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ウィリアム・シューマン(William Howard Schuman, 1910 – 1992)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/747.html
投稿者 中川隆 日時 2021 年 10 月 03 日 15:07:58: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: リゲティ・ジェルジュ 『ピアノのための練習曲』 投稿者 中川隆 日時 2021 年 10 月 03 日 06:34:07)

ウィリアム・シューマン(William Howard Schuman, 1910 – 1992)

交響曲

交響曲第3番 (1941年)
3.3点
温かみよりも鋭角的な切れ味を楽しむ曲。とはいえ、現代音楽的な音の不協和音のきつさとか、即物主義の気持ち悪さは少なく、あくまで包み込むような温もりを徹底的に排除して作った感じなのが良い。難解な音楽であると感じるが理解不能ではない落とし所も好きだ。なかなか洗練されていて都会的でカッコいい曲であり、新しい音楽を聴いた衝撃を得られる。しかし、衝撃だけで終わってしまい良い音楽を聴いたというような感想も残らないとも思った。30分とコンパクトで良いが、刺激ばかりで深い追求が足りない感じである。作者の中では他の交響曲と比較して本格的な構成でバランスが良く濃密であり、おそらく代表作だろう。

交響曲第4番(1942年)

弦楽のための交響曲 (交響曲第5番)(1943年)
3.3点
弦楽のための交響曲。ナイフで石を切り刻んで形を作っていくかのような鋭利な音使いが印象的な1楽章。2楽章はしなやかそうでありながらも、切れ味を感じさせる電子楽器的ともいえるデジタルな音の動きを重ねていく。中間のカオス感を作っていく感じと、そのあとの不思議な異次元空間に存在するかのような感じは面白い。3楽章のピチカートを活用した動きの感じは、かなり斬新な音の世界と感じて楽しめた。都会的な斬新さを弦楽の曲だけに純粋に楽しみやすい。

交響曲第6番(1948年)

交響曲第7番(1960年)
3.3点
3楽章までは暗いエレジーのような曲調で驚く。4楽章が面白い。プロコフィエフのピアノソナタ7番3楽章を思い起こすような変則リズムの組み合わせ。あれよりはマッタリであるが。2つのモールス信号の打鍵が組み合わされたようにも聞こえる。ある意味でポップな雰囲気に浸って楽しい気分のまま最後まで聞ける。

交響曲第8番(1962年)

交響曲第9番『アルデアティーネの洞窟』(1968年)
3.0点
戦争をテーマにした副題がついているだけに、抽象的で空気感や映像性に乏しい作曲者の曲の中では、ある程度テーマの明確さを感じて聴きやすい。とはいえ音の動きはらしいものがあり、基本的に抽象性は高い。銃撃を模しているような場面から、犠牲者を鎮魂する音楽への大きなストーリーは分かりやすい。細かいストーリーが分かりにくくて淡々と場面が進んでいるように感じるのが難点。しかし、作者の強い思いと衝動がわかる曲。

交響曲第10番『アメリカのミューズ』(1976年)


管弦楽曲・吹奏楽曲
アメリカ祝典序曲(American Festival Overture, 1939年)


協奏曲
ピアノ協奏曲(1943年)

ヴァイオリン協奏曲(1947年/1959年改訂)


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB

ウィリアム・ハワード・シューマン(William Howard Schuman, 1910年8月4日 – 1992年2月15日)は、アメリカ合衆国の作曲家。音楽機関の長を長く務めた。


略歴
ニューヨーク市のブロンクス出身。アメリカ大統領のウィリアム・ハワード・タフトにちなんで名づけられた。少年時代からヴァイオリンやバンジョーを弾き始めるが、当初は野球に情熱が注がれた。ハイスクール時代にダンス・バンドを結成し、自らはベース奏者として結婚式などで演奏した。

1928年にニューヨーク大学商学部に入学すると同時に、広告業界で働き始める。この頃は、親しい友人のE.B.マークス・ジュニアらの作詞家とともに、ポピュラー音楽の作曲に手を染めている。

1930年4月4日に実姉オードリーとともにカーネギー・ホールにおいて、アルトゥーロ・トスカニーニ指揮によるニューヨーク・フィルハーモニックの演奏会を聴いて深い感銘を受けるとともに、職業作曲家への転身を決意する。大学を中退し、個人教師について作曲を学び始める。指導者の一人にロイ・ハリスがおり、その引き合わせでセルゲイ・クーセヴィツキーの知遇を得る。クーセヴィツキーは後にウィリアム・シューマンの庇護者となった。

1935年から1945年まで、サラ・ローレンス大学で作曲を指導。1943年に、ウォルト・ホイットマンの詩集『草の葉』に基づくカンタータ『自由の歌』(A Free Song )によって、ピューリッツァー音楽賞の最初の受賞者に選ばれる。1946年にジュリアード音楽学校校長に就任してジュリアード弦楽四重奏団を創設する。1961年にリンカーン・センターに音楽監督として転出。

作品
8つの交響曲を筆頭に作曲家としてかなりの量の作品を残している。これは作曲者自身によって、「第3番から第10番までの8曲しかない。最初の2曲は撤収された」と述べられている。

ヴァイオリン協奏曲(1947年/改訂1959年)は、シューマンのすべての管弦楽曲の中で、最も力強い作品の一つと称賛された。

その他の作品に、ウィリアム・ビリングス(英語版)の旋律に基づく「ニューイングランド三部作」(1956年)や、「アメリカ祝典序曲」(1939年)、マーサ・グラハムのためのバレエ音楽「ジュディス」(1949年)などのほか、2曲のオペラがある。

チャールズ・アイヴズのオルガン曲「アメリカの主題による変奏曲」を1963年に管弦楽用に編曲したものは、原曲以上に有名になった。吹奏楽曲「ジョージ・ワシントン・ブリッジ」(1950年)も人気が高い。

歌劇
マイティ・ケイシー(1953年) - 「野球オペラ」として知られる

交響曲
交響曲第3番 (1941年)
交響曲第4番(1942年)
弦楽のための交響曲 (交響曲第5番)(1943年)
交響曲第6番(1948年)
交響曲第7番(1960年)
交響曲第8番(1962年)
交響曲第9番『アルデアティーネの洞窟』(1968年)
交響曲第10番『アメリカのミューズ』(1976年)

管弦楽曲・吹奏楽曲
アメリカ祝典序曲(American Festival Overture, 1939年)
バレエ音楽『ジュディス』(Judith, 1949年)
ニューイングランド三部作(New England Triptych, 1956年) - 各曲を自身が吹奏楽編曲している
喜びあれ、アメリカ(Be Glad then America )
イエス涙を流したもう時(When Jesus Wept )
チェスター(Chester )
ジョージ・ワシントン・ブリッジ(George Washington Bridge, 1950年)

協奏曲
ピアノ協奏曲(1943年)
ヴァイオリン協奏曲(1947年/1959年改訂)
オルフェウスの歌(チェロと管弦楽)(A Song of Orpheus, 1962年)

室内楽曲
弦楽四重奏曲第2番(1937年)
弦楽四重奏曲第3番(1939年)
弦楽四重奏曲第4番(1950年)
弦楽四重奏曲第5番(1987年)
アマリリス(弦楽三重奏のための変奏曲)(1964年)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3  

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