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(回答先: WindowsとLinux 投稿者 ウッチャー 日時 2002 年 9 月 15 日 23:43:46)
『僕が言いたいことは本当の構造改革の「痛み」というのは、自分もその成員の一員として無関係ではないという自省の「痛み」であり、また移行しようとした場合に現実に遭う、障害における「痛み」が、構造改革におけるものと共通する種類のものだと思われるということであるのです。無論、現在政府がやっている、あるいはやろうとしている構造改革は、これまで他の書きこみでも述べているように、ニセモノであり、ここで僕が言っている構造改革などではもとよりありません。
”構造”というくらいなのですから、世の中のほとんどの人が、自分もその一因子なのだと自覚することが先決なのだと言いたかったのです。』
ご丁寧なレスポンスに感謝いたします。
「構造改革」と言う言葉はプラザ合意以降1990年前後から使われている言葉・概念で,現首相のカナ看板ではないですよね。これは、neoliberalism(新自由主義)の教義を政策体系の基本大綱としたことの名称です。つまりWTO,IMF,WorldBank,CFR,TLC(三極委)などの連合軍が押し進める自由貿易の徹底化プランに応じられるように,日本側がどのように国内法を整備するか,という政策編成大綱です。
わたしたちはこの言葉の美名的響きに誘導されています。つまり,いつのまにか、「構造改革」ありき,の枠内に囲い込みされており、この改革が進んでいれば良い首班・内閣,進んでいなければ悪い首班・内閣のどちらかのフローチャートに追い込まれます。しかし,いずれにせよ、「構造改革」派当然のこと,という囲い込みからは逃れられず、つまり、新自由主義という政策大綱には批判や疑問を持たない思考体系・思考習慣を確立されてしまっているのです。小泉は「構造改革」に消極的だ、だから,小泉より「構造改革」をもっと積極的に推進します、という別のあるいは次期の指導者に引き寄せられ、この路線が引き継がれることを確実にするよう、我々のメンタリティーが条件付けられているのです。
これが、米英富裕支配層と日本の富裕支配層の連合軍による巧妙なメディアによる誘導であり情報操作であることに、注意をする必要があります。朝日新聞でも参詣でも変わりません。彼らの筆使い、その息使いは、彼ら自身すら意識しないほど、「構造改革」=善、という枠組みでなされています。
国民が痛みを共有しなければならない。これもとても誘惑的な言葉で、警戒が必要です。実は,超富裕株主層には痛みが少なく,庶民は痛みが多く,となっているのが,新自由主義教義体系の特徴だからです。高額所得者の所得税を下げ,相続税をさげ、法人税をさげ、消費税を上げ,(国民)保険料をあげるというのは,欧米ふくめ新自由主義が導入されているどの国でも取られている政策体系の編成パッケージです。
善良な国民が責任感を感じ自分を責め立てながら、「構造改革」をいつのまにか受け入れ,そして痛みを受け入れようとしています。
目隠しをされた国民には本当は責任はありません。痛みを彼らが引き受ける必要などまったくないのです。
メディアの使う言葉には非常にセンシティブな警戒が必要になります。