http://www.asyura2.com/13/hasan79/msg/611.html
Tweet |
(回答先: 欧米が日本に財政再建を求める本当の理由 日銀がお札をすれば アベノミクスでホクホク 投稿者 eco 日時 2013 年 4 月 22 日 02:19:05)
緊縮論争に火
ラインハート=ロゴフ論文は誤りか
2013年04月23日(Tue) The Economist
(英エコノミスト誌 2013年4月20日号)
債務と成長の関係を分析した影響力の大きい論文が攻撃にさらされている。
政府の債務水準は大きな問題だ。デフォルト(債務不履行)や金融恐慌は財務相にとって悪夢だ。政府の借り入れは民間投資を減少させる「クラウディングアウト」につながり、成長の足を引っ張る恐れがある。しかし、経済学者らは国が債務水準の心配をすべきタイミングをなかなか特定できなかった。
現在ハーバード大学ケネディスクールの教授を務めるカーメン・ラインハート氏とハーバード大学の経済学者ケネス・ロゴフ氏は2010年の論文で、この問題に対する答えを出したかに見えた。政府の債務残高が国内総生産(GDP)の90%を超えると成長が大きく停滞するというのが両氏の主張だった。
緊縮推進派の「武器」になった大論文
90%という数字は瞬く間に、緊縮政策を巡る政治論争における格好の材料となった。共和党所属の米下院議員、ポール・ライアン氏は公共支出の厳しい削減を求める予算案の中で、この「経験に基づく決定的な証拠」を引用した。
2月には、欧州委員会のオリ・レーン副委員長が欧州連合(EU)加盟国の財務相に宛てた書簡の中で、欧州全体で緊縮財政を推し進める理由として「広く認知されている」90%の上限を引き合いに出した。
こうした発言の影響もあり、ラインハート氏とロゴフ氏が挙げた数字は激しい議論の対象となった。そして先日、90%という数字に疑問を投げ掛ける研究結果が発表されたことで、火に油が注がれた。
2010年の論文における計算は比較的単純なものだった。ラインハート氏とロゴフ氏は2009年、画期的な金融史の著作『This Time Is Different(邦題:国家は破綻する)』を出版しており、その執筆にあたって2世紀分の公的債務のデータを既に利用していた。
論文の中で両氏は政府の債務水準を4段階に分け、それぞれのカテゴリーの平均成長率を算出した。その結果、債務残高がGDPの90%に達するまで、公的債務は成長率にほとんど影響を及ぼさないことが分かった。そこを超えると、成長率は急激に落ち込む。
2世紀分(1790〜2009年)のデータを検証したところ、債務残高がこの臨界値を超えると、平均成長率が年3%強からわずか1.7%まで下がっていた。第2次世界大戦後の期間に限ったデータでは、落ち込みはさらに劇的だ。GDPの90%という閾値に達すると、平均成長率は約3%からマイナス0.1%まで下落するという。
このターニングポイントにおける急激な変化は、多くの注目を集めた。経済学の専門用語を用いるなら、この場合、債務と成長の関係は「線形」ではないということになる。線形の関係では、債務が増えると成長率は徐々に低下する。しかしラインハート氏とロゴフ氏のデータでは、臨界点に達するまで債務の水準は悪影響を及ぼさないが、臨界点を超えると一変するのだ。
90%の閾値を超えると、リスクに対する市場の認識が急激に変化するのかもしれないと、両氏は推測している。その結果、金利は上昇し、金融市場のストレスが増し、財政緊縮かインフレ、あるいはデフォルトという困難な選択を迫られることになるというわけだ。
90%の問題
このたび発表された論文の中で、マサチューセッツ大学アマースト校のトーマス・ハーンドン、マイケル・アッシュ、ロバート・ポリンの3氏は、ラインハート=ロゴフ論文における大戦後の分析結果の再現を試みた。
3氏はラインハートとロゴフ両氏の分析のミスを指摘し、これにより債務水準が高い場合の平均成長率が過小評価されたと論じている。両氏が使用したエクセルのスプレッドシートはコーディングに誤りがあり、複数の国が対象データから抜け落ちているというのだ。
ほかにも、ニュージーランドでは戦後の重要な数年が抜け落ちており、債務水準と成長率の両方が高かった時期のデータがカウントされていないという。
また、3氏は、ラインハート、ロゴフ両氏による平均成長率の計算法は典型的でないデータポイント(ニュージーランドがどん底の状態にあった1年間など)に過剰な比重が置かれていると指摘している。
これらを総合し、新たな論文では90%の閾値を超えた時の戦後の平均成長率はマイナス0.1%ではなく2.2%であるべきだと結論づけている(図参照)。
国際通貨基金(IMF)と世界銀行が毎年春に開催している会合のために政策立案者が集まっていたワシントンで、この論文は大いに話題をさらった。ただし、2つの論文は想像されるほどの不協和音を生んではいない。
新しい論文への反応として、ラインハート氏とロゴフ氏は指摘されたコーディングのミスを認めている。また、「抜け落ち」と見られるデータについては、データセットが未完成なためだとしている。例えば、2010年と2012年に発表された改訂版の分析には新たなデータが追加されている。
さらに重要な点として、ラインハート氏とロゴフ氏は分析の中で1つの数字を強調したことはなく、常に複数の計算法を用いているはずだと指摘している。両氏は、戦後と2世紀の両方の期間について平均値を算出している。さらに平均値に加え、各債務水準においてで成長率の「中央値(メジアン)」も提示した。
2010年の論文では、90%の閾値を超えた時の成長率の中央値は1790〜2009年が1.9%、戦後が1.6%となっている。この結果は新たな論文で3氏が提示している数字とそう変わらないと、ラインハートとロゴフ両氏は主張している。
どちらの論文も債務と成長には負の相関関係があるとしている。ただしラインハート=ロゴフ論文では、債務が一定の水準に達すると成長率に急激な変化があると示しているのに対し、ハーンドン氏ら3氏は、成長率は緩やかに下降すると考えている。
自らの主張を明確にするため、3氏はGDPに対する債務の比率が90%を上回る国を、GDP比で120%を超えている国と超えていない国の2つに分類している。90〜120%の国の平均成長率は2.4%、120%の閾値を超えている国は1.6%まで落ち込む。これであれば両者の関係は線形と言っていいように見える。
閾値に関して確固たる結論を見つけ出すのは困難だ。IMFは2010年の論文で、90%という数字について「ある程度の根拠」を提示している。国際決済銀行(BIS)が2011年に発表した論文では、閾値を85%としていた。しかしIMFは2012年に別の分析結果を発表し、「標準を下回る成長率に常に先立つ特定の閾値は存在しない」と述べている。
だが、たとえ景気減速が穏やかなものにとどまっていたとしても、それによる経済への悪影響は急速に積み上がる可能性がある。ラインハート、ロゴフ両氏も、過剰債務の継続期間は平均で20年以上にわたると警告している。
まだ分からない因果関係
今回の騒動は債務と成長の因果関係の解明には全く貢献していない。GDP成長率の鈍化は債務の増加の結果ではなく原因である可能性もある。ラインハート氏とロゴフ氏は、学術的な著作では、この難題は「まだ完全に解決されていない」と認めているにもかかわらず、メディアへの寄稿では不用意な記述が見受けられる。
恐らく、これこそが両氏の最大のミスだろう。債務と成長の関係は政治色の濃い問題だ。経済学者が最も厳格な基準を守らなければならないのは、この分野だ。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/37639
20年度PB黒字化に加え債務残高目標も重要と民間議員=諮問会議
2013年 04月 22日 21:15 JST
[東京 22日 ロイター] 政府は22日夕、第9回の経済財政諮問会議を行い、経済再生と財政健全化の道筋について議論した。
民間議員らは2020年の基礎的財政収支(プライマリーバランス、PB)黒字化に加え、ストックベースの目標も示すことが重要だと提言。麻生太郎財務相は、GDPを伸ばすことが重要だと指摘した。
<財政健全化、ストックベースでの目標も重要と提言>
民間議員らは、アベノミクスの効果を持続的なものとして成長に結びつけるには財政健全化への取り組みが不可欠だとして、中長期の財政健全化に向けた工程表を年央に明確にするよう提言。その際、毎年のフローベースの財政収支目標として、2020年度の基礎的財政収支の黒字化を目指すことに加え、債務残高というストックベースの目標も含む道筋を示すことが重要だとした。そのためには、トータルでの歳出の天井を設けることなしに財政健全化は難しいとし、基礎的財政収支の対象となる歳出総額をリーマン・ショック以前の水準に近づけるとともに、社会保障関係費の効率化や重点化の徹底を行うことを提言した。
