03. 2013年5月09日 01:45:24
: RfoJKVEpbs
2015年以降も、日銀は国債買取を急にはやめられない金融政策の出口戦略を考える(2) 2013年5月9日(木) 小黒 一正 日本銀行は2013年4月4日の政策委員会・金融政策決定会合において、「「量的・質的金融緩和」の導入について」(以下「政策文書」と呼ぶ)という政策方針を公表し、マネタリーベースを2013 年末に200兆円(うち長期国債140兆円)、2014 年末に270兆円(うち長期国債190兆円)にすることを決定した――マネタリーベースの2012 年末実績は138兆円(うち長期国債89兆円)。この政策文書の「1.(1) A長期国債買入れの拡大と年限長期化」は、以下の方針を示している。 「イールドカーブ全体の金利低下を促す観点から、長期国債の保有残高が年間約50兆円に相当するペースで増加するよう買入れを行う。また、長期国債の買入れ対象を40年債を含む全ゾーンの国債としたうえで、買入れの平均残存期間を、現状の3年弱から国債発行残高の平均並みの7年程度に延長する」 この「マネタリーベースを2014年末に270兆円(うち長期国債190兆円)」とし、「買入れの平均残存期間を7年程度に延長する」という方針は、まさに「異次元の緩和」と言える。この点に異論はない。だが、金融政策の出口戦略(=マネタリーベースの縮小)を極めて困難にする可能性が高い。この点について、前回のコラムでも指摘したが、今回はもう少し詳しく考察してみよう。 まず、2014末にマネタリーベースを270兆円に拡大するため、以下の図表1のとおり、日銀は大量の長期国債を市場から買い入れる方針である。 2012 年末に日銀が抱える長期国債は89兆円。これをネットで毎年50兆円ずつ拡大し、2013 年末に140兆円、2014 年末に190兆円とする。その際、日銀は市場からグロスで毎年約80兆円の国債を買い入れる必要がある。 というのは、日銀が抱える現在の長期国債(89兆円)の平均残存期間(デュレーション)は約3年であり、毎年約30兆円(=89兆円÷3年)が償還となるからである。厳密には、この償還分がすぐに現金償還されることはなく、いったん、財務省が発行する1年物の割引短期国債に乗り換える。だが、この割引短期国債も1年後に現金償還されるのが通例であることから、最終的に現金償還されるのは変わらない。 このため、長期国債をネットで50兆円拡大するには、日銀はグロスで約80兆円(=50兆円+30兆円)を買い入れる必要がある。上記の政策文書で、日銀が「毎月の長期国債のグロスの買入れ額は7兆円強」(年間で84兆円)と記載しているのは、これが理由である(注:これまで日銀は毎月の長期国債のグロスの買入額を4兆円程度としていた)。 図表1:マネタリーベースと長期国債の推移(単位:兆円) (出所)日本銀行 この日銀のグロスで84兆円の買い入れが国債市場に及ぼす影響は大きい。財務省が2013年1月29日に公表した国債発行計画によると、長期国債の市中発行額は約127兆円(=国債の市中発行額156.6兆円から短期国債30兆円を除いた値)。日銀は市中発行額の約70%(=84兆円÷127兆円)も買い入れることになる。 この状況を指して、「『池の中の鯨』となった日銀」という表現が一時メディアを駆け巡った。当初は長期金利の乱高下を招いたことから、国債市場でサーキット・ブレーカー(価格が大幅な変動を起こした時、相場を安定させるために発動する措置をいう。値幅制限や取引中断の措置が取られるケースが多い)が数回発動された。 日銀は国債買取額を急に減らすことはできない しかし、問題の本質はこの部分ではない。2014年末に、日銀が抱える長期国債の残高190兆円、平均残存期間が約7年になったとしよう。この時に、日銀が抱える長期国債の拡大スピードや、それに必要となる長期国債の買い入れボリュームをどう変化させていくかが真の問題となる。 想定される方向性の1つは、2015年以降、日銀が抱える長期国債のボリューム(190兆円)や平均残存期間(7年)を維持するものだ。この場合、毎年、約27兆円(=190兆円÷7年)の長期国債が償還されるので、長期国債のボリューム(190兆円)を維持するには、日銀は市場から約27兆円の買い入れ(グロス)を行えば十分である。しかし、2013〜2014年に、日銀が約84兆円もの長期国債を市場から買い入れ(グロス)ていた状況を一転させ、突然、買入額(グロス)を27兆円に縮小すると、長期金利の上昇を含め、国債市場に大きな影響を及ぼす可能性がある。 2006年の量的緩和解除が与える教訓 この点で参考になるのは、2006年における量的緩和の解除である。ITバブル崩壊に端を発した景気後退からの回復を支援する観点から、日銀は2001年3月から量的緩和を導入していた。2006年3月に、それを解除したのである。この時、当然、日銀は長期国債の買入れボリュームを徐々に減少させた。その際、以下の図表2のように、長期金利(10年国債利回り)が一時的に上昇した。この上昇分のすべてが、量的緩和解除の影響とは断定できないが、長期金利に一定の影響を与えた可能性は否定できない。 図表2:長期金利(10年国債利回り)の推移 (出所)日本相互証券 では、2006年の量的緩和解除で、日銀は長期国債の買い入れ(グロス)をどのくらい減少させたのであろうか。それは、以下の図表3から読み取ることができる。日銀が解除前(2006年2月)に抱えていた長期国債が約65兆円。解除後、リーマンショック前の2008年8月が約45兆円。従って、この約2年半における長期国債の減少幅(ネット)は約20兆円である。すなわち、1年間当たりで見た長期国債のネット減少額は約8兆円(=20兆円÷2.5年)となる。 この当時の長期国債の平均残存期間は約3年で、毎年の償還は約22兆円(=65兆円÷3年)であるはずなので、解除後の買い入れ(グロス)は毎年約14兆円(=22兆円−8兆円)と概算できる。 他方、2003〜2005年の3年間で、日銀が抱えていた長期国債は約65兆円で概ね一定であったから、解除前の買い入れ(グロス)は毎年約22兆円であったはずである。これは、2006年の量的緩和の解除で、日銀は長期国債の買い入れ(グロス)を約8兆円減少させていく方針をとったことを意味する(注:日銀は保有する長期国債を売却することも可能だが、国債市場に及ぼす影響を配慮し、その売却はせず、買入額を減少させることと償還により、保有する長期国債を圧縮した)。 図表3:2006年の量的緩和解除と日銀が抱える長期国債の残高推移 (出所)日本銀行 このため、2014年末に190兆円の長期国債を抱えた日銀が取り得る現実的な方向性として想定されるのは、日銀が買い入れる長期国債のボリューム(グロス)を、例えば毎年、10兆円ずつ減少させていくというものである。この場合、日銀の買入額(グロス)は、2015年に約74兆円、2016年に64兆円といった具合に減少していく。 この時、2015年において日銀が抱える平均残存期間(デュレーション)が7年であると、償還分は27兆円に過ぎないから、日銀が抱える長期国債はネットで47兆円(=74兆円−27兆円)増加し、237兆円(=190兆円+47兆円)になる。このような膨張は、2016年以降も続き、日銀が抱える長期国債の平均残存期間(デュレーション)が7年で変わらない場合、そのイメージを試算すると、以下の図表4の上段のようになる。この場合、ピーク時の2018年に保有する長期国債は286兆円にも達する可能性がある。 また、図表4の下段は、日銀が買い入れ(グロス)を行う長期国債のボリュームを、毎年5兆円ずつ減少させていく場合のイメージである。この場合、日銀のバランスシートは急速に膨張していき、ピーク時の2020年に保有する長期国債は347兆円に達する可能性がある。 このような状況で、金利が正常化し、貨幣数量説が復活する場合(前回コラム「アベノミクスの出口戦略を考える」を参照)、日銀はインフレ圧力を抑制するため、バランスシートに抱える長期国債のボリュームを減少させ、異次元緩和で膨張させたマネタリーベースを縮小させていく必要がある。しかし、日銀が国債市場に大きな影響を与えないよう配慮し、国債の買入額を大幅に減少させることができなければ、日銀はインフレを制御できない状況に追い込まれる可能性が高くなる。金融政策の出口戦略は容易でないことが理解できるはずである。 図表4:日銀が抱える長期国債の予測(簡易試算) (出所)筆者作成
子供たちにツケを残さないために、いまの僕たちにできること http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20130507/247614/?ST=print JBpress>日本再生>日本経済の幻想と真実 [日本経済の幻想と真実] 「黒田バズーカ」の砲弾はどこへ飛んでゆくのか 270兆円ものカネをばらまく「異次元緩和」は危険だ 2013年05月09日(Thu) 池田 信夫 黒田東彦氏が日銀総裁に就任し、4月4日に「2年間でマネタリーベース(通貨供給)を2倍にして2%のインフレを実現する」とぶち上げて1カ月がたった。当時はマーケットも「黒田バズーカ」に驚き、株価が大幅高になったが、1カ月経ってその効果はどうだろうか。 4月26日に総務省が発表した消費者物価指数(生鮮食品を除く)いわゆるコアCPIは、前年同月比−0.5%で、先行指数と言われる東京都区部の4月中旬のコアCPIも−0.7%。安倍首相が「輪転機をぐるぐる回してお札を印刷する」と言い始めて半年経っても、デフレはいっこうに止まらない。 史上空前の大規模な「異次元緩和」 ところが同じ26日に発表された日銀の展望リポートによると、消費税率の影響を除く物価上昇率は、2014年度(2015年3月まで)には1.4%、2015年度には1.9%になる見通しだという。 これは審議委員の推定の「中央値」ということになっているが、これはここ数年のCPIのトレンドから、2%ポイント以上も飛び離れた値である。どういう理由でこのような急激な変化が起こるのかについては、展望リポートは次のように説明している。 1.資産買入れにより、イールドカーブ全体の金利低下を促し、資産価格のプレミアムに働きかける効果がある。 2.金融機関や機関投資家の投資行動が変化し、貸出やリスク性の資産にシフトすること(いわゆるポートフォリオ・リバランス)が考えられる。 3.「物価安定の目標」の早期実現を明確に約束し、これを裏打ちする大規模な資産の買入れを継続することで、市場や経済主体の期待を抜本的に転換させる。 いずれも白川総裁の行なった「包括緩和」のときにも想定されていた波及経路であり、新しい話はない。唯一の新しい材料は、政策目標を短期金利ではなくマネタリーベースに変更し、2年間で270兆円まで増やすという目標を掲げたことだ。 これは現在の名目GDPの半分を超える量で、世界のどこの中央銀行もやったことのない「異次元緩和」だが、ゼロ金利ではマネタリーベースをいくら増やしても緩和効果はない。 不発に終わった黒田バズーカ では、第1の「イールドカーブ」(短期と長期の金利の差)を下げて金融緩和するという効果はどうだろうか。 10年物国債の金利(出所:Bloomberg) 拡大画像表示 右の図のように黒田総裁が「異次元緩和」を宣言した4月4日に、10年物国債の金利は瞬間的に0.3%台まで急落したが、そのあと0.6%台に急上昇し、サーキット・ブレーカーが働いて、債券市場は大混乱になった。 結果的には、その後も長期金利は0.6%前後で推移しており、白川総裁の時代より上がった。おかげで住宅ローン金利も引き上げられ、黒田総裁の狙った緩和効果どころか、引き締めになってしまった。 第2のポートフォリオ・リバランス効果は、皮肉な形であらわれた。日銀が長期国債を買い占めたため、その主な買い手だった生命保険会社が締め出され、外債やETF(上場投資信託)やREIT(不動産投資信託)などに逃げたのだ。 これは結果的には、日銀がETFやREITを買うのと同じことだが、日銀が直接買った方が効果は大きいだろう。270兆円もあれば、東証一部の株式の半分以上が買えるが、これはもちろん金融政策とは言えない。「異次元緩和」は財政政策の一種なのだ。 第3の「期待を転換させる」という効果はどうだろうか。上の図の長期金利(名目金利)は実質金利+予想インフレ率だから、実質金利を一定とすると、予想インフレ率はほぼ同じ(わずかに上がった)と推定される。 物価連動国債のブレークイーブン・インフレ率(予想インフレ率の代理変数として使われる)で見ても、消費税率の影響(2%前後)も下回っている。要するに本来の狙いだった物価への影響に関する限り、黒田バズーカは不発に終わったと言わざるをえない。 出口戦略なき異次元緩和が市場を混乱させる もちろん、まだ1カ月しかたっていないので、その成否を問うのは早すぎるが、黒田総裁は「戦力の逐次投入はしない」と宣言しているので、量的緩和に関する限りこれがすべてだろう。 結局、起こったのは、日銀の買い占めで国債市場から締め出された機関投資家が株や不動産に走った資産インフレだけだ。これ自体は人々の気分を明るくして悪いことではないが、業績見通しが伴わなければバブルに終わってしまう。 円安は輸出産業にとってはいいことだが、中小企業の多い国内産業には厳しい。円安の増益効果は1兆円以上と言われるが、エネルギー価格などの高騰によるコスト増は2兆円程度と予想され、経済全体にとってはマイナスの効果の方が大きいだろう。 さらに問題なのは、金利が上がり始めたとき資産を売却して撤退する出口戦略だ。アメリカでは、株高を受けてFRB(連邦準備制度理事会)のバーナンキ議長に対して、量的緩和をやめろという圧力が議会から強まっている。 日銀が100兆円を超える国債を保有できるのは、デフレによる異常な低金利のおかげだ。今の日本の長期金利は、1619年にイタリアのジェノヴァでつけられた1.125%を破る世界記録で、いつまでも続くとは考えられない。 FRBの緩和中止などで長期金利が上がり始めると、日銀の保有する国債は値下がりし、数十兆円規模の評価損をこうむる。損失を避けるために日銀が国債を売ると、それが市場の売りをさらに招いて相場が崩壊するおそれがある。 今はゼロ金利で金融市場が機能していないから、余った資金は銀行の日銀当座預金に「ブタ積み」になっているだけだが、金利が上がってこの資金が市場に出ると、名目GDPの半分以上のカネが市中にあふれ、数十%のインフレになるおそれもある。 しかし黒田総裁は、国会で「出口戦略の議論は時期尚早だ」と答えた。出口を決めないで迷路に迷い込み、出てこられなくなったらどうするのだろうか。乱発されるバズーカ砲が市場を混乱させ、国民生活を破壊するリスクは小さくない。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/37748
