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Ddogさんへのレス:世界経済に対する長期的な見通し 投稿者 あっしら 日時 2002 年 8 月 08 日 16:32:21:

Ddogさんの『グローバリズムについて』( http://www.asyura.com/2002/hasan12/msg/714.html )に対するレスです。
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Ddogさん、こんにちわ。


癒しのお言葉とレスありがとうございます。

一人相撲だと視点がどうしても一点に集まりがちなので、レスをいただくと視点が調整され助かります。

いただいたレスの内容は、中長期的見通しとしてはイメージしていたことですが、現状が現状なので、短期に限定したものにするという自制心で書き込みをしてきました。

現状の問題をクリアしないで、先のことを“予言”しても意味がないですからね。

素直に言えば、数百年に一度とも数千年に一度とも考えている大変動期にあると認識していますから、「匿名希望」氏に微温的と言われた短期の政策論議よりも、中長期の予測を書くことのほうが好きです。

>経済は生き物です、おまとめになった経済原論も、日々陳腐化していきますので、随
>時補足改定されていくことを期待しております。(もっとも作業量を考えれば、無償
>では、なかなか難しい話かもしれません。)

【世界経済を認識する基礎】は原論的なもので、現実の分析には隔靴掻痒というものですが、「近代経済システム」である限り貫徹して論理だと確信しています。

(現実の経済変動については、Ddogさんのほうがずっと精通していると思っています)

補足や改訂は必要だと思っていますが、いただくレスや質問の蓄積で行えればと思っています。

補足は、現状分析的視点で考える【世界経済のゆくえ】の続編でも行っていきたいと思っています。


>グローバリズム=ボーダレス社会の行き着く処を想像したい。行き着くところ、世界
>は均質化しうるのでしょうか? 世代を重ねれば、ある程度、均質化すると想像でき
>るし均質化に向かっているように見えます。

非先進国の価値観によって受け入れ形態は様々になるでしょうが、物質的生活水準という面では均質化へ向かうと予測しています。
物質的生活水準は均質化に向かうとしても、価値観や生活スタイルは、先進国も含めて、多様化に向かうはずです。

予測している均質化は、しばらくはじりじりという感じで進み、ある時点でドラスティックに進むと考えています。
自分が生きている間(20〜30年間)は、たぶん、じりじりという感じか、ドラスティックに変動する予兆を感じるくらいだと思っています。


>その場合、労働価値が、正しく評価され、国民経済が評価どおりの労働価値の増減を
>繰り返す前提が必要条件と思います。

世界の労働価値レベルが均一化していくことが、生活水準の均質化につながります。
生活水準の均質化を予測しているのは、労働価値レベルが均一化していくことを予測しているからに他なりません。。

国民経済の労働価値水準が、その国民の平均的生活水準を規定します。


>平均した国民経済は、現在余剰がある所から、ない所へ。豊かなところから、貧しい
>ところへ富が流れて行くのが自然な流れと考え本当にいいのでしょうか。

これまでの「近代経済システム」は、国民経済内においても国際的にも、それほど豊かでない(貧しい)ところから豊かなところへと通貨的“富”が流れてゆきました。
(「近代経済システム」の端緒は、豊かなところからそれほど豊かではないところへの通貨的“富”の流れであったことは忘れてはなりません)

このような経済活動の“成果”が、まもなく現象する「世界同時デフレ不況」です。

先進国はこの不況を克服するためにもがき続けると思いますが、解決に向けてなんとか動き始めると予測しています。(日本が例示的な解決策を打ち出せるといいのですが...)

