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(回答先: 「信用創造」こそが一大詐欺であり経済社会を破壊する“害悪” 投稿者 あっしら 日時 2002 年 10 月 17 日 18:50:32)
あっしらさん、こんにちは。
>「事業活動の資本に投資することは積極的に認めています」と「(但し、既発株式の取引を投資だとは考えていません)」と書いたのは、事業経営を不労ではなく労働と考えているからです。
「事業活動への投資」と「事業経営」は異なる行為です。例えば経営に口をはさまないベンチャーキャピタルなどは不労所得ですか?もっとも、この点には既にお気づきのようなので、「不労」という倫理的な観点を突いてもあまり意味が無いかも知れないのでは、という指摘にとどめます。
>投資は、得するにしろ損を被るにしろ責任を共有する一蓮托生の経済行為です。
商業でも産業でもいいのですが、投資とは、それを共同で行おうとするものです。
貸し付けは、責任を負わないまま人の活動成果を利息として獲得するか、それが実行されない場合は担保権を行使するというものです。
簡単な例を挙げます。事業者Aは、融資者Bから100借りて事業を行ったが失敗し、Bに担保物件を召し上げられ破産した。事業者Cは出資者Dから100の投資を受け事業を行ったが、失敗し、Dは破産した。別の事例。A'はB'から100借り入れ、うまく事業が進んだので金利3をBに支払った。C'の事業がうまく行ったのでD'は300のキャピタルゲインを得た。
あっしらさんの議論は、「Bはリスクを取ってないからずるい、単なる寄生虫じゃないか」ということのように受けとめられます。しかし、実際には上記のごとく、Bのリスクの低さはその裏側にあるリターンの低さを甘受している結果に過ぎないのです。AがA'のような行動を取らずBからの借り入れを選択した理由は様々でしょうが、Bから強制されて契約を結んだわけではなく、むしろBが資金を融通してくれることに便利さを感じていたはずです。「出資は良いが融資はダメ」という主張は素朴な感情論としては理解できますが、現実の経済社会ではどちらにもそれぞれの利点があるということではないでしょうか。
>「利潤なき経済社会」は到来するのではなく近代経済社会に通底しているものです。
やはり誤読していました。上記の文章で分かりました。利潤なき社会とは、各企業の(会計的な)利益がどんどんゼロに近づいて行くようなイメージを持っていましたが、もっとマクロの話だったのですね。