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今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」_ 吉田清治の話はやっぱり事実だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/132.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 1 月 03 日 07:48:23: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 


今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」_ 吉田清治の話はやっぱり事実だった


経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」
http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html

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朝日新聞は吉田清治さんの強制慰安婦問題でインチキ調査を行った


・官邸から圧力がかかった。

・消費税軽減税率を新聞に適用して欲しかったので、官邸におべっかを使った。

・それで、朝日新聞は吉田清治さんの話が全羅南道でのできごとだったと良く知っていながら、わざわざ済州島だけで聞き取り調査した。

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慰安婦が本当の事を話さなかった理由

売春婦とその家族を蔑視し差別する儒教社会に生きる朝鮮女性は自分が慰安婦だったと言えない環境にあった。


朝鮮は儒教社会だから慰安婦の姉妹や娘は一生 売春婦以外の仕事はできなくなる

だから元慰安婦だったとわかると一家は路頭に迷う事になる

吉田清治はそういう朝鮮の事情を考慮して意図的に強制連行した日時と場所を変えて書いたんですね。

吉田清治は実際に強制連行した日時と場所を公表しろと何度も言われたけど、元慰安婦の身元がわかって本人や家族が迫害されると困るので、絶対に応じなかったのです。

アホ右翼は知らないみたいですが、吉田清治は済州島の慰安婦狩りの情景は、実際には全羅南道での出来事だったと言っているんですね。


▲△▽▼

〜二次加害者とならないために〜
日本人慰安婦の話と、元日本軍慰安婦に関する正確な知識 2015.1.14
http://kajipon.com/kt/peace-i.html

【日本人慰安婦の話〜橋下“維新の会”は聞け 美輪明宏】(2013年6月のライブドアニュースより)

今日はですね、橋下さんが発言しちゃって問題になっております、従軍慰安婦問題。
あれは若い方はトンチンカンで、何の話だか全然お分かりにならないんじゃないかと思いますね。10代後半20代30代の方なども。

従軍慰安婦というのはもう60年以上前の、つまり半世紀以上前の第2次大戦の戦争中のお話でしょう。

これでいろんなメディアが昔を語るという、終戦記念日に近くなると、よく昔の焼け跡だとか兵隊さんの話とか色々なものを聞いて、爆撃でやられた話とか、そういった人たちを取材した話ができますでしょう。

でも従軍慰安婦の人たちというのは、直の話を聞けないんですよね。

そして聞けるのは大体、韓国と中国の従軍慰安婦の人ばかりが取り上げられますけれども、日本人の従軍慰安婦の人たちもいたんですよ。いっぱいいたんです。
でもそういった人たちは何故取り上げないのかといったら、その人たちが、もう酷い目に遭ったんですね。

まず、私が何故そんなことを知っているかと言いますと、終戦後にその人たちが満州、つまり今の中国から引き揚げてきたんですね。

引き揚げてきて私長崎でございましょう、長崎には丸山遊郭という有名な、女郎さん遊女たちがいて売春する、そういう街があったんですね。

坂本龍馬なども遊んでいたような有名な所ですね、日本の3大遊郭という。

これが、戦争中に遊興の場所というのはカフェやバーも遊郭もみんな閉店させられて全部が商売営業停止になったんですよ。
そしてその人たちは行き場が無くなったんですね。

その人たちはどういう人たちが遊女になっているかというと、主に、人身売買が当たり前になっていた時代でしたから。

貧しい農家の娘さんとか、貧しい家の子供たちが、自分が売られていけばお父さんもお母さんも弟たちも飢え死にしないで済むからといって、女衒(ぜげん)と言われる人買いの人に話をしてもらって遊郭に身を売られて、身を売っていったんですね。
一家の犠牲になっている貧しいお嬢さんたちが多かったんです。

閉鎖されて行き場が無くなった時に、軍の出先機関で大政翼賛会(たいせいよくさんかい)という組織があったんです。

そこの人に声をかけられて、満州に良い仕事があるぞ。カフェとか遊郭があるから、そっちへ行って稼げばいいということで、そして喜んでそちらへ行ってみたらなんと、話が違って従軍慰安婦だったというんですね。

従軍慰安婦というのは街ならその街にずっと居着いて遊郭にいて、そして男の人たちの相手をするというだけではなくて、従軍慰安婦の人たちは「従軍」と言いますでしょう、軍に従うと書いてあって第一線を付いて周るんですね。

そして筵(むしろ)みたいなものを敷いて、筵みたいなものを立てて、コーリャンという麦よりももっと不味い穀物で作った真っ黒いおにぎりですけれど、私も長崎で食べたことがありますけれど、食べられた物じゃないです。

それを枕元に置いて食べながら、表には兵隊たちが木札をもってズラリと並んで、それを一人ひとり相手をして。

そして鉄砲の練習をさせられて、敵が来たら身を守るためといって銃の練習をさせられて、敵が押し寄せてきますでしょう、馬賊(ばぞく)とか匪賊(ひぞく)とか。
そうすると兵隊と一緒に戦うんですって。

戦って流れ弾に当たって死んだら、今度は日本婦人がそういうことをしていたというと恥になるからといって、モンペやなにかを脱がされて支那(しな)服に着替えさせられて、そして放り出されるんですって。

そして埋めてももらえない、焼いてももらえない、野ざらし雨ざらし。山犬の食い荒らすままになっていて。

そして終戦後引き揚げてくるときに、まず軍人の将校たちと家族がトラックに乗って逃げて、自分たちは置いてきぼりになったんですって。

他の移民団、開拓団の人たちと一緒になって、命からがら引き揚げてきて村に帰ったら、村の恥さらしとか面汚しとか言われて。

そして家へ帰ったら、自分はお父さんお母さん、一家のために売られて行ったのに、
「お前のやっていたことが世間様に知られたら、家の恥になる、出て行ってくれ。」と。

もうそれはどこに恨みを持っていったらいいのか、それは悲憤慷慨(ひふんこうがい)ですね。

それを行き場所が無いから、自分が従軍慰安婦だったというのを隠しているんですよ。

だから日本人の従軍慰安婦は一人も出てきませんでしょう。そういう事情があるんですね。

そして女郎屋さんが再開して進駐軍の兵隊たち相手に遊郭が復活したんですよ。
日本人は出入り禁止で、進駐軍だけのセックスの処理として遊郭がまた再開して、そこで働いていたんですね、また戻ってきて。

そこでも内地の女郎さんには白い目で見られて、さんざん馬鹿にされて、ところが3人の人たちはバラバラに引き揚げてバラバラのところにいたのだけれども仲良くなって、それでいろんな思い出話をするんです。

それを私は脇でじっと聞いていて「はぁー、どんなに辛いことだろう。」と思ったんですね。

それで私はもうものすごく頭に来ちゃって、義憤(ぎふん)に駆られて「祖国と女たち」という歌を作って。
今度のコンサートでも歌いますけれど。

みんな政府や右翼の人たちが怖くてその歌を歌わないし言いもしませんけれど、やはりそれはその人たちの供養のためにも表に出してあげることが必要だと思います。

ですからその辺を橋下さんは何にも知らないで、それで軽々しくあんなことを言ったり、また沖縄の兵隊たちも風俗を利用してやってくださいと、あんなことを言うべきじゃないんですよ。

一遍であの人のことを大嫌いになりました。
ですから、もっと人間には尊厳があるということを、維新の会の人たちはもっと知るべきだと思います。

●美輪明宏『祖国と女たち』(6分3秒)

  北は青森から 南は沖縄
  売られ買われて 今日も旅行く
  違うお国訛りで 慰めあいながら
  捕虜の女囚も 同じ仲間さ
  荒れ果てた肌に やせこけた頬
  今日も覚悟の最後の衣装
  万歳 万歳

  毎日百から二百 兵隊相手に
  朝日が昇り 月が落ちるまで
  いずれ死んでゆくことが 決まっている男
  虚ろに空を 見つめる女
  涙も渇れはて痛みもないさ
  そこには 神も仏もない
  万歳 万歳

  誰の子かわからぬ 赤子残して
  死んだ女やら 銃を片手に
  愛する若い兵士と散った女やら
  歌える女は 子守唄を唄う
  あまりの怖さに狂った女
  嫌な将校に斬られた女
  万歳 万歳

  男はなんていいんだろう羨ましいじゃないか

  死ねば死んだで 名誉の戦死とやらで
  立派な社に奉られるんだろ
  私も男に生まれていたら
  今ごろきっと勲章だらけ
  万歳 万歳

  戦に負けて帰れば 国の人たちに
  勲章のかわりに 唾をかけられ
  後ろ指さされて 陰口きかれて
  祖国の為だと死んだ仲間の
  幻だいて 今日も街に立つ
  万歳 万歳
  ニッポン 万歳
  大日本帝国 万歳 万歳 万歳

日本軍慰安所マップ
http://f.hatena.ne.jp/dj19/20130105195333

これほど広範囲に展開。話題なるのは中国、韓国のことばかりだけど、南方も大規模に設置されている。

【正確な知識を!〜元日本軍「慰安婦」をこれ以上傷つけてはならない】

●右派の「強制連行はなかった」論は国際社会に通用しない。“強制連行”の定義が日本と海外でまったく違うからだ。主張すればするほど日本の品位を貶める。

安倍氏ら極右政治家は「強制連行」の意味を「軍が無理やりトラックに詰め込み拉致すること」と考えている。そして「慰安婦募集の際に、仕事内容を“看護婦”“給仕”“工員募集”などと騙したのは朝鮮人の悪徳ブローカーであり、日本軍は関係ない」と主張している。

一方、国際社会の人権感覚では、日本軍管理下の慰安所に騙されて送られた女性が、自由を奪われ売春を強要されたことを「強制連行」と見なしている。嘘の募集広告で戦地へ連れてこられ、無理やり慰安婦にされた女性が「家に帰して」と懇願しても返さなかった。
つまり、「拉致の方法」が問題なのではなく、「どうして騙されて慰安所に連れて来られた女性を故郷に帰してあげなかったのか」と批判されているのだ(女性たちを前線まで移送したのは軍の船や車)。

極右政治家の強制連行否定は、海外から見れば、「確かに悪いことをやったが、方法はそこまで酷くない」と開き直っているように見え、だからこそ安倍氏ら保守グループが米国の新聞に「日本は強制連行していない」と意見広告を出したときに、アメリカ議会は「事態の深刻さを何も分かってない」と、それまで日本寄りだった議員までが呆れ、対日非難決議が可決されたのだ。

連行された方法が何であろうと、慰安所は軍の要請で設置された施設であり(軍医が性病を検査)、管理運営に軍が深く関わっていたことから非難を免れることはできない。レイプの言い訳が国際社会でどれほど恥ずべきことか安倍氏周辺は分かっていない。
※日本軍が各地域の有力者に「A村からは5人、B村からは8人の慰安婦を出させろ」と強要した事例も多く、これらも一種の強制連行といえる。


●元慰安婦の証言が変わる理由

保守系ブログなどで「元慰安婦は証言内容がコロコロ変わる。だからでっちあげだ。賠償金目当てだ」という聞くに堪えないことを言う人がいる。彼女たちの名誉のために社会背景を説明し弁護したい。

韓国は一族の名誉、家名を非常に重んじる儒教社会であり、身内から元慰安婦が出れば大きな恥辱となる。元慰安婦の多くは、「看護婦募集」「ウエイトレス募集」というニセ広告に騙されて戦地で性交を強要され、明らかに被害者であるのに、“日本兵の慰み者となった”と理不尽な汚名を背負わされた。戦後、差別を恐れて社会から身を隠すように生きてきた元慰安婦が、近年になって自らの過去を語り始めたのは、日本の一部保守政治家が「慰安婦などいなかった」「いたとしたら売春婦」と言い始め、それに深く傷つき、また激怒したからだ。

元慰安婦たちは勇気を出し、「私が証拠」「日本政府に謝って欲しい」と主張したが、元慰安婦であることをカミングアウトすることは、80年代、90年代の韓国社会において侮蔑対象になることだった(今では理解が進み“犠牲者”と認識されている)。だからこそ、当初は韓国社会からのバッシングを恐れて、“同情して欲しい”という思いから、証言内容がより悲劇性を強調するものになった人がいた。また、地名や日時に記憶違いがあるのは、半世紀以上も昔のことをご高齢の方が思い出しているためで、人間なら誰でも起こりえること。それらを何ら考慮することなく、「Aという証言とBという証言のここが違うから、この話は全部ウソ、そしてこの慰安婦はニセモノだ!」と糾弾するのは無情すぎる。
※そもそも若い女性が出稼ぎに追い込まれた朝鮮半島(特に農村地帯)の貧困は、日本による農地収奪が原因だ。都会でも経済を握っていたのは日系企業。保守“有識者”の中には「仕事で慰安婦を選んでおいて被害者ヅラするな」と言う人物も多いが、その意見は彼女たちが騙されて慰安婦にされたことをスルーしているうえ、なぜ彼女たちが日本の支配下でそこまで貧困に苦しんでいたのか歴史を理解していない。

●自分で証拠資料を焼いておいて「資料はない」と主張する恥ずかしさ

日本政府や軍は、降伏前に戦争犯罪の証拠となるような機密文書や命令書を徹底的に焼却した。これは歴史的事実。保守論客は「強制連行の証拠を出せ」というが、証拠を大量に隠滅しておいてそれを言うのは、同じ日本人として勘弁してほしい。廃棄しきれなかった関係資料は見つかっているし、河野談話の後も様々な資料が発掘されている。

●「元慰安婦は高給」という非難の愚かさ

確かに彼女たちはお金を受け取ったが、それは日本軍が現地通貨を廃して作った独自通貨=“軍票”であり、それはすべて敗戦と共に紙クズになった。しかも、この言い方ほど元慰安婦を侮辱するものはない。想像して欲しい。もしあなたが給仕や工員募集に応募したのに戦地へ連れて行かれ、性交を毎晩15〜20人も強要され(水木しげる氏は“80人”も目撃している)、「金をやるんだからいいだろ」と、札束で頬を叩かれる扱いを受けて納得できるのかと。

1942年9月時点の陸軍専用慰安所は約400カ所。これらは軍当局の要請により設営された。慰安婦たちは心身がボロボロになっても「廃業の自由」がなく、また故郷に帰りたくても軍の監視下にあり脱出できず「移動の自由」もなかった。これは国際社会では「奴隷状態」と認定される境遇であり、世界の人権感覚ではまさに“性奴隷”そのものだ。元慰安婦の人に二次加害を加えることは、人として許されない。

※水木しげる氏は出征先ニューギニアの出来事をこう記している。

「敵のいる前線に行くために、「ココボ」という船着場についた。ここから前線へ船が出るのだ。そういうところには必ずピー屋がある。ピー屋というのは女郎屋のことである。(略)ピー屋の前に行ったが、何とゾロゾロと大勢並んでいる。日本のピーの前には百人くらい、ナワピー(沖縄出身)は九十人くらい、朝鮮ピーは八十人くらいだった。これを一人の女性で処理するのだ。僕はその長い行列を見て、一体いつできるのだろうと思った。一人三十分としてもとても今日中にできるとは思われない、軽く一週間くらいかかるはずだ。しかし兵隊はこの世の最期だろうと思ってはなれない、しかし…いくらねばっても無駄なことだ。僕は列から離れることにした。

そして朝鮮ピーの家を観察したのだ。ちょうどそのとき朝鮮ピーはトイレがしたくなったのだろう、小屋から出てきた。とてもこの世のこととは思えなかった。第一これから八十人くらいの兵隊をさばかねばならぬ。兵隊は精力ゼツリンだから大変なことだ。それはまさに「地獄の場所」だった。兵隊だって地獄に行くわけだが、それ以上に地獄ではないか。と、トイレに行った朝鮮ピーを見て思った。よく従軍慰安婦のバイショウ(賠償)のことが新聞に出たりしているが、あれは体験のない人にはわからないだろうが…やはり「地獄」だったと思う。だからバイショウはすべきだろうナ」。(その後、彼女たちは病院船で移動する際に潜水艦にやられ全員死亡したとのこと。賠償することさえ不可能になった)

●「慰安婦問題は朝日新聞が最初に焚き付けた」はウソ。読売新聞の方が先。

保守論客は「慰安婦問題は朝日新聞が捏造した」「植村隆記者の誤報が騒ぎの発端」と触れ回っているが真っ赤な嘘。朝日の記事は1991年。だがそれより4年前の1987年8月14日に「読売新聞」が次の記事を掲載している→


「従軍慰安婦とは、旧日本軍が日中戦争と太平洋戦争下の戦場に設置した「陸軍娯楽所」で働いた女性のこと。昭和十三年から終戦の日までに、従事した女性は二十万人とも三十万人とも言われている。/「お国のためだ」と何をするのかも分からないままにだまされ、半ば強制的に動員されたおとめらも多かった。/特に昭和十七年以降「女子挺身隊」の名のもとに、日韓併合で無理やり日本人扱いをされていた朝鮮半島の娘たちが、多数強制的に徴発されて戦場に送り込まれた。彼女たちは、砲弾の飛び交う戦場の仮設小屋や塹壕(ざんごう)の中で、一日に何十人もの将兵に体をまかせた。その存在は、世界の戦史上、極めて異例とされながら、その制度と実態が明らかにされることはなかった」。

(参考リンク)
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20120813/p1

また、慰安婦問題の誤報について朝日が大バッシングされているが、吉田清治氏が済州島で行った調査報告がデマというのは、ずっと前から多くのリベラル派の共通認識であり、吉田報告を論拠に強制連行を批判する人間は近年ではほぼ皆無。朝日は誤報と気付いた点でもっと早く謝罪・訂正すべきだったし、お陰で「強制連行は捏造だった」と右翼が大々的に宣伝することで、武力による強制連行事件(スマラン事件など)までなかったかのような誤解が若者の間に広まっているのは大問題。

※スマラン事件(白馬事件)…直接日本軍が女性をトラックに詰め込んで慰安婦にした事件。1944年2月、インドネシアの民間抑留所にトラックで乗り付けた軍人たちは、17歳以上の独身オランダ人女性を整列させ、16人の少女をジャワ島スマラン慰安所に連れ去った。彼女たちは高級将校専門の慰安婦にされ、軍刀で脅迫され暴行を受けた。戦後の戦犯法廷で、当事者の大久保大佐が公判中に自殺、池田大佐が発狂、岡田少佐は死刑、能崎中将が懲役12年となる。事件当時、日本の第16軍上層部はスマランの該当慰安所を閉鎖し少女たちを親元へ帰した。この一例だけでも安倍氏が賛同した意見広告「日本軍による強制連行を裏付ける資料はなく…」は誤りだ。

●河野談話は聞き取り調査や吉田報告と無関係〜安倍氏も知らなかった事実が国会で判明

これまで安倍氏は、国会で「河野談話の根拠の大半は吉田清治氏の虚偽報告」と発言してきた。また、保守論客は「河野談話は“16人の元慰安婦の聞き取り調査”と怪しい吉田報告から作成され根拠に乏しい」とバッシングしてきた。だが、2014年10月3日の衆院予算委員会で、河野談話はそれらと無関係であり、関係省庁における関連文書、米国国立公文書館の文書、軍関係者や慰安所経営者等各方面への聞き取り調査、証言集の分析などの結果から作成されたと判明した。

《ポイント要約》

辻元「吉田清治氏の証言が河野談話の内容に影響を及ぼしたことはないという理解でいいか」

菅「河野談話の作成過程の中で政府は吉田清治氏から聞き取り調査を行った。その結果、同氏の証言は、客観的事実と照らしてつじつまが合わなかった、他の証言者の証言と比較して信用性が低かったところから河野談話に反映されなかった」

辻元「総理も同じ認識か」


安倍「官房長官が答弁したとおり」

辻元「河野談話は元慰安婦の聞き取り調査が根拠になったのではない。関係省庁における関連文書、米国国立公文書館の文書や、それから軍関係者や慰安所経営者等各方面への聞き取り調査、それから証言集の分析などで出た結果であり、16人の元慰安婦の聞き取りが根拠になったものではない、ということでよろしいか」

菅「報告書のとおり、河野談話の原案は、元慰安婦からの聞き取り調査の終了前に、それまでに日本政府が行った関連文書の調査結果等に基づいて既に作成をされていた」

辻元「総理も同じ認識か」

安倍「聞き取り調査が根拠だと思っていたけど違った」

衆議院予算委員会 平成26年10月3日


●いつまで過去の罪を謝罪せねばならぬのか?