JBpress>海外>The Economist [The Economist] 欧州の信用収縮:マネーマシンを修理せよ 恐慌に陥りかねないイタリア、スペイン経済 2013年05月09日(Thu) The Economist (英エコノミスト誌 2013年5月4日号) イタリアとスペインの中小企業の苦悩は、ユーロの長い物語における次の予想外の展開となる恐れがある。 ジョン・スチュワート・ミルは、お金は機械にすぎないと言った。それがなければもっと時間がかかる、物の交換のようなことを行うための道具だ。ミルトン・フリードマンはもう少し基準を引き上げた。「お金は非常に広範囲に行き渡っているため、故障すると、その他すべての機械の運転を混乱させる」と言った。 欧州では状況はもっと悪い。マネーマシンがひどく壊れているために、イタリアとスペインの経済を恐慌に陥れてしまうかもしれないのだ。 経済の屋台骨である中小企業の苦悩 問題の大きさを理解するために、まずは、ユーロ圏における中小企業の重要性について考えてみよう。米国では雇用の半分を中小企業が担っている。欧州では中小企業がはるかに大きな役割を果たしている。フランスでは中小企業が労働者の60%を雇用しており、スペインではその割合が67%、そしてイタリアでは80%に上っている。 中小企業は公開市場で社債を発行したり、株式を売り出したりしないため、借り入れを銀行に頼っている。そして、中小企業は非常に重要な存在であることから、ユーロ圏の経済の健全性に関しては、欧州中央銀行(ECB)が設定した金利が企業が支払う金利にどれだけすんなりと送り込まれるかが重要な尺度になる。 この尺度で見ると、単一通貨の最初の8年間は順調だった。ECBの金利が2%だったとすると、企業が支払う金利は4%だった。 この2つの金利の差は小さく、安定していた。おかげで政策の決定は容易だった。ECBは、経済が過熱していると思えば、企業が支払う金利も同じだけ上昇するという確信を持って、金利を引き上げることができた。 だが、そのシステムは壊れてしまった。ECBの政策金利と企業の借り入れコストとの間の安定したくさびは、国によって異なる不安定な金利差に取って代わられた。ドイツとフランスでは、状況はまだこうした良い時代のものに近い。ECBの金利は0.75%で推移し、企業が支払う借り入れ金利は約3.5%で推移した。 しかし、イタリアとスペインでは、地元銀行の借り入れコストが高いこともあって、このくさびの大きさがほぼ3倍になっている。直近ではキプロスでの混乱を受けて生じたように、不安が高まると、銀行の資金調達コストが跳ね上がり、それが企業に転嫁される。 このためスペインとイタリアでは、中小企業がお金を借りるのに6%を超える利息を支払わなくてはならない。ECBの金利が大幅に下がっているにもかかわらず、両国では信用が2005年当時よりも逼迫しているのだ。 新しいアイデアを持つ企業にとって、投資は高くつくようになる。だが、既存の債務を返済するつもりの企業でさえ打撃を受ける。イタリアでは、企業の借入金が約8550億ユーロ(1兆3000億ドル)に上っている。6%を超える金利では、年間に500億ユーロを超える利子を払うことになる。 イタリアの金利がフランスの金利と同じであれば、企業はローンの借り換えが可能になり、利払いは220億ユーロ減少するだろう。借り入れコストが低下すれば、利益が増え、それを投資や従業員の給料を増やすために使える。 イタリアとスペインの経済はどちらも後退局面にある。公的部門が債務に喘いでいるため、財政政策の効果はよくても中立だ。政府がこの先何年も財政を均衡させようとするため、財政政策は成長の足かせとして働く可能性の方が大きい。 こうした状況では、経済は金融面の大きな後押しを必要とする。ところが、イタリアとスペインでは金融面でも大きな足かせに見舞われている。2013年の最初の数カ月間は、信用供給が再び逼迫した。金利の上昇に直面して、イタリアの企業は過去1年間で借入金を10%返済した。 スペインでは状況はもっと悪い。金利はイタリアよりもさらに高く、貸出金の総額が15%減少している。これらは恐慌を物語る統計だ。それも、ユーロ圏全体をはるかに深刻な危機に陥れるだけの大きさを持つ経済国におけるデータである。 スペイン経済は、ギリシャとアイルランド、ポルトガル、キプロスを合わせた規模のほぼ2倍だ。イタリア経済はスペイン経済より65%大きい。 必要なことはすべてやる ECBが今やらねばならないことは〔AFPBB News〕 ECBは既に、中小企業の借り入れコスト引き下げに動くのに時間をかけ過ぎている(本誌=英エコノミスト=が印刷に回された5月2日、ECBは理事会でもう1度チャンスがあった)。 マリオ・ドラギ総裁は、ユーロを救うために「必要なことは何でもする」と述べた。今必要なのは、企業向け融資に対する新たな支援策である。 新たなプログラムは、3つのテストに合格しなければならない。まず支援策はターゲットを絞らねばならず、ユーロ圏の銀行が直面している高くて変動の激しい資金調達コストに直接狙いを定めなければならない。 次に、支援策は中小企業向け融資に関係した条件付きであるべきだ。例えば、英国の中央銀行は、中小企業に新たな融資を1ポンド行うごとに、銀行に10ポンド(16ドル)の資金調達支援を提供している。 そして、支援策は大規模でなければならない。イタリアとスペインでマネーマシンを再びきちんと機能させるだけの規模が必要だ。 1つの選択肢は、ECBが小口の中小企業向け融資を担保として受け入れることによって、銀行がECBの既存の低利融資枠にアクセスしやすくすることだ。だが、これだけでは十分でないかもしれない。 もっと大胆な手立ては、銀行とノンバンクの両方から直接、中小企業向け融資を買い取ることだろう。そしてその買い取りを、信用供給が最も逼迫しているように見えるところに焦点を当てて行うことだ。 経済大国の恐慌よりはまし ECBは、特定の国が他国より有利になる政策には慎重だ。そして、この方法で資産を買い取ったり交換したりすることは、リスクを引き受けることを意味し、そうした仕組みを支える、ドイツの納税者を含むすべての納税者からの間接的な移転を作り出すことになる。 こうした対策は打ち切るのも難しい。だが、それに代わるもの、つまり回避可能なイタリアとスペインの恐慌の方がはるかに始末が悪い。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/37730 ドイツモデルは輸出できない 2013年05月09日(Thu) Financial Times (2013年5月8日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
ドイツは自国のイメージに合わせて欧州経済を作り変えている。欧州最大の経済大国、支配的な債権国としての立場を利用し、ユーロ圏諸国を自国の小さなレプリカに変え、ユーロ圏全体を大きなレプリカに変えようとしている。この戦略は失敗する。 「ベルリンコンセンサス」は安定志向の政策を支持している。金融政策は中期的な物価の安定を目指すべきであり、財政政策は均衡予算と低い公的債務水準を目指すべきである。ケインズ的なマクロ経済安定化政策を思わせるものは一切容認してはならない――。これは破滅への道だ。 2000年代にドイツが歩んだ調整への道 ドイツは自国のイメージに合わせ、欧州経済を作り変えようとしているが・・・〔AFPBB News〕
このアプローチをうまく機能させるために、ドイツは対外収支の変化を利用して経済を安定させた。内需が弱い時には対外黒字を拡大させ、強い時には反対にするわけだ。 ドイツ経済は、小規模で開かれた経済国に特徴的なメカニズムに依存するには大きすぎるように見えるが、輸出志向の卓越した製造業と実質賃金を抑える力を頼りにそれをやってのけた。 この組み合わせのおかげで、ドイツは2000年代に、1990年代の統一後の好況期に失われた経常黒字を蘇らせることができた。そして経常黒字が助けになり、弱い内需にもかかわらず、緩やかな成長がもたらされた。 安定化に向けたこのアプローチがうまく機能するためには、輸出志向の経済大国は活気のある外部市場も必要とする。2000年代の金融バブルは、これを生み出す一助となった。2000年から2007年にかけて、ドイツの経常収支は国内総生産(GDP)比1.7%の赤字から同7.5%の黒字に転換した。 一方、ドイツの経常黒字に対応する赤字が他のユーロ圏諸国で生じた。2007年には、ギリシャの経常赤字がGDP比15%に達し、ポルトガルとスペインでは10%、アイルランドでは5%に上った。 金融危機を機に財政赤字が急増 これらの国が出していた巨額の対外赤字に対応する各国の内需は、主に借り入れを原動力とした個人消費だった。そこへ世界金融危機が勃発した。資本流入が止まり、個人消費が激減すると、巨額の財政赤字が生まれた。ハーバード大学のカーメン・ラインハート、ケネス・ロゴフ両氏は、これが予測可能だったことを立証した。 2007年から2009年にかけて、各国の財政収支は大きく変化し、スペインではGDP比1.9%の黒字から11.2%の赤字へ、アイルランドではGDP比0.1%の黒字から13.9%の赤字へ転換。ポルトガルではGDP比3.2%の赤字が10.2%の赤字へ、ギリシャでは6.8%の赤字が15.6%の赤字へと拡大した。 これは財政危機だという間違ったコンセンサスがすぐに生まれた。特にベルリンでは、その傾向が著しかった。 だが、ギリシャの場合を除くと、この見方は症状と原因を混同していた。それなのに、危機に見舞われた国々は債券市場へのアクセスを断たれたか、それに近い窮状に陥り、国内の深刻な景気後退にもかかわらず、財政を引き締めなければならなかった。 財政引き締めが招いた深刻な不況 各国は実際、財政を大きく引き締めた。国際通貨基金(IMF)によると、2009年から2012年にかけて、ギリシャの構造的な財政赤字は潜在GDP比で15.4%変動した。ポルトガルでは5.1%、アイルランドでは4.4%、スペインでは3.8%、そしてイタリアでは2.8%シフトしたという。 金融危機と財政引き締めというこの組み合わせは、深刻な不況を招いた。2008年第1四半期から2012年第4四半期にかけて、ポルトガルではGDPが8.2%減少、イタリアでは8.1%、スペインでは6.5%、アイルランドでは6.2%減少した。ここまでは悲惨な話だ。 残念なことに、ユーロ圏の比較的健全な国々も安定という信念を厳格に守った。このため、これらの国も財政を引き締めた。IMFの予想では、ユーロ圏の景気循環調整後の財政赤字は2009年から2013年にかけて潜在GDP比で3.2%縮小し、GDP比たった1.1%になる見込みだ。 欧州中央銀行(ECB)も引き続き、需要の喚起にほとんど関心を示していない。当然ながら、ユーロ圏経済は動きが止まっており、2012年第4四半期のGDPは2010年第3四半期と同水準となっている。 一方、消費者物価の上昇率はECBのインフレ目標である2%を下回っている。先週行われた政策金利の0.25%引き下げは、ほとんど違いを生まない。大きな負のショックは、低いインフレ率をデフレに変えてしまう恐れがある。そうなると、危機国にかかる重圧が増す。 たとえデフレを避けられたとしても、現在のマクロ経済的な背景では、ユーロ圏の需要と域内の不均衡是正を通じ、各国が成長して難局から抜け出すという望みは幻想だ。 ユーロ圏が対外的な調整を進めると・・・ となると、残るは対外的な調整だ。IMFによると、フランスは今年経常赤字を出すユーロ圏唯一の大国になる。2018年には、フィンランドを除き、現在のユーロ導入国すべてが資本の純輸出国になるという。 ユーロ圏全体では、GDP比2.5%の経常黒字になると予想されている。外需を通じたバランス調整へのこのような依存は、まさにゲルマン的なユーロ圏に期待されることだろう。 この愚かな考えがどれほどひどいか理解したければ、マクロ経済の不均衡に関する欧州委員会の研究を検証しなければならない。その主要点は多くを物語る。この研究は、GDP比4%の経常赤字を不均衡のサインと見なしている。ところが、経常黒字については、基準が6%だ。GDP比6%という数字がドイツの経常黒字であるのは偶然だろうか? 何にも増して、この研究は不均衡に対する寄与度を評価するうえで、国の規模を考慮していない。こうしてドイツの役割が排除されることになる。しかし、金利がゼロに近い時には、ドイツの黒字の貯蓄は多大な問題を生む。この点が省略されているために、「不均衡」に関するこの分析はほとんど擁護不能だ。 ドイツが2000年代に取った調整への道を真似るようユーロ圏に強いる試みが持つ意味は大きい。ユーロ圏にとっては、特に危機に襲われた国々で景気低迷が長引く可能性が極めて高いことを意味する。さらに、もしこの取り組みが奏功し始めたら、ユーロは恐らく上昇し、デフレのリスクが高まることになる。 そして特に世界経済にとっては、ユーロ圏の黒字転換は景気縮小を招くショックだ。ユーロ圏の黒字を相殺する力と意志を持つ国があるだろうか? 欧州は大きなドイツになれない ユーロ圏は小さくて開かれた経済ではなく、世界第2位の経済圏だ。経常収支の大転換を経済調整と成長のための実行可能な危機後の戦略にするには、ユーロ圏は規模が大きすぎるし、弱い加盟国の対外競争力が低すぎる。 ユーロ圏は、ドイツが好景気の2000年代にやったように、この戦略に基づいて確かな回復を築くことはできない。この事実が理解されれば、アプローチの変更を求める域内の政治的圧力は間違いなく抗し難くなるだろう。 欧州は大きなドイツにならない。なれると考えるのは馬鹿げている。ユーロ圏はよりバランスの取れた方法で問題を解決するか、バラバラになるか、どちらかだ。結末はどちらになるだろうか? これが依然、答えの出ていない大問題だ。 By Martin Wolf http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/37742 • 2013年 5月 08日 17:50 JST ドイツに群がる求職者たち─南欧からの移民が急増 By JAMES ANGELOS 3月にドイツ・プフリンゲンにある新居近くでギリシャの独立記念日を祝うカロウスタスさん一家 【プフリンゲン(ドイツ)】クリストス・カロウスタスさん(46)と妻のバーバラさん(43)は、ギリシャ北部の自分たちの住む村を離れることになるとは思ってもいなかった。ましてや国を離れることなど想像もしていなかった。 しかし、ギリシャ経済の崩壊でクリストスさんが会計士としての職を失い、10代の3人の子供たちの養育費がままならなくなった時、一家は仕事のあるところに行く決心をした。それはドイツだった。 クリストスさんはシュトゥットガルトの南約40キロに位置するプフリンゲンの質素な新居のアパートで「新たな生活を目指してここに来た」と話した。 欧州債務危機の解決策として、痛みを伴う財政緊縮策を強要するドイツに対してはしばしば敵意が向けられているが、リセッションに苦しむ自国を離れる数万人の人々にとって、ドイツは新たな機会を与えてくれる土地となっている。 画像を拡大する
