(回答先: ■金解禁物語■デフレの恐怖(3) 投稿者 あぼーん3世 日時 2002 年 3 月 06 日 16:05:20)
1931年9月、金解禁を揺るがす二大事件が、ほぼ同時に勃発します。
その事件とは、イギリスの金本位制離脱と満州事変です。
イギリスには、過大評価されたポンドを支える実力がなく、9月20日に離脱に踏み切ったのです。
さて、投機筋は、次は日本の離脱が必至と読みます。
離脱すれば、円レートは暴落して、莫大な差益を得ることができるのです。
ニュースの翌日、内外の銀行、個人はドル買いのために正金銀行に殺到します。
井上は、悲壮な決意で公定歩合を引き上げて、投機筋に売り向かい徹底的に対抗します。
しかし、投機による急激な正貨流失は、金融を引き締め、
物価を下落させ、恐慌をさらに深刻化させるのです。
ドル買いの主力は三井、住友などの財閥でした。10月頃からこの事実がマスコミに取り上げられ、国民の財閥に対する批判が盛り上がります。社民青年団の20人が、銀行に乱入してビラを撒く事件などが起こります。
さて、一方の満州事変は、関東軍作戦参謀主任の石原莞爾(かんじ)と
高級参謀の板垣征四郎によって、1931年9月18日、独断で開始されます。
満鉄線路の爆破を自ら行い、中国軍の仕業にして、満州侵略を開始したのです。
まったく事前に相談を受けていない天皇と政府は、「不拡大方針」を発表します。
石原参謀の電撃作戦は、戦術的には大成功を収めます。朝鮮軍の独断の参戦も功を奏して、わずか5ヶ月で満州全土の制圧に成功します。
関東軍の兵士の出身母体は貧しい農村です。姉を売らざるを得ない農村の深刻な恐慌が、彼らの行動に影響したのは、間違いありません。
戦争が始まると、もう緊縮予算どころでなくなります。公債を発行して戦費をまかないます。
恐慌に沈み込んでいた国民は、優勢な戦局に熱狂します。
石原らを処罰できる状況ではありません。
◆◆「独断で戦争を始めても、結果がよければ英雄になれる」◆◆
◆◆ 石原莞爾の行動は、日本ファシズムの奔流を生み出す導火線になるのです。◆◆