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教育基本法改正について、哲学者,梅原猛氏が論じている(朝日新聞17日)
『(教育基本法)改正論者は教育基本法に「伝統,文化の尊重」という理念が記されていないと難癖をつけるが,伝統,文化を尊重する精神が最も不足しているのは教育勅語である。わたしは50年に渡る研究と思索の結果,近代日本は廃仏棄釈によって成立し,その思いツケを今,日本人は払わされているという結論に達した。
廃仏棄釈は仏教の否定であるばかりか儒教や神道の否定でもある。江戸時代の儒教は主として朱子学であるが、朱子学には「格物致知」という科学的合理主義に通じる思想があり、神道には一本一草に神を見るエコロジーの思想がある。廃仏棄釈はニーチェのように神殺しであり,その精神は明らかに教育勅語に受け継がれている。
教育勅語の精神は結局、天皇を唯一の神として,その神のために死ぬことを根本道徳とし,一切の道徳をこの根本道徳に従属させる精神であった。これはまさに日本人の精神を長い間培ってきた仏教,儒教,神道およびそれらに養われた伝統,文化の否定以外の何ものでもない。もしも教育基本法に伝統,文化を尊重する理念が記されていないというならば,教育勅語こそ厳しく批判されなければなるまい。』
伊藤博文一派は、天皇を殺して別の人間を替え玉天皇に着任させ,自分自身は天皇を神などとこれっぽっちも信じていないところ、天皇を神とする天皇教を創設した。同時に日本の伝統は梅原の説明のように、ガタガタに破壊された。そして日本は夜郎自大になり,東アジアに進出し、行き詰まってアメリカと戦争せざるを得ない道に至り,結果原爆2発を落とされるはめとなった。
伊藤博文の罪はあまりに深すぎる。われわれは未だ,この伊藤の敷設した路線のツケをおもくおもくひきづっている。
一国の指導者である人間の教養の低さ,理解力の低さ、人格のデタラメさがその国の文化的財産を破壊し、人命的大惨禍をもたらした例をここにみるのである。
今から悔やんでも悔やみきれないのだが,もっとレベルの高い人間がリーダーシップをとっていてくれたら,と残念でならないのだ。
伊藤の水準が高かったと思っているひとたち、近代日本が偉大だと思っているひとたちは余程レベルが低いひとたちなのである。