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(回答先: 分断された民族の価値観融合過程と「個人崇拝」の問題 投稿者 あっしら 日時 2002 年 9 月 23 日 01:15:33)
>韓国が北朝鮮を併合することは、1980年代の“日本人”
>5千万人が1930年代の“日本人”3千万人を抱え込み、
>1930年代の“日本人”3千万人に80年代的価値観を強
>要するようなものです。
最近あちこちで見られることなのですが、戦前の日本と現在
の北朝鮮を社会・経済・文化のありかたとして同列に置く発想
で物を言う人が多いようです。
私には信じられないセンスに思われるのです。
どうして文明として前人未到のチャレンジを信じられないく
らいに残酷で強烈な逆境の中で断行していった大日本帝国と、
残酷でわがままな独裁者の恐怖支配に甘んじているあの自分の
国民さえ食わせられず自分たちだけでは社会として維持すらで
きない北朝鮮を類似物として扱えるのでしょうか。
今、我々が急いでなさねばならないことは現在の戦後の自己
欺瞞の果てに成立した日本人の精神を1930年代のまともな
精神になんとかいったん戻すことです。後者のほうが現在の世
界標準にも近いので国際的に何ら不自然なことはありません。
ただ、アメリカ・中国・朝鮮の都合に悪いだけです。
なぜ、そう言えるかは今まで歴史(教育)問題をめぐってこ
こで述べてきました。簡単な話、「自己社会の否定」が常態で
、しかも洗練された態度だと思い込み、かつ価値相対主義と平
和主義が正しいと思い込んでいる連中など、それ自体非人間的
な存在でしかないし、他からみても異様で非常識な魅力のない
存在でしかありえないということです。
ただし、そういう連中は日本人を奴隷とか金をせびる対象と
考える外人には理想的な存在です。
だいたい、戦後の「国際的に友好な日本人」など国際的に面
白くともなんともありません。白黒フィルムに出てくる「万歳
モンスター」のほうがずっと面白くて魅力的だと思います。
私のほうがそういった連中より外国でもずっと人気がありま
した。外人女性にもてる人間と相手にされない人間の間に広が
る差はとても大きいのです。