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(回答先: ニュートラルさんへのレス:「誤読かも知れませんが」に応えます 投稿者 あっしら 日時 2002 年 10 月 17 日 14:56:19)
あっしらさん、私の議論を取り上げていただき有難うございます。
>厖大な利益が得られるかも知れないが確定的な金融果実が得られるわけではなく、投資元金さえ消えてしまう可能性がある投資と、どうであれ利息を取り、債務が履行できない場合は担保契約を実行する貸し出しとは決定的な違いがあります。
>利息取得は経済社会に破壊的な影響を与えるので取り立てて否定していますが、利潤(通貨的蓄財)全体を否定しています。
(貸し出しについては、知識や智恵は使われていると思っていますが、“不労所得”という面でも否定しています)
上記は直接金融と間接金融の違いを踏まえ前者はOKだが後者はダメと述べておられますが、どちらも「不労所得」であることに変わりはありません。従って「不労所得」であるという勤労倫理観的な観点からの批判は当らないと思います。また、本質的にはリスクとリターンの高低にしか両者の違いはありません。貸し手が高いリスクとリターンを負うのか借り手がそうするのか、ということだけです。つまり、融資なら「経済社会に破壊的な影響を与え」、出資ならそうではないかというと、そんなことは全然なくて、どちらにしろ破産する者は出るし、大富豪も出現するのです。
私の考えでは、間接金融を否定的にとらえると、信用創造プロセスを否定的にとらえることになり、経済の拡大そのものをも否定的にとらえることになるのだと思います。
>否定というより、利潤が得られなくなるという経済論理を主張しています。
世界は、ようやくにして、通貨的“富”がゼロサムであることを実感する時代を迎えるのです。
貨幣経済社会は文字通り通貨を媒介とした社会的分業ですから、ゼロサムである通貨的“富”を誰かが多額に握りしめる状態が続けば、経済社会全体が低迷します。
「利潤なき経済社会の到来」についてですが、そういう社会は到来しないんじゃないでしょうか。マクロだけ見ると余剰通貨がどんどん積み重なり、永遠の経済縮小過程に入っていくように錯覚を起こしますが、実際に起こるのは次のようなことではないでしょうか。即ち、勝ち組みはどんどん生産性を上げこれまで以上の利益を獲得してゆく、解雇されたり、会社が潰れたオーナー達は仕方なくこれまでよりもずっと報酬の少ない仕事に就いて行く、そういう極端な二極分化です(財政的措置により若干は緩和はされるでしょうが)。貯蓄を抱えたまま餓死する人間はいないので、これまで貯めた金もいざ自分が経済的敗者になれば取り崩して消費に回さざるを得なくなるでしょう。経済に強者と弱者がある以上、利潤なき社会は幻想のように感じられます。