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(回答先: レス有難うございます 投稿者 ニュートラル 日時 2002 年 10 月 17 日 17:43:10)
ニュートラルさん、こんにちわ。
>上記は直接金融と間接金融の違いを踏まえ前者はOKだが後者はダメと述べておられま
>すが、どちらも「不労所得」であることに変わりはありません。
「事業活動の資本に投資することは積極的に認めています」と「(但し、既発株式の取引を投資だとは考えていません)」と書いたのは、事業経営を不労ではなく労働と考えているからです。
>また、本質的にはリスクとリターンの高低にしか両者の違いはありません。
>貸し手が高いリスクとリターンを負うのか借り手がそうするのか、ということだけで
>す。つまり、融資なら「経済社会に破壊的な影響を与え」、出資ならそうではないか
>というと、そんなことは全然なくて、どちらにしろ破産する者は出るし、大富豪も出
>現するのです。
資金供給者にしてみればおっしゃられる通りかも知れませんが、経済社会全体にとっては本質的に違うものです。
投資は、得するにしろ損を被るにしろ責任を共有する一蓮托生の経済行為です。
商業でも産業でもいいのですが、投資とは、それを共同で行おうとするものです。
貸し付けは、責任を負わないまま人の活動成果を利息として獲得するか、それが実行されない場合は担保権を行使するというものです。
>私の考えでは、間接金融を否定的にとらえると、信用創造プロセスを否定的にとらえ
>ることになり、経済の拡大そのものをも否定的にとらえることになるのだと思います。
「信用創造」は、『「利息」は経済社会にとって非合理なもの − 利息取得の禁止で「近代」は終焉を迎える −』( http://www.asyura.com/2002/dispute3/msg/313.html )でも書いていますが、銀行(金融資本)が行っている“詐欺”であり、経済社会にとてつもない災厄をもたらす害悪です。
詐欺で拡大させた経済は、その時は現出しないとしても、後からそのしわ寄せが間違いなく訪れます。
「信用創造」は、価値実体を伴わない通貨や活動力の裏付けがない通貨を経済社会に供給する行為です。
それによって、確かに一時的(数十年間を含む)には経済を拡大しデフレを防ぎ役割を果たします。
しかし、詐欺であるが故に、いつの日かその咎が経済社会を襲うことになります。
日本の「バブル崩壊」もそうです。
不動産投機や株式投機が行われたとしても、「信用創造」ではなく、1億円の預金を1億円の貸し出しとして使っていたのなら、あれほどの“不良債権=銀行過剰債務”も発生しなかったのです。
また、「信用創造」をしなければ、日本の公的債務も現状ほど積み上げられることはなかったのです。
日本経済は「信用創造」という一大詐欺行為の後遺症で苦しみ、日本国民は、一大詐欺である「信用創造」によって積み上げられた公的債務の履行のために過重な負担を強いられ、今後さらに過重なフランを押し付けられようとしているのです。
錬金術以下の「信用創造」で経済を拡大しようという考えや政策は、その時さえよければいいという刹那主義的なものでしかありません。
>「利潤なき経済社会の到来」についてですが、そういう社会は到来しないんじゃない
>でしょうか。マクロだけ見ると余剰通貨がどんどん積み重なり、永遠の経済縮小過程
>に入っていくように錯覚を起こしますが、実際に起こるのは次のようなことではない
>でしょうか。即ち、勝ち組みはどんどん生産性を上げこれまで以上の利益を獲得して
>ゆく、解雇されたり、会社が潰れたオーナー達は仕方なくこれまでよりもずっと報酬
>の少ない仕事に就いて行く、そういう極端な二極分化です(財政的措置により若干は
>緩和はされるでしょうが)。貯蓄を抱えたまま餓死する人間はいないので、これまで
>貯めた金もいざ自分が経済的敗者になれば取り崩して消費に回さざるを得なくなるで
>しょう。経済に強者と弱者がある以上、利潤なき社会は幻想のように感じられます。
「利潤なき経済社会」は到来するのではなく近代経済社会に通底しているものです。
利潤を蓄積しても経済社会が低迷しないで済むのは、外部国民経済(共同体)から通貨的“富”が流入している限りです。
通貨的“富”が流入していても、それを上回る通貨的“富”が蓄積(使われないまま眠っている状態)されれば、経済社会は低迷します。
現実が「利潤なき経済社会」であるという認識を持たないことにより、非合理な経済政策が実施され、「勝ち組」も、勝ちかたが劣るようになり、負け組に転落していくものも出てきます。
それが、この間のデフレ・スパイラルが引き起こした現実です。
デフレ・スパイラルは、通貨価値が上昇する過程ですから金融資本にとっては好都合ですが、価格が下落する財でもある固定資本の比率が高い産業資本は、「勝ち組」から負け組に転落していくというとんでもない過程です。
(金融資本も、保有通貨額を増加させにくいという経済状況ではありますが...)
巨大な生産設備(固定資本)を既に保有している産業資本がデフレ・スパイラルで被る経済不利益を考えればわかることです。
(名目GDPが減少していくことは、売上が減少することであり、売上の減少は利益の急激な減少につながるものです。固定資本(多くの場合は借入金)の時価は下がるのに、債務は固定化されていますから、債務履行の負担も過大なものになります)
これまでは、まだ先進国では日本だけがデフレ・スパイラルに陥っているだけでしたから、輸出優良企業は輸出で稼いで「勝ち組」であることを維持することができましたが、「世界同時デフレ不況」になれば、それさえ危うくなります。
「勝ち組みはどんどん生産性を上げこれまで以上の利益を獲得してゆく、解雇されたり、会社が潰れたオーナー達は仕方なくこれまでよりもずっと報酬の少ない仕事に就いて行く、そういう極端な二極分化です」というご推察ですが、生産性の上昇は、輸出の増加や財政支出の増加がない限り、デフレをさらに悪化させるものです。
生産性を上昇すれば利益が増加するというのは、ある条件では正しくても、普遍的な“真理”ではありません。
さらに言えば、生産性が上昇するはずの手だてを講じたにも関わらず、生産性が上昇しなかったり、生産性が下がることさえあります。(首切りができにくい雇用慣行であれば、生産性を上昇させることを行っても、デフレ不況では生産性が下がることもある)
生産性の上昇は、産出通貨額/投入通貨額の値が大きくなることです。
投入通貨額が減少するということは、マクロ的に言えば、輸出や財政支出が増加しない限り、産出通貨額を減らすことでもあります。
投入というかたちで原材料や勤労者に支払う通貨額が減れば、産出した財を購入してくれる通貨額も減ることになります。
デフレ・スパイラルは、時間経過的に財の価格が下落することですから、本質的に生産性の上昇を阻害するものです。(投入のほうが時系列的に先で、産出(販売)のほうが後です)
G−W−G’という過程を通じて経済活動を行う産業資本、しかも、巨大化した生産設備をWとして固定化させている産業資本は、デフレ・スパイラルで利益を増加させることは極めて困難なのです。
「利潤なき経済社会」は、貧富の差がない経済社会ではなく、経済的な強者と弱者が併存する経済社会です。