(回答先: ■金解禁物語■悪魔を信奉した蔵相(2) 投稿者 あぼーん3世 日時 2002 年 3 月 06 日 16:04:00)
アメリカの株価暴落は、消費を低迷させて大不況が訪れます。絹の靴下を履くものなどいなくなります。
生糸などの輸出産業は、円高の影響も受け、単価は暴落します。それでも買い手はどこにもいません。日本の農村の経済を支えていた養蚕業も、致命的な打撃を受けます。
生糸の単価指数は、1929年85.3でしたが、1930年には59.7まで落ち込みます。米価指数は、1929年28.92から、1930年に18.36に暴落します。
食べられない小作人が増加して、地主との間の小作争議は、1931年以降急増します。
貧しい農家は、年頃の娘を、泣く泣く売るしか生きていけません。
GNPは、1929年の13941百万円から1930年には11245百万円、1931年には10678百万円へと減少します。
株価指数は、1929年の104.5から1930年には71.5、1931年は、53.0まで暴落します。
企業倒産、リストラが相次ぎ、民営工場労働人員指数は、1929年の91.1から、1930年には82.2に、1931年には74.4に落ち込みます。
賃金カットなどにより、実収賃金指数は、1929年の103.9から、1930年には98.7に1931年には90.7まで下がります。
大学は出たけれど、職場は何処にもありません。
いくら物価が下がっても輸出は、教科書どおりには増えません。世界恐慌の影響で、正価の流出は続いたのです。通貨も減らさざるを得ず、デフレがますます加速します。
そして、井上の緊縮予算が、不況対策の足かせとなってしまったのです。
国民から大歓迎で迎えられた金解禁から、わずか10ヵ月後。
恐慌を招いた浜口内閣に、非難は集中します。
1930年11月14日、東京駅で浜口雄幸首相が狙撃されます。
犯人は、右翼団体愛国者の構成員・佐郷屋留雄でした。
浜口首相は、「男子の本懐だ!」と気丈に言い放ちますが、一命は取り止めます。
しかし、執念の男・井上は、くじけません。
◆◆「ここを凌げば、前途晧々たる光明の未来が待っている」と信じたのです。◆◆
◆◆過酷な競争を勝ち抜いて、強力な輸出産業が育ち、◆◆
◆◆効率的な社会が実現すると考えたのです。◆◆
◆◆ そして、1931年井上の希望を完全に打ち砕く、◆◆
◆◆思いもかけない二つの大事件が勃発したのです。 ◆◆
★・・・小泉さんへ・・理念は大事ですが、足元の経済統計にも注意!・・★
(参考文献)「昭和恐慌」 長 幸男著 岩波書店