<財政健全化は現在進行形の課題、首相は「骨太」への盛り込み指示>
麻生財務相は財政健全化について「将来の課題ではなく、今この時から取り組むべき現在進行形の課題だ」との認識を示した。民間議員からストックベースの目標を法制化することについてどう考えるかと問われ、麻生財務相は「財政健全化はこの内閣でしっかり対処していく。いまこの段階で法制化しなければいけないということではない」とし、「ストックベースは債務残高とGDPの比率の問題であり、GDPを伸ばすことが重要だ」との視点を示した。
日銀の黒田東彦総裁からは「金融緩和が財政ファイナンスだという懸念を招かないよう、財政健全化の道筋を明確化していくことが必要だ。その取り組みに強く期待する」との発言があった。
安倍晋三首相から、経済再生の道筋と合わせ、財政健全化の基本的方向を年央にまとめる骨太の方針に盛り込むよう指示があり、甘利明経済再生担当相が今後の骨太の方針の取りまとめに向け、財政健全化の大枠の方向性について検討を進めていきたい、と締めくくった。
<骨太で具体化し、中期財政計画で絞り込み>
会議後に会見した甘利経済再生相は、財政健全化に向けた今後の取り組みについて「骨太の方針でより具体化し、中期財政計画でさらに絞り込むという作業になる」との工程を明らかにした。歳出抑制については「一律カットではなく、成長を支える分野と効率化が見込める分野などでメリハリがついていくというかたちになる」とした。
中期財政計画を策定する時期については「年央をめどに骨太の方針をまとめ、成長戦略もほぼ同じ時期になる。それらを精査しながら、具体的なさらなるフォーカスの絞り込みになる」と説明。骨太の方針などとは時期がずれ、参議院選の後になる可能性もあることを示唆した。
この日の諮問会議ではこのほか、先に行われた20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議についての報告に加え、規制改革や緊急経済対策の進ちょく状況などについても議論した。
安倍首相は、黒田日銀が実施した大胆な金融緩和について「期待通りの対応をしてもらった」と評価し、先週末のG20の共同声明でも、「デフレを止め内需を支えることを意図したものと国際的理解を得た」との認識を示した。
そのうえで、黒田総裁には、引き続き「2%の物価安定目標を2年程度の期間を念頭に、できるだけ早期に実現するよう舵取りをお願いしたい」と語った。
またこの日は、前回の諮問会議で設置を決めた「目指すべき市場経済システムに関する専門調査会」のメンバーを決定した。メンバーは伊丹敬之・東京理科大学専門職大学院イノベーション研究科長、伊藤元重・経済財政諮問会議民間議員、神永晋・住友精密工業相談役、小林喜光・経済財政諮問会議民間議員、原丈人・アライアンス・フォーラム財団代表理事、程近智・アクセンチュア代表取締役の6人。
(ロイターニュース 石田仁志、中川泉、吉川裕子:編集 内田慎一)
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE93L05920130422
米国GDPの測定方法改訂へ、3%の押し上げ効果
2013年04月23日(Tue) Financial Times
(2013年4月22日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
米国経済の様子が、この7月から少し違って見えるようになる。
といってもそれは経済の基調の見通しが変わるからではない。米商務省経済分析局(BEA)が国民経済計算の作成基準を包括的に改訂し、国内総生産(GDP)の測定方法が十数年ぶりに劇的に変わるからだ。予備的な推計によれば、これによって米国のGDPは約3%押し上げられるという。
■研究開発
今回の改訂の目玉は、ほかの財を生産するコストの1つにすぎないと見なされてきた研究開発費が設備投資に算入されることだ。
BEAの国民経済計算担当部門を率いるブレント・モールトン氏は次のように述べている。「世界経済は変化している。そして、無形資産のようなものが現代経済では非常に重要で、過去に取得された有形資産と同様な役割を果たしているとますます認識されるようになっている」
研究の初期段階で行われた推計によれば、研究開発費を投資と見なすことにより2007年(新方式の基準年)のGDPは3000億ドル、率にして2%以上押し上げられる。増加分の約3分の2は民間部門のもので、残る約3分の1が政府部門のものだ。この計算には、研究開発に実際に投じられた金額が使われる。
この変化はあちこちに波及効果をもたらす。まず、新方式では企業の利益がこれまでよりも大きくなる。減価償却後の研究開発費(純額)がコストと見なされなくなるからだ。また、設備投資の増加を反映して個人と政府の貯蓄率も高まることになる。
BEAのスティーブ・ランデフェルド局長は、研究開発費を設備投資に算入することは、経済成長をより正確に把握することに寄与する最初の一歩にすぎないと話している。「無形資産への投資についてはまだまだ研究する必要がある。研究開発費はジグソーパズルの1片でしかない」
■芸術的なオリジナル作品
国民経済計算のデータが「インターネット・ムービー・データベース(IMDb)」から得られていると聞くと、意外な感じがするかもしれないが、BEAはほかの多くの資料に加えてこのデータベースも綿密にチェックした。映画への投資に関する一連のデータを作成するために、撮影所の記録を1920年代にまでさかのぼって調べ上げたのだ。
この結果、全米の書籍、映画、レコード、テレビ番組、演劇、さらにはグリーティングカードのデザインの資本価値が推計できるだけでなく、経済にとってのそれらの重要性が時を経てどのように変化したかという興味深いことも分かるようになるという。
映画や書籍は、1年間で作られても長年にわたって楽しまれる。例えば本紙(フィナンシャル・タイムズ)が先日報じたように、米国の人気シチュエーションコメディ「Seinfeld(となりのサインフェルド)」は1998年に放送が終わってから31億ドルもの収入を稼ぎ出している。今回の基準改訂の狙いは、この資本価値を把握することにある。
BEAが行った予備的な研究によれば、芸術的なオリジナル作品への投資は2007年には700億ドルだったと見られる。従って、この金額がGDPに加算される。このような数字は一部で議論を呼ぶかもしれない。なぜならこれらの数字は、著作権法から得られる価値を初めて公的に推計する値になるからだ。
■年金会計
最も直観に反する結果が生じる分野は年金会計だ。BEAは現在、企業が確定給付型年金基金に拠出する掛け金を賃金と見なしており、その年金基金の積立額が不足しているか否かという問題は無視している。だが基準改訂後は、企業が実際にどれほどの額の年金支給を約束しているかが計測される。
奇妙なことに、これによって2007年のGDPは約300億ドル押し上げられると推計されている。企業がその時点の積立額を上回る年金支給を約束していたからだそうだ。また、連邦政府は年金の積立が比較的良好なため、国民経済計算で計測される支出が減少するが、積立額が約束した支給額よりも少ない州政府・地方自治体では逆に支出が増加するという。
「大きな影響が出るのは赤字の値、貯蓄、企業の利益、そしてこれらに関係するほかの指標などの分野だ」とBEAのモールトン氏は言う。「積み立てができていない債務に関連する帰属利子のコストは非常に大きい」
年金の積み立て不足の規模とそのコストについてBEAの推計値が得られることになれば、確定給付型年金の将来を巡る政治的な議論で重要な変化が促される可能性もあるだろう。
■その他の変更点
技術的ながら重要な変更点もいくつかある。例えばBEAでは、銀行口座を維持するコストの計測方法の変更を計画している。実施されれば、銀行サービスの価格の変動性は今よりも小さくなりそうだ。もしそうなれば個人消費支出(PCE)指数という、米連邦準備理事会(FRB)が重視しているインフレ指標の動きにも変化が及ぶ。
「大きな変化にはならないだろうが、我々の発表する数字をとても気にかけており、継続的にチェックしている人なら気づくだろう」とランデフェルド局長は語っている。
また、あらゆる住宅購入コスト――印紙税や弁護士費用など――が支出ではなく投資として扱われるようになる。これにより、2007年のGDPは約600億ドル押し上げられると見られている。現在は、不動産仲介業者が手にする手数料だけが資産計上されている。
By Robin Harding
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/37644
日本の「社会主義的」税制に驚く中国人
「長者に二代なし」の国は魅力なし?
