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(回答先: Re: 補足的な説明 投稿者 たこ 日時 2003 年 4 月 28 日 18:32:38)
レスありがとうございます。
>あっしら氏は「経済学」を「近代経済システムの安定期における法則性の記述」とい
>う意味で使っておられるようです(一般的な用法であることは認めます)。「経済
>学」をこの意味とすれば、(前近代が記述し得ないのは当然ですが)近代経済システ
>ムや「新しい経済システム」の創生などの動態的な把握も不可能です。
いわゆる「経済学」は、「経済経済システム」を与件としてその枠内で理論を体系化しているので、否定すべきものだと考えています。
私があれこれ書いているのは「経済学」ではなく、「近代経済システム」の変動論理です。
経済論理は、「近代経済システムの安定期における法則性の記述」という“安定期”にのみ妥当性を持つものではなく、近代経済システムに通底するものです。
>(私は価値観ではなく、経済現象そのものから「新しい経済システム」の創生ないし
>挫折が観察できるのではないかと考えておりますが、これも「経済学」と無縁です。)
「価値観ではなく、経済現象そのものから「新しい経済システム」の創生ないし挫折が観察できる」ということに疑念とともに大いなる興味を抱きましたので、その観察の視座がどのようなものか簡単にご説明していただければ幸いです。
>「利息を廃絶するのは、政策以外の手段はありません」以下ですが、「利息取得を利
>益源とする経済主体は、(中略)、政策的に利息が得られる経済条件を維持しようと
>します」は同意します。同時にかかる努力にかかわらず、利潤の消失を前提とすれ
>ば、利息の消失をもたらす(少なくとも利息消失の圧力となる)と考えております。
>経済学説によって説明は異なるでしょうが、資金需給の市場法則などで説明できると
>考えます。
「利潤の消失」は、国民経済さらに世界レベルとしてそうですが、個々の経済主体にとっては必ずしも喪失するわけではありません。
国民経済というレベルで考えれば利潤の源泉がないのに、個々の経済主体は利潤を獲得しようとし、獲得した利潤を使わないで蓄積しようとします。
これによって、多くの経済主体が破綻に追い込まれたり、「デフレ不況」という経済災厄に陥ります。
前回書いたように国家を借金漬けにする利息獲得手法は、資金需給の市場法則などで説明することができないと思われます。
(民間の貸し出しや利率の変動は、資金需給の市場法則などで説明することはできますが..)
国家は徴税という強制力を行使できるので、国家を維持するためには国債の利払いや元本返済を行なうためには徴税を強化するしかないと脅迫し、多くの国民を困窮に追い込むかたちで債務の履行を継続することができます。
これをやめさせるのは、資金需給の市場法則ではなく、政治(価値観)を通じてでしかありません。
「(少なくとも利息消失の圧力となる)」という事態を認識し、それを利息取得禁止として現実化させるのは、価値観のせめぎ合いの結果です。
自由主義を経済価値観としている人たちは、利潤獲得も利息取得も正当な権利として主張します。
>なお、「剰余価値」は産業資本が商品に化体させた労働の価値と労働力の価値の差と
>いうマルクスの用法です。
利潤の源泉を労働者の超過労働搾取に求めた「剰余価値」理論は誤りです。
まず、論理的に、労働成果と「労働力の再生産費の総和(賃金の総和)」は異質のものですから減算することはできません。
(ともに貨幣表現ですから可能のように思えますが、りんご5個−みかん3個の計算をするようなものです)
労働者は、労働力という活動力を売り渡すことで、労働という主体的活動の主体ではなくなります。労働の主体は資本家(企業)ですから、労働成果はすべて資本家(企業)のものです。
現実的にも、利潤の源泉は、剰余価値ではなく、外部国民経済からの貨幣的“富”の流入です。
労働者の搾取をなくしても、マルクスが言うところの豊かな経済社会は生み出されません。
ソ連や中国が経済的に疲弊した最大の要因は「戦時体制」ですが、遅れて近代化をめざしたそれらが先進国レベルに到達するためには、輸出を通じた先進国などからの貨幣的富の流入とそれを原資にした先端生産財の輸入が不可欠でした。
これを労働者の搾取をやめることで補うことはできません。
※ 参照書き込み
『【世界経済を認識する基礎】「競争モデル」から「独占モデル」へ − マルクス主義批判も若干 −』
( http://www.asyura.com/2002/hasan10/msg/940.html )