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(回答先: 敗戦時日本とイスラム圏を類似的に見てはならない − 「対イスラム戦争」のゆくえ − 投稿者 あっしら 日時 2002 年 10 月 09 日 15:40:15)
詳細なレスを有難うございます。
あっしらさんの議論を聞いていて違和感を感じるのは、「米国が完全に経済支配層に牛耳られており、その意のままに動いている」とお考えなのではないか、と感じられる点です。米国民は底抜けのバカではありませんので、正当な大義名分がなければそもそも先制攻撃などという大それたことを支持するはずがありません。経済支配層の利害と米国民大半の正義は一致していません。ベトナム戦争のようにそれなりに立派な大義名分があった戦争でさえ、国民の反対により撤退を余儀なくされました。米国政権に経済支配層の意を汲む意図があることは否定しませんが、それ以上に国民の信託に応えることを本義としている事実は見落とすべきではありません。
>「利息の取得」や「共同体性を損なうまでの個人の利潤獲得」を認める経済システムをイスラム圏全域とりわけ一大産油国であるサウジアラビアやイランに受け入れさせなければ、“世界帝国”は完成しないのです。
なぜ唯一の経済システムを共有する”世界帝国”を完成させる必要があるのでしょうか。そうなれば米国(経済支配層)にとって何かと都合が良い事は分かりますが、(イラク後も続く)継続的な戦争に持ち込んでまで同じ経済システムを持たせる理由が分かりません。そもそも米国民を説得する大義名分もありません。米国の敵は「イスラムの論理」ではなく、「テロの論理」だと額面どおり受け止めて問題ないんじゃないでしょうか。イランやサウジ、ひいては中東全域の経済システムを軍事力によって変えようとしている、というのは深読みが過ぎると思います。イスラムの経済論理が、かつてのソ連型社会主義のように自由主義圏を脅かすカウンター勢力であるというなら話はまだ分かります。しかし、そうならかつてソ連にそうしたように、米国政権ははっきりとイスラムへの敵対意志を表示するはずです。そうしないのは、そう考えてはいないからです。
>カレラさんは、敗戦後の日本が受け入れた政治・経済変革をイラク(中東イスラム諸国)も受け入れるとの“楽観的”な見通しをお持ちのようですが、それはあまりにも歴史とイスラムを知らないものだと言わざるを得ません。
(イスラム圏は、19世紀後半から英仏を中心とした西欧の経済的収奪や政治的支配を経験しています)
フセインが排除された後のイラクが民主的な政治体制を選び取るのか、はっきり言って分かりません。また、そこで展開される情勢が周辺中東諸国にどのような影響を及ぼすのかも分かりません。私自身は、民主的プロセスを経た上でなら、サウジのような王権でもイランのような宗教指導者による統治でもどちらでも構わないと思います。当初より一貫して主張している通り、イラク人民に独裁軍事政権ではなく、「選択の余地を与えよ」と考えています。保たれた国家間の均衡を崩そうとすることが悪なのであり、そのような動きは世界覇権により制圧される、他方、これを執行する世界覇権国は民主国家であるから、例えばサウジのような中東バランス維持派の国に手を突っ込んで社会改造し、同一の経済システムを強制的に持たせる、などということはあり得ない、と考えます。