その意見に答えるならば、最低でも安倍氏のように戦争犯罪を否定する人物が国家の中心にいるうちはダメだろう。極右政治家が何万票も集めている時点で「日本人は反省してない」と受け止められる。「慰安婦問題は日韓基本条約で解決済み」という意見も論点ずらしというか、韓国が個別請求権を放棄した日韓基本条約は1965年に締結されたが、慰安婦問題が浮上したのは1992年。これほどの人権侵害を“後から分かった”から黙殺というのは非情すぎる。心の傷が大きすぎ、そして差別されるのが怖くて被害を名乗れなかっただけなのに…。

※国家間で信頼を得るためには長い時間が必要だけど、失うのは一瞬。政府がお詫びした後に右派議員が「日本は悪くない」と開き直ると、謝罪が台無しになる。またゼロからのスタート、否、マイナスからのスタートになってしまう。安倍一派や石原一派が、戦後日本が何十年もかけて築き上げた中韓との(それなりにあった)信頼関係をすべてブチ壊した罪は重い。その上、国連からも米国からもお灸をすえられ、日本の対外的な信用を傷つけている。

米国紙に意見広告「慰安婦はでっちあげ」を出した“有識者”と政治家

  

2007年『ワシントン・ポスト紙』、2012年『スターレッジャー紙』に、櫻井よしこ、西村幸祐、藤岡信勝などウルトラ保守“有識者”が「歴史事実委員会」の名で、「慰安婦問題はでっちあげ」「日本軍による強制連行を裏付ける資料はなく、発見された公文書によれば強制募集や誘拐を禁じていた」と意見広告を掲載し、安倍氏は“賛同者”として名を連ねた。これは河野談話が指摘した「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」という内容を否定するもの。冗談ではない。

意見広告に書かれた「女性を意思に反して強制して働かせることのないよう民間業者に警告する文書が多数発見された」について、該当の公文書(陸軍通牒2197)を調べてみると、これは民間業者を対象に書かれたものではなく、陸軍省から北支方面軍・中支派遣軍あてに出された指示文書であって、保守論客が主張する「民間業者に警告する文書」ではない。どこにも、違法な業者を「厳罰にすると警告している」箇所や、「誘拐に類する募集方法を明確に禁止」した箇所はなく、よくこんなウソを櫻井よしこら保守“有識者”は米国紙に掲載したもの。※リンク先で詳細に論破。

ネットでは安倍氏に代表されるような「慰安婦問題はでっちあげ」とするグループに、証拠を集めて冷静に反論を試みているサイトも多い。特に説得力があるのはコチラ。戦後の旧日本兵の回想記ではなく、戦時中にリアルタイムで記録された生々しい兵士の手記を数多く紹介している。戦後の回想でも慰安婦問題が国際問題化する前に書かれたものが中心。衝撃的なのは、慰安所の劣悪な環境だけでなく、大量の“日本人慰安婦”の存在だ。彼女たちは日本国内から日本人ブローカーに騙されて慰安所に送られた。室町時代や江戸時代の話ではなく、ほんの数十年前の話だ。戦後になるまで、日本ではこのように奴隷交易同然のことが国家ぐるみで行われていた。従軍慰安婦の問題は韓国との関係で語られがちだけど、もっと広範囲な女性全体の人権問題として捉え直すべきものと痛感。また、日本人相手でも平気で騙すような違法ブローカーであり、相手が朝鮮人であればもっと酷い騙し方をしたであろう。

日本兵の振るまいについて、陸軍軍医・早尾乕雄中尉が1939年に書いた報告書『戦場に於ける特殊現象と其対策』を現代文に訳。「出征者の性欲を長く抑制させることは、中国人女性への暴行に繋がると気をきかせ、兵站(へいたん、補給機関)が中国にも早速に慰安所を開設した。主な目的は性の満足により将兵の気分を和らげ、皇軍の威厳を傷つける強姦を防ぐことにあった。それでも地方での強姦数は相当あり、また前線でも多く見かける。内地(日本列島)では到底許されぬことが、敵の女だから自由になるという考えが非常に働いているために、中国の娘を見たら憑かれたようにひきつけられて行く。従って検挙された者は不運なだけで、陰にはどれ程あるか解らぬと思う。部隊長は兵の士気昂揚のためと見て知らぬ振りを通したことさえあった。

日本の軍人はなぜゆえこの様に性欲の上に理性が保てないかと、私は大陸上陸と共に直ちに痛嘆し、戦場生活1年間を通じて終始痛感した。しかし、軍当局はあえてこれを不思議とせず、さらにこの方面に対する訓戒は耳にしたことがない。軍当局は軍人の性欲を抑える事は不可能だとして、中国の女性を強姦せぬ様にと慰安所を設けた。だが、強姦は非常に盛んに行われ、中国の良民は日本軍人を見れば必ず怖れた。将校は率先して慰安所へ行き、兵にもこれをすすめ、慰安所は公用と定められた。心ある兵は慰安所の実態(女性を騙して連れてきた)を知って、軍当局を冷笑していた位である」。

★米紙「慰安婦」否定意見広告に賛同した国会議員(昨年11月当時)

2012年米国紙に「慰安婦問題はでっちあげ」意見広告を出した国会議員リスト39名。こういう議員のせいで「日本は戦争を反省してない」と言われ続け国益を損なってる。4閣僚(下村博文、稲田朋美、古屋圭司、新藤義孝)のほか内閣官房副長官の世耕弘成氏、首相補佐官の衛藤晟一氏や自民党政調会長・高市早苗氏も賛同している。情けないことに民主党議員の名前も…。

【民主党/当時】柴崎正直(岐阜)、田村謙治(静岡)、花咲宏基(岡山)、福島伸享(茨城)、松原仁(東京)、三浦昇(山口)、向山好一(兵庫)、吉田泉(福島)、渡辺周(静岡)、金子洋一(神奈川/参)。長尾敬(大阪)は署名後に自民党へ!11名。

【自民党】安倍晋三(山口)、伊東良孝(北海道)、稲田朋美(福井)、金子恭之(熊本)、北村誠吾(長崎)、下村博文(東京)、新藤義孝(埼玉)、北村茂男(石川)、高市早苗(奈良)、竹本直一(大阪)、古屋圭司(岐阜)、松野博一(千葉)、山本有二(高知)、塚田一郎(参・新潟)、西田昌司(参・京都)、山谷えり子(参・比例)、山本順三(参・愛媛)、義家弘介(参・比例)、上野通子(参・栃木)、江藤晟一(参・比例)、岸宏一(参・山形)、岸信夫(参・山口)、有村有子(参・比例)、磯崎仁彦(参・香川)、熊谷大(参・宮城)、世耕弘成(参・和歌山)の26名。

【維新】
平沼赳夫(岡山)、中山恭子(参・比例)

頭が痛いのは、この広告に安倍氏が賛同署名をしたのは自民党総裁になってからのこと。これが国際的にどういうメッセージになるか。安倍氏を批判する動きは自民内部に見えない。このままでは自民の公式見解は「日本軍は“詐欺”や“人身売買”を見て見ぬ振りしていたが、強制連行じゃないから謝罪しない。それが“美しい国”!」という開き直りになる。勘弁して欲しい。

でも状況を前向きに考えることも出来る。自民党は衆参両院で当時201人の議員がいたのに、賛同者は24人に過ぎなかった。9割の議員はサインしていない!それは希望だ。
※国連人権委員会「日本軍の慰安所制度は1926年の奴隷条約における国際慣習法に違反する性奴隷制度であり、女性への著しい人権侵害である」。

※保守論客はよく「現代の価値観で当時を裁くな」と言うけど、当時の価値観から見ても慰安婦制度は刑法第226条及び第227条、民法第90条、娼妓取締規則、婦女・児童売買を禁ずる国際条約、奴隷条約(1926)、強制労働条約第29号(1930)などに違反している。

『日本の戦争責任資料センター』の見解を紹介

安倍氏をはじめ極右の政治家たちは、「慰安婦」の強制性を否定する発言を何度も繰り返し、いまだに心身の傷が癒されることのない元「慰安婦」の方々をさらに苦しめている。“日本の戦争責任資料センター”は、1993年の創設以来、日本の戦争犯罪・責任について資料調査と研究を積み重ね、これまでの研究蓄積を踏まえた『日本軍「慰安婦」問題に関する声明』を2013年6月9日に発表した。以下はその要約。※若い人でも理解しやすいよう、難しい言葉は置き換えて一部を再構成。

(1)日本軍「慰安婦」制度に関する旧陸海軍や政府関係資料は、1993年の河野談話の発表以降も数多く発見され、その多くが公表されている。慰安婦制度は旧日本陸海軍が発案し、慰安所設置の計画立案、業者の選定・証明書発給・資金の世話、徴集する女性の人数の算定、女性集め、女性の輸送、慰安所の使用規則・料金の決定など慰安所の管理、物資の提供など、全面的に軍が監督・統制した。そして日本軍の占領地であった中国、東南アジア、太平洋諸島、さらには沖縄など日本軍駐留地の殆どで慰安所を開設し、そこに女性を送り込んでいった。また外務省、内務省、朝鮮・台湾総督府など国の多くの機関も深く関与した。これほどの地域的広がりと規模の大きさ、組織性は、他国の軍には見られない特徴である。

(2)極右政治家は日本軍「慰安婦」制度と同じような制度が世界の各国にもすべてあったかのように主張しているが、その根拠を示す資料はまったく提示されていない。これまでの研究では、第二次世界大戦時において日本軍「慰安婦」制度のような国家による組織的な性奴隷制を有していたのは、日本とナチス・ドイツだけであった。当時、公娼制のなかったアメリカや、公娼制を廃止していた国(英国など)が多く、将兵が民間の売春宿を利用することはあったとしても、軍が組織的に管理運営することは許されない国が多かった。諸外国の軍人による性暴力もあったが、それは「慰安婦」制度とは別のものであり、それらを混同させて、日本軍「慰安婦」制度を免罪することはできない。

(3)「慰安婦」にされた女性の被害について、日本の裁判所は既に複数の判決を出し事実認定を行なっている。たとえば、「日本軍構成員によって、駐屯地近くに住む中国人女性(少女も含む)を強制的に拉致・連行して強姦し、監禁状態にして連日強姦を繰り返す行為、いわゆる慰安婦状態にする事件があった」(中国人「慰安婦」第一次訴訟、東京高裁判決2004.12.15)と、強制的な拉致・連行を事実認定している判決も出されている。あるいは「原告は、その慰安所の営業許可直前、泣いて抗ったが、軍医による性病検査を受けさせられ、営業許可後は、意に沿わないまま従軍慰安婦として日本軍人の性行為の相手をさせられた。原告がいやになって逃げようとすると、そのたびに慰安所の帳場担当者らに捕まえられて連れ戻され、殴る蹴るなどの制裁を加えられたため、原告は否応なく軍人の相手を続けざるを得なかった」(在日韓国人裁判、東京地裁判決1999.10.1)と、慰安所における強制と人権蹂躙を事実認定した判決も出されるなど司法が認めている。

(4)日本軍「慰安婦」とされた女性のうち、日本本土の女性や、植民地であった朝鮮・台湾の女性は、売買され、だまされたりなどして国外へ連れていかれ、慰安所で本人の意思に反して使役された。これは、人身売買や誘拐にあたり、また当時の刑法でも「国外移送目的誘拐罪」「国外移送目的人身売買罪」「国外移送罪」と呼ばれる犯罪に該当した。その実行は、主として植民地の総督府または軍の選定した業者などが直接行なったが、人身売買や誘拐などの事実を憲兵や軍医をはじめ軍が知らなかったとは考えられない。
被害女性たちへの「強制」の問題を、官憲による暴力的「拉致」のみに限定し、強制はなかったとする主張は、「国外移送目的誘拐罪」「国外移送目的人身売買罪」「国外移送罪」など刑法上の犯罪を不問に付し、業者の行為や女性たちの移送が、軍あるいは警察の統制下にあったという事実を見ようとしない議論である。慰安所の生活の中で、自殺に追い込まれたり、戦火に巻き込まれて死亡した女性たちも少なくなかった。

(5)日本政府は北朝鮮による拉致の認定にあたっては、暴力的に連行されたか、甘言によって連行されたかの区別なく、ともに「拉致」と認定している。しかも暴力的に連行せよとか、強制連行しましたという公文書なしに、証言などに基づき認定している。この認定は妥当なものであると私たちは考える。これに照らし合わせてみれば、「慰安婦」問題についてのみ暴力的な連行だけが問題であるかのように矮小化するのは、ダブルスタンダードでしかない。重要なことは連行時における暴力ではなく、連れて行かれた慰安所における強制と性暴力、人権蹂躙である。

(6)日本軍「慰安婦」とされた女性たちのうち、(主に朝鮮以外の)中国・東南アジア・太平洋地域の女性たち(インドネシアで抑留されたオランダ人女性を含む)は、人身売買だけでなく、日本軍に脅された地域の有力者から、「人身御供」として提供され、あるいは日本軍や日本軍支配下の官憲によって直接拉致されて慰安所に入れられるケースも多かった。慰安所に入れられた女性たちは強制使役された。

(7)戦前の日本にあった公娼制度は事実上の奴隷制度であった。公娼とされた女性は廃業の自由と外出の自由は法令上認められていたが、その事実は当人に知らされなかったし、前借金(ぜんしゃくきん)を返さなければならないため廃業できなかった。こうした公娼制度に対して、「人身売買と自由拘束の二大罪悪を内容とする事実上の性奴隷制なり」と厳しく批判し、公娼制廃止を求める県会決議は22 県で採択され、公娼制を廃止した県も15県にのぼっていた。国際社会からも批判を受けて内務省警保局は1935年には公娼制廃止案を提案するようになっていた。「慰安婦」は公娼と同じだから問題ないというような議論は、女性の人権が認められていなかった戦前期における政治家に比べても、人権意識が著しく欠如していると言わざるを得ない。

そして日本軍の「慰安婦」制度は、居住の自由はもちろん、廃業の自由や外出の自由すら女性たちに認めておらず、慰安所での使役を拒否する自由をまったく認めていなかった。故郷から遠く離れた占領地に連れて行かれたケースでは、交通路はすべて軍が管理しており、逃亡することは不可能だった。公娼制度を事実上の性奴隷制度とすれば、日本軍「慰安婦」制度は、より徹底した露骨な性奴隷制度であった。

(8)当時、こうした女性への人権侵害は、国際法によっても禁じられ、日本は締約国としてそれらの条約に加入していた。「婦人・児童の売買禁止に関する国際諸条約」(1921)は、「詐欺により、または暴行、脅迫、権力乱用その他一切の強制手段」をもって女性を性的業務に就かせることを禁止していた。「慰安婦」にされた女性の中には高い比率で未成年の少女がいたが、未成年の場合は、たとえ「本人の承諾を得たるときといえども」それを「犯罪」として明記していた。さらに、これらの「犯罪」が起こらないよう、日本を含む各締約国は予防をはかり、もし「罪を犯す者」があれば「捜索しかつこれを処罰する」ことを約束している。これらの諸条約は今も消滅しておらず、日本は条約下にある。「慰安婦」制度は、当時も今も犯罪であり、公的立場にある者が、日本国民が性的犯罪を容認しているかのように放言することは、国際社会のみならず、国民全体に対する侮辱というほかない。

(9)国連の拷問禁止委員会は、2013年5月31日に日本国に対し、

●「慰安婦」とされていた被害者の救済のために、性奴隷制の犯罪について法的責任を認めること

●公的人物などが「慰安婦」が受けた被害事実を否定する言動を繰り返していることによって再び精神的外傷を受けていることについて国として反論すること

●関連資料を公開し事実を徹底的に調査すること

●被害者の救済を受ける権利を確認し、それに基づいて効果的な救済と賠償を行うこと

●この問題について公衆を教育し、あらゆる歴史教科書にこれらの事件を記載すること
などを求めている。また社会権規約委員会は5月17日に日本政府に対して、「『慰安婦』に対するヘイトスピーチを防止するため、締約国が『慰安婦』の搾取について公衆を教育するよう勧告」している。

(10)日本政府は、日本軍「慰安婦」問題について既に謝罪済みと弁明している。たしかに「アジア女性基金」を受け取る元「慰安婦」の方々に、その時々の首相が署名し、「心からおわびと反省の気持ちを申し上げます」と記した手紙が渡された。しかし、この手紙は、法的責任と賠償責任を否認した上で、「道義的な責任」しか認めていない。日本政府の用語法で「道義的な責任」とは、法的責任への否認を暗に含んだ軽い責任を意味する。いったん「内閣総理大臣の手紙」を受け取ったのち、表面的な謝罪にすぎないことに気づき、元「慰安婦」が日本大使館に手紙を突き返した事例もある。元「慰安婦」の方々に不十分であれ謝罪の意を示している河野談話を見直そうとする動きは、そうした「道義的責任」をも否定しようとするものであり、とうてい認めることはできない。

(11)上記「内閣総理大臣の手紙」は、「おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝える」とも記している。しかし、かつて中学教科書のすべてに記載されていた日本軍「慰安婦」の記述は、現行の教科書から全部なくなっている。安倍首相をはじめ現在の政府・自民党の要職についている少なくない政治家が、当時、歴史教科書から日本軍「慰安婦」の記述を削除させ、あるいはそうした記述のある教科書を学校で使わないようにさせる運動を支援してきたことは周知の事実である。日本政府は「内閣総理大臣の手紙」で表明した約束さえ履行していないのである。

(12)朝鮮戦争において韓国軍が「慰安婦」制度を持っており、韓国政府がそれを米軍にも提供したことがわかっているが、当時の韓国軍の幹部の多くは旧日本軍あるいは日本のかいらい軍であった旧満州国軍の将兵、つまり対日協力者たちだった。旧日本軍の経験が韓国軍に持ち込まれたと言える。これは日本軍の弊害が韓国軍に伝わってしまったということであり、その原因は日本軍にあったことも認識しなければならない。

(13)「従軍慰安婦」という言葉が当時なかったという理由で、「慰安婦」の存在自体を否定しようとする議論が今もなされている。しかし当時の軍の文書においても「慰安婦」「軍慰安所従業婦」「軍慰安所」などの言葉が使われていた。従って、日本軍部隊のために設置された慰安所に拘束された女性を、「従軍慰安婦」あるいは“ 日本軍「慰安婦」” という言葉で表すことは何ら問題ではない。

(14)安倍内閣は、1993年の河野談話の調査結果発表までに「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」(2007.3.16) と答弁書を出し、その後もそうした資料がないことのみを強調する政府見解をくりかえしている。こうした答弁は、1993年時点で存在のわかっていたスマラン事件関係資料や、強制的な連行を示す東京裁判検察側証拠書類などを無視した不当な答弁であり、もしそのときの政府調査にそれらの資料が含まれていなかったとすれば、政府調査のずさんさを示すものでしかない。さらに1993年以降、数多くの関係資料が発見公表されているが、それらの成果をまったく無視するものである。

国連拷問禁止委員会の勧告にあるように、日本政府は徹底した資料調査をおこなうべきである。それをせずに、上記のような答弁を繰り返す行為を拷問禁止委員会は厳しく批判している。橋下市長や安倍首相をはじめとする自民党、維新の会、その他の政治家たちの暴言、妄言が、人権意識を欠落させたものであり、深刻な被害を受けている元「慰安婦」の女性たちをさらに一層傷つけるものであることに鑑み、そうした暴言を直ちに撤回し、人権蹂躙を恥じない政治家は直ちに公職を辞任すべきである。私たちは、橋下市長や安倍首相らが流した誤った「事実」認識が正され、上記の事項が日本内外の人びとによって正しく認識され、日本軍「慰安婦」問題が根本的に解決されることを強く願うものである。

過去の反省と愛国心は両立する。これ以上、偽りの歴史で被害者を傷つけることはやめよう。僕は、竹島は日本の領土だと思っているし、中国共産党政府のチベット弾圧に反対しているけど、元慰安婦に関してはあまりに日本政府の対応は“情”がなさ過ぎる。早く東アジアに真の和解が訪れますように。


★慰安婦問題のおすすめサイト『忘却への抵抗、未来の責任』
http://fightforjustice.info/?page_id=301


http://kajipon.com/kt/peace-i.html


 

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コメント
1. 中川隆[-10364] koaQ7Jey 2019年5月10日 10:22:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1738] 報告

従軍慰安婦・南京大虐殺等の戦争犯罪の証拠になる公文書を米軍の占領前にすべて焼却させた元法相 奥野誠亮


敗戦時の公文書大量焼却事件の主犯は奥野誠亮である。

2016-11-27
史上最悪の証拠隠滅犯の死
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/11/27/141537


