★阿修羅♪ Ψ空耳の丘Ψ16 ★阿修羅♪ |
(回答先: とりあえず本を読んでみては? 投稿者 西医学 日時 2002 年 1 月 14 日 05:30:09)
粘着質に繰り返します。
代謝量が少ない高齢者や、寝たきり病人や、
労作量が少なくてテキトーに暮らす人は、朝食なんてなくても慣れさえすれば、
とりあえず実質的な弊害は大してない場合が多いでしょう。
しかし、「学校へ行ってactiveに学習しなければならない」
という社会的立場にある成長期の、健康な子供達や学生層にまで、
たとえ空腹を覚えようとも、一律に「午前中の食事を一切禁止すべきだ」
のような取り上げ方こそがカルト的ではないか、
「朝食抜きは健康によい」と盲信した親が、子どもに機械的に強制するのは虐待の疑いはないのか、
だからそれは、そういったスローガン型書籍を不特定多数に吹き込もうとする側や、そういう本を読む側、特に子を持つ親の科学的姿勢こそが問われるべきでないのか、
というようなつもりなんですけどね。
そこの本には、
「食べ過ぎが問題だ、だから2食にすべきだ」
となっているようですから、
それは過食が原因として疑われる病気を持つ人が、過食を回避するための管理的方法論としての一提案ならば沈黙してやってもいいです。しかし、
>「少なくとも1日ニ食で満足すべきである」
というのは、やはり素人に対してカルト的なミスリードを招きかねない表現だと思います。
仮に、個人の勝手な解釈でおこなった朝食抜きではガマンできなくて、
逆に、つい深夜食の習慣が定着してしまうとします。
するとそういう人では、(NHK番組によれば)それこそ睡眠中の胃の洗浄機能とみられる本来の蠕動サイクルが影響を受けて、翌朝にまで悪影響が残り易くなるんだそうです。
そういった副次的弊害は、その本ではきちんと触れてありますか?
それも含めて、子供達への朝食抜きの一律無理強いはカルト発想でしょう?
と危惧の念を問いかけているのですよ。
代謝がもともと旺盛で、肥満などの疾病のない健康な子どもや青年に対して、
朝食抜きを一律に強いる必要がどうしてありますか?
外国でも昔から朝食を習慣化してきた地域はたくさんあるでしょう。
食事回数については、伝統的に1日3食や5食の地域もあるとのことです。
では、それで具体的に、どんな重大な健康上のデメリットがそれらの地域の伝統的な朝食習慣にはあるのでしょうか。
人種差を無視した極論を承知で言うならば、2食よりも3食のほうが世界中どこを探しても、例外なく、常に短命だという証拠でもあるんでしょうか。
日本においても、食糧や厳しい労働事情などの制限的主因により、
その時代なりの食事回数といった大衆の習慣が形成されてきただろうのに、
なぜ一般的には人生五十年以下の、
人口が飢饉・疫病で容赦なく調整を受けてきた頃の食事習慣とやらにこだわるのでしょうか。
当時の食環境においては、現代の飽食型成人病や、現代型アレルギーは確かに少なかったかも知れませんが、その一方で、生命を脅かす食環境上の遙かに多くの脅威が存在したはずです。
だから、昔の食環境が必ずしもユートピアだった訳ではないでしょう。
だったら、「塩素入りの水道が毒だ」そうだから、昔のように自然の汚い水たまりの水だけすすって一生暮らしてみますか?きっと健康になれますよ?
たとえ部分的な条件下において科学合理的かつ効果的であろうとも、
特にこういう社会的行動に係る習慣は、すべてが一般化された、融通が利かない統一的法則であると決めつけるべきではないのです。
ついでながら、
伝統的に飽食偏食ではない肉食の習慣がある(はずだったが若年世代は早死にするようになった)沖縄の高齢者を見てわかる通り、
明らかに肉食が即、短命を意味するのではありませんね。
もちろん、ベジタリアンとして健康を損なわないための実践知識をきちんと持っていて、
自分の体調を把握できる成人が、自己責任で肉食を忌避したり断食したりするのは個人の自由です。そんな事をぶしつけに非難しているのではありません。
それとですね、
たとえ現役の医師であろうと、
「だからあらゆるカルトとは絶対に無縁である」
そんな保証はどこにありますか?
統■■■には、カルトな学者がテンコ盛りにいるようですね。
「ヤリまくり放題UFO宇宙人」教団の信者にも、医師がいるそうですし、
その中断したクローン人間作成計画でも、専任のバイオ研究者がいたんでしょう?
毒ガス液入りナイロン袋を傘の先でつっついて、のちに後悔した医師もいました。
TV番組枠を使って、
愚民の脳に美容整形のゴミ情報を注入してボロ儲けするヤツもいるような気がします。
産婦人科開業医には、患者に無断で女性器の写真撮って、
その「コレクション」を図鑑にして販売したのもいるそうですね。
中には、「刺激前」「刺激後」の比較写真もあるんだって?(^ρ^)
「脳無い革命」に興味が全く湧かなかったのと同じく、
残念ながら「朝食抜き」本にもこれ以上の関心はありませんので、これにて。