The debt crisis in the southern euro-zone has driven immigration into Germany to a 17-year high. The influx of young professionals from Greece, Spain, Portugal and even Italy is seen as a benefit to the German economy. Photo: AP 関連記事 • ギリシャ、今年の予想成長率はマイナス4.6%=国内シンクタンク • EUサミット、失業対策を最優先事項に • キプロス銀行危機で景気後退リスク増大 ドイツの統計庁が7日公表した統計では、移民数は昨年、17年ぶりの高水準に達したことが示された。欧州危機に見舞われた諸国からの移民の増加が「特に明白」だった。 仕事を求めて人々が州から州に容易に移り住む米国と異なり、欧州では言語や文化の違いを一因に、出身地の近くにとどまることを好む傾向が伝統的に強い。しかし、欧州大陸全体の労働市場が著しい違いのために変化が起きている。 欧州連合(EU)の統計によると、ユーロ圏の失業率は12%を上回っている─中でもギリシャとスペインの場合は27%付近─が、ドイツの場合は3月の失業率は5.4%だった。 2011年にはEU加盟国出身の移民の一番の行き先は英国からドイツに変わった。ドイツの暫定統計によると、昨年は同国への移民数は 過去最大の69万0937人となった。ギリシャとポルトガル、スペイン、イタリア、アイルランドからの移民数は13万4151人だった。これはユーロ危機が始まる前の水準の2倍以上に相当する。 移民全体の数は108万人に達し、2011年と比べると13%増加。そして1995年以降では最高水準に達した。EU圏以外では、米国とトルコ、セルビア、中国、ロシアからの移民が最も多かった。 それまでの数年間は近隣国ポーランドからの移民が最も多く、18万4325人だった。2番目はルーマニアからの移民で11万6964人、そして、ブルガリアからの移民が5万8862人とこれに続いた。 しかし、現在は南欧からの移民の割合が最も上昇している。特にギリシャからの移民数は大幅に増加し、昨年は3万5811人となった。これは2007年水準の4倍以上に相当する。 こうした移民たちは1960年代の前の世代と同じ軌跡をたどっている。当時は地中海沿岸地方からのいわゆる外国人労働者が、西ドイツの拡大する戦後経済の促進のために招かれた。 そうした一昔前の移民のなかにはバーバラさんの両親も含まれた。バーバラさんはフランクフルトで生まれ育った。フランクフルトで彼女の父親は屋根職人などとして働き、母親は清掃作業員として働いていた。バーバラさんが18歳で、両親が退職の年齢に達したときに一家はギリシャに引っ越した。 バーバラさんはドイツに戻る日が来るとは思ってもみなかったと話した。さらに「ギリシャの状況がこれほどまでに混乱するとは予想していなかった」と付け加えた。 夫のクリストスさんは2010年後半に家電の輸入業者としての職を失った後、自分たちが住む村の近くの複数の都市で仕事を一生懸命に探した。100以上の履歴書を提出したが、インタビューまでこぎつけたのは2件だけで、そのどちらも就職には結びつかなかった。 http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887323605404578470352137707838.html?mod=wsj_nview_latest JBpress>海外>中国 [中国] 上海で実感、ゆっくり沈んでいく中国経済 観光客も外資も寄り付かなくなった? 2013年05月09日(Thu) 姫田 小夏 中国の2013年1〜3月期の国内総生産(GDP)は、前年同期比7.7%増(物価変動の影響を除いた実質)で、前期の7.9%増から減速した。上海でも景気はよくない。誰に聞いても「不好(よくない)」と言う。
筆者は4月中旬、上海市北部の閔行区に住む友人李さん(仮名)宅を訪ねた。私の顔を見るなり「もう食べられる物がない」と不満をぶちまけた。 鳥インフルエンザが蔓延する上海では、市民の台所から鶏肉が消えた。元凶と見なされる「生きた鶏」は殺処分された。 家禽売り場が雀荘に 「ほら、この店も倒産しちゃった」
彼女と歩いた航北路では、「生きた鶏」の専売店が、設備・備品はそのままの状態で夜逃げ同然で閉店していた。鶏の処分を命令された家禽の生産業者と販売業者は、政府からたった一度、500元の手当を受け取っただけだと聞く。今、どこでどんな生活をしているのか。 豚肉はどうかと言えば、黄浦江に漂流した1万頭超の「死豚」の一件で、消費者からすっかり敬遠されている。3月上旬、豚の死骸が大量に川に投げ込まれたのは、「死んだ豚を再流通させていた仲介業者が捕まり、養豚農家からの引き取り手がいなくなってしまったからだ」と李さんは言う。最近の報道ではこれが最も有力な説となっている。死んだ豚も立派な商品だったのだ。 牛肉はどうなの? と聞くと「これも勘弁だ」と言う。「数日前に買ってきた牛肉を焼いたら、10分の1ほどの大きさに縮んでしまった」というのだ。「全部水分だった」と李さんは呆れる。 「タマゴも誰も買わなくなった」と言う。近所のカルフールでは、毎日、安売りのタマゴに早朝から老人が列を作っていたものだが、今では誰も買わない。人気だった安売りタマゴは夕方になっても山積みのまま残っている。 鶏肉も豚肉も牛肉も、そしてタマゴもダメ。残るは魚と野菜だが、「重金属たっぷりの近海の魚」は、やはり敬遠される。一方で、野菜は急速に値上がりしている。ブロッコリーはこれまで500グラム3元(約48円)だったが、今は6元(約96円)に高騰している。「100元札は10元札程度の価値しかなくなった」と愚痴っていた彼女にとって、これはさらなる打撃だ。 最近は飲用水の老舗ブランド「農夫山泉」が敬遠されている。なんでも取水場がゴミ処理上付近にあるかららしい。ここ上海では、もはや安心して口に入れられる食品はないと言ってよい。 金融機関からひっきりなしにかかってくる営業電話 もともと、中国流の商売は著しく商業道徳を欠くと言われていたが、景気の悪化でさらに悪徳商売が横行することになるだろうと思うと、気が重い。 いま、上海の街を歩くとあちこちで目を引くのが、「清倉」の2文字の張り紙や看板だ。「あそこも、ほらあそこも」と李さんは言う。洋品店や靴やバッグなどの専門店にも張られている。そう、清倉とは「閉店セール」の意味である。どこも景気が悪いのだ。 上海では住民1人当たりのGDPは1万ドルを超え、市場としては今後ますます中間層の成長が期待されている。だが、街中では「明るい未来」を肌で感じることができない。 「世の中みんな、損した人ばかりだ」と李さんは言う。彼女も株で大損した。彼女の友人も財テク投資に失敗し、100万円の大穴を開けたという。 そこにこんな追い打ちが入る。大損して意気消沈している消費者に、金融機関から悪質な営業コールがかかってくるのだ。 「失ったお金を3年で取り戻しませんか?」 実は筆者のところにも、1日に何本も同様の電話が入る。「ハーイ、ヒメダ小姐、ワタシ、マイクデス」といった英国系金融機関からの怪しげな電話もあれば、中国の花旗銀行(シティバンク)からの次のようなお誘いもある。 「保本保息(元本、利子保証)で5%以上の利子を毎月確保します。リスクなしの安定した商品ですよ」 日本人からすると恐ろしく魅力的な高金利だ。興味本位で担当者に会ってみたところ、契約書面には2.5%と書かれており、どこにも5%の表記はない。「銀監会(中国銀行業監督管理委員会)から指導が入るため、書けないんです」と営業担当。「シティバンク」と言えば世界的に名を知られる銀行だが(各国で経営は別)、そんな金融機関でも「契約書に書けない内容」があるらしい。 財テク経験の長い鄭さん(仮名)は「いまどきの中国の金融商品はどれも信用できない。下手に手を出さない方がいい」と強調する。中国では信託法もろくに整備されておらず、トラブルが続出している。信用に足る金融商品は定期預金ぐらいしかないようだ。 「発票(領収書)族」が作り出していた一大消費市場 個人消費者の懐の寒さは、当然内需動向に反映される。中国の2013年1〜3月期の内需は、3月の個人消費が前年同月比12.6%増にとどまった。昨年後半は15%増程度だった。 鈍化の理由の1つが「公費支出の取り締まり」だろう。腐敗撲滅に「本腰を入れろ!」と国民に突き上げられた政府が、とりあえず着手したのがこれだった。 内需の鈍化が、もしこの取り締まり強化によるものであるならば、この国の消費の多くは「発票(領収書)族」によるものであったことが浮き彫りになる。中央でも地方でも、官僚たちは連日のように接待を受け、贈収賄を繰り返してきた。2012年6月、財務部が明らかにした公費による外遊、クルマの購入、飲食の接待の合計は93億元を超えるという。中国の「一大消費市場」の正体はこれだったのか? そもそも一般市民は地元での「買い物」に消極的だ。うっかり購入すれば、それは粗悪品かニセモノか、あるいは桁違いの高級品だからだ。 筆者も上海では基本的に何も買わないようにしている。買うと、必ずと言っていいほど「面倒なことが起こる」からだ。電子機器の充電のために買ったUSBコネクタは不良品ばかり掴まされ、3度も交換した。電子辞書に使う単三電池は2週間で切れた。ピアスを買ったら、右と左で全く異なるデザインのものが対になって箱に入れられていた。そのたびに取り替えに行き、交渉をする。本当に「神経がすり減る」のだ。 サービスにもまったく期待しなくなった。店員の質がここ数年で格段に落ちたからだ。外資系企業が集まる場所にあるそれなりに高級なレストランでさえ、食事はたちまち不愉快になる。 つい先日も、人数分の皿とフォークを揃えるのに15分も待たされた。「あんた、人数も数えられないの?」と、友人の徐さん(仮名)は若いウエイターに向かって声を荒げた。サービスのなんたるかを知らない80后・90后(80年代、90年代生まれの若者)との疲れるやり取りを想像すると、レストランに行くのもためらいがちになってしまう。 ニセモノ市場から姿を消した日本人観光客 こんなこともあった。 筆者は最近、ビザ更新のためにビザセンターを訪れた。大病院の待合所なみの混雑を覚悟し、「想定処理時間2時間」を心に準備した。ところが、予想に反して外国人専用フロアはガランとしており、ほぼ「待ち時間なし」で更新が済んだ。これは一体どういうことなのか? かつてこのフロアは、各国から集まるビザ申請の外国人であれほど賑わっていたのに。 上海人の孫さん(仮名)はこう言う。「人件費や物価がこれだけ上がってしまっては、外資にとって上海の魅力はもうないということだ」。なるほど、2008〜2012年の対中投資国・地域別トップ5を見ると、日本を除く4つの国・地域は横ばいか下落傾向を示していることが分かる。 中国商務部の公表データより筆者作成 地下鉄2号線の「科技館駅」は、このビザセンターの最寄り駅だが、そこに巨大ニセモノ市場が広がっている。ここは上海の屈指の観光スポットでもあったが、すっかり往時の勢いを失っていた。外国人観光客の影がほとんど見えず、閑古鳥が鳴いている。商売人たちもおとなしくなり、今は買い手の言い値がまかり通る。
日本人観光客の姿が減ったニセモノ市場 この巨大ニセモノ市場に大挙して押し寄せ、ニセブランド商品を嬉々として買い求めていた多くが、日本人観光客でもあった。中国を訪れる日本人観光客の数は、反日デモ以来落ち込んだままだ。同時にニセモノ市場の商売人たちも「商売あがったり」となってしまった。
数年前まで上海は間違いなく「成功者の舞台」だったが、すっかり色褪せてしまったようだ。日本人も足を遠ざけるようになり、今や経済の「負の連鎖」が顕在化しつつある。 中国国家旅行局の公表データより筆者作成 ある日系大手メーカーの幹部は「2000年代のような市場の成長が最近は望めなくなった」とコメントする。「それが、反日デモの後遺症という一時的な要素なのか、それともこれが中国市場の限界なのか、判断はとても難しい」(同)
すべてが悪循環にはまった上海経済。生活に困窮した商売人が、さらに生活に困窮した消費者を狙う──、そんなすさんだ社会になっていくようで、正直、恐ろしさを感じる。 JBpress>海外>The Economist [The Economist] 中国不動産市場:イタチごっこ 2013年05月09日(Thu) The Economist (英エコノミスト誌 2013年5月4日号) 住宅価格の上昇が中国の指導者に政治的問題を与え続けている。 中国の庶民を相手に自分の「チャイニーズドリーム」は何かと尋ねたら、マイホームを持つという回答が上位に来るだろう。しかし長年にわたり不動産が値上がりし続けたせいで、その夢は多くの市民の手に届かないものとなった。 景気減速により、多少熱が冷めたように見えた。ところが今、住宅用不動産市場が再び高騰している(図参照)。
5月2日に発表されたデベロッパーと不動産会社を対象とした最新調査では、4月の平均住宅価格が前年同月比で5%値上がりしていた。 長期的に見れば、不動産価格の上昇は正当化できるように思える。 中国は人類史上最大の都市化の波を経験しており、新たに誕生するすべての都市住民のために住宅を建設する必要がある。既存の住宅はお粗末なため、買い手は余裕ができるや否やモダンな住宅にレベルアップする。 地方政府はデベロッパーへの土地売却から多額の利益を得ており、投資家は不動産以外に資金を預けておく先がほとんどない。こうした事情は皆、不動産価格の上昇圧力が消えないことを示唆している。 ファンダメンタルズから乖離する市場 だが、コンサルティング会社IHSのアリステア・ソーントン氏いわく、たとえこうした長期的な前提と認めたとしても、市場は現在、ますますファンダメンタルズ(経済の基礎的条件)から乖離しつつあるように見えるという。というのも、投資先を探している投機筋が、住まいを求めている住宅購入者を圧倒しているからだ。 大勢の見込み客が手頃な住宅を必死に探しているにもかかわらず、空室のままのマンションがたくさんある。調査会社キャピタル・エコノミクスは、住宅用不動産への投資は2012年の中国の国内総生産(GDP)の8.8%を占めたと試算している。 人類史上最大の都市化が進む中国だが、デベロッパーさえもが不動産価格の高騰に警鐘を鳴らしている〔AFPBB News〕
思いも寄らぬ場所で警鐘が鳴らされている。 中国最大のデベロッパー、万科のカリスマ経営者である王石氏は、不動産価格がさらに上昇すれば大半の人より得るものが大きいように見えるが、同氏もまた迫り来る「惨事」について警告している。 王氏は米国のテレビ番組「60ミニッツ」で、このバブルが弾けて不動産価格が急落すれば、最近のアラブの民衆蜂起と同規模の大衆抗議運動が起きるかもしれないと断言した。 中国の新指導部は、そのような懸念に痛く共鳴しており、危機を回避しようと躍起になっている。 対策に動く中央政府だが・・・ 国を支配する国務院と中国中央銀行はここ数週間で、市場を冷まし、投機を規制することを目的とした対策を数々打ち出した。2軒目の住宅を購入する者に対し、頭金の割合とローン金利を引き上げたほか、地方政府には、2軒目の住宅売却に20%のキャピタルゲイン税を課すことを改めて通達した。 しかし、中央政府の通達の多くが無視されている。例えば、不動産の転売にかかるキャピタルゲイン税は、これまでごく稀にしか課税されていない。不動産大手の華遠の任志強董事長は先日、国の政策を非難した。任氏いわく、中央政府が地方政府に送っているメッセージは次のように表現できるという。 「我々は不動産が値上がりし続けることがないよう願っている。君たちが問題を解決せよ。そうしなければ、我々が君たちを罰する」 大方の地方官僚は、そうした抑制策を厳然と実施する気はない。それどころか、不動産ブームを後押しした方が、大いに必要な税収の流れを保つことができ、自身の昇進のチャンスがかかっている地域経済の成長率を膨らませられるのだ。 このインセンティブの狂いが、「地方政府と中央政府が常にイタチごっこをしている」理由を説明するとソーントン氏は述べている。 この混乱を収拾することは難しいが、不可能ではない。まずは住宅の市場価値を基準とし、年に1度課せられる固定資産税を導入することから始めるといいだろう。 固定資産税の導入により、投機を減らすことができ、住宅所有者に空き部屋を保有する気を失わせ、資金繰りに苦しむ地方政府に新たな資金源を提供することができる。そうすれば、共産党上層部へ出世する道筋が管轄区を(そして場合によっては自分自身も)豊かにする能力と結び付けられている地方官僚を安心させられるはずだ。 共産党が固持する歪んだインセンティブと投機的売買を抑制する政策の欠如は、多くの場合、マイホームの入手を願う夢を打ち砕く結果となっている。この問題の解決は恐らく、中央政府が地方官僚にも夢があるということを理解するところから始まるのだろう。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/37731 http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/37747 JBpress>海外>ロシア [ロシア] ロシア、プーチン大統領のエネルギー政策 安倍首相訪問、ロシア発展のベクトルは東方に向かう 2013年05月09日(Thu) 杉浦 敏広 安倍晋三総理が4月末訪露しました。まず、直近のロシア・エネルギー事情を整理しておきたく思います。 ロシアでは現在、ウラジーミル・プーチン大統領と大統領側近によるエネルギー業界の地殻変動が深く静かに進行中です。一方、大統領府と内閣府との確執も徐々に表面化してきましたので、近々、ロシアでは内閣改造があるかもしれません。 プーチン大統領のエネルギー政策/地殻変動が進行中 ロシアのウラジーミル・プーチン大統領〔AFPBB News〕