16日、奥野誠亮(元内務官僚・衆院議員・文相・法相)が死んだ。103歳だという。よくもしぶとく生き延びたものである。


朝日新聞(11/18):

奥野誠亮さん死去 文相・法相を歴任

(略)1963年、自治事務次官を経て、旧奈良全県区から衆院議員に初当選した。衆院議員を13期務めた後、2003年に90歳で引退した。国土庁長官だった88年、日中戦争について「日本に中国侵略の意図はなかった」と発言し、国内外で批判を浴び、同長官を辞任した。

毎日新聞(11/17):

奥野誠亮さん死去 筋金入りの保守派、ミスター内務省

(略)1938(昭和13)年入省。地方局事務官として戦争終結方針策定に当たり、内務省解体も体験し、自治事務次官から政界入り。連続当選13回で文相、法相、国土庁長官を歴任し、卒寿(90歳)で引退した。

 閣僚としての歴史認識をめぐる発言で時に物議をかもしたこともあったが、真骨頂は「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の会長としての活動と、自主憲法制定を求める運動。自著の回顧録のタイトル「派に頼らず、義を忘れず」をそのままモットーに万事に生涯無派閥を貫き「保守のバックボーン」ともいわれた。

 大いに存在感を発揮し筋金入りの右派だったが、決して硬直した右派ではなく、リベラルにも寛容な議論好きだった。(略)

 
朝日も毎日も、訃報でこの男の最も重大な「業績」を伝えていない。こちらは歴史を作ってきたどころか、貴重な歴史史料を抹殺し、正しい歴史認識の構築を妨害し続けてきた証拠隠滅犯なのだ。

読売新聞(2015/8/11):

占領前文書焼却を指示…元法相 奥野誠亮さん 102

(略)

 「総理(鈴木貫太郎首相)は戦争の終結を固く決意している。ついては内務省で戦争終結処理方針をまとめてもらいたい」。1945年8月10日朝、迫水久常・内閣書記官長から、内務省に極秘の要請があった。

 そこで、灘尾弘吉内務次官の命を受け、内務省地方局戦時業務課の事務官(現在の課長補佐クラス)だった私が各省の官房長を内務省に集め、終戦に向けた会議をひそかに開いた。

(略)

 もう一つ決めたことは、公文書の焼却だ。ポツダム宣言は「戦犯の処罰」を書いていて、戦犯問題が起きるから、戦犯にかかわるような文書は全部焼いちまえ、となったんだ。会議では私が「証拠にされるような公文書は全部焼かせてしまおう」と言った。犯罪人を出さないためにね。

 会議を終え、公文書焼却の指令書を書いた。ポツダム宣言受諾のラジオ放送が15日にあることも聞いていたので、その前に指令書を発するわけにはいかないが、準備は整っていた。

(略)

 15日は、正午の玉音放送の直後、私を含む内務省の4人で分担し、全国の地方総監府に公文書焼却の指令書を持って行った。

(略)

 奥野さんは鹿児島で特別高等警察(特高)課長などを務め、内務省に戻ると、公文書焼却の極秘作業に深くかかわるなどして終戦を迎えた。32歳だった。

 強く印象に残っているのは、自身が時折敬愛の念を込めて「天皇さん」と呼ぶ、昭和天皇の姿だという。

 「天皇さんはマッカーサー(連合国軍最高司令官)に対し、飢えた国民を救ってくれと求めた。そして、全国を歩き回り、我慢してくれと国民に呼びかけた。あの行動が、日本が再起する機会の一つになった」

 戦後は保守政治家になり、1世紀余を生きてきた奥野さん。「二度と戦争をしないのは大事なことだ」と平和の尊さを訴えている。

この国では、国家的重大犯罪の証拠を大量に抹殺した隠滅犯がそれをまるで手柄のように自慢げに語るばかりか、御用マスコミが当たり前のようにそれを紙面に載せて疑問も示さない。

奥野はさらに具体的な内容を1960年の座談会で語っている。


高文研 @koubunken
奥野誠亮死去。奥野ら旧内務官僚が1960年、総務省の自治大学校史料編集室で行った、8月15日・16日前後の公文書焼却をはじめとする敗戦処理について語り合った座談会の一部抜粋。(『ドキュメント 横浜事件』高文研刊から転載) pic.twitter.com/37kkqb2ddC
14:22 - 2016年11月18日

奥野 僕が思い出すのは、十五日の何日か前に、終戦処理の方針をきめなければいけないので……これは入江さんから伺ったのです、終戦になるのだと。(略)

 そのほか公文書は焼却するとかといった事柄が決定になり、これらの趣旨を陸軍は陸軍の系統を通じて下部に通知する。海軍は海軍の系統を通じて下部に通知する。内政関係は地方総監、府県知事、市町村の系統で通知するということになりました。これは表向きには出せない事項だから、それとこれとは別ですが、とにかく総務局長会議で内容をきめて、陸海軍にいって、さらに陸海軍と最後の打ち合わせをして、それをまとめて地方総監に指示することにした。十五日以降は、いつ米軍が上陸してくるかもしれないので、その際にそういう文書を見られてもまずいから、一部は文書に記載しておくが、その他は口頭連絡にしようということで、小林さんと原文兵衛さん、三輪良雄さん、それに私の四人が地域を分担して出かけたのです。それが何日に出発したかは覚えていないのですが……。

入江 十六日だと思います。

奥野 そのときわざわざ運輸省からパスまでもらって、上陸してきたのとぶつかったらこうこうしろということまで話し合いをして、各人が地域を分担して出かけていった。その結果軍の持っている物資が流され、文書は焼いてしまうということになった。(略)

奥野が主導したこの焼却決定の結果、ありとあらゆる犯罪の証拠が闇に葬られた。


能川元一 @nogawam
奥野誠亮が「焼いたw」と(いまだに)自慢話として証言している敗戦時の公文書隠滅だが、隠滅された文書の中には、日本軍「慰安婦」の総数や南京事件での捕虜殺害規模をいまよりは正確に推定する材料となったはずの文書が含まれていた可能性が極めて高い。
17:15 - 2015年10月19日


昼寝猫 @tcv2catnap
霞ヶ関のみならず中国、満州でも書類焼きまくった。特に東條内閣機密費や関東軍謀略の原資となった、アヘンな。大日本帝国最大級の外道官業の実態が闇に。
2:11 - 2016年11月19日

堀家康弘 @kounodanwawoma1
朝鮮総督府では敗戦直後に一週間もかけて、念入りに証拠文書が燃やされている。奥野元法相によれば「犯罪者を出さないため」
つまり、犯罪行為の隠滅がなされたのである。
14:36 - 2016年1月5日

ワイド師匠 @feedback515
朝鮮でも焼いた。僕の曽祖父が当時、朝鮮で手広く商売をしており、その中に大きなケシ畑もあった。今考えるとそれはアヘンの原料。大伯母(祖母の妹)の話では8/15の午後に大量の書類を焼却したという。ただその書類が何であったのか詳細は不明。https://twitter.com/tcv2catnap/status/799661247448784896


昼寝猫‏ @tcv2catnap
霞ヶ関のみならず中国、満州でも書類焼きまくった。特に東條内閣機密費や関東軍謀略の原資となった、アヘンな。大日本帝国最大級の外道官業の実態が闇に。
9:11 - 2016年11月18日

 
戦争犯罪を隠蔽し、戦争責任を否定することで日本を再び「戦争ができる国」にしようと画策し続けてきた奥野が「平和の尊さを訴えている」とはいったい何の冗談か。こんな男が何十年も国会議員をやり、文相や法相を歴任するのだから、国策企業も政治家も、何をやらかしても責任を取ろうとしないのは当たり前である。


名前は秘密 @assami7154
こういう歴史のうやむやが、結局、誰も責任を取らない体質となり、ひいては東電を生み、フクシマを招き、同じ構図で東京オリンピックや豊洲市場があるのです。結局は奥野がやった事は小さな縄張りの保守で国益の多大な損出、歴史的汚点
20:33 - 2016年11月17日

奥野は結局何ひとつ反省せず、どのような犯罪の証拠を焼かせたのかも白状しないまま死んだ。こういう者たちがのさばるのを許し続けてきた結果が今なのだ。
 
【2016/11/28追記】99さんからコメント経由で頂いたTV番組の画像の一部を貼っておきます。

奥野誠亮

70年経ってこの言い草。この無反省、傲岸不遜は、怪物的とでも形容するしかないですね。【追記終り】
 
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/11/27/141537


▲△▽▼

2018-05-04
日本政府の公文書隠蔽・廃棄・改ざん(要するに嘘つき)体質はあまりに根が深い
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/05/04/222222

■ 安倍政権だけの問題ではない日本政府の嘘つき体質

森友・加計学園問題や自衛隊のイラク・南スーダン日報問題が示すように、日本政府の公文書隠蔽・廃棄・改ざん体質は、安倍政権の下で極まっているように見える。

確かに、国会答弁で平然と見えすいた嘘をつき、嘘だという証拠を突きつけられてもまた別の嘘をついて誤魔化そうとする安倍政権の虚言癖体質は異常としか言いようがない。しかし、日本政府(単に自民党政権というだけでなく、中央官庁の高給官僚たちをも含めた行政府全体)の嘘つき体質は、安倍政権などよりはるかに以前からのものではないのか。

2001年に情報公開法が制定されて以来、開示請求した文書がことごとく全面黒塗りの「海苔弁」状態で出されてうんざりさせられた例は枚挙にいとまがない。

民主党・鳩山政権時には、沖縄の普天間基地問題をめぐって、外務省が県外移設は不可能とする「極秘文書」を捏造し、鳩山首相を騙して移設を諦めさせるという事件が発生している[1]。(結局この方針転換が原因となって鳩山内閣は総辞職に追い込まれた。)


 民主党政権時の2010年4月19日、防衛、外務の官僚たちが、官邸に鳩山首相を訪ねた。
 前年夏の総選挙で鳩山が唱えていた「米軍基地の沖縄県外への移設」についてレクチャーするためだ。

 官僚の一人は「アメリカ大使館と交渉した結果こうなった」と言って、3枚つづりの文書を鳩山に差し出した。

 文書のタイトルは「普天間移設問題に関する米側からの説明」。右肩には『極秘』の判が麗々しく押されている。

 “極秘文書”には米軍のマニュアルとして次のように書かれていた ―

 「航空部隊と陸上部隊の訓練の一体性を考えると、移転先は普天間から65マイル(105km)以内に限る」。

 沖縄全島は70マイル。沖縄以外はダメということだ。(移転先の候補にあがっていた)徳之島はあきらめろという内容である。

 「アメリカがそういう条件であれば、沖縄以外に持って行くことは不可能」。鳩山は県外移設を断念した。

(略)

 鳩山は決定打となった米軍マニュアルについて琉球新報に調べてもらったが、そんなマニュアルはどこにもなかった。

 極秘の指定期間は2015年4月18日。極秘が解除されたため、鳩山側近の川内博元衆院議員が外務省に問い合わせた。

 文書を扱う大臣官房総務課は「公文書ではない。外務省が作成したものかどうか分からない」と回答した。“極秘文書”はガセだったのである。

中曽根政権時代の1987年には、核兵器持ち込みに関する密約文書を公開しないよう、外務省が米側に要請するという事件も起っている[2]。


 【ワシントン山崎健】日本の外務省が1987年、米政府に対し、核兵器の持ち込みに関する密約を含む50年代後半の日米安全保障条約改定交渉など、広範囲にわたる日米関係の米公文書の非公開を要請していたことが、西日本新聞が米情報自由法に基づき入手した米公文書で明らかになった。密約などについて米側は要請通り非公開としていた。米公文書公開への外務省の介入実態が判明したのは初めて。

(略)

 文書によると、日本側が非公開を求めたテーマは(1)「核兵器の持ち込み、貯蔵、配置ならびに在日米軍の配置と使用に関する事前協議についての秘密了解」(2)「刑事裁判権」(3)「ジラード事件」(57年、群馬県で在日米軍兵士が日本人主婦を射殺した事件)(4)「北方領土問題」(5)「安保改定を巡る全般的な討議」。(1)(2)については「引き続き(公開)禁止を行使する」との結論が明記されていた。

 日米外交史に詳しい菅英輝・京都外国語大教授は(1)について安保改定時の「米核搭載艦船の通過・寄港を事前協議の対象外とした核持ち込み容認の密約」だと指摘。今も関連文書の一部は非公開だ。(2)は53年の日米行政協定(現在の日米地位協定)の改定時に、米兵らの公務外犯罪のうち重要事件以外は日本政府が裁判権を放棄したとされる問題とみられるという。

この密約について、当然歴代首相や外相は承知しており、事実を知りながら嘘の答弁を繰り返してきた[3]。


岡田克也外相は9日、日米の密約に関する外務省調査結果と有識者委員会の検証報告書を公表した。併せて公開された機密文書から、政府が1968年に核兵器搭載の疑いのある米艦船の寄港・通過を黙認する立場を固め、その後の歴代首相や外相らも了承していたことが判明。寄港の可能性を知りながら、「事前協議がないので核搭載艦船の寄港はない」と虚偽の政府答弁を繰り返していた。非核三原則は佐藤栄作首相の67年の表明直後から空洞化していたことになる。見つからなかった重要文書も多く、有識者委は破棄の可能性など経緯調査の必要を指摘した。

(略)

 この文書は歴代首相や外相への説明に用いられており、余白には当時の佐藤首相が読んだことや、田中角栄、中曽根康弘、竹下登の各氏らが首相在任時に説明を受けたことを示す記載がある。また、添付された89年のメモには、首相就任直後の海部俊樹氏に説明したと記されている。

(略)

 朝鮮半島有事の際に、在日米軍が事前協議なしに出撃できるとの密約についても、根拠とされてきた非公開の議事録の写しが見つかり、有識者委は「密約」と位置づけた。

■ 敗戦時の文書大量焼却以来の「伝統」か?

このような隠蔽・嘘つき体質の元をたどっていくと、まずは敗戦時の公文書大量焼却事件に行き当たる。主犯は奥野誠亮である。


能川元一 @nogawam
奥野誠亮が「焼いたw」と(いまだに)自慢話として証言している敗戦時の公文書隠滅だが、隠滅された文書の中には、日本軍「慰安婦」の総数や南京事件での捕虜殺害規模をいまよりは正確に推定する材料となったはずの文書が含まれていた可能性が極めて高い。17:15 - 2015年10月19日


堀家康弘 @kounodanwawoma1
朝鮮総督府では敗戦直後に一週間もかけて、念入りに証拠文書が燃やされている。
奥野元法相によれば「犯罪者を出さないため」
つまり、犯罪行為の隠滅がなされたのである。
14:36 - 2016年1月5日


この奥野誠亮は鈴木善幸内閣で法相を勤めている。
重大犯罪の証拠隠滅犯が司法行政のトップとなったわけだ。


■ 実は明治維新までさかのぼる?

とはいえ、日本政府のこうした嘘つき体質は敗戦前後から始まったものではない。戦前戦中はもっとひどく、政府はすべてを知りながら「臣民」には嘘ばかり吹き込んでいた。歴史の転機をなした重大事件について、たとえば1928年の張作霖爆殺事件が関東軍の河本大佐らによる犯行だったことも、1932年の柳条湖での満鉄線爆破が関東軍による自作自演の謀略だったことも、一般人民がその真相を知り得たのは敗戦後である。

南京大虐殺についても、政府首脳部は当然その事実を知っていた。当時外務省東亜局長だった石射猪太郎は次のように書いている[4]。


 南京は暮れの十三日に陥落した。わが軍のあとを追って、南京に帰復した福井領事からの電信報告、続いて上海総領事からの書面報告が我々を慨嘆させた。南京入城の日本軍の中国人に対する掠奪、強姦、放火、虐殺の情報である。憲兵はいても少数で、取締りの用をなさない。制止を試みたがために、福井領事の身辺が危いとさえ報ぜられた。昭和十三年一月六日の日記にいう。

 ◯上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る。掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。嗚呼これが皇軍か。日本国民民心の頽廃であろう。大きな社会問題だ。

(略)
 私は三省事務局長会議で度々陸軍側に警告し、広田大臣からも陸軍大臣に軍紀の粛正を要望した。軍中央部は無論現地軍を戒めたに相違なかったが、あまりに大量な暴行なので、手のつけようもなかったのであろう、暴行者が、処分されたという話を耳にしなかった。当時南京在留の外国人達の組織した、国際安全委員なるものから、日本側に提出された報告書には、昭和十三年一月末、数日間の出来事として、七十余件の暴虐行為が記録されていた。最も多いのは強姦、六十余歳の老婆が犯され、臨月の女も容捨されなかったという記述は、殆ど読むに堪えないものであった。(略)
 日本新聞は、記事差止めのために、この同胞の鬼畜の行為に沈黙を守ったが、悪事は直に千里を走って海外に大センセーションを引起した。あらゆる非難が日本軍に向けられた。わが民族史上、千古の汚点、知らぬは日本国民ばかり、大衆はいわゆる赫々たる戦果を礼賛するのみであった。

そもそも、この国を不正義かつ無謀な戦争に引きずり込んだ政治家や官僚連中がまともな処罰もされずに復活を遂げたことが戦後の嘘つき政府の始まりなのだ。周知のとおり、東条内閣の商工大臣だった岸信介は敗戦からわずか12年で首相となった。その孫が安倍晋三である。

で、この戦前の嘘も、昭和になって急に始まったというわけではない。明治維新以来、政府の体質などずっと変わらなかったのだから、当然最初から嘘だらけだったのだ。

明治維新は、幕府を支持していた孝明天皇の不可解な「病死」(毒殺の疑いが濃厚)の後、15歳の若さで即位した明治天皇による「討幕の密勅」によって本格的に始動する。しかし、この密勅は偽造されたものだった[5]。


 これが慶応三(一八六七)年十月十三日のこと。十四日には前さきの権ごんの大納言正親町おおぎまち三条実愛さねなるが右の二人を召し、薩長両藩への「討幕の密勅」を下した(薩摩島津家宛ては十三日付)。これは慶喜が大政奉還の上表を提出した日でもあるから、奉還の動きと密勅降下の請願は舞台の表と裏で同時に進行し、ゴールに同着した形となった。
 これによって薩長は挙兵の大義名分を得た、と思う向きもあろうが、幕末史最大の問題点がここにある。討幕の密勅二通は同文で「詔みことのりす」と始まり、「賊臣慶喜を殄戮てんりく(誅殺)し速かに回天の偉勲を奏し」とつづいてゆく(原文は和風漢文)。「詔す」とあるからには天皇の発した詔書らしいが、辰筆しんぴつの日付もないし辰裁した印の「可」の字もない。摂政・大臣以下の連署もなければ「天皇御璽」も捺されていない、ないない尽くしの代物で、その写真版を見ると本文の次行最下部に「奉」とあり、三人の署名が並んでいる。
 正二位藤原(中山)忠能、正二位藤原(正親町三条)実愛、権中納言藤原(中御門)経之。「奉」とあれば天皇の意志を奉じた綸旨りんじのようだが、ならば文は三人称になるべきなのに「朕」という一人称が使われているので綸旨でもない(石井孝『維新の内乱』参照)。しかも三人の署名は同じ筆であり、今日、これらは岩倉が国学者玉松操に書かせたものと知れている。要するに岩倉と右の三人は大久保らから「相当の宣旨」がほしいとせっつかれ、偽文書を捏造して不敵にも密勅と騙ったのだ。

天皇の命令を記した詔書といえば、まさに公文書中の公文書である。明治政府の成立を可能にしたその公文書第一号がそもそも偽造だったのだ。そんなやり方で権力を握った連中やその後継者たちが隠蔽捏造にまったく躊躇しなかったのは当然と言えるだろう。

■ 明治維新どころではない。日本の歴史はその始まりから嘘だらけ

では、幕末維新期の「志士」たちが嘘つき日本政府の元祖・元凶なのか。

確かに、直接的にはそう言っていいだろう。しかし、公的記録を改ざんし、あるいは捏造するという手口自体はもっとはるかに古く、この国の歴史の黎明期から始まっている。

現存する日本最古の歴史書である古事記は712年、次の日本書紀は720年に成立している。ほぼ同時代に二種類の史書が作られた理由が不明である上、古事記は後の史書にその成立が記載されていないことから偽書説が唱えられたこともあるが、現在ではほぼ否定されている。

