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(回答先: 【「旧約聖書」再確認】「創世記」:神と人の違いは不死性のみで、善悪は裸の受け止め方の問題? 投稿者 あっしら 日時 2002 年 5 月 13 日 22:16:04)
大洪水後のノアの言動にも、裸の問題が出てくる。
「創世記」:第9章20〜 「さてノアは農夫となり、ぶどう畑をつくり始めたが、彼はぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。セムとヤベテとは着物を取って、肩にかけ、後ろ向きに歩み寄って、父の裸をおおい、顔を背けて父の裸を見なかった。やがてノアは酔いがさめて、末の子が彼にした事を知ったとき、彼は言った、「カナンはのろわれよ。彼はしもべのしもべとなって、その兄弟たちに使える」。」
ノアの孫であるカナンは、おじいさんの裸を見てしまったことでノアの逆鱗に触れてしまう。
善悪の基準は様々だが、カナンがおじいさんが酔っぱらって裸で寝ていることを伝えたから、その兄弟は、そりゃあまずいと衣服をかけてやったわけであり、カナンがおじいさんに呪いをかけられるほど悪いことをしたとは思えない。
カナンが裸を見ることを悪だと知っていたとしても、ノアが裸で寝ていることを知っていたわけではないから、見たくなくても否応なく見せられちゃうでしょ。そして、カナンは、兄弟たちに「おじいさんは裸だ。見ろ、見ろよ」と唆したわけでもない。その現実を兄弟に伝えて対処させただけである。
裸を見られると頭にくる人なら、酔っぱらって裸で寝てしまうことを避けるべきだし、ノアが“善悪の分別”を持っているのなら、マジックインクでイタズラされたわけでもなく、ただ裸を見られただけでカナンに対して怒り狂うことはないだろう。
アダムとエバは腐った“智恵の実”を食べてしまったのだろうか、それとも、ノア的な善悪の判断基準を持つ神が創造した“智恵の実”だったからそういう善悪の判断を持つことになったということか...。
そのような血筋が脈々と続いているってことは...