本稿では今、ロシアのエネルギー業界で何が起こっているのか一つひとつの事実を検証しながら、ロシアのエネルギー産業は今後どう変貌するのか、予測していきたいと思います。 筆者の前号にて、プーチン大統領が昨年12月の大統領年次教書にて、「21世紀には、ロシア発展のベクトルは東方に向かう」と演説し、東シベリア・極東開発公社設立構想を温めていること。 および、プーチン大統領は今年2月13日、モスクワ郊外の大統領別荘にて『ロシア燃料・エネルギー分野発展戦略・環境保護大統領諮問委員会』(通称、『エネルギー大統領委員会』)の定例会を主催。その席上、政府に対し、LNG(液化天然ガス)輸出に関する段階的自由化の検討を指示したこと等をご報告しました。 従来、ロシアでは国策ガス会社たるガスプロムに天然ガス輸出の独占権が付与されていました。ゆえに、LNG輸出の自由化検討はガスプロムによる天然ガス輸出独占の一角が崩れ、ロシアの他社がLNG市場に進出可能となることを意味します。 では、ロシアの他社とは、具体的にどのような会社を指すのでしょうか? それは、プーチン大統領最側近の1人、イーゴリ・セーチン氏が社長を務める国営石油会社ロスネフチと、同じく最側近の1人、ゲンナージー・チムチェンコ氏が共同オーナーを務める、独立系ガス会社としてはロシア最大手のノバテック社です。 ロシアのガス産業においては、ガスプロムの凋落とロシア第2の天然ガス会社ノバテックの躍進、および石油産業では、ロシア国営石油会社ロスネフチがガス産業に進出しようとしているのです ロシア極東LNG構想/競争激化 日本を中心をとするアジア市場を視野に入れたロシアの極東LNG工場新設プロジェクトは現在、下記3構想が競合しています。 (1)極東LNG構想 (ロスネフチ構想/今年2月13日発表) (1')サハリンLNG構想 (ロスネフチ構想/今年4月11日発表) (2)ヤマールLNG構想 (ノバテック構想/北極圏ヤマール半島) (3)ウラジオストク(浦塩)LNG構想(ガスプロム構想) 上記のうち、(1)と(1’)は実質同じ構想です。要は、LNG工場建設場所をロシア極東大陸側(デ・カストリ)にするか、サハリン島にするかの違いです。 ロスネフチと米エクソン・モービルは2月13日、極東にLNG工場を建設する構想を発表しました。その後、ロスネフチのセーチン社長は4月11日、サハリン州の州都ユージノ・サハリンスク(旧豊原)を訪問。 ホロシャビン州知事とサハリン島にLNG工場を建設することで基本合意に達し、極東のウラン・ウデに滞在中のプーチン大統領とTV会談にてこの旨を報告しました。セーチン社長まさに東奔西走、随分とスピード感のある進展具合ですね。 珍事は、その時起こりました。プーチン大統領はテレビ会談の席上、セーチン社長に対し、次のように発言したのです。 「貴社は実質、サハリン島のみならず極東全域において独占態勢にある。この状況を乱用しないようお願いしたい。連邦法の反独占禁止条項を遵守して、反独占禁止庁の指導の下、活動してほしい」 安部晋三首相と会談したプーチン大統領〔AFPBB News〕
ところが、翌12日付けのコメルサント紙は、プーチン大統領がセーチン社長を厳しく叱責したと報じました。しかし、公開された大統領府議事録全文には、そのような記載はありません。 一体、何が起こったのでしょうか? セーチン氏はプーチン大統領の最側近の1人ゆえ、プーチン大統領がセーチンを本気で叱責することはないと思います。もし本気で叱責すれば、それが公表されるはずありません。プーチン大統領の真意を忖度すれば、「やりすぎるなよ」という程度の親心だったのではないでしょうか。 その証拠に直後の4月17日、ガスプロムのミーレル社長が訪日して、経産相やエネ庁長官と会談して浦塩LNGを協議したまさにその日、日本の商社幹部がモスクワでセーチン社長と会談して、デ・カストリLNG工場建設構想協力で合意、協力覚書を調印しました。 もしプーチン大統領がセーチン社長を本気で叱責し、ロスネフチの極東LNG構想を批判したとすれば、セーチン社長はこのような行動を取れなかったはずです。 さらに、プーチン最側近の1人、チムチェンコ氏率いるノバテック社も北極圏ヤマール半島におけるヤマールLNG構想を推進中です。ノバテック社には2人の共同オーナーがいます。 1人が上記のチムチェンコ氏、もう1人が同社のミヘルソン社長です。2人ともフォーブス誌2013年度版ロシア長者番付トップテンに入っています。このヤマールLNGの販売に奔走しているのがノーバク・エネルギー相です。 上記2月13日のエネルギー大統領会議を受け、LNG構想を推進中のノバテック社ミヘルソン社長とノーバク・エネルギー相は3月13日、日帰り日程で訪日しました。表面上、ノーバク大臣にミヘルソン社長が同行した形になっていますが、実態は社長に大臣が同行したのです。 ノバテックはこれから具体的な事業化検討に入り、今年中に最終投資決定の予定です。天然ガス供給源はヤマール半島の南タンベイ鉱区、LNG販売先は半分欧州、半分アジア市場を目指します。 上記のようなロスネフチやノバテックの動きに慌てたのが、ガスプロムです。同社はロシア国内でも、欧州ガス市場でも地盤沈下しています。ミーレル社長は2月21日、浦塩LNG工場建設決定を急遽発表しました。 LNG工場は極東のペレボズナヤ湾ロマノソフ半島に建設予定にて、年産500万トンのLNG生産トレーンを3基建設します。2018年には最初の生産トレーンが完工予定にて、天然ガス供給源は当初サハリン島沖のサハリン−3鉱区を想定。 将来は、極東のヤクーチャ(チャヤンダ・ガス田)や東シベリア・イルクーツク州(コビィクタ・ガス田)などを想定しています。 一方、ガスプロムは、天然ガスP/Lによる東シベリア・極東から対中向け天然ガス輸出も検討しています。 東シベリア・極東の天然ガスを供給源とする東ルートP/Lによる天然ガス供給に関しては、ロシアのドボルコビッチ副首相と中国王岐山副首相による今年2月25日の会談にて基本合意に達し、ガスプロムは2月27日、東ルートP/Lによる年間380億立方メートルの対中向け天然ガス供給を前向き検討することで、中国CNPC側と基本合意に達しました。 この点で注目されたのが、中国習近平新国家主席のロシア訪問です。同主席は国家主席就任後、初の外遊先として3月22日に訪露、プーチン大統領と会談しました。 訪露した習国家主席はマスコミのインタビューに対し、「中露は最も重要な戦略的パートナー」と述べ、両国間の関係強化を重視する姿勢を強調しました。首脳会談にてはロシアから中国向け東ルートによる天然ガス価格が合意に達するかどうか注目されましたが、両首脳は価格合意に至らず、年内合意を目指して継続協議となりました。 上記のごとく、ロシアでは現在、アジア市場を視野に入れて、極東LNG・浦塩LNG・ヤマールLNGの3新規LNG建設構想が三つ巴の戦いを展開中です。さらに、既存サハリン-2プロジェクトにおける新規第3トレーン建設構想(ガスプロム構想)も存在します。 しかし、アジア市場のガス需要を勘案すれば、各種LNG構想が平和共存することは有り得ませんので、今後、競争はさらに激化すること必至です。 なぜ、ロシア発展のベクトルは東方に向かうのか? ここで、冒頭のテーゼに戻りたいと思います。ロシアではなぜ「ロシア発展のベクトルは東方に向かう」のでしょうか? 繰り返しますが、西シベリアでは、ソ連邦時代に探鉱・開発された原油・天然ガス鉱区の生産量が減少しています。西シベリアを生産拠点とする石油会社やガスプロムは生産量が減少、且つガスプロムは欧州ガス市場にてシェア低下傾向にあります。 ここに東シベリア・極東開発の必要性と、新規市場としての日本を含む環アジア太平洋諸国市場の重要性が増しているのです。 もう1つの要素は中国です。ロシア側は中国のロシア極東進出を警戒しています。プーチン大統領は大統領就任直後に発表した文書(2012年5月7日付け『外交方針に関する大統領令』)にて、「中国・インド・ベトナムが露の戦略的パートナーである」と指摘しました。 ここでの注目点は、中国とベトナムを並立して挙げた点です。両国は南シナ海の領有権を巡り対立していますが、その両対立国をロシアにとり戦略的パートナーとして大統領令に記載したことは、中国に対する牽制の意味合いが含まれていると考えて間違いないでしょう。 一見、蜜月関係を標榜する露・中両国ですが、プーチン大統領の東シベリア・極東開発構想の真意・背景は「隣国警戒感」にほかならないと言えましょう。 安倍首相訪露/成果と課題 安倍総理は4月28日、日本の首相としては10年ぶりにロシを公式訪問しました。翌29日にはプーチン大統領と約2時間にわたり会談しましたが、会談内容は日系各紙にて大きく報道されていますのでここでは各論には触れず、要旨のみご報告致します。 成果としては、下記3つとなりましょうか。 (1)「日露パートナーシップの発展に関する共同声明」採択。 (2)外務・防衛閣僚による「2+2」会合設置合意。 (3)平和条約交渉を加速化することで日露双方合意。 (1)の枠組みの中では、「文化センター」を設置することや、「日露投資プラットフォーム」を設立することで合意しました。 (2)の枠組みでは、国際テロや国際犯罪に関する両国間関係組織の協力関係拡大で合意。 (3)では、日露両首脳が各々の外務省に対し、交渉加速化を指示することで合意しました。 北方領土問題に関しては、プーチン大統領がノルウェーと中国の例を引き合いに出し、両国とは面積折半で領土・領海を画定したことを説明。これを受け、日本に対しても面積折半論を提示したかのごとき報道が一部散見されましたが、日本に対して面積折半論を出したわけではありません。否、面積折半論は、一部日本側識者からの対露提案です。 経済実務面では、農業分野における北海道銀行とアムール州行政府間の協力関係覚書調印や、極東ナホトカにおける石油化学コンビナート発展に関する協力関係などが謳われました。 しかし今回、原子力協力関係は日露間の協議議題に入っていませんでした。安倍首相は訪露後、サウジアラビア、UAE(アラブ首長国連邦)、トルコを訪問していますが、原子力協力関係が大きな話題になりましたので、日露間の原子力協力関係は後退した印象を与えます。 天然ガス関係では、ロシア極東におけるLNG協力関係は特段言及されませんでしたが、日本側は安い価格なら購入するという姿勢でした。上述通り、LNG構想に関しては日系各社がロシア側パートナーと既に具体的な交渉を進めており、実務的段階に入っていますので、今後も粛々と交渉を継続することになりましょう。 最後に、プーチン大統領の東シベリア・極東発展構想と安倍首相訪露の総括に入りたいと思います。 ロシア国家にとり国内競争原理が働くことは良いことです。プーチン大統領はガスプロムによる天然ガス生産と輸出独占に競争原理を導入し、ガス輸出市場の多様化を視野に入れています。 東シベリア・極東を新規探鉱・開発し、原油・天然ガス増産やインフラ整備により東シベリア・極東の殖産興業を図る。LNG輸出は段階的に自由化して、国内の石油・天然ガス産業を活性化する。これが、プーチン大統領の意図となります。 ロシアは天然資源輸出市場多様化の一環として、日本を含むアジア市場を必要としていますので、ロシア発展のベクトル、それは将に東方に向かわざるを得ないのです。 一方、今回の安倍総理訪露では日露間の方向性は示されましたが、すべては今後の日露間の具体的交渉いかんとなりました。まさに安倍政権の鼎の軽重が問われていると言えましょう。 コラム:近くて遠いドル100円、突破力不足のからくり=上野泰也氏 2013年 05月 8日 23:16 JST
トップニュース 今週末のG7、共同声明発表しない見通し=カナダ財務省当局者 ユーロが対ドル・円で上昇、好調な独指標で目先の利下げ観測後退 東芝今期営業益は+33%の2600億円へ、円安やNAND堅調 3月独鉱工業生産指数が予想外に上昇、製造業回復加速の可能性 上野泰也 みずほ証券 チーフマーケットエコノミスト(2013年5月8日) 日本の大型連休中に為替相場が大きく動くことが過去に何度かあったが、今年は総じて平穏だった。4月4日に日銀が「量的・質的金融緩和」を導入したことをエネルギー源にして、ドル円相場は11日に一時99.95円までつけた。しかし、100円ラインを抜いていくどころか、到達することさえできず、その後は5月上旬にかけて96―99円台で推移している。 ドル円が100円に届かない理由は何か。オプション取引に絡む防戦の円買いが100円の手前で持ち込まれやすいという需給要因を重視する見方が、4月はよく聞かれた。だが、そうした声は最近では減少しているようだ。より本質的な問題を考える必要がある。 <封印された「円のトークダウン」> 筆者はこのところ、主に以下の4点を重視しながらドル円相場をウォッチしている。 まず、米国を中心とするG7によって「円のトークダウン」が引き続き封印されていることだ。昨年12月26日の安倍晋三内閣発足直後に何度か見られた、日本の政府当局者による事実上の円安容認発言が円売りを進める手がかりを提供するような場面は、今後も出てきそうにない。 第2に、黒田東彦日銀総裁が戦力の逐次投入はしないと言明しつつ、4月に「全部出し」的な金融緩和に踏み切ったため、追加緩和観測がしばらく出てきにくいことだ。 材料の消化が速い為替市場にとって、日銀が打ち出した「異次元緩和」は、基本的にはすでに織り込み済みの話である。そして、甘利明経済再生・経済財政担当相は7日に行われた経済財政諮問会議後の記者会見で、「政府側も(日銀に)常に注文をつけるというよりも、出された意思表示を検証していくというスタンスに若干変わった 」と発言した。 同会議で行われた金融政策と物価に関する集中審議では、黒田日銀総裁が量的・質的金融緩和や4月の展望レポートについて説明。甘利大臣を含む出席者はこれを高く評価した。白川方明総裁時代のような、政府側が日銀に追加緩和を要求する場面は、当面見られそうにない。 なお、10月の次回展望レポート発表の前後に追加緩和圧力が高まるのではないかという見方が市場の一部にあるが、筆者は否定的である。生鮮食品を除いた消費者物価指数(コアCPI)は6月頃から前年同月比プラスに転じる見通しで、秋の段階では物価上昇に向けた流れはおおむね順調という評価が、政府と日銀の双方によって下されるだろう。 <日本の家計はやはり「草食系」> 第3に、日銀の大胆な金融緩和を受けて欧米の市場参加者が抱くことになった、日本のマネー流出への期待が過大であることだ。 長期・超長期の国債利回りが低下したことで、国内生保が今年度の運用計画で為替リスクをとった外国債券への投資を増やす方向になっているのは事実である。だが、絶対額はそう大きなものではない。米国や欧州の国債利回りは足元でかなり低くなっており、日本のそれとの差は小さい。それでもあえて今すぐ買い出動するメリットは乏しいだろう。 また、リテールのお金についても、大規模なマネー流出へのハードルは高そうである。日本の家計金融資産1547兆円のうち55.2%が「現金・預金」となっている(昨年12月末時点)。この数字だけを見ると、リスク性資産にシフトする余地が大きいように見える。しかし、金融広報中央委員会が昨年6―7月に実施した「家計の金融行動に関する世論調査」(二人以上世帯調査)によると、金融資産の保有目的として回答が突出して多かったのは(3つまでの複数回答)、「病気や不時の災害への備え」(67.2%)と「老後の生活資金」(64.7%)だった。 そして、金融資産の選択の際にもっとも重視していることについて「安全性」「流動性」「収益性」の3基準で回答を分けた場合、最も多かったのは「安全性」で46.7%。次が「流動性」(24.7%)、最後が「収益性」(16.9%)である。この順番は長年同じであり、日本の家計マネーが米国などと異なり「草食系」である状況が一朝一夕に変わるとは思えない。 