴史的対決については、蹴りがついています。しかし一方、社会主義については、実際、各国がそれぞれの割合で資本主義と混合させて、経済政策を行っているのが現実です。ですから、単純に、「政府は悪だ!」から、あるいは、民間の営利企業組織に比べて、政府官僚機構が、明らかに効率の悪い仕事しかできないことは、重々分かっているとしても、じゃあすぐにでも廃止しましょう、という訳にはいかない。さらには、左翼アナキストは、社会主義の政治形態として、労働者による生産手段の掌握と共有、生産過程の集合的コントロールを主張する、労働組合主義(シンジカリズム syndicalism)等を主張しており、いずれにせよ、ここで簡単に結論できるテーマではなくなります。
私の私見としては、ルードヴィヒ・フォン・ミゼス(1881-1973)のアメリカの一番弟子、ミューレイ・ロスバード(1926-1995)の、マッチョで(右派リバータリアンは、ケイトーの左派リバータリアンから、「リバータリアン マッチョ・フラッシュ!(macho flash)」といって揶揄されている)才気あふれる多くの著作の中で唱えた、「無政府資本主義社会 アナーコ・キャピタリスト・ソサエティー(政府を廃止し、各人が独自の地域共同体を作って、警察、軍隊等の各機能から法律まで、すべてを民営化し、私有資産を所有する民間企業や個人が、ビジネスや営利活動として運営、自由市場競争に委ねる等)」という政治政策案は、確かに魅力的で、かなり具体的な提案をできていると思います。しかし、今、自分が置かれている時代における国や政府の実態という制約の中で、実現可能な政策提案をしていかなければならない以上、それにのめり込んでばかりもいられないと考えます。
ですから、むしろ、ノーベル賞をもらったミゼスの愛弟子であるフレデリック・ハイエク(1899-1992)の後年の主張、Constitution for Liberty等の著作を、これから読んでみたいと思っています。ミゼスと並び、オーストリア経済学派のボスであるハイエクは、後年(おそらく1970年頃の彼の論文や著作から)、その主張を、実際の政治の場でどうやって実現・実行して行くか、というところに視点を移して行きました。アダム・スミスらのブリティッシュ経済学派と張り合って、「自由市場・レイセイフェアー主義」、「反政府干渉主義」の経済政策を唱え続けて来たオーストリア経済学派は、例えば、1930年代の大恐慌よりはるか前から、政府の経済干渉政策や、インフレ誘導の大量紙幣発行政策の危険性を、すでに論理的に予測・解説しており、ニューディーラー・ケインズ経済学派と比べても、経済学問(サイエンス)として実際、優れていました。しかし、ミゼスやロスバードと違い、ハイエクは、いくらその学術的(technical)な優位をただ主張し続けたとしても、その「政治的実現可能性 political possibilities」が低いのであれば意味が無いのだ、と述べています。
彼の1970年の小論文 「インフレは、まだ避けられるのか」 “Can We Still Avoid Inflation?” (『オーストリアン景気循環理論』The Austrian Theory of the Trade Cycle and Other Essays, Ludwig von Mises Institute, 1978年初版より) において、ハイエクは、論文の最初に「金融・貨幣(マネタリー)の政策面ではなく、むしろ政治的な部分に横たわる数々の問題を、どうやって克服して行くのか、そのための真剣な取り組みが為されていないという事実を、私は良くわかっている」と告白しています。そして、オーストリア経済学派の「反政府干渉、無政府主義」という「戒律」に触れる発言をもノーベル賞を受賞した1974年頃から始め、おそらくそのために、彼は、アメリカでの、オーストリア経済学派の牙城である、ミゼス研究所の中でも、ミゼスやロスバードに比べて、露出が控えられている(例えば、研究所から出版されているハイエクの著作数が、ミゼスやロスバードに比べ以上に少ない)のではないか。
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