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(回答先: Re: 「敗戦責任」と天皇 − インターミッション − [その2] 投稿者 霊止 日時 2002 年 11 月 21 日 01:04:31)
霊止さん、こんにちわ。
「右翼」と言うと物々しい街宣車と特攻服の人たちというイメージが確かにありますね。
(一方、「左翼」というと反戦平和と弱者救済できまじめな人たちというイメージになるのでしょう)
ついでに言えば、「右翼」は、ヤクザ組織や総会屋ともつながっている認識もけっこうあります。企業も、愛国主義や民族派を名乗ってやってくる「右翼」を無碍に追い出すわけにも行かず、なんらかの資金援助を行うという構図のようです。
60年安保時期など左翼勢力が強かった頃は、政治的支配者までが「右翼」を左翼運動潰しに使おうと考えていました。(三井三池労使紛争では、「右翼」が本格的に介入したことで有名です)
こういう民族派を、まっとうな民族派は「営業右翼」と呼ぶそうです。
:さんが書かれていますが、尊皇と愛国を掲げる「右翼」組織に在日韓国・朝鮮人や被差別部落出身者も多く加わっているようです。(社会的な行き場を失った人たちの拠り所でありしのぎ(生活)の場にもなっている)
寡聞にして、五月蠅くない右翼民族派となると、木村三浩氏が代表を務めている「一水会」と亡くなられた野村秋介氏のグループ、それに、故三島由紀夫氏のグループくらいしか知りません。
(「一水会」は、湾岸戦争当時からイラク支援を行っており、今回のイラク問題でも攻撃阻止のために運動を行っています)
「愛国」という言葉も、手垢にまみれているというか、色が付きすぎたものになっています。
国民という認識票を持っている立場ですから、「愛国」という言葉に胡散臭さを感じながらも、「お前は国を愛していないのか!」と叫ばれれば、なかなか「国なんか愛していない」とは答えられないのというのが現実でしょう。
国家や国とはなにかという話がないまま、国を愛さない奴は非国民であり売国奴という理屈だけが一人歩きしているとも言えます。
これが行き着くと、「国のために死ねない奴はダメ人間」という論まで出てきます。
私は、「国は生存基盤と生活様式(文化)を歴史継承的に共有している人たちの“場”である」と考え、「国家(権力)は、そういう場を外敵から守りながら、“場”に生じる対立を調整する機構」だと考えています。
私という個が忽然と降って湧いたわけではないので、私を私としている存在であり、私自身も含まれている国を重要で大事なものだと思い、そのような意味で国を愛しています。
(グローバルな経済・情報条件になり、海外旅行も楽しんでいますので、「私を私としている存在」や「私自身も含まれている」と思念する範囲は世界になっていますが...)
そして、国がまっとうに存続しているのに、それを脅かそうとする外敵が襲ってくるのなら、それに対抗するために死も厭わないと考えています。
しかし、国を愛していると言うことや尊皇であることが国を愛していることではないと考えていますし、国をおかしくする政策を振り回す国家支配者のために死ぬ気もありません。
(国と国家は違うと思っています。そして、国家支配者が、国を私的利益のために利用することも少なからずあると考えています)