さらに、元本割れを起こす可能性があるが収益性が高いと見込まれる金融商品の保有については、「そうした商品を保有しようとは全く思わない」が84.5%という結果だった。ちなみに、この数字は「リーマンショック」前の2007年の調査では78.3%だったが、そこからほぼ毎年増加してきている。 <ここまでの円安加速はスピード違反か> 最後の4点目は、最近の米経済指標が「まだら模様」であり、資産買い入れペースの縮小観測が後退していることだ。 4月に発表された米景気指標は、市場予想比で下振れするものが多かった。例年同様、米景気指標「中だるみ」の季節が今年も到来したというムードが強まり、対円でドルを買い進みにくくさせた。その後、5月3日に発表された4月の米雇用統計は逆に予想比上振れとなり、米国の主要株価指数は史上最高値を更新したが、ドル買い円売りに持続力はなく、99円台半ばで失速した。これは、米国の物価上昇率の鈍化が新たな焦点に浮上しており、量的緩和第3弾(QE3)の資産買い入れペース(現在は月間850億ドル)の縮小観測が足元で後退しているからである。 筆者は米国の失業率が7%台の低いレベルまで年内に低下していくだろうという予想の下、今年の秋から年末には資産買い入れペースが縮小され得ると引き続き見ているが、3月分で前年同月比1.1%プラスとなったコアPCE(個人消費支出)デフレーターの上昇率鈍化に明確に歯止めがかかるという条件付きである。 以上の4点から、100円トライに必要な「決め手」となる材料が出てきにくい状況となっていることが理解されるだろう。最初の点は今後も変わりそうになく、2点目もしばらくは不変だろう。 もっとも、時間の経過とともに経済情勢は変化していく。注視すべきは最後のポイントだ。米経済指標が「まだら模様」ないし「中だるみ」を脱して秋から年末に加速すれば、米金融政策についての市場の見方が変わり、ドル買い円売りに弾みがつきやすくなる。 また、3点目の関連では、財務省が毎週発表している「対外及び対内証券売買契約等の状況」に注意する必要がある。日本からのマネー流出は今後も限られるという筆者の見解はすでに述べた通りだが、週次データでは何らかの理由でイレギュラーに大きな資金流出の数字が出てくる可能性もある。その場合、海外勢が円売りを進めるきっかけが提供されることになる。 グローバルな市場の流れは昨年、「リスクオフ」から「リスクオン」に転換したと筆者は認識している。したがって、07年から5年程度続いた逃避的な円への資金流入が巻き戻されていく中で、向こう1―2年内に08年のドル高値である111.92円前後まで円安ドル高が進むだろう。 ただし、昨年11月から今年4月にかけての「アベノミクス期待」や「黒田ショック」を足場にした円安加速は「スピード違反」のような動きであり、今回のように円安の流れが足踏みする時間帯が出てくることは避けられない。 *上野泰也氏は、みずほ証券のチーフマーケットエコノミスト。会計検査院を経て、1988年富士銀行に入行。為替ディーラーとして勤務した後、為替、資金、債券各セクションにてマーケットエコノミストを歴任。2000年から現職。 *第2段落2行目の「ドル買い」を「円買い」に訂正します。 *本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。(here) 関連ニュース 今週の日本株は底堅い、連休谷間で為替にらみの展開 2013年4月30日 来週の日本株は底堅い、連休谷間で為替にらみの展開 2013年4月26日 コラム:円安は一服後「第二幕」へ、ドル105円視野=亀岡裕次氏 2013年4月16日 「日本包囲網」警戒し円高・株安、先進国の日銀批判は杞憂か 2013年4月15日
ECBがABS購入討議、中小向け融資促進で−アスムセン理事 5月8日(ブルームバーグ):欧州中央銀行(ECB)のアスムセン理事は、中小企業向け融資を支えるための資産担保証券(ABS)購入をECBが話し合ったことを認めた。 ABS購入をECBが検討しているとの8日付ドイツ紙ウェルトの報道に言及し、アスムセン理事は「中小企業向け融資促進でわれわれに何ができるかを見極める作業の一部だ」と述べた。 同理事はブリュッセルで議員らを前に、ECB当局者らは「責務の範囲内で実行可能なあらゆる措置を検討するのに予断を持っておらず、これは特に中小企業向けローンを裏付けとするABS市場を欧州でいかによみがえらせるかに関係している」と説明した。 ECBは先週、政策金利を過去最低の0.5%に引き下げた。ドラギ総裁はその後の会見で、中小企業向けの与信が「引き続き厳しい」状況にあるとの認識を示していたが、ABS市場復活のための選択肢検討で「結論に至るには、まだ程遠い」とも語っていた。 BNPパリバの欧州担当チーフエコノミスト、ケン・ワトレット氏はアスムセン理事の発言について、「話し合いがまだ早い段階にあることを示唆している」とし、欧州投資銀行が「この過程を先導する」との見方を示した。 匿名の中銀当局者を引用して伝えたウェルト紙によれば、ドラギ総裁を含め、ECB政策委員の過半数がABS購入に前向き。アスムセン理事のほか、ドイツ連邦銀行のバイトマン総裁やメルシュECB理事が反対だという。 原題:Asmussen Says ECB Discussed ABS Purchases to Spur SMELending(抜粋) 更新日時: 2013/05/08 21:26 JST http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MMHA0M6KLVRB01.html
2013年 5月 08日 20:25 JST 話さないでくれて、ありがとう
By ELIZABETH BERNSTEIN バサービ・クマールさん(30)はある日曜日、夫と口論した後、あまりにも腹が立っていたので、両親と姉妹の1人、3人の親友に電話をかけた。その1人1人に、「もうおしまい」と話し、「決して私のことを理解してくれることはない。離婚する」と伝えた。 その翌日、何が起きたか想像してほしい。クマールさんは夫と仲直りした。お互いにすまないと思っていると語り、抱擁し、口論については忘れるということで折り合いがついた。しかし、米カンザス州在住のライフ・コーチでソーシャルワーカーのクマールさんの謝罪はそれで終わりではなかった。他の6人にも謝る必要があった。「みんなに爆弾発言をしたが、今はもう大丈夫。気分は上々だった」とクマールさん。「後片付けをしなければならなかった」と。 画像を拡大する Ben Sanders /他人が自分についてどう考えるかに関する不安を克服しようとする時に人はしゃべり過ぎる傾向がある 情報を共有しすぎることはないだろうか。しかも、酔ってさえいないのに。私はこれをBYB(Blabbing Your Business=自分の問題についてベラベラしゃべる)と呼んでいる。テレビのリアリティ番組やソーシャル・ネットワーク・サイト(SNS)のおかげで最近はこうしたことが多く起こっている。リアリティ番組やSNSでは、どれほど平凡で個人的なことであっても人生の全詳細を他人と共有することが全く日常となっている。米国の文化では、一部の事柄は人に伝えずにおくべきだということを忘れがちだ。 すべてがフェイスブックのせいではない。無意識のうちに不安をコントロールしようとしているときにしばしば情報の共有のし過ぎが起こると専門家らは説明する。こうした努力は「自己規制」として知られており、どういう仕組みになっているかは以下の通りだ。会話をしている時、われわれは相手の自分に対する印象を管理しようと多くの精神的なエネルギーを使い果たす場合がある。賢くてユーモアがあり、面白いと見せようとするが、これに必要な努力のために、何を誰に話すかを選別する脳の力が弱まることになる。 上司や初デートの相手、将来の義理の親戚など、まさに最も良い印象を与えたいと思う人々に、なぜ恥ずかしいことを話してしまうことが多々あるのかはこれで説明が付くだろう。例えばこのシナリオを考えてみてほしい。上司が通りかかって目線を合わせない。あなたは不安になり、上司と話し合う必要のあることを考える。心理学者で、ペンシルベニア州のウィディーンアー大学インスティテュート・フォー・グラジュエート・クリニカル・サイコロジーの准教授であるハル・ショーリー氏は、「あなたは不安を感じ、拒絶の合図を感じていることを認識する。そこで関係の再構築を試みる」と話す。 これはもちろん、うまくいかない。われわれは情報共有をしばしば後悔し、間抜けに感じ、その上、聞いた人がどう感じるかについてさらに懸念することになる。状況を修復しなければいけないかのように感じるかもしれず、さらなるしゃべり過ぎにつながる。これは悪循環だ。 余計なことまで共有し過ぎるのは私だけでないことは分かっている。1週間に3人が「配偶者にもセラピストにも親友にも、誰にも言ったことがないことをお話したい」という恐るべき言葉を発したのを聞いて、このコラムのアイデアを思い付いた。 しかし、一部の人々は他の人と比べて生まれつきもっとおしゃべりだ。心理学者が1900年代半ばごろ開発した愛着理論によると、こうした人々は「没頭した」愛着スタイルを持っている傾向がある。ショーリー博士によると、われわれの愛着システムは人間が生き残るために発達させたプロセスの進化の副産物だ。愛着スタイルは一部には遺伝子に関するものだが、また、部分的にはわれわれが幼い子供の頃の両親による関わり方によっても決まってくる。 基本的には3つの愛着タイプが存在する。安心したタイプと不安なタイプ、そして回避的なタイプだ。安心したタイプ(人口の約55%)は、常に面倒見がよく、敏感に反応する両親に育てられた。こうした人々はたいてい愛情深く、親密さを心地よく感じている。他の45%はこれよりも問題をはらんだ愛着スタイルを有している。つまり、不安や回避的、あるいはその組み合わせだ。 人口の約15%に相当する回避的タイプは親密さを極力避けようとする。こうした人々の両親は通常、控え気味だったり無反応だったはずだ。こうした人々はベラベラしゃべるタイプではない。実際、個性のタイプを判断するためのインタビューでは、セラピストは短く簡潔な回答を回避的な愛着スタイルのしるしだとみなす。 長くて退屈なほどの回答は通常、不安なタイプを示唆している。不安なタイプ(人口の約15%)の両親は通常、子育てが一貫していなかったことが多い。こうした人々は社会的な合図に過剰に敏感で、人とのつながりを過剰に管理する傾向がある。(他の15%は混合タイプになる) ニューヨーク州の夫婦・家族向けセラピスト、シャロン・ギルチレスト・オニール氏によると、もちろん、われわれは誰にも、抑えきれなくなる時がある。感情的なストレスのために自分を抑制できなくなる時だという。同氏は「こうした時、人々は『しゃべるのは気持ちがいい』と考える」と話す。その上で、「しかし、こういう時、人々は明らかに相手のことは考えておらず、このために関係が損なわれかねない」と続ける。 実際、自分が共有すべきではない情報を共有する時に、まさに問題が生じる。オニール氏は自身のセラピーでは、実際に起こる前に、自分の夫婦間の問題や離婚や別居について誰かに話す人々がよくいると語る。またもう1つのよくあるシナリオは、娘について母親が情報を共有するというものだ。オニール氏は、こうした場合、「通常、後で問題になる」と語る。 では、どうすれば、しゃべり過ぎを抑えることができるのか。母親に教わったことをやりなさい。つまり、口を開く前に立ち止まって考えるのだ。 また、ショーリー博士は、以下のような特定の質問を自問すべきだと述べる。「私の話の聞き手は今、時間があるか。また、聞き手は話を聞く感情的な余裕があるのか」、「ベラベラしゃべることで不安は軽減されるのか。それとも悪化するか」、「言い換えれば、ちょっと考えてみれば、あなたの上司はあなたが話し過ぎるのは馬鹿げていると考えるのではないかと心配することがおそらく予想できるだろう」 話し過ぎたと感じる場合には、どうすればいいか。大半の人々は戻って謝るのがいいと考える。しかし、多くの場合、そうではない。オニール氏は「自分のオフィスでは結果がどうなるかを考え抜くよう手助けすることに努める」と話す。 聞き手があなたに対する見方を基本的に変えたと考える場合には謝ったほうがいい。短く控えめに。オニール氏は、「『大ごとにはしたくないが、恥ずかしいと思っていて、いつもはこうじゃない』と言うべきだ」と助言する。さらに、「それだけにすべきだ」と。 クマールさんは、自分は常にしゃべり過ぎるほうだったと思いだす。彼女の子供のころのニックネームは「おしゃべり」だった。彼女は「主に、人々とつながりを持ち、好かれるための方法としてしゃべっていた」と語る。 父親に電話して、離婚すると話したのは早まり過ぎたと謝罪すると、父親は泣き出した。「父親には『もうこんな思いはしたくない。あまりにも年をとり過ぎている。血圧の薬を飲んでいる。電話にお前の名前が表示されるたびに、神経が参る』と言われた」とクマールさん。 クマールさんは最近、しゃべる前に自問するようにしている。「なぜこのことについてこの人に伝えようとしているのか。何が目的か」 「そうでもしなければ、自分のことを話して、この瓦礫を人々の人生にまき散らすようなものだ。そして今度は自分が作り出したゴミを掃除しなければならない」
http://diamond.jp/articles/print/35638 【第1回】 2013年5月9日 「給料は上がる」15%「変わらない・下がる」85% アベノミクスでぼくらの給料は上がるのか? DOL独自アンケート調査(4月11日〜17日) 安倍晋三政権の掲げた経済対策「アベノミクス」により、上向き始めたと言われる日本経済。政府による異例の賃上げ要求に呼応した大手コンビニや大手自動車メーカーの動きが、春先から世間を賑わせている。安倍首相も「給料が上がる時代を取り戻す」と力強く宣言するが、果たして世の中は本当に賃上げムードにあるのだろうか。そして、これから私たちの給料が増える見込みはあるのか。
ダイヤモンド・オンラインでは、20代〜60代の読者を対象に「ぼくらの給料実態アンケート」をサイト上で実施。すると、「これから年収がアップする・しそう」というビジネスパーソンは14.6%に留まり、57.9%は「変わらない」、23.9%は「下がる」と回答。 また、夏季一時金についても「アップする」と答えたのは16.2%で、「前年とほぼ同じ」「下がる」と答えた人が合わせて59.6%という結果となった。また、夏季一時金の支給がない人も約20%に上った。実施期間は、2013年4月11日〜17日。有効回答数は573だった。 「景気は良くなるが、年収は上がらない」 そう考える人が最も多い結果に
アンケートでは、年収が「変わらない」「下がる」と答えた人が8割以上となったため、アベノミクスによる景気浮揚効果に多くの人が懐疑的かと思いきや、決してそういうわけではないようだ。 「アベノミクスによって本当に景気が良くなると思いますか?」という質問をしたところ、「かなり良くなる」「やや良くなる」と回答した人が合わせて55.3%、「変わらない」24.9%、「やや悪くなる」「かなり悪くなる」が合わせて19.8%で、景気浮揚を期待する人が過半数を占めている。 そこで、アンケートの「これから年収はアップするか」と「アベノミクスで景気は良くなるか」の2つの問いに注目し、クロス集計をしたところ、「景気は良くなるが、自分の年収は変わらない・下がる」と考えている人は、全体の43%に上ることがわかった。これは「景気が良くなり、自分の年収も上がる」と回答している割合の10%を大きく上回っている。 この結果から、多くの人が「アベノミクスによって景気は良くなるが、自分の年収には波及しないだろう」と考えていることが読み取れる。 現状に「不満」は約6割 多くが「能力比例型」の賃金を望むが… では、今後の行方を考える前に、現状の自分の給料について、多くの人はどう感じているのだろうか。「今の給料に満足していますか?」と質問したところ、「かなり満足」「やや満足」は合わせて43.0%、「やや不満」「かなり不満」は57.1%という結果になった。 「不満」の理由(3つまで選択可)としては、「求める生活水準に対して足りない額だから」が47.7%で最も多く、その次に多かったのが「自分の能力や経験が評価されていないから」(39.9%)という答えだ。 このような能力が評価されていないという“不満”は、次の質問に対する答えからもうかがい知ることができる。 「年功序列型か能力比例型、どちらの給与体系が望ましいと思いますか?」という質問を行ったところ、「年功序列型」23.0%、「能力比例型」61.6%という結果に。そのほか年功序列と能力比例のミックス型などを「その他」として挙げる人が15.4%いたが、能力比例型を希望するビジネスパーソンが圧倒的に多いことがわかった。しかし、「能力比例型といっても、(会社のなかに)能力評価できる人も仕組みもない」(30代・女性)という意見もあるように、その実現には大きなハードルがありそうだ。 この15年でGDPプラス9.4% それでも賃金は12.8%ダウン