2013年04月23日(Tue) 姫田 小夏
不動産譲渡にかかわる個人所得税の課税(新国五条)で、中国が今大騒ぎとなっていることは前々回お伝えした。
その一方で、筆者は「これほどまでに国民が税金を納めることに抵抗を持っている」という現実に驚いている。
「不動産の売却益はあくまで“不労所得”。不動産という財産を持つ資産家であれば、納税は当然のこと」といった議論はほとんど見られない。相続税の導入が決まろうものなら、それこそ蜂の巣をつついたような大騒動となっても不思議ではない。
習近平体制では「公平な社会の実現」が大きなテーマとなっているが、それは国民の今の不満が「世の中は不公平だ」という一言に尽きるからだ。公平な社会の実現のカギを握るのが“富の再分配”であり、税制改革はその試金石だと言える。
日本の「厳正な課税」に驚く中国人
中国には「富三代」(fusandai)という言葉がある。3代にわたって代々家が栄える、という意味だが、もう1つのシニカルな意味も込められている。それは「金持ちの子は金持ち」、その逆の「貧乏人の子は貧乏」という意味だ。
一方、日本には「長者三代」や「長者に二代なし」という言い方があると中国人に説明すると、相手の目つきが変わる。「ほう、それはどういう意味かね?」と身を乗り出してくるのだ。「金持ちは何代も続かない」という意味だと言うと、「日本は“先進国”だとばかり思っていたのに、“名家が続かない”とはどういうことか」と聞いてくる。
「金持ちの子供や孫は甘やかされて育つから家が没落する。加えて、日本には相続税があることも大きな原因だ」と説明すると、相手の中国人は「日本の税制は厳しいからね」と、気の毒そうな目を向ける。同時に「中国で相続税が導入されたらそんなことになるのか」と、その先を想像して首をすくめる。
中国では建国当時、相続税の導入が定められたが、実際の課税については保留扱いになった。長らくその状態が続いていたが、今、導入に向けての準備が進められている。
そして日本の相続税について中国人に次のように話すと、目を丸くして驚く。
「皇族であろうが、官僚であろうが、あるいは現金を持たない世帯であろうが、財産を相続した者は例外なく平等に法定税率によって算出された税額が課される。相続税を払うために、土地家屋を売り払うケースは決して少なくない」
中国人の驚きのポイントはいくつかある。
(1)皇族ですら納税義務を負うという点
(2)「例外なく平等に」という点
(3)国民がそれを遵守するという点
中国では「国家の上層部は腐敗しており、彼らが真面目に納税義務を果たすことなどあり得ない、それどころか当たり前のように脱税する」という認識が一般的だ。また国民は国民で、できるだけしたたかに納税の抜け道をくぐり抜けるべきだと考えている。そんな中国人から見れば、上から下まできちんと納税する日本人の国民性は驚きに値するというわけだ。
日本の「厳正な課税ぶり」を表すエピソードがある。これを話すと、彼らの反応は驚きから畏敬に変わる。
1999年、美智子皇后は父親の逝去に伴って株式や自宅、預金など33億円の財産を兄弟姉妹4人で相続することになった。しかし3人の兄弟妹は現金で相続税を払うことができずに、結局、自宅を物納した。70年間にわたり保存された洋館だったが、結局取り壊され国有財産となり、現在は区立公園となっている──。
ここで彼らは納得する。日本人はなぜガツガツと住宅を2戸も3戸も保有しないのか。その理由に合点がいくのである。
日本では、財産を相続する人は、「富を受け継ぐ」という喜びよりも、むしろ「煩わしさの種を受け継ぐ」という意識の方が根強い。富めば富むほど、相続税によって「社会への還元」という圧力が一層強くなる仕組みになっているためだ。
南海大学教授の劉暢氏もまた「透視日本的房与税」(房は住宅の意味)と題する執筆で「住宅を持てば持つほど課税が増える、そのため日本では2戸目の住宅を持つ人が少ない」と指摘している。
とても払えない「1億円の相続税」
日本では、相続が発生したとき、相続税を払うために家を売る相続人は少なくない。都心部などでは、「いつのまにか高級住宅地になってしまった」という宅地が少なくなく、また鉄道の新線開通などで価値が上昇した宅地もあるため、大なり小なり相続人は納税に苦労しているのが現状だ。
さらに日本は財政危機を打開するため増税傾向にあり、相続税についても、課税対象となる相続財産のうち6億円を超える部分への課税が最高で55%に引き上がると言われている。
地方でも地方ならではの相続問題がある。筆者はインターネット上の相続関係のサイトでこんな書き込みを目にした。
「私の親は農家で、田舎に土地を所有しています。親はアパートを経営していますが、空き室が目立ちます。最近、取引銀行から、『今のままでは相続税が1億円かかる』と言われ、節税対策のために『農地を一部転用して、アパートをもう1棟建てては』と言われました。そのためには1億円の準備が必要ですが、私の預金残高は1割にも満たない・・・」
節税対策にアパートを建てても借り手が見つからず、空き家になってしまうことはよくある。しかも、親元を離れて東京でOLをする本人には、それを相続するほどの収入も預金もない。
日本で相続税を課せられると貯金がほとんどなくなり、借金が必要になる場合もある。しかも、不動産は所有しているだけで固定資産税が発生し、売却時も納税負担が生じる。土地が右肩上がりに上昇したのは過去の話だ。現在、日本人にとって不動産は「できるだけ持ちたくないもの」になっていると言っても過言ではない。
逆に言えば、中国で過去10年にわたり、住宅価格急上昇の抑え込みが効かなかったのは、「不動産に関する税制」が機能してこなかったためだと言える。
日本の平等社会はモデルになるのか?
日本の相続税制は、確かにシステムとしては公正であり、富の再分配への貢献度は高い。だが、国民の不満も多い。多くの国民が相続の際に金銭的犠牲を強いられ、家族間のトラブルの元にもなる(ひどい場合は「親子の縁を切る」「兄弟の縁を切る」などの沙汰にも及ぶ)。
奥村土牛という有名な日本画家がいた。四男の奥村勝之氏は、父・土牛の死去にあたり相続税が払えず、素描を燃やすに至った。著名な画家の相続人といえば、膨大な遺産を引き継いで豊かに暮らしていると思われがちだが、実際は壮絶な苦労を強いられていたのである。勝之氏は巨額の相続税を納めるだけでなく、相続税を支払うために借金までして、その返済に追われる人生を送ることになる(参考:『相続税が払えない―父・奥村土牛の素描を燃やしたわけ』奥村勝之著)
日本の相続税制は、富の集中を防ぐためには有効に作用しても、結果として社会全体の活力を失わせることにもなった。「日本は平等社会で中国以上に社会主義だ」「中国は共産党一党支配だが、日本以上に資本主義だ」とよく言われるが、相続税制を見る限り、まさにその通りかもしれない。
これから相続税制を導入しようとする中国にとっては、日本の相続税は累進課税であるという点を除けば参考にならないかもしれない。だが、国民の納税があってこそ公平な社会が実現される、という点は、日本を見習うべきだろう。
中国では、今回導入された不動産所得税(新国五条)に対して、「国民の財産に手をつけるのか」と猛反発する国民が圧倒的だ。ある市民はこうも言う。「税金払うなら、権利をくれ」。国民の権利を認めない政府に誰が納税するものか、という反発である。
公平な社会というのは、ある日突然降って湧いてくるものではない。国民の理解と譲歩、そして協力という姿勢がなければ、永遠に実現は困難なのである。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37523
崩壊するスウェーデンの学校制度(上)
教育が差別と分断を招くのか〜北欧・福祉社会の光と影(8)
2013年04月23日(Tue) みゆき ポアチャ
スウェーデンの学校が崩壊の危機に立っている。国の教育制度が前例のない批判の嵐を受けている。国際的な比較においても、スウェーデン生徒の学力の低下は著しい。
3月の終わりに、「学校の運営と管理責任を地方自治体から国家管理へ戻すことを要求する請願書」が提出され、それに続いて全国紙ダーゲンス・ニーへテルが「教員の月給を1万クローナ(約15万円)引き上げよ」と題する記事を掲載した。この記事は4月21日現在、9000人近くがフェイスブックの「いいね!」で共有している*1。
これらをきっかけに、4月以降、学校制度に対する疑問と批判が噴出している。
と言っても、学校の問題は今急に始まったわけではない。以前にも書いたが、まず教師の離職率が高い。筆者が勤めるヨーテボリの高校でも、校長をはじめ頻繁に先生が代わるので、私自身、半数かそれ以上の先生はもう名前すら分からない。というより、覚える気力を失った。
校長ですらしょっちゅう交代している。筆者が教えている高校では、この2年間で3人目の校長だ。スウェーデンテレビの報道によると、南部スコーネのヘッセルホルム・コミューンにある、6年生から9年生が通うティリンゲ校では、3年間で4人の校長が代わったとされている。同じ記事によると、同コミューンでは2010年の秋学期以降、校長が2人以上代わった学校が13校ある*2。