その解決策の一貫として、生きている間に行われるかどうかわかりませんが、豊かなところから貧しいところへ“通貨の移転”が行われ、その通貨の回収方法として資本財を中心とした輸出が行われることになると考えています。

そこに至る過程で、広範囲での戦争や諸国民経済での災厄というあまり見たくない現象が世界を覆うことになると思っています。
(これは、偏に、経済論理を理解できない愚かな統治者の責任です)


>結局のところ、労働価値は正しく評価増減交換されないのが現実と考えた方が自然だ
>と思います。

とてつもない数の経済主体が自己の利益を最大化するという思惑を持ちながら動いているのが経済ですから、個別の取引や短期の変動はそのように見えてしまいます。

しかし、日本が10数年の高度成長で生活水準が大きく上昇したように、労働価値が高まれば、その見返り(評価)が必ずあります。

円ドルレートが40年で3倍の円高になったのも、日米が辿った国際競争財における労働価値上昇ペースの差異を反映したものです。

抗うことができない論理というのは、システムの底流をなしているものであり、長期的な規定性です。


>労働価値の評価の増減が、必ずしも為替に評価されないという事実も障害です。例え
>ば、為替のペッグ制がある限り、日本と中国では労働価値の増減が適切に評価されて
>いないと、わたしは考えます。

輸出志向の国民経済は、自国通貨安に魅せられますが、それは労働価値の国際的な評価を低めることであり、中長期的には自国経済を毀損することになります。

自国の財を外国に安く売り、外国の財を高く買うことを意味しますから、その咎がボディブローのように効いてきます。
経常収支が黒字基調になった中国は、自分自身のためにも、ペッグ制から離脱し変動相場制に移行すべきです。

(旧ソ連の破綻は、軍事優先が第一義的要因ですが、「労働価値」の相対的比較で自国通貨高政策を採ったことを一因として上げることができます。政治的に為替レートを決められるということは、経済活動を制御できるという利点でもありますが、離脱や変化の機を見失うと、経済活動に大きな制約を加えてしまいます)

日本は70年代に否応なく変動相場制に移行し円高傾向に置かれましたが、これが結果的に、その後の持続的成長と国民生活の向上に貢献しました。

どう言おうと“自由貿易”は虚構でしかありませんから、円安(1ドル=360円)が続いていたとしても、財の輸出量は現実の歴史過程とそれほど変わらなかったはずです。
そうであれば、日本は、少ないドルしか獲得できず外国から買う財は高いままですから、歴史的現実とは違って低い生活水準に留まっていたはずです。

円安であれば、何より生活水準上昇の源泉である労働価値を上昇させようという意欲が希薄になります。


>ちょっと話は逸れますが、サミット名物のNGO諸君の反グローバリズム運動は、皮
>肉な結果にはならないでしょうか?真にグローバリズムが進み、正しく労働価値が評
>価され、均質化が進んだ場合、先進諸国民は、グローバル化により貧困にあえぐこと
>になる、反グローバリズム運動は、後進諸国民の擁護でなく、実質は先進諸国民の権
>利擁護運動をやっている結果になるとことになるのでしょうか。それでも、いまのと
>ころ偽りのグローバル化は、あっしら氏の指摘するところの、経済主体(多国籍企
>業)が反国民的経済略取を行なう論理ではありますので、彼らは、反対されているの
>でしょうけどね。

現状のグローバリズムは発展途上国の多数派国民を食い物にするものですが、反グローバリズム運動は、現状に対する条件反射的な反対運動という側面が強いと思っています。

嵐を乗り越えた後に実現されるグローバリズム?により、「正しく労働価値が評価され、均質化が進んだ場合、先進諸国民は、グローバル化により貧困にあえぐことになる」という見方はしていません。

状況は異なりますが、スミス、リカード、セイ、マーシャルなど古典派が言うところの「均衡状態」や「定常状態」が世界レベルで生まれるということです。

(【世界経済を認識する基礎】で書いた論理、すなわち、経済学が無効になる世界の出現です)

