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(回答先: 経済事象を通じて観察できない価値観を問題にしています 投稿者 あっしら 日時 2003 年 4 月 27 日 21:20:47)
書き込みのリストと最近のコメントを拝見しました(速読ですが)。
あっしら氏は、現状(世界各国)をデフレないしデフレ危機と規定し、その原因を貨幣退蔵(これは私の言葉です)としておられるようです。もちろん、管理通貨制度下なので、貨幣退蔵は貨幣商品の退蔵ではなく、再生産過程(投資ないし資本化)や消費に回されない通貨(投資不足、貯蓄と投資の乖離)で、日本の政策論としては、消費性向が高い低所得者向けの減税を提唱。ここまでは賛同します。
一方、国民経済としての利潤獲得の困難化を前提としつつ(日本だけの議論か?)、利潤獲得が個々の経済主体(ここでは産業資本ないし企業)の動機とならなくなることをデフレ進行の論拠とするとともに、「近代経済システム」の死滅を予想しておられるようです。
ここまでは、私の言葉で置き換えた関係部分の要約です。あっしら氏に時間を取っていただくのも本意ではありませんが、誤解があればご指摘いただければ幸いと考えます(特に後段)。後段について「価値観」を通貨への信認や労働力供給などを指称するとした前のコメントを撤回します。
なお、前のコメントで「経済」ないし「経済現象」は、近代経済システム(資本主義的生産様式)に限定せずに用いております。仮に近代経済システムに限定して用いるなら、「価値観」と称するかは別論として、経済論理とは異なる次元の問題の考察が必要なことは理解します。
「問題を解決する政策を見出し実行すれば、自然に利息の廃絶へと向かうはず」は、書き込みのリストから該当部分が見つかりません。利息の廃絶あるいは死滅は、利潤獲得の困難化を前提とすれば、資金需給の市場法則などで説明できますが(剰余価値の分配と考えても結論は同じ)、これは政策の結果ではありません。
「イスラムについても共同体間商人の価値観に基づくもの」は理解しているつもりです。少なくともある時期のイスラム共同体において合理的な経済政策(この言葉は「近代..」と関係ない普遍性があると思います)を反映したものです。近代に至るまで合理性を失わなかった理由は、初期イスラム社会が有していた商業性にあると考えております。
あっしら氏の論を「イスラムの教義で経済を構築」としたのではなく、「利息禁止(というイスラムの教義)で経済を構築」(カッコ内は修辞です)と考えたコメントです。もちろん「利息」に限らず、貨幣退蔵の否定、投資の奨励なども含めて、利息を通じた収奪構造を維持すべき「国際金融資本」との対立構図を描いておられるように理解いたしました。