さて、賃金は景気の「遅行指数」であるとよく言われるが、果たしてこの先、私たちの給料が増えていく可能性はあるのだろうか。みずほ総合研究所の杉浦哲郎・副理事長はこう語る。 「1980年代までは経済成長に応じて、雇用・賃金はともに増加してきました。しかし、90年代以降は、実質GDPと雇用・賃金に連動性はありません。今では賃金は景気の“遅行指数”としては機能していないと言えるでしょう。したがって、アベノミクスによる景気浮揚の恩恵を受けるのは、一部の人や一時期的なものになるのではないでしょうか」 2013年春闘回答を見ると、自動車メーカー各社は、トヨタ自動車が一時金5.0ヵ月+30万円、日産自動車が5.5ヵ月、ホンダが5.9ヵ月と軒並み5ヵ月以上となっている一方で、定期昇給については、「維持」あるいは「定昇制度なし」。自動車メーカーが“ひとり勝ち”となったのは、円安による為替差益の恩恵を受けたに過ぎず、一時的なボーナスでしかその効果を得られない可能性がある。 小売業では、大手コンビニ3社のほかに、ニトリが定昇・ベースアップで平均2.31%の賃上げとなった。これは、まるで「政府の要求を受けて」というように見えるかもしれないが、実際のところニトリは、昨年も定昇・ベースアップで2.01%アップさせており、今回に限ったことではない。つまり、ニトリに限らず企業の賃上げの多くは、アベノミクスの恩恵を受けてのものではなさそうだ。 実際、名目賃金がピークとなった1997年から2012年の間に、GDPはプラス9.4%となったが、その一方で名目賃金はこの15年で12.7%も減少した(厚生労働省「毎月勤労統計」)。この背景にあるのが、「非正規社員の増加」と「正社員の給与減少」だろう。 まず、この15年間で正規社員が472万人減少する一方で、非正規社員は661万人も増加。 被雇用者の3分の1超を占めるまでになった。そして、グローバル化が進み、企業が世界の低価格競争に晒されるなか、生産性(実質GDP/就業者数)は14.4%もアップしている一方で、実質賃金は9.1%もマイナスになっている。つまり、日本企業が「労働力は抑制すべきコスト」として認識しているなかで、正社員たちも賃下げを甘受せざるをえなかったようだ。 また、転職現場に目を向けても、まだ賃上げに関する明るい話は入ってこない。転職支援サービス大手の『DODA』木下学編集長は、「今年3月の転職登録者数は過去4年で最多、求人数も過去4年で2番目の高さとなっている一方で、採用を行う企業ではまだ賃上げの動きは顕著に見られない」と語る。 株高・円安が続く今、アベノミクスの効果を“バブル”だともてはやす人も少なくない。しかし、「アベノミクス」が実体経済に与える効果が期待の域を出ず、“普通の人”がその恩恵を実感できない今は、躍らされずに堅実・賢明に働き、生活をすることが必要だろう。 ぼくらの給料は本当に上がるのか――。次回以降、世の中の給与データの分析や専門家のインタビューなどを通じて、詳しく検証していきたい。 (ダイヤモンド・オンライン 林恭子) 【第3回】 2013年5月9日 野口悠紀雄 [早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問] 古い産業を保護して成長はありえない ――成長戦略を評価する視点 政府は、経済政策の「3本の矢」の最後である成長戦略を6月中旬に閣議決定する予定だ。以下では、「成長戦略で何が必要か?どのように評価するか?」という問題を考えよう。 成長戦略こそが本命 安倍晋三内閣の経済政策の第1本目の矢である金融政策には、本連載の第2回で述べた問題がある。第2の矢である財政拡大は、続けて行なえば金利高騰の問題を引き起こす。だから、第3の矢である成長戦略こそが重要だ。 もともと、金融政策と財政政策は一時的なものと位置付けられている。経済再生を実現し、持続的な経済成長を実現するには、成長戦略が本来の政策だ。安倍内閣の経済政策が本当に内容のあるものか、それとも見かけ倒しのこけおどしのものかという判断は、成長戦略によってなされることになる。 成長戦略は、歴代の政権が作成してきた。民主党政権だけに限っても、「新成長戦略」(2010年6月)、「日本再生の基本戦略」(2011年12月)、「日本再生戦略」(2012年7月)が作成された。 安倍内閣の成長戦略について、甘利明経済財政・再生相は、「少子高齢化、公共インフラの老朽化、エネルギー・環境制約など世界に先駆けた課題に取り組み、成果を企業が海外に展開して収益を得る」ことが目的であると述べている。 現時点で報道されているところによれば、成長戦略の主要な内容は、医療などの新産業を育成し、女性が力を発揮できる環境を整備し、また、都市圏を中心に規制緩和や税制優遇を行なう「国家戦略特区」を設定することなどだ。具体的には、つぎのとおりだ。 (1)日本版NIH 医療分野の開発の司令塔となる「日本版NIH」の創設(NIH:National Institutes of Healthとは、アメリカ連邦政府の保健社会福祉省公衆衛生局の下にある医学研究の拠点機関)。これまで日本の医学関係の研究体制は、基礎研究は文部科学省、臨床研究は厚生労働省、そして産業育成は経済産業省と、バラバラであった。それを、内閣官房に設けるNIHに一本化し、基礎研究で先行したiPS細胞の実用化を急ぐ。 (2)女性の活躍 全上場企業が役員に1人以上の女性を登用するよう求める。女性の雇用を促すため、保育の受け皿を確保し、待機児童ゼロを目指す。育児休業を3歳まで取得できるよう、企業に助成金を支給する。 (3)国家戦略特区 東京都など三大都市圏を「世界で最もビジネスのしやすい街」に仕立て上げ、海外企業の誘致を狙う。 (4)規制緩和 一般医薬品のうち副作用のリスクが高い薬剤も、インターネット販売を認める。また、企業が自由に農地を買える「所有の自由化」も議論されている。 政府がなすべきは、規制緩和と教育 まず最初に、「成長戦略において政府が果たすべき役割は何か?」をはっきりさせる必要がある。 多くの人は、「今後成長が期待される分野を政府がピックアップし、それに補助を与えて育成することが成長戦略だ」と考えている。実際、民間企業の経営者が「成長戦略が必要」という場合、それは、「政府の補助が必要」というのと、ほぼ同義である。また、各省庁にとっては、「成長戦略」とは、予算獲得のための手段だ。 今回の成長戦略も、多分にこうした傾向を持っている。 しかし、こうした方向の成長戦略には、大きな問題がある。なぜなら、どの分野が本当に成長できるかは、事後的にしか分からない場合が多いからだ。 例えば、1990年代にアメリカでIT産業が成長し、これがアメリカ経済の形を大きく変えた。しかし、IT産業は、政府の戦略と保護によって成長したのではない。市場の競争過程を通じて生き残った企業が、結果的に新しい産業を作ったのだ。 実際、1980年代の末に、アップルはシリコンバレーのベンチャー企業としてすでに存在していたが、80年代末に刊行された『メイド・イン・アメリカ』(アメリカMIT産業生産性調査委員会のレポート)は、「フェアチャイルドやモトローラなどの企業から優秀なエンジニアを引き抜いてしまうので、アメリカ製造業を弱体化させる」と批判していた。二十数年後にアップルが時価総額世界一の企業になるとは、その当時は誰も想像できなかったのだ。 また、ターゲットの補助(特定の企業や産業に限定される補助)ならだめ。そうしたことを行なえば、エルピーダメモリのようなことが繰り返されるだろう。 経済成長は、基本的には民間企業と市場によって実現される。政府の役割は、そのプロセスが邪魔されないように環境を整えることだ。具体的には、規制緩和であり、エコカー補助や雇用調整助成金など従来型保護政策からの脱却だ。 したがって、重要なのは、企業のビジネスモデルの改革と、人材戦略だ。今回の成長戦略が教育について何ら言及していないのは、大きな問題だと考えざるをえない。安倍内閣が「教育再生実行会議」を通じて行なおうとしている教育改革は、いじめ問題や教育委員会改革など初等教育に関するものが中心だ。高等教育に関して、大学の在り方、グローバル化への対応、大学入試の在り方などが議論されているのは事実だが、成長戦略としては不十分なものだ。 経済全体の方向性を示す必要がある 成長戦略に必要な第2点は、注目を集める個別政策をいくつか揃えるのではなく、全体の方向性を整合的に明らかにすることだ。方向付けは、抽象的な表現によってではなく、できれば定量的に示す必要がある。 また、方向付けを示す前提として、日本がなぜ長期的停滞に陥ったかの分析が必要だ。それなしに政策を打ち出しても、場当たり的な思いつきの寄せ集めになってしまう。 例えば、規制緩和によって経済活動を活発化させる必要があるという点では、多くの人が賛成するだろう。しかし、個別のテーマになると、賛成と反対が対立する。そうなるのは、全体的な方向付けがはっきりしないからだ。 「全体的方向付け」の観点から言えば、現在の日本における成長戦略の目的は、雇用の確保と所得の引き上げに置かれるべきだ。 この問題を考えるにあたって、製造業の位置付けとエネルギー戦略は、必須の検討課題だ。この2点についての方向付けを明らかにせずに成長戦略を論じるのは、そもそも不可能なはずだ。 なぜなら、1990年代以降の日本経済の停滞は、基本的には、90年代以降の新興国、とくに中国の工業化によって、製造業をとりまく条件が基本的に変化したことにあるからである。それによって工業製品の価格低下と、賃金水準の新興国へのさや寄せ現象が生じた。これが一般に「デフレ」と言われている現象だ。 この事実を認め、製造業の縮小を不可欠のものと考え、製造業に変わる新しい中心産業を求めるのか、それとも、製造業の国内生産に固執するのか、これこそが成長戦略の基本的論点である。この問題をどう考えるかが、示されなければならない。 原発再稼働を認めるか否かは、電力コストに多大の影響を与える。そして、これは、国民生活と産業活動の基本的条件を定める。 これらの問題の検討は、最低限必要なものだ。しかし、成長戦略を見ると、このいずれについても、定量的な姿がはっきりと分からない。 今回の成長戦略は、こうした基本的問題に目をつぶって、目玉となる政策にこだわりすぎているように見える。「バーゲンセールで目玉商品は何か」と考えあぐねているような印象を受ける。日本が直面している問題に、正面から真摯に取り組んでいるとは見えないのである。 なお、全体としての方向付けを明確化する必要性は、成長戦略に限ったものではない。金融緩和、財政政策についてもいえることだ。金融政策について、「物価上昇率2%目標」への道筋がはっきりしないことは、この連載でもすでに指摘した。 賃金の引き上げが不可欠 消費者物価上昇率の引き上げが目的とされているが、物価が上がるだけでは、国民が貧しくなることは明らかだ。したがって、賃金の上昇を目指すことは不可欠である。 これまでの日本で、賃金が低下してきたのは、つぎのような事情による。 まず、製造業において、就業者が大きく減少した。2002年から11年の間に、製造業の就業者は181万人減少した。他方で、サービス産業での就業者が増加した。医療・福祉では、200万人増加した。 ところで、就業者が製造業からサービス産業にシフトすると、経済全体の所得は低下する。なぜなら、日本のサービス産業の生産性は低いため、賃金が製造業より低いからである。 賃金として、「きまって支給する現金給与額」をとると、10年において、医療・福祉分野の賃金は、製造業の賃金に比べて9%ほど低い。したがって、製造業の比率が低下してその分だけ医療・介護が増加すると、経済全体の所得は、低下するわけである。このパタンが続く限り、日本の所得は低下してゆく。 貧困化のトラップから脱却するには、この問題が解決されなければならない。そして、生産性の高い新しい成長産業がつくりだされなければならない。 成長戦略にいう医療は、確かに新しい成長産業の候補になりうるものだろう。しかし、そのためには大掛かりな制度改革が必要だ。iPS細胞は重要な発見だが、すぐには産業化できるものではない。 医療・介護分野の賃金が低いのは、介護分野での賃金が介護保険の枠内で抑えられているからである。したがって、医療保険制度、介護保険制度をも含む制度改革が必要だ。 また、原理的には、農業も新しい成長産業になりうる。ただし、生産性の高い産業になるためには新規事業者の参入が必要であり、そのためには、農地法、輸入関税を含む制度改革が必要だ。 金融はアメリカやイギリスを活性化させた。しかし、日本では、専門的人材の不足が基本的な制約となる。この問題を解決するには、ビジネススクールなど、高等教育の改革が不可欠だ。 こうしたところまで進まなければ、成長は、「絵に描いた餅」に終わってしまう。 なお、改革にあたって、「古いものを残してはならない」というのも、重要な点だ。既得権を保護してはならない。時代に合わなくなった仕組みを壊す覚悟が必要だ。こうした新陳代謝を促すことが目的とされなければならない。 農業は成長産業の候補だが、古い農業は、政治的に最も強い分野だ。TPP(環太平洋経済連携協定)交渉において、すでに農業分野は聖域化されてしまっていることを見ると、すでに改革は頓挫していると考えざるをえない。 財政再建目標の重要性が増した 財政運営については、経済財政諮問会議が経済財政運営の基本方針「骨太の方針」を6月中旬に閣議決定する見通しだ。これと成長戦略との整合性を検証する必要がある。 政府は2010年、国と地方の基礎的財政収支(プライマリーバランス:PB)の赤字の名目国内総生産(GDP)に対する比率を、15年度までの5年間で半減する目標を決めた。安倍政権も今年1月の閣議決定で目標を引き継いでいる。なお、PBのGDP比は、13年度見通しでは6.9%の赤字である。 今回は、「15年度のPB赤字半減、20年度のPB黒字化、その後の債務残高GDP比の安定的な引き下げを目指し、持続的成長と財政健全化の実現に取り組む」と明記する予定だ。 そのうえで、「財政措置が必要とされる場合には、15年度のPB赤字半減目標の達成時期がずれ込む可能性がある」と言及し、「そうした事態を招かないように最大限の政策努力を払う」と述べる予定と報道されている。 物価上昇率目標は、金融緩和だけでは達成が難しい。このため、財政拡大政策が取られる可能性がある。そして、日銀の新しい国債購入計画で、それをファイナンスするための手段も整えられた。したがって、財政赤字の際限ない拡大は、現実の危険として拡大しつつあると考えるべきだ。 このような条件変化を考えれば、財政再建目標を堅持する重要性は、従来より増したと考えることができる。 ●野口教授が監修された経済データリンク集です。ぜひご活用ください!● http://diamond.jp/articles/print/35635 「新興国にタイムマシン経営」はもう古い?
