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(回答先: Re:Re: 難しいことを簡単に言うのは難しい 投稿者 baka 日時 2002 年 11 月 23 日 20:52:48)
bakaさん、こんばんわ。
経済“専門家”については、「現実の経済論理を知っている人」と「経済知識を持っている人」に区分できると思っています。
「現実の経済論理を知っている人」:国際金融家などごく一部の人です。しかし、論理体系としては説明できないとしても、直観的にはわかっている人は数多くいます。
「経済知識を持っている人」:経済学者・官僚・大企業経営者・インテリサラリーマンなどです。(大学教授からメディア出演者のほぼ100%がこれに該当します)
世界経済支配層は、多くの人が現実の経済論理が理解することで“反乱”が起きるのを防ぐために、直観的な理解が理論的な理解に進まないよう、部分的には合理的だが根源はでたらめな理論を振り回す経済専門家を利用しています。
(現状では意図的にこのような策を採らなくても、学校制度や学会・メディアなどの仕組みにより、自動的に愚かな経済専門家が再生産されるようになっています)
「現実の経済論理を知っている人」や直感的に理解している人は、現実の経済の仕組みが見えていますが、「経済知識を持っている人」は、根源が誤っている論理(知識)を組み合わせて現実をでたらめに説明しているだけです。
利息や利潤の問題は、小さなモデルを考えればすぐにわかることです。
いろんな商品を商う人たちが集まる市場(いちば)をあるとします。
単純化するために、米や野菜など食糧を販売している店は裏に農地や牧場を保有していてそこで生産し、道具や衣服を販売している店は裏にそれらを生産する工場を保有しているとします。
この人たちのあいだの交換(市場取引)だけでも生活が成り立つとします。
そして、交換の手段は通貨(紙幣)を使っているとします。
[市場内だけの取引]
1) 通貨を増やしても得られる財的豊かさは変わらない
市場の人たちの生産量が同じままで通貨の量を増やしても、物価が上がるだけで手に入る財の量は変わりません。
生産量の増減に合わせて通貨の量を増減すれば、物価水準は維持されます。
2)ある人が生産性を上昇させてもその人が得られる通貨的富は変わらない
たとえば衣服を販売している店の工場が同じ人員で1日に生産する衣服の量を増やしても得られる通貨的富は変わりません。
生産した衣服全量を販売するためには、単価を下げなければなりません。なぜなら、市場のほかの人が保有している通貨の量は増えていないからです。(単価を下げたくなければ、従来と同じ数量を販売することになります)
現実には、取引のタイムラグがありますので、一時的には生産性を上昇させた財を従来の価格で売ることはできますが、それを持続することはできません。
生産性が上昇する財の種類が増加すれば、同じ通貨量で手に入る財の量が増えることになります。
3)ある人が保有通貨のある部分を使わななければ、市場全体の売上が減少する
使わない目的は老後のためでも将来の拡張資金など何でもいいのですが、市場を構成するある人が他の人の財を買う金額を減らせば、市場全体の売上げが減少することになります。
道具屋が蓄財するために衣服を買う量を減らすと、衣服屋の可処分所得が減るので衣服屋が肉屋から買う肉の量が減り、肉屋の可処分所得が減るので、八百屋から買う野菜が.....という連鎖的な変動が生じます。
このとき、気が利いた人が、道具屋の蓄財を預かり、それを道具屋に貸し出しすれば、従来どおりの取引が継続されます。
(現実も基本的にはこのようなものです。預金金利と貸出金利が同じであれば道具屋は損得なしで、返済する必要がない代わりに預金を払い戻すこともできないということになります。道具屋の預金を道具屋に貸し出ししているから奇異に思えるだけで、道具屋の預金を肉屋に、肉屋の預金を道具屋に、と考えれば現実と同じ話です)
日本経済にしろ米国経済にしろ、国民経済は、このような構造と論理がベースになっています。
端的に言えば、財的豊かさは知恵を絞って生産性を上昇させていくことで実現できるが、ある人が通貨的富を増加させようとしたり、ある人が保有通貨をしまいこむようなことをすると、全体がおかしくなるという論理です。
このような基底的論理を打ち破るのが、国際取引です。
モデルで言えば、外から買い物に来てくれる人を考えればいいことになります。
モデルの市場が他の市場よりも同品質で安い価格で販売していれば、外から買い物に来てくれる人が増えます。
そうであれば、生産性を上昇させても、価格を下げることなく販売することができます。
そうであれば、ある人が蓄財しても、外から買い物に来る人が支払う金額がそれに見合うだけで増加すれば市場全体に問題は生じません。
モデルの市場は、増加する外からの来店客の需要に見合うだけ生産量を増加できる限り、通貨的富も増加できます。
就業者数が一定であれば、生産量の増加は、生産性の上昇に拠ることになります。
外からの来店客は、輸出とまったく同じものだと考えることができます。
国際的な利息取得は、外からの来店客の場合には財を見返りに通貨をもらうことになりますが、財の見返りも必要としないで通貨だけが流入することを意味します。
外からの来店客がなくても、市場のある人が市場外(国際)貸し出しで利息を得ていて、そのお金を市場で使ってくれるのなら、来店客と同じ経済効果をもたらします。
市場の生産性が同じであればその通貨流入で単なるインフレになってしまいますが、生産性が上昇したときに生じていた財の価格下落は、防止できたり緩和することができます。
(逆に、外からの来店客があれば、貸し出しで利息をとっても、問題を起こさないで済ますこともできます)
現状の日本は、外から買い物に来てくれる人(輸出)が増加せず、通貨が貯め込まれたままで可処分所得(消費支出)も減少しているなかで、財の供給量が増加しているために、「デフレ不況」に陥っています。
(赤字財政支出が増加しないことも通貨が貯め込まれたままを意味し、日本からの輸出につながらない対外投資も同じ意味を持ちます)
このような基底的経済論理がわかっていない人が経済学知識をいくら動員して考えたとしても、有効な経済政策を打ち出すことはできないはずです。
※ つまらないミーハー的なおまけ情報
今日の晩飯は外食でしたが、隣の席はユーミンご一行様(女性ばかり)でした。
(クラブとかしゃれたイタメシとかではなく、静かな和食屋です)
恥ずかしながら、「ダイヤモンドダスト」以前のアルバムは荒井由実の時代も含めて全部家にあります。