この古事記と日本書紀の内容は、全体としてはよく似ているが、いくつか重大な違いがある。

たとえば、景行天皇ことオホタラシヒコオシロワケ(12代)の九州大遠征。日本書紀によれば、景行は軍を率いて九州に渡り、ほぼ時計回りに九州を一周しながら多くの敵を打ち破る大遠征を行っている。日本書紀の記載のとおりなら、このときヤマト王権は初めて九州全土を支配下に収めたことになり、まさに赫々たる大戦果と言える。

図版出典:[6]

ところが、景行のこの重大な事績が、古事記には一切現れないのだ。古事記に出てくる景行の事績といえば、「田部たべを定め、また東あづまの淡あはの水門みなとを定め、また膳かしはでの大伴部おほともべを定め、また倭やまとの屯家みやけを定めたまひ、また坂手さかての池を作りて、すなはちその堤に竹を値ゑしめたまひき」という程度でしかない[7]。池を作って竹を植えたなど、どう考えても九州大遠征より優先して書くべきことではないだろう。

これは一体どういうことなのか。古田武彦氏が説明するとおり、実際に行われた大遠征を天皇家の史書である古事記が無視することなどあり得ない以上、日本書紀が話をでっち上げた(あるいは天皇家以外の史書から剽窃した)と考えるしかない[8]。


 (六)一番肝要の点、それはこの華麗な景行の九州大遠征譚が『古事記』に全く出現しないことである。これは記紀間の大矛盾だ。
 以上、この矛盾をいかに解くべきか。その根本は(六)にある。記紀いずれが原形、いずれが改変形か、という問題である。これに対するわたしの基本の立場は次のようだ。“記紀ともに、近畿天皇家内の成立である以上、天皇家にとって有利に加削することはあっても、不利に加削することはありえない”――この公理だ。
 そして右の有利、不利とは、もってまわった考察や、一部のインテりにのみ通じるような、うがった見方の類からではなく、万人に通ずる明々白々たる印象にもとづくものでなければならぬ。
 このような立場から見るとき、問題の景行の九州大遠征譚が、近畿天皇家にとって赫々たる大勝利譚であり、光栄ある大親征譚の形をとっていることは、疑いを容れない。
 これを記載した『書紀』の方が原形であるとすると、『古事記』の作者(伝承者・記録者等)がこれを削除したこととなる。これは先の公理によってみると、ありうることではない。
 これに対して『古事記』の方が原形とした場合、『書紀』はこれを付加・挿入したこととなろう。この方が、先の公理から見ると、ありうるケースである。
 以上の吟味によってみれば、景行の九州大遠征譚は、他からの挿入によるもの、そのように見なすほかはないのである。

この他にも、ヤマトタケルことヲウス(景行の子)による東北地方の蝦夷征伐、神功皇后ことオキナガタラシヒメ(14代仲哀の妻の一人)による九州筑後での征伐など、古事記には現れず日本書紀にだけ書かれている征伐譚が存在する。

私は、古事記は日本書紀の「ボツになった試作品」だと考えている。なぜボツになったかといえば、天皇家の支配を正当化するための嘘の程度が足りず、当時の権力者を満足させることができなかったからだろう。

千数百年の時を経ても、時の権力者の都合に合わせて記録を改ざんし、あるいは継ぎ合わせて辻褄を合わせる官僚たちの心根は大して変わっていないのではないか。まさに骨絡みの嘘つき体質と言うしかない。

[1] 『外務省と防衛省が首相をハメ、辺野古に戻させた』 田中龍作ジャーナル 2016/2/4
[2] 『外務省 核密約 米に非公開要請 「際限ない」米側不快感』 西日本新聞 2017/1/3
[3] 『核密約 歴代首相ら黙認 外務省極秘メモ公開』 朝日新聞 2010/3/10
[4] 石射猪太郎 『外交官の一生』 読売新聞社 1950年 P.305-306
[5] 中村彰彦 『幕末・明治の残照 86』 東京新聞 2017/10/1
[6] 古田武彦 『古代は輝いていた(2)』 朝日新聞社 1985年 P.118
[7] 武田祐吉訳注 『新訂 古事記』 角川文庫 1987年 P.110
[8] 古田 P.120-121

http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/05/04/222222  

2. 中川隆[-9865] koaQ7Jey 2019年6月01日 15:59:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2491] 報告


2018-11-08
死刑の代わりに現場射殺している国は本当にあった!
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/11/08/230042


日本で死刑が執行され、これをEUなどから非人道的だと批判されると、お前たちは犯人を死刑にする代わりに現場で射殺しているではないか、殺しているのは同じなのに偉そうに説教するな、と「反論」する人たちが必ず湧いてくる。

武装した凶悪犯を正当防衛や緊急避難の目的でやむなく射殺するのと、既に捕えられ、抵抗する手段を一切持たない囚人を刑罰として処刑するのとではまったく意味が違うのだが、この二つの区別がつかない困った人たちが、どうやらこの国には大量にいるらしい。


殺したいが、捕まえて裁判にかけても死刑にはできないからここで射殺(簡易処刑)してしまえ、なんて、そんな野蛮な国などあるはずがない・・・と思っていたのだが、いろいろ調べているうちに、そんな国が本当にあったことが分かってしまった。

この点については、自説を撤回しなければならない。

といっても、それは死刑制度を廃止してしまったヨーロッパの先進国などではない。73年前まで東アジアに実在した、「大日本帝国」という国である。

1910年、大日本帝国は、それまでもさんざん内政干渉や武力介入を続けてきた隣国朝鮮をついに「併合」し、植民地化した。当然ながら、国を奪われた朝鮮の人々は激しく反発し、民族の独立を回復しようとした。

1919年3月、宗教指導者らによる独立宣言を契機に、独立を求める大規模な示威運動が始まった。「3・1運動」である。[1]


(略)一月二二日徳寿宮に幽閉されていた高宗(李朝第二六代の王)が急死したことも、朝鮮人の民族的感情をたかめていた。葬儀の日は三月三日と定められ、参列のため全国から多数の人びとがソウル(京城)に集まってきた。
 この機会をとらえ、天道教の第三代教主孫秉熙らは、キリスト教徒・仏教徒と協議したうえ、三月一日ソウルで独立宣言を発した。各教団の組織などをつうじて計画がつたえられていたため、ソウルのパゴダ(塔洞)公園には数万の民衆があつまり、大極旗をかかげ、「独立万歳」を叫びながら、市街をデモ行進した。運動はたちまち全土に波及し、五月末までに示威回数一五四二回、延べ参加人員二◯五万人にたっし、鴨緑江をこえて間島や沿海州にもおよんだ。


 日本側は憲兵警察・軍隊を出動させ、在郷軍人や消防隊なども動員して、運動をきびしく弾圧した。このため、最初は平和的示威であった運動も三月中旬から激烈な闘争や蜂起へと転化し、かま・くわ・棍棒で武装した朝鮮人が、官公署を襲撃する事態となり、その数は合計二七八か所にたっした。
 原内閣は四月四日、内地から歩兵六大隊および憲兵・補助憲兵約四一五名を朝鮮に派兵することを決定して、武力弾圧を強化した。

闘争とか蜂起と言っても、一方は鎌や鍬程度しか持たない民衆、他方は近代兵器を装備した軍隊なのだからおよそ勝負にならない。実際に行われたのは、日本の官憲・軍隊によるほぼ一方的な殺戮である。この武力弾圧による朝鮮人側の被害は、殺された者7,509名、逮捕された者46,306名、焼かれた民家715戸、教会47と伝えられている。[2]

まだ中学生のときにこの三・一運動に参加して自らも逮捕・勾留された経験を持つ、ある朝鮮人革命家は、後に次のように語っている。[3]


(略)死刑になったものはなかった――死刑にするような合法的な口実がなかったのだ。「われわれはただ朝鮮独立のため闘うのであり、反日本の立場ではない」とデモ参加者たちが公然と強く唱えている限り、朝鮮の法律では死刑にできない。死刑は殺人の場合以外適用できないから、日本人は逮捕する代わり民衆を街頭で殺した――うまい手だ。

典型的な簡易処刑ではないか。しかも、死刑制度を廃止したために凶悪犯を逮捕・起訴しても死刑にはできないから殺しているのではなく、死刑制度はあるのに微罪すぎて死刑になどできないから殺しているというのだから、なお悪い。

「裁判抜きの簡易処刑」を非難する皆さんは、なぜこの卑劣な国を非難しないのだろうか。

[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.81-82
[2] 同 P.82
[3] ニム・ウェールズ 『アリランの歌 ―ある朝鮮人革命家の生涯―』 岩波書店 1987年 P.79
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/11/08/230042

3. 中川隆[-9860] koaQ7Jey 2019年6月04日 22:40:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2571] 報告

河野談話を守る会のブログ 秦郁彦論説の嘘・デタラメ・捏造・歪曲・誤解
https://www.google.co.jp/search?hl=ja&ei=YnH2XP2CEYuymAWKkb2oDg&q=%E7%A7%A6%E9%83%81%E5%BD%A6%E8%AB%96%E8%AA%AC%E3%81%AE%E5%98%98%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%A9%E3%83%A1%E3%83%BB%E6%8D%8F%E9%80%A0%E3%83%BB%E6%AD%AA%E6%9B%B2%E3%83%BB%E8%AA%A4%E8%A7%A3%E3%80%80&oq=%E7%A7%A6%E9%83%81%E5%BD%A6%E8%AB%96%E8%AA%AC%E3%81%AE%E5%98%98%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%A9%E3%83%A1%E3%83%BB%E6%8D%8F%E9%80%A0%E3%83%BB%E6%AD%AA%E6%9B%B2%E3%83%BB%E8%AA%A4%E8%A7%A3%E3%80%80&gs_l=psy-ab.3...2930.2930..4643...0.0..0.173.173.0j1......0....1..gws-wiz.5PvrtoTbrew


河野談話を守る会のブログ 『慰安婦問題の決算』=秦郁彦は歴史学者の肩書を返上せよ!
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html

4. 中川隆[-10373] koaQ7Jey 2019年9月16日 07:26:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2416] 報告

従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ
http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html

 朝日新聞2014年8月5日付が従軍慰安婦問題での吉田証言を「虚偽」と断定する特集記事を掲載し、さらに「しんぶん赤旗」2014年9月27日付も吉田証言を「信ぴょう性がない」として過去の関連記事を取り消した。

いまや右翼も左翼も(社民党は違うようなのが救いだが)、こぞって反論できない故人を「うそつき」と総攻撃する異常な事態である。しかし、私はこうした世論状況に同調できない。約20年も前の故人の著書や証言、人格までも全否定するのは、慎重にも慎重で科学的な検証が必要だと思うからである。そのために、このページを設置する。冷静な議論を期待したい。
    (2014年10月3日記、経済ジャーナリスト・今田真人)
http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html

「オール連帯6・20集会」での私の報告とレジュメ、声明
(経済ジャーナリスト・今田真人)
http://masato555.justhpbs.jp/newpage157.html

 私は2017年6月20日、参議院会館で開催された「オール連帯6・20集会」で報告しました。持ち時間は3分だったため、報告を補足する詳細なレジュメを配布しました。以下に報告の全文(録音からの起こし)と、配布したレジュメ(誤字などを訂正済み)を掲載します。また、集会のプログラムと、集会で決議された「声明」も以下、添付します。


【報告の全文(思い違いなど一部を訂正済み、実際は9分間発言させてもらいました)】
 今田といいます。
 たぶん発言する時間がないだろうと思いましてですね、レジュメを2枚作って配っております。「2017年6月20日、『オール連帯』の学習会レジュメ」というもので、おそらく2時間ぐらい、しゃべれるレジュメなんですけど、一応これをお配りしましたので、あとでね、ちょっと読んでください。結構、スクープ的なことを、それとなく入れております。
 今回、小林(久公)さんがいろいろ国会図書館にプレッシャーをかけて、内閣官房副長官補室に正式に送っていただいた資料ですけど、これはですね、4〜5枚ぐらい提出されたみたいなんですが、本当は国会図書館で全部コピーしてもらいまして、これだけあるんです(原資料93ページ分の資料を手に持って示す)。あすこに書かれた、「酌婦、女給」について「厚生省ニ稟伺(りんし)シテ」云々という意味が、この100ページ近い文書で縷々書かれているわけですね。

 官僚の文書、法律の解説ですから、非常に難解なんですよね。だけど、あの表だけを見ると、やはり明らかに「〇ノ要求ニ依リ」となってますよね。この文句が私のこだわりの出発点なんです。この文句は、政府が「慰安婦」関連文書として認めて復刻本まで出している国立公文書館の公文書の文句と同じなんですね。
 まあ、私は復刻本を見て記事を書いたりするというのは、新聞記者だったので、非常にしゃくにさわりましたので、必ず原文を見たいということで、どこにあるか探して、国立公文書館にあるのを見つけたわけです。これがそれなんです(以下の写真を示す)。

 墨塗り部分を拡大しましたけど、これはね、マジックじゃないんです。墨で消してあるということは、当時の、戦時中の官僚が消したんだと思うんです。だから透けて見えるんです。これはビデオカメラであれこれ透かして撮った写真なんですけど、これ「〇ノ要求ニ依リ」と書いてあるんです。「〇ノ要求ニ依リ、慰安所的必要ニ依リ酌婦女給ヲ雇入レノ場合」と。で、その下にですね、これは厚生省の通牒だと書いてあるんですね。(以下の政府公表の復刻本CP41の写真)

これは大変なものだな、と思いました。政府が公然と「慰安婦」関連文書ですよと、発表してるわけですよね。復刻本まで出して。
 これが私の追求の動機、出発点だったんです。かならずこの通牒に何かが書いてある。この通牒を発見したい、とういう思いで、いろいろな情報を片端からつぶしていって、経過はもう省略しますけど、最後に国立国会図書館の議会官庁資料室の奥深くに眠っていたわけですよね。で、出してくるのにえらく時間がかかって、もうダメかなと思うくらいだったんですけど、それで見つけた。これが、この「労務調整令事務取扱関係通牒集(1)」に入っている厚生省の極秘通牒です。
 これはなぜあるのか。「慰安婦」関連の文書というのは、だいたい焼却された。内務省はみんな片端から焼いてるし、軍も焼いたと、いうふうに言われていて、あるはずはないと思っていたんですよね。だけど、これはまあ、いろいろと意見があるんですけど、吉田清治さんが、私がインタビューしたときに、ヒントをくれたわけですよ。国会図書館にあったぞ、と。別の資料(下の写真)ですけどね。

 そういうことで国会図書館に行ったら、その資料にスタンプが押してある。「鈴木僊吉氏寄贈」というのがあったんです。その経過は本(共著『「慰安婦」問題の現在』(三一書房)所収の拙稿「『吉田証言』は本当だった――公文書の発見と目撃証人の登場」)に書いてありますので、あと本を読んでいただければ、わかるんですけど。鈴木僊吉さんというのは、おそらく厚生省の「慰安婦」担当の官僚だった人で、この通牒を作った人らしいのです。
 その人が戦後直後に亡くなったんですけど、そのときに膨大な資料を残した。それを遺族が国立国会図書館支部・労働省図書館(当時)に寄贈した。(下の写真が一橋大学の図書館にある鈴木氏の寄贈目録)

 それがめぐりめぐって国会図書館にあった。本来なら焼却されて出てくるはずがない文書が国立国会図書館にあったということなんで、私にとって非常に思い出深い文書です。

 そういう意味で、見つけてから1年半以上経つんですけど、小林さんが執念深く正式な文書として内閣官房に認めてもらうようにプレッシャーをかけていただいた。そのおかげで、ようやく今回、6月2日付で送付されたということが、国立国会図書館の担当者から報告(電話の問い合わせに対する回答)がありました。あとは、レジュメを見てください。よろしくお願いします。
(以上)


【レジュメ】(当日配布したものと同様形式のレジュメのPDF版はこの枠の最下段にあります)
☆2017年6月20日、「オール連帯」の学習会レジュメ(今田真人)

@ 安倍首相発言「さきの第一次安倍内閣のときにおいて、質問主意書に対して答弁書を出しています。これは安倍内閣として閣議決定したものですね。つまり、それは、強制連行を示す証拠はなかったということです。つまり、人さらいのように人の家に入っていってさらってきて、いわば慰安婦にしてしまったということは、それを示すものはなかったということを明らかにしたわけであります」(2013年2月7日、衆院予算委員会)
A この安倍発言が虚偽であることを示す公文書、厚生省の「労務調整令施行ニ関スル件依命通牒」が見つかったということ。「あったことをなかったことにすることはできない」(前川氏)
《関連公文書の年表》
★1931年9月18日、満州事変
★1936年末現在の「全満藝妓酌婦其他特殊接客婦女表」(在満日本大使館警務部)によると在満29公館の総計で、1万1407人の「特殊接客婦女」が満州に存在した。
★1937年7月7日、日中戦争(支那事変)が起こる
★1938年3月4日、陸軍省副官の文書「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」。「副官ヨリ北支方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒案」の中に「将来是(従業婦)等ノ募集等ニ當リテハ派遣軍ニ於テ統制シ之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実施ニ當リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局ト連繋ヲ密ニシ以テ軍ノ威信保持上竝ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス」
★1938年3月31日、国家総動員法公布
★1939年末頃の『昭和15年・海外在留本邦人調査結果表(外務省調査部)』の職業別人口によると、中国在留の邦人の「慰安婦」は、内地人女性が1万4554人、朝鮮人女性が6430人、台湾人女性が251人。
★1940年1月20日、朝鮮職業紹介令施行(通牒で官庁許可あれば酌婦等の周旋を認める)
★1940年1月31日、青少年雇入制限令公布(12歳以上20歳未満の女子などが対象)
★1940年3月〜5月、朝鮮総督府が「労務資源調査」を実施。男子だけでなく12歳〜19歳の女性も動員対象として調査。(樋口雄一編『戦時下朝鮮人労務動員基礎資料集T』)
★1941年11月20日、朝鮮総督府「昭和16年度労務動員実施計画ニ依ル朝鮮人労務者ノ内地移入要領」。「本要領ニ依リ内地ニ移入セシムルベキ朝鮮人労務者ノ供出ハ従来ノ朝鮮職業紹介令ニ依ル労務者募集ノ方法ヲ廃止シ爾今朝鮮総督府及ビ地方庁ノ斡旋ニ依ルコトトスルコト」。
★1941年12月8日、米英両国に宣戦布告、マレー作戦開始、ハワイ真珠湾を空襲
★1941年12月8日、労務調整令公布
★1941年12月16日、厚生省が極秘の「労務調整令施行ニ関スル件依命通牒」(186号通牒)を出す。同令7条第3号の認可業態に軍慰安所の「酌婦、女給」を指定
◎労務調整令(勅令)
第1条 国家ニ緊要ナル事業ニ必要ナル労務ヲ確保スル為ニスル国家総動員法…第6条ノ規定ニ基ク従業者ノ雇入、使用、解雇、就職及退職ノ制限ハ別ニ定ムルモノヲ除クノ外本令ノ定ムル所ニ依ル
第4条 技術、技能又ハ学識経験ヲ有スル者ニシテ厚生大臣ノ指定スルモノ(以下技能者ト称ス)ノ雇入及就職ニ付テハ命令ノ定ムル所ニ依リ国民職業指導所ノ認可ヲ受ケタル場合又ハ国民職業指導所ノ紹介アル場合ヲ除クノ外之ヲ為スコトヲ得ズ
第7条 年齢14年以上40年未満ノ男子又ハ年齢14年以上25年未満ノ女子ニシテ技能者及国民学校修了者タラザルモノ(以下一般青壮年ト称ス)ノ雇入及就職ハ左ノ各号ノ1ニ該当スル場合ヲ除クノ外之ヲ為スコトヲ得ズ
……(1と2は略)……
3、 命令ノ定ムル所ニ依リ特定ノ一般青壮年ノ雇入及就職ニ付国民職業指導所長ノ認可ヲ受タル場合
第19条 朝鮮及台湾ニ在リテハ第6条、第7条、第8条及第11条ノ規定ハ之ヲ適用セズ
朝鮮及台湾ニ在リテハ年齢12年以上40年未満ノ男子ニシテ技能者タラザルモノ(以下男子青壮年ト称ス)ノ雇入及就職ハ左ノ各号ノ1ニ該当スル場合ヲ除クノ外之ヲ為スコトヲ得ズ 
(以下、1〜6号あり、内容省略)