なので、これは局所的・地域的な問題ではなく、全国に蔓延している現象なのだ。
これについて新しく来た校長に、なぜ今までの校長が辞めたのかと理由を尋ねてみたことがある。彼は「それについて意見を言うことはできない。自分も知らない」という返事だった。が、彼は、校長が長期的にとどまることは非常に重要であるし、校長が代わることが学校の問題を悪化させていると思うと言う。
「とにかく我々は今、前任が辞めたギャップを埋めるために働いているのだ」という返事だった。
同僚である保健の先生は、最近は胃の痛みや体調の不調を訴える学生が増えていると言う。特に2011年秋から成績の評価方法が変わったことが生徒にストレスをもたらす大きな要因だと考えている。この新評価システムも、学生間に不公平と不平等をもたらすと批判されている*3。
学校システムの崩壊
定期的に行われる「学校査察」によると、教育現場の現状は惨憺たる結果だ。
2012年に査察を受けた小中学校のうち、「問題なし」とされた学校はわずか4%。残りの96%、全国745校のうち715校が何らかの点において「不十分である」とされている。
特に多かった批判点は、「生徒に必要なサポートが届いていない」ことだ。多くの学生が勉学で遅れており、支援を必要としているが、65%の学校で必要なサポートが実行されていない*4。
*1=http://www.dn.se/ledare/kolumner/peter-wolodarski-lyft-lararlonen-med-10000-kronor-i-manaden
*2=http://www.svt.se/nyheter/sverige/elev-man-har-inte-kant-sig-sa-trygg
*3=http://www.dn.se/nyheter/betygen-fortfarande-orattvisa
*4=http://www.dn.se/nyheter/sverige/betyget-de-klarar-inte-kraven
極端なケースでは、障害を負った生徒のために拠出されている補助金が、当の生徒のためには全く使われていないという事例もある。
報道によると、ストックホルム近郊のオーケル小学校は、脳性マヒ、自閉症、てんかん、注意欠陥・多動性障害(ADHD)の障害を背負った7歳の生徒への特別支援金として昨年4万5000クローナを受けているが、同校の校長は「学校はリソースを見つけることができない」ため、これを同生徒のサポートにではなく、結局学校の一般予算に入れて諸経費として使ったことを認めている*5。
また、学校は生徒の発達状況について定期的に保護者に連絡することになっているが、これが適切に実行されていないとされた学校も65%に上る。
それ以外では、いじめが認められた学校が60%、十分な質を保った業務が行われていないとされた学校が53%、特別支援が不十分となっている学校が32%。
すべての基準を満たした学校は、全国に30校しかない。
学校が学校としての機能を果たしていないのか。これはほとんど、「学校制度の崩壊」と言ってもいい状況ではないのか。
誰でも先生になれる時代
同時に、「先生」に対する尊敬や敬意の念が失われている。「先生」になりたい人がいなくなっている。
全国紙ダーゲンス・ニーへテルに掲載された記事「ほとんど誰でも先生になることができる」によると、「先生のステータスは底辺に追い込まれている。大学の教員養成プログラムに入学するのは非常に簡単で、質問を読まずに試験を書いても十分だ」*6。
かつて、教育プログラムは大学で最も人気のある魅力的なプログラムだった。同記事によると、1982年には、小学校教諭の職1つにつき7.5人の応募があった。
が、2012秋には大学試験(Högskoleprovet)の結果が0.1であった学生123人が、国の教員養成課程への入学資格を得ている。試験の最大スコアは2.0なので、100点満点に換算するとわずか5点である。
*5=http://www.dn.se/nyheter/sverige/pengarna-for-stod-at-johan-gick-till-annat
*6=http://www.dn.se/nyheter/sverige/nastan-vem-som-helst-kan-bli-larare
これほどの低スコアの理由は、恐らく試験を受けなかったとか、何らかの事情により試験の途中で退席したなどの理由によるものではないかと思われる。
スウェーデンでは、獲得した点数にかかわらず定員に達するまで自動的に受験者に入学資格を与えることになっている。そのため、応募者が少なすぎると、「質問を読まずに試験の答えを書いても十分」という事態が起こることになる。
教師の4人に1人が離職
また、教育庁のリポートによると、2007年から2012年までの5年間で、定年退職以外の理由で先生を辞めて他の仕事に就いた人は24%に上る。
離職率が高い大きな理由は、給与が低く労働条件が悪いことだ*7。
自発的に辞める先生も多いが、最近は学校予算などの理由で辞めさせられるケースが急増している。
筆者は、昨年まで2つの高校で日本語を教えていたが、1校では「履修する生徒数が少ない」ためにコースを開講しないことになった。こうした理由で、非自発的に、いわば「クビ切り」されて職を失っている先生たちもいる。
別の高校で日本語を教えているT先生は、スウェーデンでの正式な教員免許を取得するために大学に通っている。仕事をしながらなので、取得まで5年半を要するのだが、それも残すところあと1学期というところまできた。
こうして頑張っているのだが、彼女も先日、「来学期は日本語をとる生徒がいないので、秋から『arbetslös(無職)』になっちゃうんです〜(涙)」というメールをくれた。
「教職取って意味があるのだろうかと思ってしまう・・・。やっぱり日本語の人気は落ちてきてますね・・・」
さらに「私の学校、景気悪いみたいで、来学期からは私だけでなくほかの先生も数名辞めさせられるみたい・・・」
教職員の大量解雇と生徒の抗議スト
今秋に始まる新学期に、多くの先生が首切りされる予定だ。ヨテボリ全体で、教職員合わせて約110人が解任されるという 。
市内の2校、シーレスカ高とフヴフェルツカ高では、両校ともそれぞれ20人規模で教員が馘首される計画になっている。これまで学校で教えていた約4割の先生が、秋からの新学期には一気にいなくなるのだ。
*7= http://www.dn.se/nyheter/sverige/en-av-fyra-larare-lamnar-yrket
生徒たちの抗議行動の様子を報じるヨテボリ・ポステン紙(4月18日)
17日には「先生の大量解雇反対!」の声を上げて両高校の生徒数百人が抗議のストライキに起った。
ニュース報道のインタビューに答えていた、抗議行動を組織したフリーダという女子生徒は、こう話している。
「全く怒りを抑えられない。これほどの先生方が急に辞めさせられるということに、何の論理も正義もない」「教育は明るい未来をつくり、失業率を低下させ、将来の発展のカギとなるものだ。政治家は、これほどの先生が急にいなくなるということがどれほどひどいことか、分かっていない」
1年生のエリアスは言う。「生徒の数が変わらないのに先生が減るということは、残った先生に過度のストレスがかかるなど、いろいろな弊害がある。これによって学校の雰囲気をひどいものに変えることになる」
生徒たちは、抗議の署名を集めており、後に教育省に提出する予定だ*8。
学校がこれほどの状況に至った要因としてやり玉に挙げられているのは、1990年代に行われた2つの大きな教育改革だ。次回はこの2大教育改革の問題点について稿を進めていきたい。
*8=http://www.svt.se/nyheter/regionalt/vastnytt/elevprotester-mot-nedskarningar
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37602
コンビニ“大量閉店時代”は来るのか
出店競争にローソンが背を向けるワケ
2013年4月23日(火) 山崎 良兵
また新しいコンビニエンスストアが近所にオープンした。ここ1〜2年で、私が住む東京都内の自宅マンションから徒歩10分圏内にできたコンビニは実に4店舗。余計なお世話かもしれないが、「こんなにお店ができて、経営は大丈夫なのか」と心配になってしまうほどだ。どの店もそれなりにお客が入っているように見えるが、以前からあったコンビニ店は客を奪われているのは間違いない。
同じような現象は読者の方々が住む多くの町でも起きていることだろう。2013年2月期、コンビニ大手は過去最大規模の出店を実施。セブン-イレブン・ジャパンは前期比153店舗増の1354店舗。2位のローソンは172店舗増の938店舗、3位のファミリーマートは49店舗増の900店舗を出店。至る所で出店競争を繰り広げてきた。業界全体でも出店の限界とされてきた国内5万店舗の壁を昨年11月に突破した。
