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(回答先: Re: 「イスラムの教義で経済が構築できる」と主張したことはありません 投稿者 たこ 日時 2003 年 4 月 27 日 20:35:33)
たこさん、レスありがとうございます。
>あっしら氏所説が、通貨管理と利息を通じた金融資本の収奪構造に対置すべきものと
>して、利息を排除した経済構造の提言したものと考えた発言です
前回の書き込みでリストアップした書き込みをお読みになればわかるはずですが、利息や金融(利息付き貸し出し)の問題はそれほど重くは扱っていません。
なぜなら、それらは、人々の生存維持や快適な生活の実現にとって無用のものだと考えているからです。
こういう経済政策を採れば現在の問題(デフレ不況)は解決できるというテーマの投稿では、利息の廃絶さえ主張していません。
「金融資本の収奪構造に対置すべきもの」という観点ではなく、現在の問題(デフレ不況)が起きている論理を明らかにし、それに即して問題を解決する政策を見出し実行すれば、自然に利息の廃絶へと向かうはずだという考えに基づいて書いています。
(そのため、微温主義との批判もいただいております)
イスラムについても共同体間商人の価値観に基づくものだと考えており、「イスラムの教義で経済が構築できる」と主張したことはありません。
>「価値観という経済論理とは異なる次元の問題が不可欠」とのご意見ですが、「価値
>観」が仮に通貨への信認や労働力供給などを指称するのであれば、それは経済理論の
>本来の構成部分であり、民族の性格や宗教(イスラム法は宗教と区別されない世俗で
>しょうが)などで説明することなく、経済現象を通じて観察することが可能と考えます。
それらの投稿の「近代経済システム」の変動論理部分については、「経済は経済として観察すれば足りる」に似た構えで書いていると書いたように、価値観は、「通貨への信認や労働力供給などを指称する」ものではありません。
経済活動は何のために行うのかという根底の価値観を指したものです。
諸個人や企業が(最大限の)利潤を獲得するために経済活動を行うということを前提として「近代経済システム」の論理すなわち「経済学」は成り立つものです。
(現実的には、利潤獲得を目的とした合理的な経済活動を行わない経済主体は消え去ることになります)
逆に言えば、利潤獲得を目的としない経済活動になったときには「経済学」そのものが成立しなくなります。
経済現象とは、利潤獲得を目的とした膨大な数の経済主体の動きです。
それを通じて観察しても、目的的活動として合理的なのか非合理なのかが理解できたり、利潤獲得という目的そのものに合理性があるかどうかの判断ができるだけです。
このような意味で、経済論理とは異なる次元の問題である価値観が不可欠だと主張しています。