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(回答先: Linux 投稿者 ウッチャー 日時 2002 年 9 月 14 日 22:37:41)
またまたすばらしい内容の文章をもってきてくださいましたね。ありがとうございます。持ってき方が,あまりに,前後にぴったりなので,ある種なんともいえない,小気味良さをかんじます。
以下の部分で,縄文と弥生の差異について,ポイントがよくはあくされていますね。
『富と権力の集中がなかった縄文時代。憶病で弱い人間たちは、共同体を形成して食物を分かち合い、助け合ったと考えられている。長い縄文時代の次にやってきたのは、富と力が集中し始めた弥生時代。力のある一部の者が、巧みに多数者を支配して奪い合い、殺し合うスタイルは、現代も脈々と続いているといえないだろうか。』
まさにここのところですね。戦後から現在(とくに80年代なかば)の日本が縄文で,米英が弥生です。幕末日本が近代政府にすみやかに以降で来たのは,それまでが弥生体制であり,米英の弱肉強食の論理も弥生型であるため,共振現象が起きやすかったため,と見られます。本質的には弥生体制として連続していたということでしょう。戦後、2000年ぶりに縄文型に復帰し80年代なかばまできました。現在,新自由主義という弥生型理念が吹き返している,と。ここで,縄文型に留まるか,弥生体制へ復帰するか,という様相がつよまってきたようです。
LINUXの思想は縄文(人間関係の水平性+協力・共有原理)・弥生(人間関係の垂直性・排他的競争性)の対抗文化モデル論から見ると,縄文に入り,指摘は慧眼であり,適切だと思います。ただ、インターネットの思想は結果としてですが情報の共有=獲物の共有型で、縄文型ともいえます。
縄文人は1万年まえベーリング海峡ルートで北米へ特に東部へ、そして時期は不明ですが、海を渡ってネシア領域を通じて,南米に到達しています(通過地点の島々、及び,南米で縄文土器が発見されています)。縄文土器の文様はケルトのポットとも酷似している,と報告されていますね。
ところで、バイキング出身のアングロサクソンは狩猟民族です。狩猟民族は標的とした動物に対し,騙すこと,罠にかけること,また獲物がとれなくなったら,猟場を放棄し,他に場所をうつします、それは新自由主義の論理に代表されています。