激化する一方だった出店競争に、異変が起きている。セブンイレブンとファミリーマートは2014年2月期にさらに出店を増やし、揃って1500店舗に高める計画。だが、ローソンは逆に出店を減らす戦略を打ち出したのだ。新規出店を68店舗減らして870店舗に抑える一方、閉店は185店舗増の450店舗にする。規模を拡大する路線を明確に転換する方針を、明らかにした。
出店にブレーキをかけるローソンの店舗(東京都港区)
出店拡大の根拠は“コンビニ進化論”
なぜなのか。これまでコンビニ各社の出店拡大の根拠になってきたのは、いわゆる“コンビニ進化論”だ。従来は20〜50代の男性が中心顧客だったが、客層が拡大。肉や野菜など生鮮品の品揃えを強化して主婦など女性層を取り込む。小サイズのお総菜などを充実させ、宅配サービスも始めてシニア層を掘り起こす。店舗で抽出するコーヒーや味にこだわったフライドチキンなどで外食市場を奪うといった動きで、コンビニの成長の余地が大きくなっているという見方だ。
「こうした客層拡大は今後も続く」とローソンの新浪剛史社長は話すが、それ以上に出店競争が激化して、出店のハードルは上がっている。ローソンの場合、2013年2月期の新店舗の1日当たり販売額は前年をやや下回る程度。ライバルと比べても堅調だが、既存店売上高は前の期比で横ばいと、伸び率は鈍化している。ライバルではセブンイレブンを除くと、既存店売上高がマイナスになるチェーンも目立つ。コンビニがいかに進化しようとも、狭い商圏に店舗が乱立すると顧客の奪い合いは避けられない。
ただ何もしないと出店に積極的なライバルに店舗用地を奪われる。「食うか食われるかの戦いだから、出店を増やす必要がある」(サークルKサンクスを傘下に持つユニーグループ・ホールディングスの中村元彦社長)といった声が目立つ。このため家賃が高くても出店を決めるチェーンが増えているようだ。
出店拡大を成功させるカギは、店舗開発を支援する本部の人材が握る。「パイロットは簡単に育成できない。飛行機が飛ばせない(店舗が不採算になる)と加盟店にも迷惑をかける」とローソンの新浪社長は慎重だ。10年ほど前にトップに就任した頃に、無理な出店の影響で、不採算店を大量に閉鎖した苦い記憶が頭をよぎる。
既存店の利益率改善を優先する
だからこそローソンはライバルが出店競争を一層加速しても、出店ペースを減速することを決めた。
出店は厳選する。優れた経営力を持ち、店舗運営の実績があるオーナーに、新たな店舗の経営を任せる仕組みにシフトする。それがマネジメントオーナー(MO)制度。現在、複数店を経営するMOは72人で、経営する店舗は592に達する。これを大幅に増やす。1人平均12店舗を経営することを想定しており、今後、5年間でMOを300人育成し、3000〜4000店舗の運営を任せる方針を掲げる。
出店拡大よりも、既存店の収益力強化に力を注ぐ。売上高ベースで利用客の5割近くが利用するポイントカードの「PONTA(ポンタ)」を活用。店舗ごとに購入客の年齢、性別、住所、購入商品と購入時間など詳細な情報を分析して、商品の欠品を防ぐのと同時に、廃棄ロスを減らす。利益率の高い商品の品ぞろえも強化。粗利益率が6割以上に達する、店舗で抽出するコーヒーの販売も強化し、提供店舗を5000店舗に増やす。
「無理な出店を続けると、大規模な閉店を迫られる」(新浪社長)とみて、足腰の強化を優先するローソン。ローソンに限らず、過去に過剰に出店して、採算が合わずに大規模な閉店を迫られたコンビニは少なからずある。
だが、ライバルのコンビニ大手の意見は違うようだ。「(競争が激しくなっても)出店する場所や形態を変えれば、まだまだ新規出店は可能」とファミリーマートの中山勇社長は強調。鉄道駅や中小ドラッグストアとの融合業態での出店を加速する。首位のセブンイレブンはライバル店にないユニークなPB(プライベートブランド)商品の拡充などで集客して既存店や新店の売上高が堅調に推移。「他社では採算が取れない立地でもまだまだ出店できる」(同社幹部)とする。
どちらの見方が正しいのか。現段階では評価しにくいが、明らかに言えるのは、昨年前半まで成長力に光が当たってきたコンビニが“ふるい”にかけられる段階にきていることだ。2013年2月期の営業利益は、大手3社が揃って増益だった一方、4位のサークルKサンクスと5位のミニストップは2ケタの減益。より規模の小さいチェーンでは業績不振にあえぐケースが目立つ。
既存店や新店の売上高が苦戦するコンビニが増える中、採算の厳しい店舗が閉鎖を迫られるのは自然な流れだ。競争力を高めることができないチェーンは、大規模な閉店を迫られるシナリオも否定できない。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130419/246948/?ST=print
日本のTPP交渉参加、賛成派にもギリギリまで隠したUSTR
米連邦議員も賛否両論入り乱れる
2013年4月23日(火) 堀田 佳男
「正直に驚いています。あんなに早く日本がTPP(環太平洋経済連携協定)への交渉参加を決めてくるとは思っていませんでした。もうすこし時間がかかると思っていた」
今月12日、日本がTPPへの交渉参加を表明したことに対し、米連邦下院のグレゴリー・ミークス議員(民主・ニューヨーク州)は驚きを隠さない。
というのも、ミークス議員はその2日前、民主党議員有志で構成される「ニュー・デモクラティック・コーリション(新民主連合)」のメンバー数人と、米通商代表部(USTR)のデメトリオス・マランティス代表代行と会合を持っていたからだ。
日本の参加は「すぐではない」と語っていたUSTR
マランティス代表代行はロン・カーク前通商代表が退任した後、米国側のTPP交渉の責任者になっている。同連合のリーダー格であるミークス議員が会合で同代表代行から聞かされたのは、「(日本参加は)いい流れではあるが、すぐではない」というものだった。
12日早朝、日本参加のニュースがメディアで報道された時、ミークス議員は事前にオバマ政権側からその事実を聞かされていなかった。公式発表後、マランティス代表代行は新民主連合メンバーに直接電話連絡を入れている。
驚いているといっても、ミークス議員をはじめとする約50人の新民主連合のメンバーは皆、日本のTPP参加への賛同者である。大局的に、自由貿易こそが世界経済を発展させる最良の手立てであり、保護主義的な貿易政策は産業全体にとってはマイナスであるとの意見でまとまっている。ただUSTRは、日本の参加交渉の進捗状況を、同じ政党の賛成派議員にも告げていなかった。
その背景には反対派への牽制がある。TPP問題で、米国はもちろん一枚岩ではない。全米商工会議所や豚肉生産者、小麦生産者、大手建設機械メーカーのキャタピラーなどは日本のTPP参加に賛同するが、自動車業界や鉄鋼業界、全米自動車労働組合(UAW)、全米鉄鋼労働組合(USW)などは反対してきた。
連邦議員の反対派は民主・共和両党にいる。中でも自動車産業のメッカ、ミシガン州やオハイオ州に強硬派議員が多い。ミシガン州のデイビッド・キャンプ下院歳入委員会委員長や同委員会のサンダー・レビン議員、オハイオ州選出のシェロッド・ブラウン上院財政委員会委員長などが代表格である。
実は、議員の賛否両論の構図は日本とまったく同じである。地元州民の利害を代弁する連邦議員である以上、地元の産業擁護が使命だ。日本の農業従事者を守る議員がTPPに反対するのと一緒で、米国では自動車産業擁護派が日本のTPP参加を快く思っていない。
12日に日本が交渉参加を正式表明した後、オバマ政権内には一部で「出来レース」のような流れができたという。彼らの思惑通りに進めば、交渉妥結は年内、遅くとも来年初頭になるとの見方が強い。
しかし7月に日本がTPPの交渉へ参加する道筋ができても、米議会では90日間、日本の交渉参加についての議論がなされる。それがスムーズにいくかは予断を許さない。というのも、前出したレビン下院議員などは米自動車業界からの圧力を背に、相変わらず日本への強硬な態度を弱めていないからだ。
「日本に最終的な交渉の参加を許す前に、日本は米国産自動車の輸入を拡大しなくてはいけない。日本市場の開放が先だ」(レビン議員)
来年11月の中間選挙で自身の議席がかかっているだけに、ミシガン州議員として日本批判の急先鋒に立つ。また前出した新民主連合とは逆の立場の議員50人が、日本に厳しい態度で臨むようにホワイトハウスに書簡を送付してもいる。これが今のワシントンの政治力学だ。
さらに、自動車業界関係者からは「TPP締結後、日本の非関税障壁が本当に除去されるか大きな疑問です。なにしろ80年代から米国は非関税障壁について言い続けていますが、依然として大きくは改善されていません。米国市場だけが開放されて、日本が変わらずではいけないでしょう」という憤懣も聞こえてくる。
