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(回答先: Linuxは縄文型でしょう。アメリカ人の個人ユーザーに,このソフトをいれる人が非常に増えている。 投稿者 現実的ぼくしんぐ 日時 2002 年 9 月 15 日 17:50:46)
Linuxには僕も少なからず思い入れがあります。
「改革の痛み」などと、人の痛みなどわからないような総理が言っています。
政府のめざすものが、自らも属す、一部の持てる者たちの未来への保障ということであるのなら、たとえば「セーフティネット」などに無頓着なのも成程と思わせられます。
そういうニセの構造改革ではなく、ほんとに必要な構造改革には、軽薄な総理が言う(それなら「セーフティネットくらいちゃんとつくれよ!」と思うのですけどね)のとは別の、市民一人一人の「痛み」が伴うものだと僕は思います。
よく似た例がWindowsからLinuxに移行しようとした場合に見られます。
OSとしてのポテンシャルはLinuxのほうが上だとはいえ(これは関わっているプログラマーの水準の高さ、また底辺の広さ、志の違いであって、当然の帰結であると思われます。MSは世界でも最高水準のプログラマーを採用していると豪語しておりますが…)、いざ移行するとなると、様々な障害に出会います。それは人によっては、自分に必要なアプリケーションがLinuxにはほんとになかったり、たとえあっても、他のアプリケーションとの連携(このへんはWindowsに優るものは今のところないと思われます。それは技術水準というより、現実のアプリケーション企業などとの標準化の作成という、企業ではないと徹底するのが難しいようなシステム的な要因によるものです)で断念せざるをえなかったり、これらの同じ問題で、使おうと思えば使えるがLinuxでは作業が煩雑になるなどの理由から、心ならずもWindowsを使い続けている人は多いと思います。そして、そういう人が存在するだけ、そのようなLinuxの不備が、技術的にも相乗的な効果で、遅れが生じるという現実が存在します。使う人が増えれば、ベンダーやサポート体勢なども充実し、歯車がかみ合っていくというのがパソコンの世界だからです。
パソコンの話と社会の構造改革の話を一緒にするのは不謹慎かとも思いますが、僕が言いたいことは本当の構造改革の「痛み」というのは、自分もその成員の一員として無関係ではないという自省の「痛み」であり、また移行しようとした場合に現実に遭う、障害における「痛み」が、構造改革におけるものと共通する種類のものだと思われるということであるのです。無論、現在政府がやっている、あるいはやろうとしている構造改革は、これまで他の書きこみでも述べているように、ニセモノであり、ここで僕が言っている構造改革などではもとよりありません。
”構造”というくらいなのですから、世の中のほとんどの人が、自分もその一因子なのだと自覚することが先決なのだと言いたかったのです。
現代的ぼくしんぐさんのような志を持つかたが、一人でも多くなることを祈ります。