★1942年1月10日、台湾総督府外事部長→外務大臣「(電報)南洋方面占領地ニ於ケル慰安所開設ニ関スル件」。「南洋方面占領地ニ於テ軍側ノ要求ニ依リ慰安所開設ノ為渡航セントスル者(従業者ヲ含ム)ノ取扱振リニ関シ何分ノ御指示相煩度シ」

★1942年1月14日、外務大臣→台湾総督府外事部長「(電報)南方方面占領地ニ対シ慰安婦渡航ノ件」。「此ノ種渡航者ニ対シテハ軍ノ証明書ニ依リ渡航セシメラレ度シ」
★1942年2月13日、「朝鮮人労務者活用ニ関スル方策中要領七ノ運用ニ関スル関係省間ノ覚書」。「新ニ内地ニ就労スル朝鮮人労務者ハ総ベテ労務調整令其ノ他労務ニ関スル統制法令ノ運用ニ依ル認可ヲ要件トシ統制ノ完璧ヲ期スルモノトス」
★1942年2月28日、朝鮮総督府「昭和16年度労務動員実施計画ニ依ル朝鮮人労務者ノ内地移入要領及同実施細目」の別紙「朝鮮人労務者移入雇傭願(斡旋申請書)記載要領」に、「8、所要員数(男女別、労務別、月別)」とある。
★1942年3月12日、台湾軍司令官→陸軍大臣「(電報)第602号」。「陸軍第63号ニ関シ『ボルネオ』行キ慰安土人50名為シ得ル限リ派遣方南方総軍ヨリ要求セルヲ以テ陸密電第623号ニ基キ憲兵調査選定セル左記経営者3名渡航認可アリ度申請ス」
★1942年3月30日、内務省警保局長「渡支邦人暫定處理ニ関スル件中改正ノ件」。「左ニ該当スル者渡支セントスル場合ハ労務調整令及同関係法令適用ノ有無ニ関シ調査ヲ為スコト…年齢14年以上25年未満ノ女子ニシテ技術者及国民学校修了者タラザルモノ(一般青壮年)」
★1942年8月17日、陸軍省副官から陸軍一般へ依命通牒「陸軍労務要員募集取扱要領」発す(防衛省防衛研究所所蔵)。「部隊は左記種別ノ要員ヲ雇入レントスル場合ニ於テハ…別紙様式第一ニ依リ求人ノ申込ヲ為スモノトス…1、技能者(労務調整令第4条該当者) 2、一般青壮年(労務調整令第7条該当者) 3、労務調整令非適用者」。
★1943年5月3日、昭和18年度国民動員計画を閣議決定。「女子ニ付テハ其ノ特性ト民族力強化ノ必要トヲ勘案シ強力且積極的ナル動員ヲ行フ」
★1944年7月31日、内務省管理局長宛の同省嘱託・小暮泰用氏の復命書=外務省外交史料館A−5−0−0−1−1第2巻=から。「朝鮮人労務者ノ内地送出ノ実情ニ当ツテノ人質的掠奪的拉致…」「徴用ハ別トシテ其ノ他如何ナル方式ニ依ルモ出動ハ全ク拉致同様ナ状態デアル其レハ若シ事前ニ於テ之ヲ知ラセバ皆逃亡スルカラデアル、ソコデ夜襲、誘出、其ノ他各種ノ方策ヲ講ジテ人質的掠奪拉致ノ事例ガ多クナルノデアル」
★1944年10月30日発行の朝鮮総督府労務課監修『国民徴用の解説』。「今迄朝鮮の女子挺身隊は、みな官の指導斡旋によるもので、内地の…飛行機工場等に出してをります。…今後ともこの官の指導斡旋を建前とする心算です」

【上記レジュメのPDF版】
ここをクリックしてダウンロードしてください。


【集会のプログラム】

【集会で決議された「声明」】

http://masato555.justhpbs.jp/newpage157.html


5. 中川隆[-10378] koaQ7Jey 2019年9月16日 07:35:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2411] 報告
緊急出版 吉田証言は生きている 慰安婦狩りを命がけで告発!
初公開の赤旗インタビュー – 2015/4/11
今田 真人 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4763410636?_encoding=UTF8&isInIframe=0&n=465392&ref_=dp_proddesc_0&s=books&showDetailProductDesc=1#product-description_feature_div

内容紹介

吉田清治氏のインタビューは虚偽ではない!
歴史の真実は消せない――
元赤旗記者 渾身の告発!!

朝日新聞や赤旗で、吉田証言を虚偽・誤報として
記事を取り消したのは間違いだ!
1993年10月、幻の赤旗インタビューを全文掲載し、
当時の取材記者自らが徹底解説

従軍慰安婦問題の根拠から一転、虚偽とされた吉田証言
吉田氏の肉声が伝える歴史の真実とは


●主な目次
第1章 吉田清治氏のインタビューの記録
第2章 〈資料解説〉吉田証言は本当に虚偽なのか
――初公開の赤旗インタビューで浮かび上がった新事実
第3章 朝日と赤旗の「検証記事」の検証
第4章 湊郁彦『慰安婦と戦場の性』の検証


内容(「BOOK」データベースより)

吉田清治氏の証言は虚偽ではない!朝日新聞や赤旗で、吉田証言を誤報として記事を取り消したのは間違いだ!1993年10月の赤旗インタビューの全文と解説。

著者について

今田真人(いまだ・まさと)

1955年、広島市生まれ。名古屋大学文学部史学科(西洋史専攻)卒業。1980年4月から2011年5月末まで赤旗記者。テレビラジオ部、政経部、中四国総局、社会部、経済部、日曜版など各部の記者を歴任。55歳で退職後、フリーの経済ジャーナリストになる。著書に『円高と円安の経済学――産業空洞化の隠された原因に迫る』(かもがわ出版、2012年)。


著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

今田/真人
1955年、広島市生まれ。名古屋大学文学部史学科(西洋史専攻)卒業。1980年4月から2011年5月末まで赤旗記者。テレビラジオ部、政経部、中四国総局、社会部、経済部、日曜版など各部の記者を歴任。55歳で退職後、フリーの経済ジャーナリストになる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

6. 中川隆[-10412] koaQ7Jey 2019年9月16日 09:04:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2377] 報告
国会図書館が極秘通牒を内閣官房に提出
(2017年6月17日〜のツイート再録)
=経済ジャーナリスト・今田真人=
http://masato555.justhpbs.jp/newpage155.html


@国会図書館は、同館所蔵の戦中の公文書『労務調整令事務取扱関係通牒集(1)』を2日付で、内閣官房副長官補室に提出した。国民学校未卒の年齢14歳以上の日本人女子(朝鮮人を含む)を軍慰安所の「酌婦」等に雇い入れることを認可するもの。

【参照ツイート】

〈日本「慰安婦」問題解決全国行動〉
https://twitter.com/ianfu_kaiketsu

慰安婦「強制連行資料」を提出したがネトウヨ政府はこれを認めるのを拒んでいる - 河野談話を守る会のブログ - Yahoo!ブログ
https://twitter.com/kounomamoru

慰安婦強制連行が書かれた資料が、国立公文書館から、内閣府に提出された。

19件182点

資料の多くが強制を示しているが、内閣官房は取材に「強制連行を示す記述は見当たらないという政府認識は変わらない」としている。
ネトウヨですか?

(同上記事へのリンク)


A国会図書館の広報担当者によると、同文書の提出は、内閣官房が1996年7月24日付で、国の各機関に「慰安婦」関連資料があったら情報を寄せるよう指示した事務連絡を受けたもの。同図書館がこの事務連絡に基づき、「慰安婦」関連資料に該当するかどうかを検討した結果、提出を決めた。

Bこの文書には、1941年12月16日付の「労務調整令ニ関スル件依命通牒」(いわゆる第186号通牒)が含まれる。「酌婦、女給」を動員対象にあげ、「〇ノ要求ニ依リ慰安所的必要アル場合ニ厚生省ニ稟伺(りんし)シテ承諾ヲ受ケタル場合ノ当該業務ヘノ雇入ノミ認可ス」としている。〇は軍の隠語。

C詳しくは以下を参照してください。
(1)私のHP http://masato555.justhpbs.jp/newpage124.html
(2)共著『「慰安婦」問題の現在』(三一書房)所収の拙稿「『吉田証言』は本当だった――公文書の発見と目撃証人の登場」


D戦中の大日本帝国の臣民(内地人、朝鮮人、台湾人)を対象にした戦時労務動員の対象業務に、「軍慰安所の酌婦・女給(「慰安婦」を指す)」があったことを示すこの通牒の存在は、日本政府が1998年に復刻本として発行した『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成C』P32とP41で示唆されていた。


E上記の公文書(第4巻P41)には、墨で塗りつぶされた個所がある。国立公文書館で原本を透かして見れば、「〇ノ要求ニ依リ」と読める。その下の「根拠法令」には「第186号厚生次官ヨリ各地方長官宛通牒」とある。「慰安婦」と軍との関係を隠ぺいしたいのは戦中の政府も現在の政府も変わらない。


Fところで、「酌婦」という言葉は当時、「慰安婦」のことを指した。政府が「慰安婦」関係資料として公表している次の公文書(復刻本第1巻P43)もそれを示す。女性を「慰安婦」として連行する際に親権者に求めた承諾書の書式。「指定ノ陸軍慰安所ニ於テ酌婦稼業(娼妓同様)ヲ為スコト」云々とある。


Gついでの発見。1941年12月16日付の「労務調整令ニ関スル件依命通牒」には「酌婦、女給」だけではなく、「藝妓」も戦時動員対象にあげている。「本令施行ノ際ニ現ニ14年未満ノ仕込中ノモノノ14年トナリタル場合ノミ認可ス」。14年とは14歳のこと。官憲は未成年でも平気で連行したのだ。


H日本政府が1939年度からの「労務動員計画」で、朝鮮人を鮮外に強制連行したことは周知の事実。その中に女性が確認できるのは1941年度から。当時の「朝鮮人労務者移入雇傭願(斡旋申請書)記載要領」に男女別の内訳数を記入する項目がある。(樋口雄一編『戦時下朝鮮人労務動員基礎資料集U』)


I朝鮮人女性は労務動員で、日本内地や戦地へ「官斡旋」方式で連行された。徴用ではないので強制ではないと言う学者がいるが、その指摘は当らない。「官斡旋ハ徴用ニ準ジ官庁ノ責任ニ於テ動員スルモノナリ」(1944年当時の内務省管理局民政課「朝鮮労務事情」から。外交史料館・茗荷谷文書I59)


J1944年7月31日、朝鮮の現地調査をした内務省嘱託・小暮泰用氏の復命書はいう。「動員ノ実情――徴用ハ別トシテ其ノ他如何ナル方式ニ依ルモ出動ハ全ク拉致同様ナ状態デアル。其レハ若シ事前ニ於テ之ヲ知ラセバ皆逃亡スルカラデアル」(外交史料館所蔵)。官斡旋も「拉致同様」だったのである。


K朝鮮総督府『国民徴用の解説――疑問に答へて一問一答式に』(1944年10月30日発行)。「今迄朝鮮の女子挺身隊は、みな官の指導斡旋によるもので、内地の…飛行機工場等に出してをります」(樋口雄一『戦時朝鮮人労務動員基礎資料集V』)。「工場等」の「等」に注目。工場だけではなかった。


L先に紹介した内務省嘱託・小暮氏は官斡旋が「拉致同様ナ状態」だったと指摘、続けて言う。「若シ事前ニ於テ之ヲ知ラセバ皆逃亡スルカラデアル、ソコデ夜襲、誘出、其ノ他各種ノ方策ヲ講ジテ人質的掠奪拉致ノ事例ガ多クナルノデアル」。官憲による「夜襲、誘出」「人質的掠奪拉致」とは、すさまじい。


M小暮氏の官斡旋の描写は朝鮮人男性だが女性にはさらに暴力的だったろう。政府公表の公文書(復刻本CP113)に当時の朝鮮人女性の描写がある。「未婚女子ノ徴用は必至ニシテ中ニハ之等ヲ慰安婦ト為スガ如キ荒唐無稽ナル流言巷間ニ伝ハリ」云々。一方的に「荒唐無稽」と断じるところが官憲らしい。
http://masato555.justhpbs.jp/newpage155.html

7. 中川隆[-10411] koaQ7Jey 2019年9月16日 09:06:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2378] 報告
「週刊金曜日」12月11日号こぼれ話(2015年12月15日〜16日のツイートから再録)
    経済ジャーナリスト、今田真人
http://masato555.justhpbs.jp/newpage124.html


@「軍慰安婦」が労務調整令7条の動員対象だったことを示す厚生省186号通牒。大半が焼却されたとされる慰安婦関連公文書が発見できたのは、戦中の内務省職員(厚生省は1938年に内務省から分離)の故・鈴木僊吉氏の遺族が国会図書館に寄贈していたから。


A鈴木僊吉氏は、1928年に東京帝国大学法学部を卒業し内務省に入省。日中戦争が始まると、38年1月、内務省社会局などの一部が分離して厚生省新設。同氏は39年10月、厚生省に移籍。44年、同省勤労局動員第2課に所属。同課は女子動員を所掌した。


B戦後直後に焼却命令があった「軍慰安婦」関連の極秘通牒を、鈴木僊吉氏が秘蔵していたのは、この通牒を直接担当した厚生省の担当職員だったこだわりからだろう。彼は50年に死去したが、遺族がその後、国立国会図書館支部・労働省図書館(当時)に寄贈した。


C38年当時の内務省警保局の「慰安婦」関連資料を秘蔵していたのは、同局職員、故・種村一男氏。彼も生前は警察大学校に寄贈したものの公開せず、82年に死去。96年、警察庁が共産党の吉川春子参院議員に提出して公開。鈴木僊吉氏と同じ構図だ。


D「軍慰安婦」を動員した労務調整令(1941年勅令)の目的→「第1条 国家に緊要なる事業に必要なる労務を確保する為にする国家総動員法第6条の規定に基く従業者の雇入、使用、解雇、就職及退職の制限は別に定むるものを除くの外本令の定むる所に依る」


E「軍慰安婦」を動員対象と位置付けた労務調整令第7条の規定→「年齢14年以上40年未満の男子又は年齢14年以上25年未満の女子にして技能者及国民学校修了者たらざるもの(以下一般青壮年と称す)の雇入及就職は左の各号の1に該当する(続く)」


F労務調整令第7条の規定「(続き)場合を除くの外之を為すことを得ず 1 国民職業指導所の紹介に依り雇入れ及就職する場合 2 指定工場の事業主、厚生大臣の指定する事業を営む者又は厚生大臣の指定する者命令の定むる所に依り国民職業指導所の(続く)」


G労務調整令第7条の規定「(続き)紹介に依らずして雇入れるべき一般青壮年の員数其の他雇入に関する事項に付国民職業指導所長の認可を受けたる場合 3 命令の定むる所に依り特定の一般青壮年の雇入及就職に付国民職業指導所長の認可を受たる場合」


H例の厚生省「極秘通牒」の詳報。この通牒のメインは「労務調整令事務取扱要領」の徹底。同要領の「一般青壮年の雇入及就職認可申請の処理」の(1)に次の規定がある。「規則8条第1項の特定の青壮年雇入及就職認可申請に対する処分は別記(続く)」


I例の厚生省「極秘通牒」の詳報。「(続き)『令第7条第3号の認可方針』に依り之を為すべきこと」とある。そしてこの「別記『令第7条第3号の認可方針』」の「第3章 令第7条第2号に掲ぐる者以外の者に対する認可方針」の表に「酌婦、女給」が出てくる。


J「極秘通牒」の仕組みは官庁文書らしい複雑なものであるが、よく読むと、年齢14歳以上25歳未満で技能者及び国民学校修了者ではない女性を、「軍慰安婦」に動員したことは明確。「〇の要求に依り慰安所的必要ある場合」だけ認可するって、変な文章だけど。


K「〇の要求に依り」とは、他の関連公文書と比較すると「軍の要求に依り」という意味であることは明らか。また、「軍慰安婦」以外の「慰安婦」の募集は認可しないということも意味する。義務教育制を導入していなかった朝鮮の女性を狙い撃ちしたことも明確。


L戦中の朝鮮人女性の教育事情は『証言・未来への記憶T』(06年、明石書店)の金富子論文に詳しい。「日本と違って義務教育制が導入されなかった朝鮮では、経済的に優位にある在朝日本人児童よりも、朝鮮人児童のほうが高額の授業料を毎月徴収され(続く)」


M「(続き)朝鮮人の就学自体が政策的に抑制されていた」「とりわけ朝鮮人女性は、朝鮮社会のなかで女子に学問は不要であるとする儒教的な考え方が根強かったこと、朝鮮総督府も性差別を温存・維持したために、女性の地位が低く学ぶ機会に恵まれなかった」


N金富子論文引用続き「こうした趨勢は植民地末期である1940年代になっても大きな変化はなく、…朝鮮人男子の3人に1人、女子の3人に2人は、生徒として学校の門を一度もくぐったことのないという意味での完全不就学であった」。なんと露骨な政策か。


Oちなみに、Hに出てくる「規則8条第1項」とは「労務調整令施行規則8条第1項」のことで、「令第7条第3号の認可の申請は様式第7号に依り一般青壮年を使用せんとする場所の所在地の所轄国民職業指導所長に対し之を為すべし」と手続きを規定。ややこしい。


P拙稿の(注1)で紹介した「昭和16年度労務動員実施計画に依る朝鮮人労務者の内地移入要領」もすごい。強制連行の1つ、「官斡旋」方式の具体化だ。厚生省→朝鮮総督府→各道府郡島と人数を割り当て、当地職員(官憲)が労務者の供出義務を負う。逆はない。


Q同要領の「朝鮮労務供出機構の整備拡充」という項目に「朝鮮に於て労務担当職員に適任者を得難きときは内地関係官庁は之が供出に付協力する」という規定あり。これこそ内地警察の外郭団体「労務報国会」の法的根拠だろう。同会については別途原稿を書きたい。

http://masato555.justhpbs.jp/newpage124.html

8. 中川隆[-10410] koaQ7Jey 2019年9月16日 09:15:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2379] 報告

「慰安婦」問題とセクハラについて
2018年7月19日、今田真人
http://masato555.justhpbs.jp/KSDF8967.pdf

@「慰安婦」制度は、戦時の植民地女性の無権利状態の象徴

日本軍「慰安婦」制度は、戦時下の女性、とりわけ、植民地・朝鮮の女性の徹底的な無権利状態が
背景にある。ちなみに、刑法は、内地だけででなく、朝鮮にも同じ内容が適用された(1912年
3月18日、朝鮮刑事令)。『慰安婦』制度に関連する「略取及ヒ誘拐ノ罪」や、「猥褻(わいせつ)、
姦淫及ヒ重婚ノ罪」が存在した。この内容は、現行刑法でも基本的に変わらない。
しかし、戦時、それを取り締まる内地警察や朝鮮警察、外務省警察は、軍の意向で本気で取り締
まろうとしなかった。参政権を含め、植民地女性はみずからの権利を守る法的手段が一切なかった。


【戦前=1907年3月改正当時=】

第226条
帝国外ニ移送スル目的ヲ以テ人ヲ略取又ハ誘拐シタル者ハ2年以上ノ有期懲役ニ処ス
帝国外ニ移送スル目的ヲ以テ人ヲ売買シ又ハ被拐取者若クハ被買者ヲ帝国外ニ移送シタル者亦同シ

【戦後=現行=】
第226条所在国外に移送する目的で、人を略取し、又は誘拐した者は、2年以上の有期懲役に処する。

第226条の二
5 所在国外に移送する目的で、人を売買した者は、2年以上の有期懲役に処する。
第226条の三略取され、誘拐され、又は売買された者を所在国外に移送した者は、2年以上の有期懲役に処する。

A戦前の明治憲法下での女性の法的地位の低さ

・明治憲法下での内地女性の法的地位→

明治憲法には女性の地位についての条項がない。明治憲法下には「家制度」があり、女性の地位
は非常に低い。絶対的な権限を持つ戸主のもと、結婚も戸主である父親の決定に従わなければなら
なかった。妻の最大の役割は、「家」の跡継となる男児を産むことだった。夫や子どもの世話はも
ちろん「舅」や「姑」の介護も妻の役割とされた。妻は、法的には無能力者とされた。成人男性が
もつ参政権も女性にはなかった。

・日本国憲法下での女性の法的地位→

「前文主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」
「第14条すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、
政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」

「第24条婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、
相互の協力により、維持されなければならない。

2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に
関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」
http://masato555.justhpbs.jp/KSDF8967.pdf

9. 中川隆[-10415] koaQ7Jey 2019年9月16日 09:27:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2374] 報告

