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(回答先: [12歳のシグナル]検証・長崎幼児誘拐殺人/1 「罪の重さ、分かってない」 毎日新聞 投稿者 エンセン 日時 2003 年 10 月 08 日 06:40:13)
[12歳のシグナル]検証・長崎幼児誘拐殺人/2 ひっそりとした幸福
◇母の不安も「殻の中」
「あの子はどこか人と違う、おかしいと感じていました。でもまさかこんなことになるなんて……」。事件後、少年の母親(39)は家裁関係者に打ち明けた。
3歳までの検診で足の発達が遅いことが分かった。幼稚園でも、まだよちよち歩きだった。だが、母親が幼稚園やほかの母親に相談した形跡はない。少年が歩きたがらないとすぐに抱っこする。周囲には「過保護」にしか見えなかった。
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雲仙・普賢岳をのぞむ長崎県南部の農村地帯。少年の父親(50)は農家の六男として生まれた。
亡くなった母親は病弱で、末っ子だった少年の父親が炊事を手伝った。生活は苦しかった。中学を卒業後、レストランの調理師になる。22歳で結婚したが、独立して出した飲食店がうまくいかず、8年で離婚した。少年の母親と90年に再婚し、その年に少年が生まれた。一家がそろって父親の親族と会ったのは7年前、少年の祖父の葬儀の時しかない。
父親は長崎市内の飲食店で午後2時から11時すぎまで働き、まっすぐ帰宅した。「まじめで無口。酒も飲まない。趣味がコックみたいな人」と職場の同僚は言う。
升目のように区画された長崎市郊外の住宅街。30年前、運転手だった母親の父はここに建て売りの一軒家を買った。母親の同級生たちは「地味で印象がない」「先生の話を一生懸命にノートに書く姿しか覚えていない」と振り返る。
高校を出て働いたが、結婚してからは専業主婦。PTAの集まりに手紙で参加を呼びかけられても一度も顔を見せない。授業参観はいつも父親だった。少年は地元の子供会にも入っていない。母親たちは「保護者のほとんどがお母さんの顔を知らなかった」と言う。
井戸端会議にも加わらない。だが、近所の一人は「集会所の掃除でも、ほかの人が嫌がるトイレを一番にする人だった」と語る。
家族は少年が幼稚園のころから月に1度ほど、近所のとんかつ屋に通った。決まった席に父親と少年が並び、母親が向かいに座る。別々の定食を頼み、父親が「替えっこしようか」と言うと、少年が「僕のもあげる」と父親の好物のくしかつをはしで皿に乗せた。母親はそれを笑顔で見つめた。
正月、母親は父親の姉との電話で「子供は元気です。頭がよくできるから、弁護士になそう(しよう)かなと思っています」と話した。
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にぎやかな市街地にそびえる高層市営住宅。長崎市北部が見渡せる3LDKで、一家は硬い殻の中に身を潜めるように暮らした。「家に遊びに行っていい?」。少年に友人が尋ねると、いつも「だめなんだ」。理由は言わなかった。
事件を防ぐ手立てはなかったのか。「母親が抱えていた少年への心配をもっと早いうちに児童相談所などに相談していれば、手の打ちようがあったかもしれない」。家裁関係者は悔やむ。
補導前、少年は友人に言った。「将来はお父さんみたいにコックになりたい」=つづく
(毎日新聞2003年9月28日東京朝刊から)
http://www.mainichi.co.jp/news/article/200309/28m/084.html