ジャカルタで会ったある青年の話 2013年5月9日(木) 池田 信太朗 午前中の柔らかな日差しというものは、ここにはない。朝起きて空を見上げれば、どこまでも底がないような青空に吸い込まれそうになる。まだ午前9時過ぎというのに銀色に輝く太陽は容赦を知らないようだ。肌をじりじりと焼き、地面にくっきりと黒々としたヒト形の影を描く。 インドネシアの首都ジャカルタに滞在して数日間経ったある日、私はいつものように取材に出た。その日、1人のインドネシア人の青年と会う約束をしていた。あるジャカルタ在住の日本人に、「若いインドネシア人に会って話を聞きたい」と伝えたところ、青年の名を教えてくれた。起業家だと言う。正直に言えば、若い人たちのライフスタイルや考え方が知れればいいという程度の思いで申し込んだ取材だった。だがその出会いは、私のインドネシア観を大きく変えることになる。もしその青年と話を交わした数時間がなければ、私が「日経ビジネス」4月8日号に執筆した特集「インドネシア 覚醒する『未完の大国』」はまるで別のものになっていたはずだ。 本題に入る前に、記者の職業余話を少々。記者にとって取材中に「気持ちのいい」瞬間はいくつかある。誰も知らない、でも多くの人が知りたがっている事実を誰よりも早く知った時。心を閉ざしていた取材先からようやく信頼を勝ち得て、その本心に触れた時。もちろんこれらの瞬間は気持ちがいいが、そうした瞬間を味わえることはそうあるものではない。 一方で、どんな取材でも感じられる気持ちよさというものもある。例えば、取材前に予め立てた「仮説」に、取材先の言葉ががっちりと噛み合った時。「この取材先にこうぶつければ、こう返ってくるのではないか」という読みが当たると、話を聞きながら頭の中で考えがまとまっていく。その、頭の中でガシガシと原稿の構造が組み上がっていく感覚は快感としか言いようがない。そうした取材では、脳内に組み上がった構成にどんなパーツが不足するかを考え、そのエピソードを得るための質問を取材先にぶつける。取材を終えた時には、極端に言えば、もう頭のなかの原稿を書き写せばよいという状態になっている。 だがそれを超える快感を感じるのが、取材先に「裏切られる」瞬間だ。いささか便利すぎて安易に使われすぎている言葉なので使うことにややためらいを感じるが、「いい意味で」裏切られる、と書いた方が正確だろうか。私ごときが取材前に思い至った浅はかな「仮説」を覆し、先入観をひっくり返すような、ものの見方の根本を覆すようなことを取材先が話し出した時、いつも心臓がえぐられるような思いがする。仮説の精度は、「経験」の多寡に、比例はしないまでも強い相関を持つ。仮説が破れるということは、記者としてそれまで培ってきた知見や見識が覆されることを意味する。それは当然ながら苦しい。だが同時に、腹の奥底からじわりと湧き上がるのを感じるのだ。「だから記者はやめられない」と。悔しさと苦さの奥に隠れるその甘美は、やはり快感と言っていいものだろう。 前置きが長くなったが、ジャカルタで出会った青年はそうした思いを私に抱かせてくれた。この青年によるインドネシア取材序盤の先制ジャブがなければ、私はインドネシアに対する先入観だけで形作られた「仮説」を覆すのにもっと多くの時間を要したはずだ。 ジャワ島の田舎町に生まれた30台前半の青年 私がインドネシアに対して抱いていたイメージとは、多くの日本人が「新興国」――いや古い言葉であえて「発展途上国」と書いた方が実態に合っているかもしれない――に抱くものと大きくは変わらなかった。つまり、貧困。衛生事情の悪さ。乳児死亡率の高さ。食品など生活必需品を買うのでやっとの生活。ここで日本企業がモノを売ろうとすれば、いわゆるBOP(ピラミッドの底辺)ビジネスの常道で、小分けにした低価格の生活必需品を売るしかない。2010年に、殺虫剤メーカーの取材でジャカルタやその近郊の農村部などを取材して回って実生活を見たので、よりその印象が強かった。私は、そのイメージを基に特集の取材を進めようとしていた。 約束の時間にやや遅れて現れた青年は、屈託のない笑顔で握手を求めてきた。贅肉のない手指がひんやりと冷たかったことを覚えている。名はMohamad Bijaksana Junerosano。ジュネロサノの末尾を取って、仲間からは「サノ」と呼ばれている。敬称を省く形にはなるが、本稿でも彼の印象を最もよく伝えるこの愛称で書き示すこととしたい。 美しい自然に囲まれて育ったサノは、ジャカルタのゴミを取り除いて美しい町に戻すことこそが自分の生きる道だと思ったと話す サノが生まれたのはジャワ島内の田舎町だ。残念ながら私はその地名を知らなかったが、美しい自然を残した町なのだという。メガシティ・ジャカルタの喧騒とはまるで別世界のような鄙びたその地で、サノは1981年に生まれた。と言うことは、いま32歳前後のはずだ。
少年の人生を方向づけたのはあるテレビ番組だった。サノ少年はある日、ブラウン管に映るジャカルタの町を見た。その訪れたこともない大都市はゴミで溢れかえっていた。溢れかえる、という表現はあながち誇張とは言えない。ジャカルタ市は経済成長に伴って人口が増え続け、ゴミの量も増え続けているが、それを処理する施設の容量がまるで間に合っていないのだ。数日前に出されたゴミがそのまま道に残されていて、ようやく運ばれていく頃にはさらにゴミが積み上がっている。結局住民が耐えかねて空き地に捨てたり、川に捨てたりしている有様だ。 美しい自然に囲まれて育ったサノは衝撃を受けた。彼の言葉をそのまま借りるなら、その時この青年の「魂」は啓示のようなものを神から受けたという。これこそが、このゴミを人々の暮らしから取り除いて美しい町に戻すことこそが、僕の生きる道なのだと。神から与えられた宿命なのだと。 サノの顔を私は眺めた。私の中の意地悪な記者根性が、その言葉に潜む欺瞞を暴こうと青年の目の奥を探っている。自らを大きく見せようとして「宿命」を騙る人たちをこれまで何人も見てきたからだ。青年の目に揺らぎはない。だが、揺らぎがないことは嘘を付いていないことの証拠にはならない。天才的な詐欺師に最も多いのが、自らに陶酔して嘘を嘘と自分でも気づかずに喋るような男だ。そうした男が何かを騙る時、その目には揺らぎなどなく、むしろ自信に満ちあふれている。しかし、サノの目にはその自信や強い意志も感じなかった。淡々と、自らの身に起きたことを飾りなく語っているだけとでも言うように。特定の宗教を篤く信仰したことがない私には永遠に分からない感覚なのかも知れないが、どうやらサノは、「今朝サンドイッチを食べた」というのと同じくらい「あり得る」経験として、神の啓示めいたものを受けたということのようだ。 サノはエコバッグがなぜ使われないかを考えた インドネシアにおける理系大学の名門、バンドン工科大学に進み、専攻は当然のように「環境」を選んだ。同級生たちが企業への就職を決めていったが、サノはサラリーマンになる気が毛頭なかった。自分の使命はゴミ問題を解決することにある。どの企業に入ることも、どの機関の職員になることも、その道には迂遠なものに思えたからだ。 サノが着目したのは、レジ袋だった。「ビニール袋」と呼ばれることも多いが、今日、塩化ビニールはほぼ使われていない。その主原料はポリエチレンやポリプロピレンだ。炭素と水素からなるこれらは実は有毒ガスを発生させることなく燃やすこともできる。ただし、ジャカルタでは話は別だ。そもそも焼却施設の稼働容量がニーズをまるでまかなえていないので、これらの袋も燃やされずに埋め立てられるか町中に放置されることになる。ポリエチレンは、残念ながら細菌や微生物の活動によって自然に分解されるということはない。 「消費」を摂食に例えるなら、「ゴミ」は排泄に当たる。豊かになりつつあるインドネシアにおいて食品や日用品の商品パッケージなどのゴミが増えることはやむを得ない。物的な豊かさを犠牲にしてまで環境問題を真剣に考えられるほどにはこの国はまだ豊かではないだろう。だが、店から自宅に持ち帰るだけに使われるレジ袋は、そうした必然の産物ではないはずだ。 解決は簡単だ。使い捨てでないショッピングバッグ――いわゆるエコバッグを使えばいい。だが実際にはエコバッグはほとんど使われていない。なぜ使われないのか。サノは同じバンドン工科大学に通うIT(情報技術)や統計学に精通した仲間を集めて調査に乗り出した。 インドネシアには、携帯電話で簡易なメッセージをやり取りするSMS(ショート・メッセージング・サービス)やSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)であるフェースブックを活用している若者が多い。暇さえあれば携帯電話でメッセージのやり取りをしている。通信会社が自社端末間のSMS送受信を無料にしたり、インターネットに接続できない端末でもSMSを通じて安価にフェースブックを利用できるサービスを提供していることが拍車を掛けているようだ。私が見るところ、彼らの「繋がり」好きの度合いは日本の若者以上に思える。サノらは調査会社のように多数のモニターを抱えてはいない。だがこの携帯電話を通じた人と人との繋がりの網(ネットワーク)に、調査を「放流」すれば、人が人に伝えるかたちで伝播して多数の人のところに届く。集められた情報は、統計学を専攻する仲間が処理してその傾向を分析する。 結果はこうだ。レジ袋という存在が「よくないもの」と認識している人の割合は、調査対象の94%に上った。「減らす必要がある」と考えている人は64%。より主体的に「何とかしなければならない」と考えている人も半数近い48%いた。ではエコバッグをもっと配ればいいのか。そうではない。73%の人がエコバッグを持っていると回答し、63%の人は「持っているが、買い物には持って行かない」と回答した。つまり、エコバッグの利用が広まらないのは、エコバッグが行き渡っていないからではなく、エコバッグを持っていくのが「面倒だから」なのだ。ゴミ問題を知りつつも、それを解決しようという心理は、わざわざ買い物にバッグを持参する手間を超えるものではない、ということだろう。 ノートパソコンを開いて画面にグラフを示しながら淡々と語るサノを、私は次第に信頼し始めていた。サノは、私には残念ながら理解しがたい、ある種の宗教的な「使命」に突き動かされながら、その手法は決して啓示的な「べき論」ではなかった。彼が学んだバンドン工科大学は起源をオランダ統治時代に遡るインドネシア理数系大学の最高峰として知られている。サノは、彼の「使命」を、ITと統計とソーシャル・ネットワークの言葉によって語り、実現しようとしていた。 エコバッグが普及しない理由は、エコバッグの保有率が低いからではない。みなエコバッグを持っているが、使わずにいるだけだ。サノが突き止めたこの事実にもかかわらず、現実はどうだろう。CSR(企業の社会的責任)の一環として、企業は相変わらず自社ブランドのロゴマークが入ったエコバッグを配り続けている。本来の目的で使われないエコバッグを配り続けることは、むしろ環境負荷を高めているだけとすら言えるかもしれない。 いま必要なのは、エコバッグの保有率を増やすことより、使用率を高めることではないか。そう考えたサノは、「使われやすいエコバッグ」について考えた。エコバッグはそう重いものではない。重量は知れている。折り畳めば小さくもなる。かさばるものではない。にもかかわらずエコバッグを持ち歩くのを「面倒」と感じるのは、それを持ち歩くこと自体の苦労ではなく、「わざわざ買い物のために準備する」という心理的な障壁ゆえではないか。サノは考えた。であれば、その「わざわざ」のプロセスを取り除いてやればいい。 4万円の融資からすべてが始まった 試行錯誤した結果、サノが試作したのが、小型に折りたたんで、鍵にキーホルダーのように取り付けられるようにしたエコバッグだった。誰もが家を出る時には鍵を持ち歩く。その必要性ゆえに、「鍵をわざわざ持ち歩く」ことに対して人はコストを感じない。その「必ず持ち歩く鍵」にエコバッグを相乗りさせることで、利用者に「わざわざ」のコストを感じさせないようにしたわけだ。素材にも留意した。プラスチックを使わず、土中で分解可能な自然の素材を用いつつ、ポリエステルなどと同等の耐久度を持たせるためにコーティングを施した。 エコバッグには「バッグ」と「持続する」という意味を表す「gose」を合成して「bagose」と名付け、気楽に携帯してもらうため、必ず外出時には持ち歩く鍵に小型に折りたたんでキーホルダーのように取り付けられるようにした このエコバッグを普及させればレジ袋は確実に減らせる。そう確信していたが、バッグを量産するにも資金がない。そこでサノは、試作したカバンを持って大手銀行のマンデリ銀行の門戸を叩いた。知り合いが銀行内にいたわけでも、仲介者を頼んだわけでもない。だが、担当者は時間を取ってくれた。サノの熱意が伝わったのか、400万ルピアの資金を貸してくれることになった。