極秘公文書と慰安婦強制連行 (外交史料館等からの発見資料) – 2018/2/15
今田真人 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%A5%B5%E7%A7%98%E5%85%AC%E6%96%87%E6%9B%B8%E3%81%A8%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E5%BC%B7%E5%88%B6%E9%80%A3%E8%A1%8C-%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%8F%B2%E6%96%99%E9%A4%A8%E7%AD%89%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E7%99%BA%E8%A6%8B%E8%B3%87%E6%96%99-%E4%BB%8A%E7%94%B0%E7%9C%9F%E4%BA%BA/dp/4380180026

内容紹介

2014年8月の「朝日新聞」の吉田証言検証記事以来、「慰安婦」強制連行そのものを「虚偽」だとする言説が一挙に広められ、いまや、日本政府の公式見解にさえなった感がある。朝鮮人「慰安婦」強制連行が本当にウソなら、当時の公文書を調べれば、いろいろな証拠が出てくるはずである。この問題意識こそ、私がいまだに「慰安婦」関連の公文書を探し続けている最大の動機である。……公文書を所蔵する全国のさまざまな図書館や文書館を訪ね歩いてきたが、もっとも多くの関連公文書を発見できたのは、外務省の外交史料館だった。同館は私にとって「宝の山」なのである。そこで発見した公文書はどれも吉田証言と矛盾せず、その正しさをさらに裏付けるものとなっている。


内容(「BOOK」データベースより)

「朝日新聞」の吉田証言検証記事以来「慰安婦」強制連行そのものを「虚偽」だとする言説が一挙に広められてしまった。だが、外務省・外交史料館で発見した公文書はどれも吉田証言と矛盾せず、むしろその正しさを裏付けるものとなっている。1938年中の外務省関連の公文書12点全文他、全41の資料を書き起こし。


▲△▽▼


2018年6月22日・拙著『極秘公文書と慰安婦強制連行』(三一書房刊)出版記念シンポジウムのページ
 2018年6月22日〜、今田真人
http://masato555.justhpbs.jp/newpage164.html


 拙著『極秘公文書と慰安婦強制連行』(三一書房刊)出版記念シンポジウムは2018年6月22日(金)午後6時半から、東京都豊島区の会場で行われ、50人以上が参加しました。

 その際提出された私の報告レジュメを以下、添付します。(PDFのダウンロードはこちらから。当日配布したレジュメの誤植を訂正しています)

 全体のシンポの模様は、三一書房さんがユーチューブにアップしました。→こちら

 拙著についての書評や、出版記念シンポジウムの報道記事は、三一書房のHPからも閲覧できます。→こちら

 朝鮮総連機関紙「朝鮮新報」2018年6月27日号が出版記念シンポジウムを報道してくれました。→こちら

 社民党機関紙「社会新報」2018年7月18日号が「このひと」欄で筆者を紹介してくれました。


◎6月22日・出版記念シンポでの報告
「吉田証言は生きている―どこまで分かったか、その到達点」レジュメ
                     ジャーナリスト、今田真人


@はじめに

 吉田証言について、2014年8月5日付の朝日新聞の検証記事が「裏付け得られず虚偽と判断」(同記事の見出し)としてから、4年弱の期間が経った。同検証記事が虚偽と判断したのは「日本の植民地だった朝鮮で戦争中、慰安婦にするため女性を暴力を使って無理やり連れ出した」という吉田清治氏の著作や証言のすべてに及んでいる。それは、一見して吉田証言の否定であるが、実質的には、植民地・朝鮮での日本政府・軍による「慰安婦」の暴力的な強制連行という歴史的事実のすべての否定である。

 暴力的な強制連行は、「慰安婦」制度の強制性と組織性を端的に示す象徴的な事例であると私は考える。朝日新聞の検証記事が暴力的な強制連行の否定だけでなく、一見無関係な「挺身隊」との混同説を否定してみせているが、これも「慰安婦」制度の強制性と組織性の否定が同検証記事の狙いと考えれば、うなづけるものである。

 そして、日本を代表するオピニオン紙ともいわれる朝日新聞が、暴力的な強制連行の存在を一切否定したことが、日本のメディアの重大な変質として画期をなすものと考えられる。背景には、以下の2つの事例に示すように、安倍政権を先頭にした日本の戦犯勢力の執拗な圧力がある。

 朝日新聞社第三者委員会報告書(2014年12月22日発表)は、先の同紙の検証記事について、「本件検証記事の掲載は、朝日新聞の危機管理に属する案件であったため、記事の方針について経営幹部らが関与した」(P32〜)と明記している。これは、暴力的な強制連行の存在を否定しなければ、朝日新聞が経営危機に陥るほどの政権からの圧力があったことを認めたものでもある。朝日新聞は、「危機管理」の名の下に、権力者の気に入るように、真理をまげたのである。

 また、安倍首相自身が2014年10月3日の衆院予算委員会で、この朝日新聞の検証記事の感想を自民党の稲田朋美議員に問われ、次のように答弁している。

 稲田議員「私は弁護士時代からこだわってきたことがあって、それは、日本の名誉を守るということであります。…ことしの8月5日、慰安婦問題について、朝日新聞が32年たって誤りを認め、謝罪をいたしました。これにより、慰安婦を奴隷狩りのように強制連行をしたという吉田証言が虚偽であって、さらには、慰安婦と挺身隊を混同したということは誤りだったということが認められたわけであります。…総理は、若手議員のころから、教科書から慰安婦の記載を削除して日本の名誉を回復するために尽力をされていたわけですけど、今回の慰安婦問題をめぐる状況、そして、世界中で地に落ちているこの日本の名誉を回復するために、政府としてどのように取り組まれるのか、お伺いをいたします」

 安倍首相「本来、個別の報道についてコメントすべきでないと思っておりますが、しかし、慰安婦問題については、この誤報によって多くの人々が傷つき、悲しみ、苦しみ、そして怒りを覚えたのは事実でありますし、ただいま委員が指摘されたように、日本のイメージが大きく傷ついたわけであります。日本が国ぐるみで性奴隷にした、いわれなき中傷が今世界で行われているのも事実であります。…かつてはこうした報道に疑義を差し挟むことで大変なバッシングを受けました。かつて、まさに、日本が性奴隷にしたとの判決をクローズアップした番組をNHKがつくったわけでありますが、これに中川昭一さんと私が事前に介入して番組を変えさせたという朝日の報道があったわけでありますが、これも中川昭一さんは事前に会っていないと認めていますし、私が呼び出したということも、そうではないということが明らかになったわけでございます。しかし、今回、これが誤報であったことが明らかになったわけでございます」

 この安倍首相の答弁は、今回の朝日新聞の検証記事が、NHKの番組改編事件(2001年1月30日放送のNHK番組「問われる戦時暴力」)や、その番組改編に安倍晋三氏らの圧力があったことを暴露した2005年1月12日付の朝日新聞の記事とその後の同紙の「謝罪」という、一連のメディアの屈服劇の延長線上にあることをも示している。(参考文献、川崎泰資・柴田鉄治『組織ジャーナリズムの敗北――続・NHKと朝日新聞』〈2008年、岩波書店〉)

 「かつてはこうした報道に疑義を差し挟むことで大変なバッシングを受けました」と、安倍首相が率直に語っているように、この答弁は、安倍氏が朝日新聞の吉田証言報道にも「疑義を差し挟」んだことを暗に認めている。「報道に疑義を差し挟むこと」とは、権力のメディアへの介入そのものである。それを国民から批判されたことを「大変なバッシングを受けました」というところに、安倍氏の言葉の詐術を感じる。

 また、権力が報道に介入し、メディアがそれに屈服し、事実を捻じ曲げることを、誤報の訂正とはいわない。これは、メディアの権力への屈服そのものである。

 さらに深刻なのは、この朝日新聞の権力への屈服ともいえる紙面に追随し、日本の左翼政党の代表的存在である日本共産党の機関紙、「しんぶん赤旗」が2014年9月27日付で、吉田証言についての過去の報道記事3本(私が書いた吉田氏へのインタビュー記事1本を含む)を取り消したことである。

 「しんぶん赤旗」の検証記事の特徴は、先の朝日新聞の検証記事について、メディアの権力への屈服であるという本質を一切見ようとせず、「これ(朝日新聞の吉田証言取り消し記事)をきっかけに…異常な『朝日』バッシングが続けられています」などという表現で、この問題で権力に屈服せずに抵抗していたかつての朝日新聞と、屈服したその後の朝日新聞を、ミソもクソもいっしょに擁護していることである。

 「日本の名誉を回復するために」、歴史的事実を捻じ曲げるのは、かつての侵略戦争や植民地支配の痛切な反省の下、平和憲法に基づき戦後民主主義を歩んできた日本国民の努力の成果を覆すものである。この問題はいまや、メディアや革新政党が戦中の国家犯罪を擁護する戦犯勢力の圧力に屈服していいのかという、きわめて重要な政治問題になっている。

A拙著『吉田証言は生きている』(共栄書房)の出版

 私は2015年4月10日に、拙著『吉田証言は生きている』(共栄書房)を出版し、朝日新聞や「しんぶん赤旗」の検証記事に異議を唱えた。その内容は、先の朝日新聞や「しんぶん赤旗」の検証記事が吉田証言を虚偽と判断する大きな根拠にしている、秦郁彦氏の済州島での調査結果(産経新聞1992年4月30日付が紹介)などについて、1993年10月4日、18日、吉田氏が反論したインタビュー(当時、赤旗記者だった私によるもの)の録音起こしの全文紹介とその解説が中心である。


B共著『「慰安婦」問題の現在』(三一書房)の出版

 その後、私は2016年4月19日に、共著『「慰安婦」問題の現在』(三一書房)の中で拙稿「『吉田証言』は本当だった――公文書の発見と目撃証人の登場」を発表した。拙稿は、労務調整令による「慰安婦」の強制連行を示す「極秘通牒」(1941年12月16日付、厚生次官「労務調整令施行ニ関スル件依命通牒」)などの公文書を写真復刻で紹介した。

 これまで、「慰安婦」強制連行の証明は、ある意味で、軍の強制連行の命令書が存在するかどうかが焦点だった。しかし、勅令(天皇の法的命令)である労務調整令の「極秘通牒」に、慰安所での酌婦・女給(「慰安婦」の別名)が「戦時労務動員」の動員対象として明示されていたことは、軍の命令書の存在以上に決定的なことである。戦時中に最大の法的強制力を持った勅令で、「慰安婦」が戦地の慰安所に動員されていたわけである。法令によって権力機関が「慰安婦」を動員することは、権力の手先である個々の「業者」の暴力以上の強制力を持つ。それに違反すれば、権力機関による、あらゆる刑罰・処罰が待っている。逃げることはできない。

C拙著『極秘公文書と慰安婦強制連行』(三一書房)の出版

 そして、2018年2月15日、今回の拙著『極秘公文書と慰安婦強制連行――外交史料館等からの発見資料』(三一書房)の出版に至った。その各章の要点と注目点を報告したい。


〈第1章 戦時動員職種に未成年朝鮮人女性の「接客業」〉

 これまで、「極秘通牒」のいう慰安所の酌婦・女給について、日本人(内地人)女性だけでなく、朝鮮人女性をも対象にしていたことが、いま一つ、明確でなかった。

 それを、外交史料館で発見した朝鮮総督府の公文書「朝鮮総督府部内臨時職員設置制中改正ノ件」(1944年5月19日付、巻末の資料39)が明確にした。

 そこには「労務調整令ヲ改正シ接客業、娯楽業等ニ於ケル女子青少年(概ネ12年以上、25年未満ノ者)ノ使用制限ヲ実施スル」と、明記されている。

これは、労務調整令を改正するまでは、その労務調整令により、植民地・朝鮮で、未成年を含む若い朝鮮人女子を「接客業」へ無制限に動員していたことを意味している公文書である。しかも、その後、労務調整令がその趣旨に沿って改正されたという公文書は見つかっていない。なお、「接客業」とは、当時の公文書では、軍慰安所での酌婦・女給業を主に意味する隠語である。

 そのうえ、労務調整令が改正されたとしても、「慰安婦」としての朝鮮人女性の「使用制限」とは「禁止」ではなく、その「使用」を肯定した上での制限である。現状で無制限の動員だったものが、いくつかの「使用制限」が加わるにすぎない。

〈第2章 吉田清治氏が属した労務報国会を追う〉

 吉田清治氏が属した労務報国会について、発見した公文書で詳しく分析した章である。中でも重要な公文書は、帝京大学図書館の所蔵されている厚生省勤労局長「道府県労務報国会ノ労務配置ニ対スル協力方指導指針ニ関スル件」(1943年5月18日付)と、大日本労務報国会理事長「勤労挺身隊ノ組織整備ニ関スル件」(1943年10月9日付)の2つである。いずれも大日本労務報国会が編集した冊子『労務配置関係通牒集』(1944年5月)に収録されたもので、その題名の符号から厚生省発の通牒と考えられる。

 それは、労務報国会が国家総動員法に基づく「国民動員計画」による「労務配置」に「協力」し、事実上、朝鮮で国家権力に代わって動員業務をする「朝鮮労務供出機構」になっていた可能性を示している。また、労務報国会は、会員を「勤労挺身隊」に組織して動員できたことも示している。

 これは、先の朝日新聞の検証記事が「慰安婦と女子挺身隊が別だということは明らか」などと断定したことが、本当は誤りであることも証明している。「軍の緊急要員」として挺身隊の名で労務報国会が動員した女性の職種が、「慰安婦」であった場合もあったわけである。


〈第3章 奥野誠亮氏の死去〉

 「従軍記者や従軍看護婦はいたが、『従軍』慰安婦はいない。商行為に参加した人たちだ。戦地で交通の便を(国や軍が)図っただろうが、強制連行はなかった」

との発言をした奥野誠亮氏が2016年11月16日に亡くなった。彼は1996年6月4日に結成された「『明るい日本』国会議員連盟」(自民党の国会議員116人を組織)の会長に就任し、そのときの記者会見で、上記のような発言をした。(朝日新聞1996年6月5日付)

 1997年2月27日に戦後世代の自民党国会議員を中心に結成された「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(代表・中川昭一、事務局長・安部晋三、国会議員107人を組織)と設立時期がほぼ重なる。

 奥野氏は、「慰安婦」強制連行を否定する自民党国会議員の先駆であるが、戦時中、内地から出たり内地に入ったりする朝鮮人を管理していた鹿児島県の特高課長という経歴を持っていた。また、米軍占領直前に「公文書の焼却」を各省の官房長に指示した内務官僚の実務者トップでもある。(読売新聞2015年8月10日付)

 その理由は「ポツダム宣言は『戦犯の処罰』を書いていて、戦犯問題が起きるから、戦犯にかかわるような文書は全部焼いちまえ」というものだった。

 安倍首相の思想的先輩といえる奥野氏の経歴を通じて、「慰安婦」強制連行否定説が、日本の侵略戦争・植民地支配の戦争犯罪を隠蔽することを目的に流布された、壮大なデマゴギーの体系であることを浮き彫りにする。

〈第4章 「業者」は初めから軍の偽装請負・手先〉

 「慰安婦」強制連行での「業者」の役割の解釈は、奥野誠亮氏や朴裕河氏をはじめ、それが国家犯罪かどうかの判断を分ける最大の指標になっている。この章は、政府公表の公文書のうち、比較的初期の1938年の警察庁公表文書3点を詳しく分析し、「業者」が日中戦争(日本の中国侵略戦争)の初めから、日本軍の絶対的指揮下にあったことを示し、「業者」は日本軍の手先・偽装請負業者にすぎないことを浮き彫りにしている。その決定的指標は、「業者」の仕事内容について、上部組織が指揮命令を行っているのか否かである。指揮命令を行っていれば、法的には「業者」と上部組織(日本軍)は一体であり、元請け・下請けといった相互に独立した組織とはみなされない。日本軍が「業者」に指揮命令を行っていれば、それは日本軍が「慰安婦」の強制連行をしたことと法的に同じ意味になる。これは慰安所の管理についても同様であり、「業者」が慰安所を管理していても、その「業者」が日本軍の指揮命令下にあれば、日本軍が慰安所を管理していたことと法的に同じ意味になる。 
  
 では、なぜ、わざわざ日本軍は、「慰安婦」強制連行で兵士ではなく、「業者」を使ったのか。それは、官憲の人員不足の補てんのほか、「やくざ・女衒のような汚い仕事はしたくない」という日本軍の威信の保持、戦争責任の回避などにあった。


 ・吉田証言「(軍需工場をダイナマイトで破壊するなどする朝鮮人を動員する業務の)責任者を、公務員にしてたら…県知事、首が飛ぶ。しかも、戦時軍法ですから、連中、辞職どころですまない。死刑か重刑に処せられる。その責任のがれをするために、労務報国会の各県単位、各支部にも動員部長を置いた。…そうすると、すべてが動員部長が最高責任をもつ。…不逞鮮人に動員をかけて、軍需施設に送り込んだ奴は、当然、軍法にかけられ、動員部長がその責任を負うような、ちゃんと内務省はそういう綱領をつくってしまった。だから、そのために、これは絶対に警察の嘱託というふうにしていない」(『吉田証言は生きている』P43〜)


 ・吉田証言「(1942年9月の労務報国会設置当時)各支部に『事務局』を置き、数人から数十人の事務職員には、官公吏、復員の傷痍軍人、各建設事務所の労務係、炭鉱の人事係などの労務監督の経験者の中から適任者を選んで、警察が半ば強制的に志願させて採用した。『道・府・県労務報国会』の会長は、現職の知事が兼務していて、『支部長』は警察署長が兼任であった。そのころの警察署は署員の『召集』で人員が不足していて、本来の警察業務のほかに労務動員業務を行う余力がなかった。『支部』設立のはじめから、動員業務の実務は事務局で行ない、事務局責任者の『動員部長』が、事務局職員を指揮して実行した」(『私の戦争犯罪』P10〜)

 ・1938年(昭和13年)3月4日 陸軍省副官→北支方面軍・中支派遣軍参謀長
「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」
 【出典】政府公表資料、防衛省防衛研究所所蔵

(内容)
副官ヨリ北支方面軍及(および)中支派遣軍参謀長宛通牒案

支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為内地ニ於テ之ガ従業婦等ヲ募集スルニ当リ故(ことさ)ラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少カラザルニ就テハ将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於テ統制シ之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実施ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密(ひそか)ニシ次デ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス

〈第5章 国会図書館が「極秘通牒」を内閣官房に提出〉

 国会図書館は2017年6月2日、同館所蔵の戦中の公文書『労務調整令事務取扱関係通牒集(1)』(「極秘通牒」と呼んでいる)を、「慰安婦」関連資料として内閣官房副長官補室(外政審議室の後身)に提出した。この章では、労務調整令が1941年12月8日公布の勅令で、国家総動員法第6条の規定する戦時労務動員の具体的運用を定めた法規であったことにかんがみ、朝鮮人女性の「慰安婦」への戦時労務動員が「挺身隊」の名の下、「官斡旋」で行われたことを、いくつかの公文書を使って示す。

 また、当時の「官斡旋」による朝鮮人動員が、暴力的な強制連行そのものであったことを、外交史料館所蔵の内務省嘱託・小暮泰用「復命書」(1944年7月31日付)で示す。なお、「官斡旋」は、連行の主体が官憲であることはいうまでもない。

 中でも朝鮮での「動員ノ実情」として「全ク拉致同様」であったと指摘する箇所は、暴力的な強制連行を示す決定的証拠である。とくに「全ク拉致同様」を言い換えて「夜襲、誘出、其ノ他各種ノ方策ヲ講ジテ人質的掠奪拉致」と描写している点も重要である。

 また、「全ク拉致同様」だった理由として「若シ事前ニ於テ之ヲ知ラセバ皆逃亡スルカラデアル」と書いていることは、重要である。強制連行は、朝鮮人が逃げるから実施されたのである。動員先の仕事は、逃げたくなるような危険で嫌な内容であった。いかに植民地・朝鮮の住民が貧困にあえいでいても、動員先の仕事が出稼ぎであったり、高給で自発的な仕事であったなら、逃げる必要はないからだ。

 朝鮮人男性の「官斡旋」の動員が「人質的掠奪拉致」であった1944年前後の時期、朝鮮人女性の「官斡旋」が「人質的掠奪拉致」以上のむきだしの暴力的な動員であったことは、想像に難くない。

