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(回答先: Re: 「信用創造」こそが一大詐欺であり経済社会を破壊する“害悪” 投稿者 ニュートラル 日時 2002 年 10 月 18 日 04:46:43)
ニュートラルさん、こんにちわ。
>「事業活動への投資」と「事業経営」は異なる行為です。例えば経営に口をはさまな
>いベンチャーキャピタルなどは不労所得ですか?もっとも、この点には既にお気づき
>のようなので、「不労」という倫理的な観点を突いてもあまり意味が無いかも知れな
>いのでは、という指摘にとどめます。
ベンチャーキャピタルや投資銀行は、証券市場を活用したこれまた“一大詐欺師”たちだと考えています。
「IT株式バブル」の形成と崩壊を顧みればわかることです。
少々の才覚と金儲け志向の起業家と結びき、会社として格好がつくように資金を供与し、その会社の将来を囃しながら上場に持っていく。
そして、じゅうぶん高値になったところで保有株式を起業家共々売却する。
それに騙される方が悪いといことは言うまでもありませんが、“詐欺”であることも間違いありません。
「事業活動への投資」は、従としての共同事業者(米国でいうパートナー)になるというイメージを持ってもらったほうがいいのですが、口は出せない少額の投資も認めるべきだと思っています。
>簡単な例を挙げます。事業者Aは、融資者Bから100借りて事業を行ったが失敗し、
>Bに担保物件を召し上げられ破産した。
>事業者Cは出資者Dから100の投資を受け事業を行ったが、失敗し、Dは破産した。
>別の事例。A'はB'から100借り入れ、うまく事業が進んだので金利3をBに支払った。
>C'の事業がうまく行ったのでD'は300のキャピタルゲインを得た。
>あっしらさんの議論は、「Bはリスクを取ってないからずるい、単なる寄生虫じゃな
>いか」ということのように受けとめられます。しかし、実際には上記のごとく、Bの
>リスクの低さはその裏側にあるリターンの低さを甘受している結果に過ぎないので
>す。
前回も書きましたが、ニュートラルさんは、資金を出す人の構えを問題にしすぎているきらいがあるように思われますが、その点でも、リスクよりも責任の共有を問題にしています。
想定を援用すれば、出資を受けて事業を経営しているAは、事業成果が良いときもあれば悪いときもあります。
出資したBは、良いときには配当を受け取り、悪いときには配当がなく、より酷く悪いときには出資金を失うことになります。
配当ではなく、Aが主たる経営者でBは従たる経営者だとし、事業成果としての報酬を出資分(経営関与度の高低)で分配すると考えることもできます。。
「利潤なき経済社会」でも貧富の差があるといいましたが、富んでいる人たちが事業活動への出資比率(経営関与比率)に応じて“報酬”を分け合うという説明でもかまわないものです。
事業活動の成果が悪ければ分け合う“報酬”の分母が減りますから、一人当たりの“報酬”も減少します。
>AがA'のような行動を取らずBからの借り入れを選択した理由は様々でしょうが、
>Bから強制されて契約を結んだわけではなく、むしろBが資金を融通してくれることに
>便利さを感じていたはずです。「出資は良いが融資はダメ」という主張は素朴な感情
>論としては理解できますが、現実の経済社会ではどちらにもそれぞれの利点があると
>いうことではないでしょうか。
「「出資は良いが融資はダメ」という主張は素朴な感情論」ではありません。
借り手の活動成果を“契約通り”に取得する利息付き貸し出しは、経済論理的に経済社会=共同体を破壊するから禁止を呼び掛けているのです。
「Bから強制されて契約を結んだわけではなく、むしろBが資金を融通してくれることに
便利さを感じていたはず」だからこそ、法的に禁止し、出資によってしか資金を融通できないようにすべきなのです。
(禁止されている経済社会でも、利息付き金銭消費貸借契約は“自由意志”で行われ、経済社会のある部分をずたずたにしてきました)
>やはり誤読していました。上記の文章で分かりました。利潤なき社会とは、各企業の
>(会計的な)利益がどんどんゼロに近づいて行くようなイメージを持っていましたが、
>もっとマクロの話だったのですね。
マクロの話は、そのままミクロ(企業)の話です。
マクロに利潤がないのにあるミクロが利潤を獲得するということは、他のミクロの存続を脅かすものです。
先進諸国は、財の輸出や国際債金融で外部国民経済(共同体)から通貨的“富”を獲得してきたので、マクロベースで利潤があり、特定の企業(資産家)が利潤を獲得しても、他の企業の存続を脅かさずに済んだだけです。
戦後日本のように輸出大国として成功した国民経済は、幸いなことに、個々の企業が利潤を獲得しても経済社会を毀損することがなかったのです。
経常収支がマイナスになったら、米国のようにそれを補って余りあるほどの通貨的“富”が流入しない限り(資本収支が経常収支マイナスを超えるプラス)、マクロベースで利潤は存在しません。