単位を間違っているわけではない。日本円でわずか4万円ほどのこの金額が、サノの熱意と使命をかたちにするのに最低限必要なそれだった。サノは、その4万円を借りなければ用意できないほどに、使命と、それを実現する理性とアイデアのほか何も持たなかった。だが、何の担保も持たないサノに、マンデリ銀行が4万円というきっかけを与えたことですべての歯車が動き始めることになる。ちなみに、サノが毎月13万1000ルピア(1310円)ずつ返済し、年6%の利子をのせて完済したことで、この融資を決めたマンデリ銀行担当者の眼力が正しかったことがのちに証明されることになった。 400万ルピアで作れたエコバッグは80枚だった。大中小と3つのサイズを用意した。サノは、自らの思想を具現化したこの新しいエコバッグに「bagose」という名を付けた。「バッグ」と「持続する」という意味を表す「gose」を合成した言葉だ。 この80枚の見本を携えて企業などを回って売ると、反響が大きかった。どの企業も、環境配慮の姿勢を示すためにエコバッグを作ったものの、ほとんど利用されず、かえって環境負荷を高めているというジレンマを感じていたのだ。各社から、企業のロゴマークが入った製品を作れないかという話が舞い込んだ。サノの知り合いだけでなく、サノの理念に共感した個人にフェースブックで売ることもした。 売り上げが立つと、すぐにそれを元手にバッグを作った。初めは自転車操業だったが、やがて企業からまとまった注文が入るようになって資金の回転に余裕が出た。 今ではサノらが仲間内で出資して設立した「Greeneration Indonesia」では毎月1万5000枚のエコバッグを販売している。累計で25万枚のバッグを売った。価格は2万〜6万ルピアなど。人気が出るに従って、インドネシア地場の伝統的な染物であるバティック染めを用いたバッグや、リュックサックタイプのものなどバリエーションも増やした。わずか400万ルピアの資金から立ち上がったサノらの事業は、2011年に11億ルピア(約1100万円)、2012年に18億ルピア(約1800万円)を売り上げるまでに成長した。 バッグの製造も、工場に委託するのではなく自分たちで仕組みを築き上げた。貧しい農村部の青年や女性たちに縫製の技術を伝え、「縫い子」として育てる。経験を積んだ縫い子は、縫い子たちで組織するチームのリーダーに就いてもらう。サノらはこのチームに縫製の仕事を発注する。収入のなかった彼ら彼女らが、この「仕事」を通じて自立していくのを支援する狙いもある。エコバッグの売価の7%を、環境問題に関する啓発活動など非営利の社会事業に当ててもいる。 世界は「同時」に成熟しつつある 私はこの辺りの話を、もはや唖然として聞いていた。利益を生み、成長できる事業を通じて社会的な問題解決を成し遂げていく。サノの姿は、いわゆる「社会起業家」そのものだった。物質的な豊かさを経験し、その豊かさの代償に気づいたのでも、「持てる者」の立場から富の偏在を問題視し、貧者に手を差し伸べるのでもない。革新的な階層意識に芽生えたのでも、大学で学んだインテリゲンチャが左翼活動に覚醒したのでもない。サノは自分の信じることをなすために、「事業」という持続可能なモデルを選択した。そして、わずか4万円という元手からITやソーシャルの力を駆使して、その事業を育て上げることに成功した。 この話を、社会起業の先進地域である欧米圏でなく、むしろ「社会起業どころかまずは経済成長」と見られていた(いや、私が勝手にそう見ていただけだが)インドネシアで聞けたことに私は驚いた。 インドネシアは、大きなポテンシャルを抱え、かつ継続的に成長を続けているとはいえ、まだまだ貧しい国だ。今もなお、貧困率(貧困線以下で生活する人の割合)、人間開発指数(教育や医療などの水準を加味した開発水準を示す指標)、1人当たりGDP(国内総生産)、いずれを見ても、生活に窮している人たちがたくさんいる。こうした市場でビジネスを、と考える時、よく用いられる言葉が「タイムマシン経営」という言葉だ。インドネシアの発展は遅れている。「進んでいる」私たち日本が10年前に経験したことをこれから経験するだろう。だから、私たちの10年前の経営や技術を持ち込めばそのまま受け入れられるはずだ、と。かつて日本市場で日本企業が、米国の10年遅れの経営や技術を導入して成功した体験がそう言わせるのかもしれない。 だが、インドネシアにはすでにサノのような社会起業家が出てきている。日本においてもカネにしにくい「環境」をテーマに、ITやソーシャルの力を借りて事業を組み立てるような経営者が出てきている。しかも、その動きに共感して商品を買って活動を支える企業や、若者のチャレンジに融資を引き受ける金融機関もある。それは、成熟した社会でなければ見ることができない光景だ。確かに生活水準では日本に及ばないが、インドネシアの社会とそこに生きる人たちの意識は、私たちが想像するよりずっと成熟していて、豊かで、鮮やかな先進性を持っている。そのことを突き付けられて、私はインドネシアに対して抱いていた先入観を恥じ、特集のコンセプトを練り直すことにした。 思うに、かつて日本で米国に対するタイムマシン経営が成り立ち、いまインドネシアなどの新興国で日本に対するそれが成り立たないのは、言い古されたことだが、世界がフラット化していることの証左の1つだろう。物理的な移動の制約を受けない「情報」は、ほぼ時間差なく瞬く間に世界に伝播する。私は、人間の本来の能力に民族間の大きな差異はないと信じている。とすれば、サノのような青年は世界各国で生まれ得るだろうし、おそらく現に生まれているはずだ。 1日1ドル以下での生活を余儀なくされている人もいれば、ITやソーシャルを駆使して起業する若者もいる。消費社会と情報化社会が一度に押し寄せ、テレビもない家庭で家族全員が携帯電話を操作している。先進国がたどった「段階」を経ずに、経済成長に伴う様々な事象が「同時」に押し寄せているのだろう。フラット化していく世界において、新興国を舞台に起きているこの「同時性」は、混沌と同時に、先進国の周回遅れでない新興国独自の活力や魅力を生み出していくように思える。 サノは今、また新たな事業に取り組もうと準備を進めているという。それは何かと問うと、まだ言えない、と笑った。別の「裏切り」を与えてもらうために、私はまたこの青年に面会を乞うことになりそうだ。そう思いながら私は取材を終えた。 残念ながら紙幅の関係で特集にはサノの話を1ページも書くことができなかったので、このコラムを借りて書き残すことにした。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130502/247539/?ST=print
なぜ、日本女性の社会進出はこんなにも遅れたのか いっそ、クオータ制を40年の時限立法で導入しよう 2013年5月9日(木) 慎 泰俊 今年の4月に、オックスフォードで開催された「スコール・ワールド・フォーラム」に参加した。eBayの創業者であるジェフリー・スコールが設立した財団がバックアップしているこのカンファレンスは、「社会起業家のダボス会議」とも呼ばれる。 欧米の社会起業の歴史と層の厚さにも驚かされたが、それ以上に驚かされたのは、参加者の男女構成。このカンファレンスでは、参加者、スピーカーともに女性が半数を占めていた。スピーカーの質を見ていても、特にジェンダーギャップに配慮した結果とも思えない。 日本における女性の社会進出はだいぶ遅れている。こういった現状を変えるために、様々な職位における女性の比率を強制的に一定以上にするクオータ制(英語ではquotaで、4分の1を指すquarterとは違う)の是非について盛んに議論がされているが、その是非について考えてみたい。 日本企業における女性の社会進出度の低さ まずは事実確認から始めよう。 世界経済フォーラムが毎年発表している「グローバル・ジェンダー・ギャップ・レポート」での、女性の社会進出度の評価における日本のランキングの低さが世間をにぎわせている。同レポートにおける日本の総合ランキングは135カ国中101位で、これは先進国中では非常に低い水準といえる。 もちろん、この評価の方法について様々な議論があり、特に各項目のウェイトづけの仕方についてはその恣意性も指摘されるところだ。日本の場合、総合101位の内訳は、女性の社会進出で102位、教育/学歴で81位、健康で34位、政治参加で110位となっているが、単純平均しても101位という順位にはならない。以前、このレポートを書いた人と話したときに、そのウェイトのつけ方の根拠について聞いてみたが、これについてはまだ試行錯誤をしているということだった。 評価項目における恣意性が排除できないようなランキングについては、時系列で見ることで分かることがある。これまでの日本のランキングはどのように推移してきたのだろう。それは次の通りとなっている。 2006年:80位 2007年:91位 2008年:98位 2009年:101位 2010年:94位 2011年:98位 2012年:101位 このように、日本のランキングはどちらかというと、少しずつ下がっている、もしくは少なくとも相対的に改善していないということは分かる。 もう一つ数字を見てみよう。3年前の記事だが、ニューヨーク・タイムズが会社の取締役における女性の数の比較をしている。その時の数字は次の通りだ。日本の取締役の数は1.4%であり、先進諸国(というより欧米)に比べて非常に低い。 また、大和総研の伊藤正晴氏のリポート「女性取締役でみた女性の活躍状況の国際比較」(2012年)によれば、数百社を対象にした女性の取締役の比率は、ノルウェー37.9%、米国13.9%、フランス13.4%、ドイツ10.7%、中国10.3%、英国10.1%、韓国1.8%、日本0.7%だという。
こういったデータだけで何らかの結論を下すのは早計かもしれないが、少なくとも日本企業における女性の社会進出の程度は相対的に低いといえるのだろう。 なぜいまだに男女格差が生じるのか 男女の優秀さに先天的な差はないのだから、男性ばかりが企業経営に関わっている現状は、社会にとっての大きな損失だと個人的には考える。しかし、なぜこのような格差が生じるのだろうか。いくつかの説明を紹介してみよう。 1つの説明は、男女間で受けている教育の格差が男女間の能力差につながっているのではないか、というものだ。一般企業の会社員が取締役になるのは早くても40代、通常では50代からだから、その年齢にある人々の大学卒業時期である1980年代のデータを見る必要がある(下図参照)。 確かに1980年代までは男女の大学進学率には格差が目に見えて存在しているし、トップ大学における女性比率は今も低い(例えば、現在においても東大や京大の女子学生比率は2割程度と、全体平均の4割の半分)という現実もあるが、それは取締役1.4%の現実を説明できるに十分な水準ではないだろう。
「女がしゃしゃり出るな」 もう1つの説明は、現在の取締役(その人々が新しい取締役を選ぶ)が男性中心主義で、女性を選出しようとそもそも考えていない、というものだ。確かに、(いまだに時々そういう人々を目にしてびっくりするのだが)、「女がしゃしゃり出るな」とか「中国の歴史を見ろ、女が政治に出てくるとだいたい変なことになる」といったことをいまだに本気で考えて、酒を飲むと口にするオジサンたちが日本にはいる。ある大企業は、こういった考え方から全く抜けだしていないにもかかわらず、「会社の宣伝になるから」という理由で女性の執行役員を選任したりする始末だ。しかしながら、さすがにこういった考えの人々は減ってきているし、これだけが女性の取締役が少ない理由とは考えにくい。 3つめの説明は、より微妙な人間関係が理由となり女性の取締役が選出されにくくなっている、というものだ。自分で起業する場合はさておき、会社(特に大企業)において出世するためには社内政治に強くならないといけない。日本企業において、この社内政治の強さは、「飲みニケーション」に代表されるような仕事以外の場面での付き合いの濃さに影響される。 この飲みニケーションの二次会もしくは三次会では、キャバクラやガールズバーのような女性が行きにくいお店に行くことも多く、結果として女性がこういったつながりから排除されることになる(ところで筆者もこういうお店が苦手で、こんなとこに来るのなら女の子を自分で誘って飲みに行けばいいのに、と思う)。しかしながら、飲みニケーションだけで人が出世するわけではないし、この説明も百点満点とはいえないだろう。 ほかにも様々な説明があるが、どれも完璧な説明にはなっていない。それには理由がある。社会課題は、複数の問題が複雑に絡まり合って出来上がっているものであり、単純な答えはなかなかないのだ。 フェイスブックのCOO(最高執行責任者)であるシェリル・サンドバーグのようなロールモデルとなる女性経営者が登場すること、そのための大学教育のあり方を変えること、産休や育休などがキャリアに悪影響を与えないようにすること、男性中心で作られている会社の諸制度を入れ替えることなど、やるべきことは様々で、それら各項目は関連し合っている。 取締役40%ルールの妥当性 こういったシステム的な問題を解決するためには、かなりしっかりとした変革のための設計図と実行のための時間を要する。とはいえ、大きな飛躍を成し遂げるための方法はある。それは、政治がリーダーシップをとり、ルールを上から押し付けて変えてしまうことだ。具体的には、ノルウェーのように、取締役40%ルール(クオータ制)を導入することだ。 1978年に制定されたノルウェーの男女平等法には、こう明記されている。 「公的機関が4名以上の構成員を置く委員会、執行委員会、審議会、評議員会などを任命または選任するときは、それぞれの性が構成員の40%以上選出されなければならない。4人以下の構成員を置く委員会においては、両性が選出されなければならない」 根強い反対乗り越えクオータ制を導入したノルウェー また、ノルウェー企業において「取締役の40%以上を女性にしなければいけない」という法律は2002年に成立している。同じような法律はヨーロッパの多くの国で制定されている。 クオータ制は、かなりの荒療治なので、副作用も少なくない。例えば、女性取締役のクオータ制を導入すると、短期的に企業の業績が悪化することが知られている。その一因は、取締役になるのに十分な訓練や経験を積んでいない女性従業員が、「数合わせ」のために管理職に就くことが多くの企業で生じることにある。 そのために、クオータ制を政治主導で導入しようとすると、企業から大きな反発に遭うことは必至だ。実際に、比較的に女性の社会進出が進んでいるヨーロッパにおいても、クオータ制は根強い反対を乗り越えて可決されてきた。 また、クオータ制は、ある意味で逆差別であるという批判に遭うこともある。これまで出世のために頑張ってきて、クオータ制がなかったら取締役になれたかもしれない男性社員への差別ではないか、というわけだ。マイノリティーなどのための特別な大学入学枠などを設けたアファーマティブ・アクション(格差是正措置)に対する批判と類似した批判といえよう。 副作用はあっても、現状維持を上回るメリットがある こういった問題があることは承知のうえで、なおクオータ制は十分に検討に値すると筆者は考える。女性の社会進出がシステムとして抑制されているような状況においては、現状の変化を企業の自発的行動に任せていては、変化がやってくるには数十年がかかるだろう。現状が継続されることによる損失や不正義の程度は、クオータ制導入に伴う企業の短期的な業績悪化や逆差別によって人々が受ける不正義よりも大きいはずだ。 例えばだが、40年の時限立法としてクオータ制を導入したらどうか。40年があればエコシステムは育つからだ。この40年のうちに、女の子たちも将来に社長になることを明確なキャリアビジョンとして描いて人生を歩いていけるようになる。企業も女性の登用と育成をより真剣に考えるようになる。そうして、法律そのものがなくなっても、もはやクオータ制は必要でなくなるはずだ。 エコシステムは40年あれば育つ スコール・ワールド・フォーラムでは、ノルウェーの女性初首相であるグロ・ハーレム・ブルントラントさんと話をする機会があった。彼女は、ノルウェーの女性進出において多大な貢献を果たした一人だ。ノルウェーでの一連の立法について彼女が語っていたことは、印象深く残っている。遠く先を見つめる政治のリーダーシップのあり方について、深く考えさせられた。 「ノルウェーがもともと女性に対して開かれていた国かというと、それは大きな間違いです。1970年代にはノルウェーは男性中心社会でしたし、2000年頃においても、女性の取締役の比率は7%程度にしか過ぎませんでした。取締役40%ルールは党内でも大きな反対にありました。でも、私は自分の考えが正しいと信じていました。自分の考えが正しいと信じるところに長期的な失敗はありません。やがて女性のリーダーが育ち、最初のうちはあった反対派も、時間が経つうちにいなくなっていきました」 越境人が見た半歩先の世界とニッポン http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130507/247627/?ST=print
|