 この公文書を前にして「政府としては、これまでに政府が発見した資料の中には軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかったという立場を辻元清美議員の質問主意書に対する答弁として平成19年(2007年)に閣議決定しており、その立場に何ら変更はありません」(2016年1月18日、参院予算委)という安倍首相の答弁は、まったく説得力を持たない。

 ついでに、2014年8月5日付の朝日新聞の検証記事が出される直前まで、日本の大新聞や官僚がまだ、吉田証言で正常な判断をしていたことを示そう。

 毎日新聞2013年8月28日付夕刊の記事「特集ワイド――『河野談話』『村山談話』谷野作太郎・元駐中国大使に聞く(下)」である。谷野氏は1993年の「河野談話」作成時、内閣外政審議室長として関わった。

 その中で、谷野氏は言う。

 「私の韓国の友人。この人は日本の学校を出た人で私と同い年(1936年生まれ)ですが、彼は『子供のころ、自分の村では年ごろの娘を外に出すなと言われたものだ。それでも彼女らが横付けされたトラックに乗せられ、泣き叫びながら連れ去られていくのを目にしたことがある。そこにはオマワリやヘイタイもいた……』と。竹島(韓国名・独島)の話では冷静さを保つ彼も、この話になると大変感情的になります」

 朝日新聞の検証記事は、他の日本の大新聞や官僚まで、大きく権力寄りに変質させてしまった。

〈第6章 労務調整令の前身、青少年雇入制限令〉

 朝鮮人の「慰安婦」の強制連行は、1940年1月31日公布の青少年雇入制限令で、それまでの日本軍や警察権力の強制によるものから、法的強制力を持つ戦時労務動員に位置づけられた。その動員ルートは、朝鮮職業紹介令関連の朝鮮総督府内務・警保局長通牒(1940年1月27日付)により、周旋業者が植民地・朝鮮から内地に連れ出した朝鮮人女性を、年齢(12歳以上20歳未満)や学歴で日本人女性と差別・選別し、「芸妓、酌婦其ノ他之ニ類スル業務」に強制連行するものになっている。

 その就業地は、外交史料館所蔵の内務省警保局長の公文書「渡支邦人暫定処理ニ関スル件」(1941年6月3日付)によると、当時の中国(支那)における日本軍占領地が中心であった。同じく外交史料館所蔵の1940年5月7日付の閣議決定文書「渡支邦人ノ暫定処理ニ関スル件」の関連文書「『渡支邦人暫定処理ノ件』打合事項」には、次のような露骨な表現もある。いわく「軍慰安従業婦カ開館シ居ラザル領事館管轄区域ニ渡支セシメントスル場合ニハ軍ノ証明書ヲ最寄領事館ニ提出シ右領事館ノ警察署ヨリ渡支事由証明書ヲ発給スルコト」。「軍慰安従業婦」が軍「慰安婦」であることは言うまでもない。

 この「『渡支邦人暫定処理ノ件』打合事項」の記述は、領事館が開館していない区域の現地軍が「慰安婦」を「渡支」させるには、「最寄領事館」に軍の証明書を提出する必要があるというものだが、領事館が軍の証明書なしで「慰安婦」を「渡支」させることができたかといえば、そうではない。

 外交史料館所蔵の内閣総理大臣指令「(極秘)渡支邦人ノ暫定處理ニ関スル件」(1940年5月7日、茗荷谷文書J31)の付属文書「許可要領」には「定住又ハ現地勤務ノ為トハ半永久的ニ支那ニ居住シ具体的計画ト所要ノ準備トヲ以テ一般実務ニ従事セントスル場合在支商社ニ勤務スル場合現地軍採用ニ係ル軍属又ハ雇傭人ノ渡支セントスル場合並ニ永住ヲ目的トスル家族ノ呼寄ノ場合ニ限ルモノトス」とされ、領事館警察署が「渡支事由証明書」を発給できる「酌婦・女給等(慰安婦)」は実質的に、軍属か軍が雇うと決めた場合に限られていた。

 領事館警察署の証明書は、支那(中国)に駐屯する現地日本軍の「(慰安婦の)呼び寄せ証明書(事実上の慰安婦強制連行命令書)」の隠れ蓑になったのである。
 しかし、外交史料館所蔵の外務大臣発・台湾総督府外事部長宛ての秘密電報「南方方面占領地ニ対シ慰安婦渡航ノ件」(1942年1月14日、外務省記録J.2.2.0−J21)によると、「支那」以外の「南方占領地」への「慰安婦」の渡航は、「此ノ種渡航者ニ対シテハ軍ノ証明書ニ依リ渡航セシメラレ度シ」という方針になり、領事館(外務省)の介在が省略されるようになった。手続き上も領事館の「呼び寄せ」という隠れ蓑を脱ぎ、日本軍の「呼び寄せ」であることを隠さなくなったのである。

 青少年雇入制限令は、1941年12月8日公布の労務調整令に吸収・廃止され、法的枠組みによる朝鮮人女性に特化された「慰安婦」強制連行は、いっそう強化されていく。その方法は、「年齢14年以上25年未満ノ女子ニシテ技術者及国民学校修了者タラザルモノ」を選別するというものである。国民学校への通学が義務教育であった内地の女子と違って、植民地・朝鮮の女子には義務教育制度が適用されていなかった。1940年以降、朝鮮の「過剰労力」として鮮外への強制連行の対象とされた朝鮮農村の婦女子が、「其ノ9割以上ガ殆ンド無教育」(拙著P222、資料40)であったことから、「慰安婦」の動員対象として、明確に狙いが定められたのである。

〈第7章 発見した1938年当時の外務省関連資料〉

 「週刊金曜日」2017年11月24日号掲載の拙稿に加筆したものである。外交史料館でさまざまな資料を閲覧していた際に偶然見つけた公文書である。見つけてしまえば、インターネットのサイト「アジア歴史資料センター」の検索ページで、「社会問題諮問委員会」と打ち込めば、その復刻写真は、ネットでも容易に検索・閲覧できる。検索画面に出てくる12件の文書の件名から、8〜12の5つの文書(3つに分割してあるが、いずれも簿冊「社会問題諮問委員会一件第二巻」に綴じられた文書である)をPDF形式でダウンロードすれば、すべて復刻写真(白黒)としてパソコン上で入手できる。しかし、拙著P92で示した12の文書の題名や「内地親元ヨリ捜査願」などのキーワードをそれぞれ打ち込んでも、この文書は検索できない。

 これは、この12件の文書が、当時の国際連盟の社会問題諮問委員会(婦人児童売買委員会の後身)の付属資料として、この簿冊(ファイル)に綴じられており、保管する外交史料館の担当者が、「慰安婦」関連資料として認識していなかったからだと思われる。これらの公文書を私の「発見」ではないかと考えたのは、見つけた後の、こうした資料検索の困難さからだが、もちろん、最終的には、既存の多くの著作を国会図書館などで調べ、確認した結果でもある。しかし、もし、私の調査が不十分で、すでに著書などで言及している研究者がおられれば、ぜひお知らせ願いたい。その場合、「発見」という言葉は潔く撤回したい。それほど、この資料を「発見」したと明記するのは、冷や汗ものだった。

 ところで、この公文書は、第7章の文章だけでなく、第8章(P104〜)での、中国への「慰安婦」連行のルートや人数を示した分析や、第10章での、戦時中の国際連盟を中心にした国際法の分析などの、原資料にもなっている。さまざまな新発見がある貴重な公文書の山である。詳しくは拙著を読んでいただければいいのだが、こういう公文書がまだまだ埋もれているのが、外務省の公文書館である外交史料館である。


〈第8章 公文書が示す「慰安婦」強制連行のルートと人数〉

 1937年7月7日の「支那事変」以降、本邦(内地や朝鮮、台湾)からの「慰安婦」の中国(満州を除く)への渡航数は、「女給」「仲居」「芸妓」「娼妓」「女中」「接客業者(初渡航者)」を「慰安婦」の別名と考えれば、おおまかな数字をつかむことができる。外交史料館には、その数字は1939年末まで、ほぼそろっている。

それによると、1937年〜39年末までの渡航数合計(統計欠落月を除く)は2万5922人、内訳は、

内地人女性が2万0740人(80%)、
朝鮮人女性が4406人(17%)、
台湾人女性776人(3%)

である。

しかし、山海関(陸路)という地元警察の渡支身分証明書のいらない「抜け道」経由の渡支者は、1937年〜39年末で1万2726人(そのほとんどが朝鮮人女性と考えられる)、同じく同証明書のいらない「満州国」(関東軍の慰安所)への渡航者(これもほとんどが朝鮮人女性と考えられる)、内地の日本軍慰安所への連行者を合わせると、朝鮮人女性は内地人女性を大きく上回わったと考えられる。

 また、1940年以降の渡航数は、それを示す統計は、断片的にしか発見できなかった。なぜか。それは、1940年以降の「慰安婦」の渡航数について、戦況が厳しくなったため、統計を取らなくなったか、あるいは敗戦時に統計を廃棄したかである。しかし、いくつか残っている統計や公文書からすると、日本軍の戦線が東南アジアや太平洋諸島へ拡大したこともあり、朝鮮人女性の渡航数はけた違いに激増する一方、内地人女性は激減しているようである。

 1940年以降の朝鮮人女性の渡航者数がけた違いに激増したとする根拠の一つに、「慰安婦」強制連行の法的枠組みである、青少年雇入制限令(1940年1月31日公布)や労務調整令(1941年12月8日公布)が施行され、とりわけ未成年の朝鮮人女性がターゲットにされたことがある。また、1940年3月に朝鮮総督府が鮮外への労務動員可能数を調べた「労務資源調査」(韓国記録保存所所収)の結果が残っている(拙著P110〜)。それによると12歳〜19歳の朝鮮人未成年女性の動員可能数を35万2570人としている。調査実施以降に当該年齢になる未成年女性の数を考えると、合計40万人を超える規模になる。動員可能数すべてが「慰安婦」に動員されたわけではないにしても、1937年〜39年末の朝鮮人女性の「慰安婦」への動員数合計2万人前後より、ケタ違いに多いものになったであろう。

 日本の歴史修正主義者は、朝鮮人「慰安婦」の強制連行数約20万人という通説を否定するが、これらの様々な断片的な公文書は、むしろ、20万人を裏付けするものになっている。

〈第9章 女子動員計画に「民族力強化」の言葉〉

 この章は、国家総動員法に基づく国民動員計画(1939年度〜44年度、閣議決定)における、朝鮮人女性の戦争動員の思想的位置付けについて分析した。

 1つ目の分析の視点は、「民族力強化」という言葉が、1943年度の同計画に入ったことである。これは、内地や植民地すべてを対象にした同計画で、植民地の女性の戦争動員の在り方について、特別に民族差別を強化することを打ち出したものである。女性の戦争動員の強化で、朝鮮人差別をするということは、それを「慰安婦」にするということの思想的表現であった。この言葉によって、朝鮮人女性を日本軍「慰安婦」へ戦争動員する道が思想的に踏み固められたと考えられる。

 2つ目の分析の視点は、同じ時期の朝鮮人女性のこうした戦争動員が「挺身隊」と呼ばれたことを特記している。内地人女性の戦争動員も「挺身隊」と呼ばれたが、それは国民登録をされて身分保障をされた女性であった。後には女子挺身勤労令の適用を受け、国家総動員法による、より手厚い身分保障がなされた。一方、朝鮮人女性の「挺身隊」制度は、そうした身分保障がなく、あくまで「官の指導斡旋(官斡旋)」という形で官憲に強制連行される異民族女性と位置付けられた。朝鮮人の「官斡旋」は、内地人にない戦争動員形態であり、男女とも官憲による奴隷狩り的な強制連行であった。「挺身隊との混同」論を朝日新聞の検証記事は「誤用」としているが、この章の2つ目の分析の視点は、その論に対する公文書による反論でもある。1943年前後の朝鮮人女性の「慰安婦」の強制連行が「挺身隊」の名で実施されたことを示すものである。人数の上でもこの時期が圧倒的に多く、歴史的にもそれ以前の「慰安婦」の強制連行より新しい。戦後、韓国で名乗り出た「慰安婦」被害者の多くが「挺身隊」として連行されたと記憶しているのは、むしろ当然である。

 3つ目の分析の視点は、当時の「大東亜共栄圏」思想の中で、朝鮮人の職業について、「慰安婦」の別名である「接客業」を明示し、民族差別の下位に位置づけていることを示している。また、当時の内務省資料にある「朝鮮統治施策企画案」という極秘文書に、「大和民族化」のために朝鮮民族を「抑制」しようとする方針が書かれていることも示している。人口の抑制に「優生法」の施行まで打ち出しており、その発想はナチス張りの異常なものであった。


〈第10章 婦女売買を禁じた戦前の国際法〉

 この章は、このほど発見した1938年当時の「慰安婦」に関する外務省文書が、外務省の国際連盟・社会問題諮問委員会(婦人児童売買委員会の後身)についての出先と本省のやりとりを収録したファイル(簿冊)から発見されたことをヒントに書いたものである。

 国際連盟が中心になって策定してきた、婦人児童売買禁止の一連の国際法の中で、1937年7月7日の「支那事変」以降の日本軍の中国侵略戦争拡大とともに、その国際法の流れに反して、「慰安婦」の強制連行を拡大していく様子が、発見した公文書に赤裸々に綴られている。

 日本の「慰安婦」強制連行は、外務省が、植民地・朝鮮からの女性動員という「抜け道」を国際法で確保することで拡大していった。国際連盟は、欧州各国の協調を中心とした世界秩序であったが、それは、1941年12月8日の日本の対米英戦争開始で、最終的に崩壊した。それは、「慰安婦」強制連行の法的枠組みを確立した労務調整令の公布と期せずして一致したのである。

 拙著は巻末の「抜き書き」で、

@1904年「醜業ヲ行ハシムル為ノ婦女売買禁止取締ニ関スル国際協定」(P138〜《資料2》)、

A1910年「醜業を行ナワシムル為ノ婦女売買禁止ニ関スル国際条約」(P139〜《資料3》)、

B1921年「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」(P141〜《資料4》)、

C1933年「成年婦女ノ売買禁止ニ関スル国際条約」(P146〜《資料5》)、

D1936年「他人ノ醜業ニ依ル利得ヲ禁止スル為ノ国際条約(草案)」(P148〜《資料9》)、

E1950年「人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」(P224〜《資料41》)の6つの協定・条約(案)を紹介している。


 日本政府は、@〜Bについて植民地を適用除外としながら加入し、Cは未加入、Dは条約の成立そのものに反対、Eは戦後加入というという態度を取った。ここに「慰安婦」問題に関して、戦前戦中の日本政府の朝鮮民族差別の思想と方針が浮き彫りになっている。

《資料》安倍首相の吉田証言関連の言説の変遷

@【1997年5月27日】

 衆議院決算委員会第2分科会(1997年5月27日)での安倍晋三議員の質疑(議事録)からの引用

――

 先ほど申し上げましたように、特にことし、中学の教科書、7社の教科書すべてにいわゆる従軍慰安婦の記述が載るわけであります。この問題にこの問題に絞って幾つか質問させていただきたいと思うわけであります。

 私も従来から我が国の歴史教科書の記述については問題点が多いな、こう思っておりました。しかし、この従軍慰安婦の記述については余りにも大きな問題をはらんでいるのではないかと私は思います。これは私だけではなくて、そういう問題意識を持っている議員はたくさんいるのですよね。ことしになって、特にこの記述に疑問を持つ若い議員が集まって、日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会というのを発足いたしました。当選5回以下に絞っているにもかかわらず、自民党だけで60名近い議員が集まって、勉強会を既に8回、文部省からも説明員としてご出席をいただいたわけでございますが、勉強会を重ねてきました。それぐらいたくさんの議員が問題意識を持っているということであります。

 それはなぜかといえば、この記述そのもの、いわゆる従軍慰安婦というもの、この強制という側面がなければ特記する必要はないわけでありますが、この強制性については全くそれを検証する文書が出てきていないというのは、既に予算委員会、先ほど私が申し上げました小山議員、片山議員の質問の中で、外政審議室長の答弁等々から明らかであります。唯一のよりどころは、16名の元慰安婦の人たちの証言ということでありますが、これはやはり私どもの勉強会におきまして、石原元副長官に講師としてお越しをいただきまして証言をしていただいたわけでございますが、もう既に、これは16名の人たちから聴取をするというときに強制性を認めるということで大体方針が決まっていた。それを否定するというのは、とてもそういう雰囲気ではなかった。これは実際の話としてお話があったわけであります。明らかにこれは外交的配慮から強制性があったということになってこの官房長官談話につながったのだ、私はこういうふうに思います。

 そもそも、この従軍慰安婦につきましては、吉田清治なる詐欺師に近い人物が本を出した。この内容がもう既にめちゃくちゃであるということは、従軍慰安婦の記述をすべきだという中央大学の吉見教授すら、その内容は全く根拠がないということを認めております。しかし、この彼の本あるいは証言、テレビでも彼は証言しました。テレビ朝日あるいはTBSにおいてたびたび登場してきて証言をいたしました。また、朝日新聞は大々的に彼の証言を取り上げて、勇気ある発言だということを新聞紙上で扱って、その訂正はいまだかつて1回もしていない。テレビ局も新聞もそうであります。

 しかし、今は全くそれがうそであったということがはっきりしているわけであります。この彼の証言によって、クマラスワミ報告は国連の人権委員会に報告書を出した。ほとんどの根拠は、この吉田清治なる人物の本あるいは証言によっているということであります。その根拠が既に崩れているにもかかわらず、官房長官談話は生き、そしてさらに教科書に記述が載ってしまった。これは大変大きな問題である、こういうふうに思っております。

A【1997年12月23日】

 日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編『歴史教科書への疑問――若手国会議員による歴史教科書問題の総括』(1997年12月23日、展転社)所収の安倍晋三氏(当時、同会事務局長、衆院議員)の論文「勉強会で明らかになったこと」からの引用(全文)

――

 (P448〜)民主主義が正しく機能するためには、「言論の自由が保障されなければならないということは、自由主義国家においては常識と言えます。

 本年1月29日に、三浦商工会議所が、櫻井よしこさんを講師として招き、講演会を行う予定でしたが、社団法人神奈川人権センターより、櫻井さんの「従軍慰安婦」問題に対する発言はけしからんから講師を変更しろという申し入れがあり、その圧力に屈する形で前日にキャンセルするという事件がありました。

 櫻井さんの発言というのは、昨年10月、横浜市教育委員会主催の講演会で「自分が取材した範囲では従軍慰安婦の強制連行を裏付ける事実はなかった」と述べた発言です。櫻井さんはその後、さらに様々ないやがらせを受け、講演会もいくつか中止せざるを得なくなったとのことです。私はこの事件を産経新聞と読売新聞の記事で知りました(他の新聞はこの事件を無視した)。

 以前より、いわゆる「従軍慰安婦問題」が、今年から中学校のすべての教科書に登場することに問題意識を持っていたのですが、それを強引に推し進めてきた勢力が、ついに言論弾圧を堂々と始めた事に、政治家として危機感を抱きました。

 4月までに勉強会を8回開催し、賛否の立場からなる講師のご意見、さらに資料を検討した結果、軍、政府による強制連行の事実を示す資料は、2次にわたる政府調査、各民間団体の執拗な調査によっても、まったく発見されなかったこと(調査の責任者だった石原前官房副長官も明確に証言、吉見教授もその事は認めている)、従軍慰安婦騒動のきっかけを作った吉田清治氏の済州島での慰安婦狩り証言とその著書と、それを紹介した朝日の記事、また朝日新聞の『女子挺身隊を慰安婦にした』との大々的報道、いずれもまったくのでっち上げである事が解りました。

 平成5年(1993年)8月4日の河野官房長官談話は、当時の作られた日韓両国の雰囲気の中で、事実より外交上の問題を優先し、また、証言者16人の聞き取り調査を、何の裏付けも取っていないのにもかかわらず、軍の関与、官憲等の直接的な加担があったと認め、発表されたものであることも判明しました。教科書採択権を持つ各地の教育委員会は、左翼的な教師に採択の実体をゆだねており、結果として、そうした教科書のみ学校で使われることになっていることも明らかになりました。

 私は、小中学校の歴史教科書のあるべき姿は、自身が生まれた郷土と国家に、その文化と歴史に、共感と健全な自負を持てるということだと思います。日本の前途を託す若者への歴史教育は、作られた、ねじ曲げられた逸聞を教える教育であってはならないという信念から、今後の活動に尽力してゆきたいと決意致します。

