(回答先: ■金解禁物語■ライオン宰相の金解禁(1) 投稿者 あぼーん3世 日時 2002 年 3 月 06 日 16:03:04)
1869年、井上準之助は、大分県日田郡大鶴村で生まれました。仙台の二校から東大を卒業して、日銀に入ったエリートです。横浜正金銀行副頭取、日銀総裁を歴任しました。
井上は、金本位制の持つ「自然の自動調整作用」を信じていました。
輸入超過→金貨流出→通貨減少→金利上昇→国内物価下落→輸入減少
輸出超過→金貨流入→通貨増加→金利低下→国内物価騰貴→輸出減少
金本位制では、正貨の量に応じて、通貨の発行が制限されます。
そして、自然の自動調整作用が充分働かない時は、井上の出身母体・日銀が公定歩合を決めることで、コントロールに関与する。
それは、井上にとってインフレや為替リスクのない、
グローバルスタンダードのユートピアのように思えたのです。
金解禁には、正貨を充分積み増しする必要があり、緊縮予算が不可欠です。井上は、蔵相に就任すると、1929年度の予算の実行段階で、緊縮財政を強引に推し進めます。
歳入面では、シーリングを強化して、国債の新規発行を3924万円減額、一般会計の当初予算は、17億7356万円から9165万円も節約します。
浜口内閣は、外交的には、日中の平和外交と軍備縮小を掲げていたのです。
この内閣が、世論の支持を失わなければ、太平洋戦争は避けられたかもしれません。
1929年7月の金解禁の前、為替は100円=43ドル50セントでした。この頃、金解禁を必至とみた内外の銀行による為替投機が始まります。大量の円買い、ドル売りが始まっていたのです。この影響で、正貨は順調に増えます。井上は、この事実を過小評価します。
ところが、金解禁が実施されると、100円=49ドル85セントの固定制となり、円は14%以上切り上げられます。大喜びの投機筋は、円売り、ドル買いの利食いを実施します。
1930年1月〜6月の間、この影響で、2億3000万円の正貨が流失してしまいます。エリート井上の見通しの甘さが、早くも露呈します。
◆◆しかし、この問題は、実は重要なものではなかったのです。◆◆
◆◆ 金本位制は、天使の仮面を脱ぎ捨て、本性をあらわします。◆◆
◆◆ 学者肌の井上準之助は、デフレという悪魔を信奉してしまったのです。◆◆
★(相似則)・・・竹中と井上・・・★