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(回答先: Re: 「右翼」そして「愛国」について 投稿者 霊止 日時 2002 年 11 月 22 日 01:15:42)
横レスで失礼します。
<愛国心についての教科書的見解>
政府が「愛国心を持とう」などと言うのは、おこがましい限りだ。施政者がこんなことを言い出す時にはロクなことが起こらないのが歴史の教訓だ。もともと愛国心とは自然発生的な感情であり、権力側が上から教導しようとするのは、ある意図のもとに、国民の私的領域を狭め、自由を制限したいがためである。
施政者がきちんと国家を運営し、信頼され、国民に将来への希望があれば、無意識のうちに愛国心や公共心は育つ。自殺者3万人、不登校児童14万人というような社会状況で愛国心教育など問題の外である。第一、今の政治家自身が愛国心など持っているだろうか。政治を歪め続けているいわゆる族議員やチャイナ・スクールなどの外務官僚は、最たる反愛国集団である。古賀、青木、野中などの顔つきを眺めただけで、とても自民党が愛国心など云々する資格はないと分かるではないか。
<右翼について>
まだ昭和時代、ある有力右翼団体の幹部と議論したことがある。天皇制についてである。どうしても議論が噛み合わず、堂々巡りになった。向こうの言うことはまったく理に適っていない。しまいに向こうは怒り出し、顔を真っ赤にして叫んだ。「とにかく陛下について言われると、オレの血が騒ぐんだからしょうがない」と。血が騒ぐからと正当化し、街宣行動でも何でもやる。――自己に対する過度の甘え。やくざの行動原理と同じである。
しかし、右翼も様々である。「大日本愛国党」総裁の故赤尾敏氏は、天皇の戦争責任を認め、さらに「天皇制が廃止されたっていいんだ」と語ったのにはこちらが驚いた。かつて経団連を襲撃した野村秋介氏も、直情径行型ではあるが、言説を聴く限り、なぜ右翼と言われているのかさっぱり分からないふつうの言論人である。そもそも人間や思想を右翼、左翼に分けるのは、一見分かりやすくて便利に思われるが、たいへん危険で乱暴な思考態度だと思う。「右翼」「左翼」がどういう意味か、文脈から読み手がはっきりイメージできる場合は小生も使うことがあるが、できるだけ使いたくない。まず定義がたいへんだ。両者ともイデオロギーには違いないだろうが、その中身が漠然とし過ぎている。「タカ派」「ハト派」ほどの明確さもない。漠然としたまま統治者が使えば、たとえば昔のアメリカのマッカーシー旋風のように、チャップリンのような自由人が国外追放されることになる。冷戦時代がとうに過ぎて、「左翼」「右翼」はすでに死語と化したと思っていたら、西欧のジャーナリズムでも今も時々使っているので不思議に思っている。
やかましい街宣車や戦闘服は彼らの自己顕示の表れに過ぎない。ロックバンドがサイケデリックなパンクルックでステージに上がる心理と変わらない。ただ、公安当局が、彼らの活動資金の出どころ(経済団体や警備会社など)を把握していながら放置しているのが問題だ。