今こそ政治力を試される反対勢力
米国には2007年まで、大統領が貿易交渉の優先権を担った「ファストトラック(一括承認手続き)」という権限があった。それが失効している今、オバマ大統領は議会からの「委任状」を取りつける必要がある。今後、自動車業界や労組は連邦議会でロビー活動を活発化させ、日本との交渉現場で米国の利害を前面に出してくるはずだ。
筆者は首都ワシントンに25年滞在し(2007年帰国)、長い間米国政治を観てきた。もちろんすべてを見通せるわけではない。だが強力なロビイングによって法案が廃案にされたり、法案内容が変更されたりという事例を数多く知っている。反対派勢力にとっては、今こそが政治力を試される時でもあるのだ。
そうはいっても、TPPのような多国間が関与する交渉で、しかも理念的に自由貿易推進という立場で参加国が包括的に合意した場合、時間はかかっても肯定的な結果が生まれることが多い。たとえば、米国農業団体は日本のコメに対して柔軟な姿勢を見せている。778%という日本のコメ関税を「ゼロにすることなど望んでいない」という。米国でもこれまで、他国との自由貿易協定ではピーナッツや綿花といった保護対象品目がいくつもあった。米国は世界最大の農業国でもある。
USAライス連合会のロバート・カニングCOO(最高執行責任者)は4月15日の会見で、日本がコメに対して敏感であることを認識したうえで、「完全な関税撤廃か高関税維持といった両極の議論ではなく、日米で妥結できる着地点があるはず」との考え方を示した。日本の農業関係者の多くは、コメを含めた5分野を「聖域」として死守したい意向だが、時間をかけてでも着地点を探らないとTPPという自由貿易協定の枠組みが崩れかねない。
米国の官報である連邦官報(フェデラル・レジスター)が2011年11月、日本のTPP参加に関する賛否を米民間企業・団体に問うている。100以上の組織から回答があった。40%が農業団体で、25%が製造業、25%がサービス業、残りが非営利団体などだ。何割が賛成に回っているかの記述はないが、結果は過半数が賛成派である。
「日本が不参加ならTPPの信憑性が損なわれる」
その中には、過去の日米貿易交渉において、米国の要求は日本にはむしろ通りにくかったとの見方も散見される。そうした経緯から、貿易問題を専門にする米弁護士などは、「まず日本をTPPに参加させて、それから日本を変えていけばいい」という狙いを口にする。しかし同問題は両刃の剣で、全関係者を満足させる帰着点はない。そこに政治の究極的な難しさが内在する。
オバマ大統領は今後、欧州連合(EU)とも包括的な自由貿易協定の交渉に入ることを打ち出している。10年後の世界の貿易体制を眺望したとき、日本が特定分野擁護による保護主義を貫くことで、米国をはじめとした太平洋諸国との自由貿易協定の中に入っていない姿はほとんど想像できない。
米議会調査局(CRS)でTPP問題を精査しているビル・クーパー氏は4月9日付の報告書で、「日本がTPP交渉に不参加になったとしたら、TPPの信憑性は著しく損なわれるばかりか、アジア太平洋地域の経済統合が逆行することになる」と論じている。
日米両国には常に強硬派がいる。だが両政府が国の意思として日本のTPP交渉参加にゴーサインを出した以上、TPPという自由貿易推進の道筋はぶれてはならないし、それが日本経済を上昇させる正道であるはずだ。
アメリカのイマを読む
日中関係、北朝鮮問題、TPP、沖縄の基地問題…。アジア太平洋地域の関係が複雑になっていく中で、同盟国である米国は今、何を考えているのか。25年にわたって米国に滞在してきた著者が、米国の実情、本音に鋭く迫る。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130419/246971/?ST=print
【第275回】 2013年4月23日 真壁昭夫 [信州大学教授]
足踏みする成長率に鳥インフルエンザ感染の拡大
えくぼがあばたに? 輝きを失う中国経済の近未来考
予想を下回る成長率に鳥インフルエンザ
マイナスのニュースが目立つ中国経済
最近、中国に関するニュースが気になる。中国の経済・社会にとって、マイナスの記事が目立つからだ。
中国経済が“超”高成長期を経て安定成長期に足を踏み入れ、それまで“えくぼ”に見えていた部分が、実態的に“あばた”に見え始めた感がある。現在の中国に、リーマンショック以降、米国に代わって世界経済を牽引してきた輝きを見つけることは難しい。
4月15日、中国国家統計局が発表した、今年1‐3月期の物価変動を考慮しない実質ベースのGDPの伸び率は、対前期比7.7%増だった。この成長率は、経済専門家の事前予想(8.1%)を下回った。
昨年10−12月期のGDPがプラス7.9%だったことを考えると、中国経済は足踏み状態と言える。GDPよりも経済実態を鮮明に表すと言われている中国の電力消費量は、前期対比でわずか2.9%の伸びに留まり、昨年1-12月期の同4.7%増を下回った。企業の生産活動が低下していることは明らかだ。
さらに、中国国内で鳥インフルエンザの感染が広がるなど、社会的な不安が拡大することも懸念される。インフルエンザ感染の拡大の背景には、以前から指摘されてきた中国国内の検疫体制などに問題がありそうだ。
また、そうした問題に加えて民主化の遅れなど、様々な問題が今後顕在化してくると見られる。これから“中国リスク”を頭に入れておく必要があるだろう。
発表されたGDPの内訳を見ると、政府のインフラ投資を中心とした投資活動や輸出が堅調である一方、企業の生産活動や個人消費が盛り上がらない姿が浮き彫りになる。
中国政府が、投資や輸出をエンジンにした経済構造から、国内の個人消費を中心とした経済へのモデルチェンジを図っていることを考えると、今までのところ、政府が意図したほどモデルチェンジが進んでいないことがわかる。
昨年中国政府は、1兆元規模のインフラ投資を実施して景気を下支えする方針を打ち出した。そうした方針に従って、鉄道建設などを中心に投資分野が大幅に伸び、固定資産投資は前年同月比20.9%も伸びた。輸出も東南アジア諸国向け中心に堅調で、同18.4%も増加した。そのため、相変わらず投資と輸出とが、中国経済を引っ張っている構図が続いている。
振るわない工業生産や個人消費
遅れる経済構造のモデルチェンジ
一方、在庫を抱えた企業の生産活動の勢いは鈍く、1-3月期の工業生産は同9.5%とわずかな伸びに止まった。また個人消費に関しては、共産党政権の反腐敗運動による倹約の影響が広がっていることもあり、高級食糧品などを中心に買い控え傾向が鮮明になった。
また、中国国内の経済格差拡大の問題もあり、短期間に消費が大きく伸びることは考えにくい。今年1-3月の社会消費品小売売上総額(小売売上高)の上昇幅は、前年の実績に届かなかった。
こうした経済状況を考えると、中国政府はこれからも景気下支えのために大規模なインフラ投資を続けざるを得ないだろう。また、世界経済の動きに大きく左右される輸出にも、国内経済の行方を託さなければならない状況が続くはずだ。それだけ、中国経済が不安定化することが予想される。
もともと中国は、看過できない問題を抱えている。まず頭に浮かぶのは民主化の遅れだ。今でも中国は共産党の一党独裁体制になっており、一般民衆に対する厳しい情報統制が残っている。そのため現在の中国は、89年の“天安門事件”以降、あまり民主化が進んでいないと言われている。
インターネットなどの情報・通信技術が進み、多くの人々が瞬時に同じ情報を共有できる状況になると、国民に対する情報遮断を維持することは事実上不可能になりつつある。新幹線の事故現場の映像や、共産党首脳部の個人的な蓄財などの報道は、瞬時に多くの国民の目に晒される。それは、国民の政権に対する不満につながるはずだ。
また、中国社会に影を落としている要因に、鳥インフルエンザの感染拡大懸念がある。4月21日現在、中国国内の感染者の数は100名を越え、死亡者は20人に上っている。しかも、ウイルス感染地域は浙江省や上海などを中心に次第に拡大しており、今後さらに拡大するものと見られる。
野生の鳩などから検出されたウイルスは新型のH7N9型で、中国国内の検疫体制が十分に追いついていないようだ。
中国国内の衛生管理体制については、かなり以前から不備が指摘されてきた。これまでの感染症の流行に関しても、アジア諸国と並んで中国での感染拡大の危険性が指摘されてきた。それにもかかわらず、中国国内の体制整備は遅れている。
中国は、衛生管理に関する体制について「先進国とは言えない」との指摘もある。今後中国の政策当局は、そうした問題点をいかに迅速に解決するかを問われる。
感染者の数が限定的な間に有効な検疫措置を実行しないと、人々の不安が膨らみ、“食の安全”に関する疑問に結びつくことも考えられる。それがさらに拡大すると、最終的に中国のパンデミックス・リスクが、世界全体に大きな脅威を与えることも考えられる。
次々に問題点が顕在化する中国
近未来的な中国の動向予測は?
