(回答先: ■金解禁物語■ドル買い投機の嵐(4) 投稿者 あぼーん3世 日時 2002 年 3 月 06 日 16:06:23)
浜口内閣の政策を引き継いだ第二次若槻内閣は、1931年12月11日、総辞職に追い込まれます。
天皇から後継首相の下問を受けた元老の西園寺は、政友会の犬養毅を首相に指名し、政党内閣が、かろうじて存続します。
13日、犬養内閣が成立した日、蔵相・高橋是清は、金輸出を再び禁止します。
井上準之助は無念の涙を呑み、ドル買いの三井財閥は巨万の富を得ます。
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元大陸浪人、日蓮宗僧侶の井上日召は、12人の青年の心をつかみ、一人一殺の方法で、元老、政党や財閥の巨頭を暗殺しようと、血盟団を組織します。
井上日召のバックには、陸海軍の青年将校がいました。
血盟団の一人、小沼のピストルは、霞ヶ浦航空隊の将校・井斎大尉が調達したものでした。
1932年2月9日、東京本郷の駒本小学校で、小沼はピストルを抱えて、その男の到着を待ちます。
日本の農村を恐慌に陥れ、多くの娘を身売りさせたり、一家心中に追い込んだりした、張本人が、総選挙の応援演説のため来るのです。
自分の命と引き換えに、巨悪を倒すのです。
その男は、高級自動車から、ゆっくりと降ります。
パーン、パーン、パーン
三発目の銃声と同時に、その男は倒れます。
金解禁に執念を燃やした男、元蔵相、井上準之助の最後でした(血盟団事件)。
そして、3月5日、今度は、ドル買いで巨万の富を築いた、三井合名の団琢磨理事長が、血盟団によって、暗殺されます。
犯人は逮捕されても、関与した青年将校は、処罰されませんでした。
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金輸出を再禁止した犬養首相は、中国への侵略には批判的でした。そして、5月15日、犬養首相の自宅にも、青年将校達が乱入します。
「話せば、わかる」と犬養首相は、青年将校を説得しようとします。
「問答無用」と青年将校は、銃弾を発射します。
最後の政党内閣は、こうしてテロにより倒されます(5・15事件)。
青年将校を抑えることができるという理由で、海軍大将の斎藤実が、新しい首相になったのです。
◆◆こうして、軍国主義体制は構築され、不幸な戦争に突入していったのです。◆◆
◆◆ もし、浜口内閣が金解禁をせず、恐慌に対して適切な対策をとっていたら、◆◆
◆◆昭和の歴史は変っていたかもしれません。◆◆