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(回答先: 妄言を吐く者からの反論 投稿者 あっしら 日時 2002 年 11 月 11 日 17:26:35)
>供給が有り余っている中で供給=需要、供給が上がれば自動的に需要が増えるという
>話は妄言にしか聞こえない。
ケイちゃんも自説は読まれていると推察したので省略したが、供給と需要の関係について簡単に説明する。
【「供給が有り余っている」の意味】
物価が下落傾向だから、供給>需要のギャップが拡大傾向にあると言える。
ケイちゃんの考えを約めれば、このデフレギャップを解消するために、供給はそのままで、需要を拡大すればいいと言うものである。
この考えは、経済システムを経済学的知識の集積で捉えている人や物事を算数的に考える人にはもっともらしい解決策に見えるかもしれない。
しかし、経済社会が算数で解けないことは、「妄言を吐く者からの反論」で示した。
市場原理を通じた利潤追求を是とする自由主義経済価値観や自由主義貿易を基礎としている経済社会では、需要の拡大がデフレ・ギャップを埋めるとは限らないのである。
ケイちゃんが錯誤した要因を考えながら、「妄言を吐く者からの反論」を補足したい。
● 供給と供給量の峻別
「供給が有り余っている」という表現は、供給と需要が金額と物理量という異なるものを基準として評価できることから四つの解釈ができる。
1)「供給額が需要額に較べて有り余っている」
両方とも通貨表現だから、比較しても物価の説明としては余り意味がない。
せいぜいが、貯蓄の増加や金融取引の増加を説明するときに使えるものである。
2)「供給量が需要額に較べて有り余っている」
これは物価下落傾向を説明している。
しかし、有り余っているとしても一時的な事象で、経済主体は供給量を調整するはずである。それでも、有り余っている事象が続くのがデフレ・スパイラルである。
3)「供給が需要量に較べて有り余っている」
供給=需要という観点であれば理解しやすい表現である。
これは、無駄な供給が行われているか、所得(通貨的“富”)の偏りが大きいことを示唆するものである。
これも、供給の縮小によって調整されることになる。
一時的に貯蓄が増加することになる。
4)「供給量が需要量に較べて有り余っている」
無駄な供給活動が行われているという表現になる。
これも、供給量の縮小(たぶん供給の縮小も)によって調整されることになる。
物価は、抽象すれば、需要額/供給量で変動していくものである。
この算式に近いのは、「供給量が需要額に較べて有り余っている」という表現である。
需要額となり得るのは、供給額・輸出・貯蓄取り崩しである。
(供給量を構成するのは国内供給の財と用役・輸入財(映画フィルムやコンサートなど用役に相当する国際取引もあるが捨象))
不断に生産性が上昇していくのが近代経済システムの姿だから、同一投資額で供給される量は徐々に増加していくことになる。
これは、需要額となり得る供給額・輸出・貯蓄取り崩しが一定であれば、物価が下落していくことを意味する。
● 物価下落を防止する策の検討
物価の持続的下落というデフレを防止するためには、生産性の上昇で増加する供給量を上回るペースで、供給額・輸出・貯蓄取り崩しのいずれかもしくは複数が増加することで需要額が増加しなければならない。
「今後輸出は増加するのか」という問いには、現状維持が精一杯という予測が妥当なものだろう。
「貯蓄の取り崩しによる需要の増加は期待できるか」という問いには、これまで赤字国債の発行で既に食いつぶしてきたこと、銀行の「信用創造」機能が不全に陥っていること、老齢年金や経済に対する先行き不安から貯蓄をより多く取り崩して消費に回すのはそうせざるを得なくなった行き詰まった人たちだと推察できることから、増加よりは減少の可能性が高いと予測する。
(「信用創造」は預金者ではなく銀行が貯蓄を取り崩して貸し出す経済行為。行き詰まった人たちは、供給(活動)から得る所得が減少したか、なくなったことを意味する)
そして、これまでの厖大な赤字国債の発行で食いつぶしてきた貯蓄を“回復”するために、政府は年間20兆円もの歳出を余儀なくされている。
それは、供給額から税金というかたちで吸い上げられた通貨の一部であり、その金額が増えることで、供給額から需要に回る通貨額が減少することになる。
(税収の減少により、近々、税収の半分が国債費に使われることになるだろう)
貯蓄の取り崩しを増加させるのは経済的苦境にある人たちと推定できるので、国債から貯蓄に戻っても、それが取り崩されて需要に回る額が増加することは期待できない。
失業問題も年金問題もこれからますます厳しくなると予測しているなかで、人々が貯蓄を取り崩してまで不要不急の消費に走るということは考えられない。
● デフレ防止策は供給の増加と公的負担配分の見直し
輸出と貯蓄需要化の増加が困難であることを考えれば、「政府紙幣」という新しい形態での需要増加に陥穽があることがわかった今、需要を増加させる方策は供給量を増加させないかたちでの供給の増加しかないことがわかる。
供給を無理なく増加させて需要の増加をはかるためには、日本国内向けの財を外国で生産するという愚をやめ、「デフレ不況下」でも利益を上げ続けている優良企業が賃金を引き上げなければならない。
そして、供給の増加がより効果的に需要を増加させるためには、所得税や社会保険の負担配分を見直す必要がある。端的には、消費性向が高い「低中所得者の公的負担減少」と貯蓄性向が高い「高所得者の公的負担増加」である。
また、高所得者が消費の対象とする財のほうが輸入車や輸入ブランド品などの割合が高いので、低中所得者の可処分所得が増加するほうがデフレ解消に貢献する。
これは、そう理解できるとしても、弱者救済という社会主義的な政策ではない。
現在の「デフレ不況」はこのような政策なしに解消できないのであり、それを忌避し続ければ、高所得者が徐々に低中所得者に転落し、現在の高所得者が自ら命を絶つ事態が増加することになる。
企業も同じで、高水準で企業倒産が続いているということは、現在活動している企業のある割合が必ずや倒産の憂き目に遭うということである。
緊密で有機的な連関構造になっている国民経済で、うちだけはとか、自分だけではという生き残り策はほとんど無力であるどころか、逆に、うちや自分の破滅を引き寄せてしまう非合理で愚かな考えである。(もちろん、限られた人々がいい思いをできることを否定しない)
● 「政府紙幣」を公的債務の履行に充当
「政府紙幣」を発行するのなら、直接的な需要増加に使うのではなく、公的債務の利払いや返済に限定的に使うことを提案する。
(公的債務証書を日銀が買い取って“焚き火”にしても同じことだが、格好を付けたいというのなら、「政府紙幣」で債務を履行するのもいいだろう)
これにより年間国債費20兆円ほどが歳出から削減されて楽になるので、それを年金原資にすれば、老後不安を解消することができ、貯蓄取り崩しによる需要増加が実現できるだろう。
しかし、こんなに便利な打ち出の小槌があることがわかれば、これまで無分別に赤字財政支出を行ってきた政治家たちがそれをどのように使おうとするかは想像できる。
この意味でも、需要拡大のために「政府紙幣」を発行することは、ハイパーインフレへの道になる可能性が高い。
何にしても、経済価値観の大きな転換がなされなければ、今次の「デフレ不況」を合理的に解消することはできないのである。
(「政府紙幣」の発行そのものも、経済価値観を変え国際軋轢を乗り越えて初めて実現できる政策である)