まず中国に関して重要なポイントは、民主化をいかに進めるかだろう。これほど情報・通信技術が発達した現代、国際社会や国民に対して情報を遮断することはできない。いずれかの段階で民主化を進めることは避けられない。重要なポイントは、どのような手段でどれだけのスピードで進めるかだ。
おそらく最も現実味があるのは、革命のような激変イベントが起きるのではなく、共産党政権が一般民衆の圧力を考慮しながら、徐々に民主化に向けて舵を切る可能性が高いと考える。そのプロセスが最も自然だからだ。
そうした変革に伴い、時間をかけて共産党一党独裁の仕組みが見直されるかもしれない。官僚制度などの行政のシステム、裁判所などの法律に関する仕組みも少しずつ変えられるだろう。そうしたプロセスによって、中国はスムーズに、西欧流の民主国家に変身を遂げていくことが期待される。
一方経済については、中国はすでにコーナーを曲がっている。リーマンショック以前の輸出をエンジンにした経済モデルはとりあえず破綻している。そうしたモデルに基づく“超”高成長期が終焉を迎えたことは、習主席自身が認めている。問題は、これから中国自身が新しい経済モデルをいかにつくり上げるかだ。
中国経済の中心は、今でも国営企業や旧国営企業、さらには不動産投資を積極的に行う地方政府などである。それらの経済主体は、国の政策運営に沿って動きやすいというメリットがあるとはいえ、政治が企業経営を行うことには限界がある。
中国がソフトランディングしないと
今よりも扱いにくい国になってしまう?
経済合理性の働かない経営では、いずれ破綻を招くことは目に見えている。そうした中国の経済構造を、短期間に一変させることは困難だ。実行しようとしても、様々な軋轢が生じるだろう。
不必要な軋轢を回避するためには、時間をかけて改革することが必要になる。問題は、改革に時間をかけすぎると世界経済の進歩に置いて行かれることだ。
特に、中国では早晩、生産年齢人口の減少に遭遇する。それが現実のものになると、中国の賃金水準は今まで以上の上昇傾向を鮮明化する。そうなると、付加価値の低い産業分野は中国での存続が難しい。
今後中国は、付加価値の高い産業分野を育成するために、自前の技術や新製品をつくることが必要になる。それができれば、中国経済のプレゼンスは上昇するだろう。
逆にそれができないと、中国は多くの人口を抱えた普通の大国にランディングするはずだ。その場合、人口が多いぶん国をまとめる富国強兵策のようなロジックが必要になるだろう。中国は、今より扱い難い国になるかもしれない。
http://diamond.jp/articles/print/35052
【第2回】 2013年4月23日 加藤嘉一 [国際コラムニスト]
歴史は終焉するか? フクヤマVSケ小平
未完のイデオロギー闘争
戦後からポスト冷戦で
歴史は終わったか
フランシス・フクヤマ氏(Francis Fukuyama)という政治学者がいる。
その名の通り日系アメリカ人であるフクヤマ氏は、1989年に『The End of History』(歴史の終焉)という論文をThe National Interestという学術ジャーナルに寄稿し、1992年には『The End of History and the Last Man』(Free Press)という著書を出版している。
1989〜1992年と言えば、国際政治システムを歴史的変化が襲った時期である。ソビエト連邦が解体され、“冷戦”(冷たい戦争)が崩壊した。
第二次世界大戦が終わり、朝鮮戦争などを経て、米国とソ連はそれぞれ“西側”と呼ばれた資本主義陣営と“東側”と呼ばれた共産主義陣営を代表する主要大国として、イデオロギー闘争を繰り広げた。1962年には所謂“キューバ危機”が勃発、米ソ対立は世界中に第三次世界大戦を予感させ、核戦争寸前までエスカレートした。
“西側”は民主主義、“東側”は社会主義を掲げ、政治体制だけではなく経済発展モデルまでをも、市場経済VS計画経済という形でイデオロギー闘争の渦の中へと飲み込んでいった。
そんな冷戦が終わり、ポスト冷戦時代への移行期にある過程で登場したのが、冒頭におけるフクヤマ氏の論考『The End of History』(歴史の終焉)である。
同論文・同書を通じて、フクヤマ氏は、ソ連邦の解体、冷戦の崩壊は自由民主主義の共産社会主義に対する完全勝利を意味しており、前者こそが人類の平和と繁栄を永久に保障してくれる最高の政治体制であり、と同時に人類が追求する最終の社会システムであることを主張した。
私は当時小学校に上がるか上がらないかという頃であったため、ソ連の解体も冷戦の崩壊も全く記憶にないが、フクヤマ氏の論考が世界中の知識人をイデオロギーや価値観をめぐる新たな論争へと追いやったことは想像に難くない。
西側陣営に属していた日本は“冷戦”という文脈の中では“戦勝国”となったわけだが、当時の日本社会・国民がどのように日系アメリカ人であるフクヤマ氏の「歴史の終焉」を迎えたのかは興味深い。歓喜だったのか。違和感を遺したのか。それとも、自国のバブル崩壊でそれどころではなかったのか……。
“敗戦国”として挑んだ冷戦時代、“戦勝国”として挑んだポスト冷戦時代――。
日本人にとってのポスト冷戦時代は即ち“失われた××年”と時期を共にする。この期間、日本人にとって、何が終わって何が始まったのか。或いは、何か始まって何が終わったのか。
私たちは、頭の中でタイムマシーンを想像しながら、歴史を遡ってみる必要があるのかもしれない。
西側識者たちが想像した
“中国崩壊”という終着点
歴史を遡ってみるというミッションは、本連載がターゲットとする中国にものしかかる。
フクヤマ氏が同論文を世に問うた1989年、中国では天安門事件が勃発し(6月4日)、共産党指導部は胡耀邦氏の死をきっかけに始まった学生の民主化を求める運動を武力で鎮圧した。
当時の中国の最高指導者、ケ小平氏は同じ共産圏に属していたソビエト連邦共産党書記長のミハイル・ゴルバチョフ氏が急速に自由化・民主化を進め(ペレストロイカ)、情報公開(グラスノスチ)に踏み切るプロセスを、危機感を持ちながら注視していた。民主化運動を武力で鎮圧する決断とソ連社会が崩壊していくロードマップは、ケ小平氏の脳裏では一本の糸でつながっていたのかもしれない。
「六・四事件」とも呼ばれる天安門事件は単なる独立した国内事件には留まらなかった。自由民主主義という大義名分を謳歌してきた“西側”社会を中心に、学生たちによる“正当な”民主化運動を軍隊が武力で鎮圧する模様は世界中に映像として流され、国際社会の“共産中国”に対する不信感はピークに達した。西側諸国は基本的人権を重んじない中国政府に対する経済制裁を行使した。
1991年12月25日、ゴルバチョフ氏が辞任し、ソビエト連邦を構成する共和国が主権国家として独立していくプロセスを通じて、“東側”の象徴であったソ連は解体される。
「六・四事件」から約2年半というこの期間、下(人民)からの民主化要求を、上(国家)からの暴力で鎮圧した「共産中国」の社会主義体制は持続可能ではなく、「もうこれ以上もたない。近いうちに崩壊する。いや、そもそも崩壊するべきだ」と予測した知識人は世界中で少なくなかったであろう。ソ連解体によって、そんなコスモポリタンたちの“期待”と“想像力”は最高点にまで達した。
これらの議論をリードしていたのが、まさにフクヤマ氏の論考であり、同氏は1992年1月、ついに著書『The End of History and the Last Man』を出版した。