(参考)吉見義明教授の1997年3月26日の第5回勉強会での発言。同上著書からの引用。

――

 (P181〜)問題の強制連行ですけれども、強制連行には少なくともそこにA、B、C、Dと書きました4つぐらいが問題になるというのは、私どもがずっと言っていることであります。

 まずAですが、前借金によって親に、あるいは親族におカネを渡して、身売りのような状況で一定期間連れていくということがあります。

 次のB、慰安婦であるということを告げないで、騙して、工場で働くとかというふうに言って連れていくというケースも強制になると思います。

 Cの拉致や誘拐ということもあったということは事実だろうと思います。

 A、B、Cはいずれも朝鮮半島や台湾で官憲が直接手を下しているということではなかったと思うんですけども、それがなぜ問題なのかはあとで申し上げます。

 それから4番目(D)として、官憲による奴隷狩りのような連行があったかどうかということですが、藤岡先生はこのDだけが問題だというふうにおっしゃっているわけでありますが、そういうふうに考えてみますと、これを狭義、狭い意味の強制連行というふうに言いますと、中学校の教科書で「官憲による奴隷狩りのような連行があった」というふうに書いたものは実は1冊もないわけですね。そういう意味での強制連行があったというふうには言ってないわけであります。

……

  (P184)次に、あまり時間はありませんが、徴募時の強制はどうであったのかということです。朝鮮半島や台湾では、「官憲による奴隷狩りのような連行」があったかどうかということは資料では確認できないのが現状であるということであります。私どもはこういう「官憲による奴隷狩りのような連行があった」ということはこれまでずっと言ってきておりません。

 問題は、それでは戦争中の朝鮮半島や台湾での状況はどうであったかということですけども、実は政府所管の資料の中にそういうものがたくさんあると思いますが、それが公開され、調査されていないからいろんな議論が出てくるということだと思うんですね。もしそれが公開され、調査されればこの点は非常にはっきりすると思います。その結果、あったかなかったかということがはっきりするのではないでしょうか。なかったということがはっきりする可能性も非常にあるわけでありまして、これは調査してみる必要があるのではないかというふうに私は思います。

 それから狭い意味の強制連行ではなくて広い意味での強制連行はあったということは、ほぼ意見の相違はないのではないかと思います。

……

 (P224)先程吉田清治さんの証言を取り上げられましたが、私ども吉田清治証言が正しいというふうには言っていないわけですね。私の書きました本『従軍慰安婦』でも吉田証言は一切取り上げておりません。それから元慰安婦の証言でも信用できないというものについては、一切取り上げていないわけです。そのうえで実証していくとどういうことになるかということを先程のとおり申し上げたことになるわけであります。

 (P243)吉田清治さんのような事態が実際にあったのかどうなのかということについては、まだなかったというふうに完全に断定できるところまではいかないと思うんですね、1件もなかったかということにすると。そのへんが非常にあいまいではっきりしていないというのは、政府がもっているはずの総督府関係の資料にあるかもしれない。警察関係の資料の中にもそういうものがあるかもしれないと思うんです。これまで警察庁には1点もないというふうな答弁だったわけですが、去年幾つか出てきたわけですから。

 ですから、それはどういう立場に立つにせよ、事実関係をはっきりさせるという意味で、こういうものも含めて調査してみたらどうでしょうかというのが私がご提案したいことなんです。その結果、吉田清治さんが言っているようなことはないということがはっきりする可能性もあるわけですよね。あるいは、幾つかの例でそういうことがあったという例が出てくるかもしれないですけれども、それはどちらになっても仕方のないことであって、あいまいなままに放置するというよりも、事実関係をきちんと調査することが大事なんじゃないかというふうに私は思っています。

B【2006年10月6日】

衆議院予算委員会(2006年10月6日)での志位和夫議員の質問に対する安倍首相の答弁(議事録)からの引用

――

 今に至っても、この狭義の強制性については事実を裏づけるものは出てきていなかったのではないか。

 また、私が議論(1997年5月27日の衆院決算委員会第2分科会での質疑)をいたしましたときには、吉田清治という人だったでしょうか、いわゆる慰安婦狩りをしたという人物がいて、この人がいろいろなところに話を書いていたのでありますが、この人は実は全く関係ない人物だったということが後日わかったということもあったわけでありまして、そういう点等を私は指摘したのでございます。

……

 ですから、いわゆる狭義の強制性と広義の強制性があるであろう。つまり、家に乗り込んでいって強引に連れて行ったのか、また、そうではなくて、これは自分としては行きたくないけれどもそういう環境にあった、結果としてそういうことになったことについての関連があったということがいわば広義の強制性ではないか、こう考えております。


C【2007年3月5日】

 参院予算委員会(2007年3月5日)での小川敏夫議員の質問に対する安倍首相の答弁(議事録)からの引用

――

 言わば狭義の意味においての強制性については言えば、これはそれを裏付ける証言はなかったということを昨年の国会で申し上げたところでございます。

……

 この強制性ということについて、何をもって強制性ということを議論しているかということでございますが、言わば、官憲が家に押し入って人を人さらいのごとく連れていくという、そういう強制はなかったということではないかと、こういうことでございます。

 そもそも、この問題の発端として、これはたしか朝日新聞だったと思いますが、吉田清治という人が慰安婦狩りをしたという証言をしたわけでありますが、この証言は全く、後にでっち上げだったことが分かったわけであります。つまり、発端はこの人がそういう証言をしたわけでございますが、今申し上げましたようなてんまつになったということについて、その後、言わば、このように慰安婦狩りのような強制性、官憲による強制連行的なものがあったということを証明する証言はないということでございます。

……

 (小川議員が「今証言はないと言いましたね。しかし、実際にアメリカの下院において、アメリカ合衆国の下院において慰安婦をされていた方がそういう強制があったという証言をしている、だから下院で決議案が採択されるということになっているじゃないですか。今証言はないとおっしゃいましたね。実際にそういう体験をしたというふうに証言している慰安婦が現にいるわけですよ。そういう人たちの発言は証言じゃないんですか」と質問したのに対して)

 言わば裏付けのある証言はないということでございます。

 証言といえば、先ほど申し上げたように、吉田清治氏の証言も証言じゃないんですか。全くこの人の証言はでっち上げだったということでございます。

D【2012年11月30日】

 日本記者クラブ主催「党首討論」(2012年11月30日、ニコニコ動画の録画からの起こし)での安倍晋三・自民党総裁の発言

――

 (朝日新聞の星浩氏が河野談話の見直しという公約の実行について質したのに対して)

 河野談話についてはですね、これは閣議決定されたものではありません。安倍政権において、それを証明する事実はなかったということは閣議決定しております。そもそも、まあ、朝日新聞の、星さんの朝日新聞の誤報による、吉田清治という、まあ、詐欺師のような男が作った本が、まるで事実かのように、これは日本中に伝わっていったことで、この問題がどんどん大きくなっていきました。その中で、はたして人を人さらいのように連れてきた事実があったかどうか、とういうことについては、それは証明されていない、ということを閣議決定しております。ただ、そのことが内外に、しっかりと伝わっていないということを、どう対応していくか。ただ、これも対応の仕方によっては、真実いかんとは別に残念ながら外交問題になってしまうんですよ。ですから、新聞社のみなさんにも、そこは慎重になってもらいたいと思います。そこで我々は、どうこれを知らしめていくかということについては、有識者のみなさまの知恵も借りながら、考えていくべきだろうと思っています。


E【2013年2月7日】

 衆院予算委員会(2013年2月7日)での前原誠司議員の質問に対する安倍首相の答弁(議事録)からの引用

――

 整理をいたしますと、まずは、さきの第1次安倍内閣のときにおいて、質問主意書に対して答弁書を出しています。これは安倍内閣として閣議決定したものですね。つまりそれは、強制連行を示す証拠はなかったということです。つまり、人さらいのように人の家に入っていってさらってきて、いわば慰安婦にしてしまったということは、それを示すものはなかったということを明らかにしたわけであります。

 しかし、それまでは、そうだったと言われていたわけですよ。そうだったと言われていたものを、それを示す証拠はなかったということを、安倍内閣においてこれを明らかにしたんです。

F【2014年10月3日】

 衆院予算委員会(2014年10月3日)での稲田朋美議員の質問に対する安倍首相の答弁(議事録)からの引用

――

 (稲田議員が「私は、弁護士時代からこだわってきたことがあって、それは、日本の名誉を守るということであります。それは、殊さら、日本がよいことをしたとか、日本はすぐれた国であるということを言うのではなく、いわれなき非難に対しては断固反論をするという当たり前のことを言ってきたわけであります。ことしの8月5日、慰安婦問題について、朝日新聞が32年たって誤りを認め、謝罪をいたしました。これにより、慰安婦を奴隷狩りのように強制連行をしたという吉田清治氏の証言が虚偽であって、さらには、慰安婦と挺身隊を混同したということは誤りだったということが認められたわけであります。……現在、国際的に慰安婦問題は非常に憂慮すべき事態になっております。国連勧告やらアメリカの非難決議、そして、慰安婦の碑、慰安婦の像が建てられています。そこで何が言われているかといいますと、戦時中の日本が20万人の若い女性を強制連行して、性奴隷にして監禁をした。さらには、あげくの果てに殺害までしたという、あたかも日本が誘拐監禁、強姦致死の犯罪集団であるという汚名を広められているわけですが、それは全くの虚偽であるということであります。この吉田証言の虚偽を根拠として、日本の名誉は地に落ちていると言ってもいいと思います。……総理は、若手議員のころから、教科書から慰安婦の記載を削除して日本の名誉を回復するために尽力されていたわけですけれども、今回の慰安婦を、めぐる状況、そして、世界じゅうで地に落ちているこの日本の名誉を回復するために、政府としてどのように取り組まれるのか、お伺いをいたします」という質問に対して)

 本来、個別の報道についてコメントすべきではないと思っておりますが、しかし、慰安婦問題については、この誤報によって多くの人が傷つき、悲しみ、苦しみ、そして怒りを覚えたのは事実でありますし、ただいま委員が指摘されたように、日本のイメージは大きく傷ついたわけであります。日本が国ぐるみで性奴隷にした、いわれなき中傷が今世界で行われているのも事実であります。この誤報によってそういう状況がつくり出された、生み出されたのも事実である、このように言えますし、かつては、こうした報道に疑義を差し挟むことで大変なバッシングを受けました。

 かつて、まさに、日本が性奴隷にしたという判決をクローズアップした番組をNHKがつくったわけでありますが、これに中川昭一さんと私が事前に介入して番組を変えさせたという朝日の報道があったわけでありますが、これも、中川昭一さんは事前に会っていないということがその後明らかになり、朝日新聞が認めていますし、私が呼び出したということも、そうではないということが明らかになっているわけでございます。

 しかし、今回、これが誤報であったということが明らかになったわけでございます。

G【2016年1月18日】

 参院予算委員会(2016年1月18日)での中山恭子議員の質問に対する安倍首相の答弁(議事録)からの引用
――
 性奴隷あるいは20万人といった事実はない。……政府としては、これまでに政府が発見した資料の中には軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかったという立場を辻本清美議員の質問主意書に対する答弁書として、平成19年(2007年)、これは安倍内閣、第1次安倍内閣のときでありましたが閣議決定をしておりまして、その立場には全く変わりがないということでございまして、改めて申し上げておきたいと思います。

 また、(日韓合意で言われている)当時の軍の関与の下にというのは、慰安所は当時の軍当局の要請により設営されたものであること、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送について旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与したこと、慰安婦の募集については軍の要請を受けた業者が主にこれに当たったことであると従来から述べてきているとおりであります。

 いずれにいたしましても、重要なことは、今回の合意(日韓合意)が今までの慰安婦問題の取組と決定的に異なっておりまして、史上初めて日韓両政府が一緒になって慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認した点にあるわけでありまして、私は、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに謝罪し続ける宿命を負わせるわけにはいかないと考えておりまして、今回の合意はその決意を実行に移すために決断したものであります。
……

 (中山議員の「総理の今の御答弁では、この日韓共同記者発表での当時の軍の関与の下にというものは、軍が関与したことについては、慰安所の設置、健康管理、衛生管理、移送について軍が関与したものであると考え、解釈いたしますが、それでよろしゅうございますか」との質問について)

 今申し上げたとおりでございまして、衛生管理も含めて設置、管理に関与したということでございます。
(以上)
http://masato555.justhpbs.jp/newpage164.html

10. 中川隆[-10414] koaQ7Jey 2019年9月16日 09:31:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2375] 報告
極秘公文書と慰安婦強制連行 (外交史料館等からの発見資料) – 2018/2/15
今田真人 (著)

2件のカスタマーレビュー

木村晴美
5つ星のうち5.0
国の隠し事がばれますね 2019年8月2日


この本に記載してあることに限らず、工事現場をほっくり返したら燃え残りの大日本帝国極秘文書が出たなんてよく聞きます。韓国と今揉めていますが、作話家として悪名を馳せてしまった吉田清二氏の名誉回復の日がいつか来そうなきがします、本書以外に済州島4・3ジェノサイド関連の本を読むと秦郁彦教授の証言を当てにはできないと思いました。当時の済州島の人は大阪に逃げて、秦さんが視察した時点では当時を知っている人なんかほとんどいなかったのでは。残っていてもしゃべりたくない事柄なので、吉田氏の本の方が信用できる気がしてきました、


____


cherry blossoms
5つ星のうち4.0
当時の政府文書や、慰安婦募集のマニュアル、ビラなど、もっと発見・翻訳公開してください。 2019年9月8日

 この労作の本は、当時の文書資料を発掘して事実を解明する研究の1つとして、注目です。こうした研究と資料の公開を、さらに進めてくださるよう期待します。

 戦時中の日本政府・軍が朝鮮で行った慰安婦募集が、自由な契約だったか、しばしば/ときに強制・詐欺を伴ったかは、おもに3つのレベルで論争されています。(たとえ自由な契約でも、たとえば米軍が占領期に日本女性を募集し戦地に送り込んだとしたら、日本人として納得できますか。)
(1)おもに韓国・朝鮮の当事者(被害者)の、強制またはだまされたという証言。多数あって、一部が誤報であったも、他の証言には影響しない。また、証言だけでは信用できないと右派は言うが、たとえば、第2次大戦末期にソ連軍がドイツや満州で暴行略奪をおこなったという被害者等の証言が無数にあり、ソ連側にその記録がなくても、広く事実と認められている。
(2)当時の文書資料
(3)議論の心理的基礎には、旧日本軍や日本の韓国支配への評価がある。私などは、「太平洋戦争の頃の日本軍は、日本人に徴兵、工場への動員をおこない、日本兵に対しては人命にすら配慮しなかった(玉砕、特攻、無謀なインパール作戦など)のだから、当然、植民地の人々に対しては同等かそれ以上に無慈悲だっただろう」と考えてしまう。逆に、大阪市長・知事、名古屋市長などの右派は、慰安婦像はあくまでも旧日本軍を批判する(その点を報道してほしい!)のに、今の日本・日本人への「反日プロパガンダ」だと怒るのだから、旧日本軍に今の日本と一体のものとして親密さを感じておられるのだろう。

 以上のうち弱いのが(2)です。1945年夏、日本軍と政府は、降伏後マッカーサーが進駐するまでの2週間を使って重要文書を徹底焼却したが(保存するべきだった)、民間も含めて残っているのではないか。一番欲しいのは、当時の政府文書・記録(慰安婦集めの目標数、説明、強制・虚偽説明の禁止)や、それ以上に慰安婦施設での記録、募集を進めた際の実施要領(日本語、朝鮮語)、ビラ(朝鮮語)とその翻訳です。待遇、仕事内容の説明、自由意思に基づく契約だったか、実態が分かると思います。

 記憶があいまいですが、慰安婦肯定派がウェブで、「募集のときウソ・強制はいけない」といった当時の通達?を示して、ウソや強制がなかった証拠だと主張していたような。・・・でも、未来の歴史家は、21世紀初頭、大阪の電車に貼られた「チカンは犯罪」というポスターを根拠に、チカンは厳しく処罰され存在しなかったと解説するべきなのでしょうか。
https://www.amazon.co.jp/%E6%A5%B5%E7%A7%98%E5%85%AC%E6%96%87%E6%9B%B8%E3%81%A8%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E5%BC%B7%E5%88%B6%E9%80%A3%E8%A1%8C-%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%8F%B2%E6%96%99%E9%A4%A8%E7%AD%89%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E7%99%BA%E8%A6%8B%E8%B3%87%E6%96%99-%E4%BB%8A%E7%94%B0%E7%9C%9F%E4%BA%BA/dp/4380180026

11. 中川隆[-13692] koaQ7Jey 2020年2月20日 10:35:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-224] 報告
差別されるセックスワーカーの悲哀を見てきた

タイは寛容な国として知られているのだが、この国には差別がないのか。
タイ人はとても柔軟で、誰でも受け入れる包容力があって、流れ者にはとても居心地が良い。あまりの優しさと包容力の深さに、抜け出せなくなるような安心感が社会にある。

しかし、このタイでも差別意識はある。私は売春に従事する膨大な女性に出会ってきたが、彼女たちはそのビジネス故に、そして貧しさ故にあまり良く思われていないのは、部外者である私も徐々に知るようになった。

タイは階層社会だ。上流階級と貧困階級はまったく違う世界に生きている。その中で夜の女というのは、最底辺のそのまた下のクラスに見られているというのは、一緒にいる私でさえも肌感覚で分かるようになった。

そしてタイは学歴社会でもある。学歴のある人間とない人間の差はあまりにも明確に線引きされており、学歴のない人間はどれだけ有能でも出世できないという社会でもある。

現在のシンガポールは多民族国家だが、それでは差別がなかったのだろうか。私はあるスリランカ女性が好きになって、彼女としばらく一緒にいたことがある。

(ブラックアジア:リーパ。ゲイランの街に立つ女の凶悪な目付きに惹かれた)
https://blackasia.net/?p=3262


ところが、私の泊まっていたホテルの中国系シンガポール人は、彼女のことを「ダーティー・ブラック・スキン」の女だと言って侮蔑した。「薄汚い黒い肌の女」だというのである。

そして、「そんな女をこのホテルに連れ込むな」と私に言い放った。客の私にそのようなことを言い放つのだから、その差別感情に私はショックを受けるしかなかった。

カンボジアではどうだったか。カンボジア人は昔から激しい差別感情をベトナム人に持っているのは有名な話だ。

そのカンボジアの売春地帯では、貧しいベトナム女性が大量に売られて売春していたのだが、それがまたベトナム人差別を増長させていた。

私が売春で生きているベトナム女性と一緒にプノンペンの街を歩いていたら、あるカンボジア人の老人が彼女にツバを吐きかけた。街を歩いているだけの女性に向かって、ツバを吐くという行為にその拒絶感の強さが窺い知れた。

理解? 配慮? そんなものはどこにもなかった

貧しいというのは差別につながる。売春ビジネスもまた差別につながる。だから貧しいセックスワーカーが置かれている立場というのは、どこの国でも激しい差別の渦の中にある。

バングラデシュでも貧しいセックスワーカーは激しい差別の中にあって、彼女たちが病気になっても医者は診察を拒絶し、彼女たちが死んでも葬儀屋は葬儀を拒み、共同墓地での埋葬すらも断られる。

スリランカで私が売春する貧しい女性と一緒に店に入ったら、私たちの目の前にいたテーブルのスリランカ人は彼女を見て途中で席を立って消えていった。

普通のスリランカ人が彼女を見る侮蔑の表情、そして一緒にいる私に対する嫌悪の表情はとても深い断絶に思えた。スリランカ社会が彼女を見る「冷たい目」はすべて真実である。恐ろしほどの冷たさであった。

彼女たちは、そういった拒絶感を朝から晩まで受けている。どこの国に行っても、私が好きになった夜の女たちの99%は社会から嫌われ差別されていた。
理解? 配慮? そんなものはどこにもなかった。ある時は陰湿に、ある時は露骨に、差別感情がそこに見出された。それが現実だ。

アジアの底辺で、社会から拒絶されながら生きている女性たちの姿を見て感じたのは、人間は「違い」に対する拒絶感をどうしても克服できないという冷徹な現実だったのである。

人は多様であり、人種も、人生も、考え方も、非常に大きな違いが存在する。その「違い」の中に対立や拒否感が生まれると、それが差別という感情になって育っていく。どうあがいても、人間はそこから逃れられない。

この「違いを排除する」という人間社会にある感情は、やがては深い対立を生み出すことになる。現代社会はこの感情を消す処方箋を持っていない。
https://blackasia.net/?p=17236

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