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(回答先: うらやまし! 投稿者 声なき声 日時 2002 年 11 月 24 日 04:57:51)
この投稿は田舎モノの本音がよく出ていて良かった。
屈折した田舎モノは「都会にはこの大自然はあるまい」とか言いながら寂しく刺激の無い人生を意味なく過ごすものだ。
都会で一通りの物質的贅沢を通過した者から見るとそれが充実した人生を送るのに十分なものでないことは明らかである。
年に何度海外旅行しようが、高級車を所有し、ブランドで身を固め、都心高級マンションに住み、観劇やスポーツに打ち興じ、グラビアに出てくるような美女達だけに囲まれたところで、所詮それだけの話である。
だが、「じゃあそういう生活をお前は必要ないというのか」と言われるとそこまで達観していない者が殆どだ。充実した人生に「十分条件ではない」と言えるだけだろう。つまりは、一見華やかで幸福そうに見える階層も外見だけじゃわかんないよってことだ。
ここのサイトは何やら独特の価値観を持った何人かの人物が、それぞれに理想を掲げ持論を説いているように見受ける。
冷水を浴びさせるようで悪いが、「本当のこと」を知っておくのは悪い事ではないと思うので一言。
こうすれば経済がうまく循環して拡大過程に入ることができる、とか、日本人は世界をこう言う風に見てこういう精神態度で世界に対峙すべき
だとか、ご宣託が色々と並んでいる。それらは傾聴に値するものもあるし、それ自体悪い事だと言うつもりは無い。
だが、忘れてはならないのは、そういった何らかの政策なり行動なりが取られた結果、皆が皆幸せになるというのは幻想だと言う事だ。
考えても見るがいい。経済が拡大して全体に豊かさが底上げされることはあっても、皆が皆、メイドと執事を持つ生活などできないのだ。
美女を全ての男が手中にすることもできない。大組織を意のままに動かすことも叶わぬ夢だ。つまり経済社会全体が貧しかろうと、豊か
であろうと、「社会の中における相対的な序列と格差」は決して消えて無くならないのだ。「鎌倉時代の農民よりは豊かだからオレ達は
幸せだよね」などと言うアホウは存在しない。人は常に同時代を生きるものであり、同時代の周りと比較しての幸福度の多寡を測定
するものだ。
政治がらみについても同じようなことが言える。社会が豊かであろうと貧しかろうと、政治を執り行うのはいつの世でも特定支配層であり、彼らが歴史を作っている。庶民は関係ない。「我々は投票行為を通じて政治に参加している」というのは建前であり、強弁に過ぎない。その無力感は庶民自身が強く感じており、それゆえ投票率もあれだけ低いわけだ。
田舎モノ君の投稿を読んでこんなことを感じた。この田舎モノの魂を救う論考こそが大事だろう。