世界の均質化が進めば、近代的経済活動の意義は極端に小さくなります。

経済問題がそれほど話題にならず、多くの人が違ったことに興味を持って生きていくことになると考えています。

J・S・ミルも、社会全体の利潤がゼロになる状態を、「経済問題以外の精神的・文化的並びに道徳的進歩」が進むと展望していたようです。


>グローバル化過程での英国経済と経済主体(露骨にロスチャイルド家ですか?)の分
>離で説明してよろしいのでしょうか。没落する経済主体(農園基盤の貴族階級)もあ
>れば、アイルランド(戦前は英国領)の貧しい農民の末裔が、米国保守本流の一部を
>形成している。
>そのことを鑑みると、グローバリズム経済の説明としては、結果論にすぎないような
>感じがします。分離して論じることにより、ユダヤ陰謀論と同根の考えに思われてし
>まう。

分離という表現があっているかどうかわかりませんが、英米的経済価値観では、経済主体が国民経済を手段化する傾向が強いということです。(日本をはじめとするアジア諸国や大陸ヨーロッパは、その傾向が英米に較べると小さいと言えます)

陰謀論とは無関係に、優勢な経済価値観(国家政策)に則ってそのような経済活動を行うという話です。

ロスチャイルドについては、ロックフェラーと同様“新参者”と思っていますので、背後にはもっと巨大な支配力を持った経済主体が存在していると考えています。
何にしても、個人や個々の経済主体を云々するよりも、産業資本や金融資本という範疇で区分して考えた方がすっきりすると思っています。

英国の衰退そして米国の衰退には、国際金融資本の“資本の論理”が深く関わっているということです。


>真のグローバリズムの最終形は、もしかしたら、江戸鎖国社会の地球拡大版であるよ
>うな気がします。論理的根拠には少々乏しいのですが、面白いと思いませんか。
>グローバル化が進むと、外の世界が消失して、地球という閉じた社会が出現するわけ
>です。
>その時だれが士農工商の役割を演じるか、高度なリサイクル社会の実現は可能かどう
>かを研究し、正しく政策を策定さできれば、日本の方向性は見えてくるような予感が
>します。

真のグローバリズムの最終形は、逆説的な表現になりますが、開かれた地域主義のかたちになると考えています。
その意味で、選択された生活水準や統治形態は異なるとしても、江戸鎖国社会の地球拡大版という表現はそれほど的外れではないと思っています。

経済及び消費生活の意義も変わり、経済論理を超えたリサイクルの重要性も意識され、量から質へという生活形態の転換と採算を度外視したリサイクル社会が実現されると考えています。


>日本の国家戦略を、高度リサイクルシステム(牛乳パックのリサイクルとかの次元で
>なくもっと高度な地球生態系維持を旗印にしたとでもぶち上げましょうか。)の構築
>という、地球江戸時代化計画とでもしてみるのも一考だと思いませんか。(半分本気
>です。)そうすれば、日本人に欠乏している要素、ナショナリズム、希望目標を取り
>戻すことができる。経済的動機が始動し、この閉塞した社会が打破できるかもしれな
>いと考えています。そして、真のグローバル社会の達成できることでしょう。
>話が飛躍してしまいました。稚拙な戯言でしょうか?

余剰通貨と余剰資本を誇っている日本であれば、Ddogさんが提示されている構想を推し進めることができます。
(余剰資本が多いという国民経済は、生産的な活動に従事しなくてもいい人が多く存在してもいいということですから、「近代経済システム」の論理としては実(利益)が上がらない活動に通貨=資本を投じることができます)

国家(国民経済)がこのような転換を遂げるためには、一度「地獄を見る」必要があるのかも知れませんね。


>資本主義の精神について、アジアにおいて、真の資本主義精神は構築できない、など
>主張したいが、管理通貨制度についてのレスも、また後日書こうと思います。

「資本主義の精神」とは何ぞやという問題が絡んできますが、産業資本制システムという意味では、アジア米作価値観は最強のベースだと考えています。

管理通貨制度を含めて、Ddogさんの主張を心待ちにしています。

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