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(回答先: 【「旧約聖書」再確認】「創世記」:イエス以外にも何人かいた神の子 投稿者 あっしら 日時 2002 年 5 月 13 日 21:30:21)
「エデンの園」の話でもっとも有名な“智恵の実”について:
アダムとエバは、“智恵の実”以前から善悪の判断をある程度知っていたようだ。
「創世記」:第3章2〜3 「女はヘビに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないかと、神は言われました」。」
神の命令は守るべきこと、そして、死はいいことではないという善悪の判断力があったことがわかる。
「創世記」:第3章4〜 「ヘビは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。」
それで食べた実がリンゴであることは「聖書」には明示されておらず、自分たちが裸であることがわかり、イチジクの葉を腰につけた。
裸でいることや裸を人目にさらしてはいけないということ以外に、“智恵の実”を食べた成果は記述されていない。
しかし、神は怒り、エバには罰として“産みの苦しみの増大”や“夫の支配”を与え、アダムには“労働の責め苦”を与え、「エデンの園」から追放する。(エバがエバと名付けられるのは追放後にアダムから)
前にも引用した、「創世記」:第3章22 「主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかもしれない」。」とあるから、ヘビが唆したいい加減な発言とは言えず、人と神の違いは、善悪の判断力にあるのではなく、永遠の生があるかどうかによるようだ。
しかも、“智恵の実”を食べる前のエバ(無名の女)の善悪を踏まえた言動から察すると、もっとも大きな善悪の基準は裸であることをどう考えるかということにあるようだ。