私自身の推測にすぎないが、論文を発表してから著書を出版するまでの約三年間に起こった出来事は、フクヤマ氏の「歴史の終焉」に対する確信を一層深めたに違いない。
「ソ連の解体、冷戦の崩壊によって“西側”VS“東側”というイデオロギー闘争の歴史は終わった。あとは中国が崩壊するのを待って私のストーリーは完結する」
フクヤマ氏はこのようなイメージを抱きながら、同書が世に問われていくプロセスを“傍観”していたのであろうか。機会があればぜひ本人に直接確認してみたいと思っている。
ケ小平が編み出した
“世紀のプラグマティズム”
フクヤマ氏が同書を出版したのとほぼ同時期、1992年1〜2月にかけて、ケ小平氏は武昌、深セン、珠海、上海などを視察し、一連の重要講話を発表した。通称「南巡講話」と呼ばれるものだ。
ケ小平氏が後世に残した中で最も重量感のある“遺産”のひとつといっても過言ではないこの講話の中で、同氏は、社会主義を堅持しつつ改革開放を加速させていくことの必要性、重要性、切迫性を訴えた。
その過程で、「姓が“資”か“社”か、という問題に縛られるべきではない」と強調した。即ち、「資本主義VS社会主義」という議論そのものが陳腐であり、中国が長期的に発展していくためには、冷戦期に国際システムを覆ったイデオロギー闘争に終止符を打つ必要があると説いた。
東洋人の血を受け継ぐ西洋人であるフクヤマ氏は、「自由民主主義の共産社会主義に対する完全勝利」という論調でイデオロギー闘争の歴史に終焉を見出そうとした。一方、“中国改革の総設計師”と呼ばれたケ小平氏は「自由民主主義か共産社会主義かは問題ではない」という立場でイデオロギー闘争の歴史に終焉を見出そうとした。
共に、1992年1月の出来事である。
天安門事件から約2年半が経過していたが、いまだに「六・四」のトラウマから抜け出せず、“西側”から不信感と警戒心を浴び続ける中国共産党。そして、「崩壊へのカウントダウン」を予測され続ける中国社会。
そんな“西側”からの呪縛を払拭し、未来へ活路を見出すためにケ小平氏が編み出したのが、「南巡講話」に代表される「世紀のプラグマティズム(実用主義)」であった。「姓が“資”か“社”か、という問題に縛られるべきではない」は、生産力の増大を第一に考えたケ小平氏の「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕る猫が好い猫である」という“白猫黒猫論”にも反映されている。
「南巡講話」から5年後の1997年2月19日、ケ小平氏は92歳で人生の幕を閉じた。
エズラ・ヴォーゲルの『Deng Xiaoping』
ケ小平の後継者に課せられた難題
それでも時は流れる。
いま、「戦後最も影響力のある、偉大な指導者は誰か?」と聞かれて、「ケ小平」と答えるコスモポリタンは少なくないであろう。昨年8月に米ハーバード大学に拠点を移して以来、私は事あることに学者や学生たちにこの質問を投げかけてきたが、皮膚感覚で約20%が「Deng Xiaoping」(ケ小平)と答えてくる。
そのケ小平氏はフランス留学中の1922年に中国共産党に入党。その後もソ連や中国国内で共産主義を学び、共産主義運動に身を投じた根っからの共産主義者である。政治の第一線で活躍するようになってからというもの、経済レベルでは生産力の増大を重んじ、改革開放を訴えたが、政治レベルでは常に保守的で、社会主義を堅持することに邁進した。ケ小平氏の思想信条の根底は、「根っからの共産主義者」という青少年時代に遡ると、私は思っている。
そんなケ小平氏を、自由と民主主義という西側の価値観を心から愛してやまないハーバード大学に身を置く有識者たちの多くが、「戦後最も偉大な指導者」と尊敬してやまないのだ。ケ小平氏とハーバード大学も、92年に編み出された「世紀のプラグマティズム」という一本の見えない糸でつながっているのかもしれない。
それを証明するかのように、2011年、『Deng Xiaoping and the Transformation of China』(Harvard University Press)を出版したエズラ・ヴォーゲル(Ezra F. Vogel)ハーバード大名誉教授は、同書の最終部分において「ケ小平の後継者たちにとっての挑戦」に関する問題提起をしている。
「毛沢東は内戦に勝利し、外国の帝国主義者を駆逐し、国家を統一することで正当性(legitimacy)を確保した。ケ小平は文化大革命のカオスから秩序を取り戻し、国家が直面する深刻な問題をプラグマティズムで処理し、急速な経済成長を通じて正当性を確保した。ケ小平の後継者たちは新しい時代において、どのように自らの正当性を確立するのであろうか?」
ヴォーゲル氏は、高度経済成長を実現するだけではなく、国民が最も関心を持つ以下の問題に進展を見出すことで、党の正当性を確立する必要があると説く。
「腐敗と不公正性という二大問題を解決しつつ、国民の間で合理的な医療保障や社会福祉を普及させ、各政府機関の政策において国民世論を尊重するチャネルを模索する必要がある。」(以上、P713参照)
仮に、ヴォーゲル氏が主張する課題を中国共産党指導部が軽視し、或いは重視したとしても適当な解決を見いだせなかった場合、近い将来、胡錦濤政権から習近平政権に移行する過程でも、ケ小平時代と同じく「社会主義の堅持」を赤裸々に掲げる共産中国は何らかのかたちで「崩壊」し、フクヤマ氏の「歴史の終焉」は有終の美を迎えるのかもしれない。
習近平体制発足前夜に中国で出された
フクヤマ氏の『政治秩序の起源』
ケ小平氏が亡くなって16年が経った。
しかし、「共産中国」は崩壊していない。崩壊するどころか、超大国アメリカにとって欠かすことのできない、協力していかざるを得ない戦略的パートナーと化している。私がアメリカに拠点を移して8ヵ月が経つが、この大地でアメリカ人の口から「China will be collapsed」(中国は崩壊するだろう)という文言を聞いたことは一度もない。
1989年の天安門事件後、国際世論を覆った「中国崩壊論」がパネルディスカッションのテーマになったり、それをめぐって議論が繰り広げられたりする光景も一度も見たことがない。それどころか、「中国の台頭を受け入れつつ、政治体制や価値観の違いを乗り越えて、如何にして中国と建設的なウィン―ウィン関係を築いていくか」という現実的論調が米国知識界の主流であると私は感じている。
まさにケ小平が言動で体現した、時空をも超越する「世紀のプラグマティズム」が米国の政策決定者や知識人、そして軍人までをも“洗脳”しているということだ。
そういった意味で、冷戦時代に世界を覆ったイデオロギー闘争の歴史は終焉を迎えたと言っていいだろう。人類社会にとっては確かな進歩と言える。
そんな進化の理論的立役者であるフランシス・フクヤマ、ハーバード大博士はどのような気持ちでこの24年間(1989〜2013)を過ごしたのであろうか。同氏が主張してきた「自由民主主義こそが最高の政治体制であり、社会の最終形態である」を信奉する人は少なくない。私が18〜28歳を過ごした中国でも、学者やビジネスマン、政府役人や若年層を問わず、“フクヤマ・ファン”は非常に多い。
「中国が将来的に、フランシス・フクヤマが描いた軌道に乗ることは必須だ。我々がどう望もうが、この歴史の趨勢は不可避だ」
約3年前、北京で人民解放軍の制服組と杯を交わした際に耳にした議論を、私は昨日のことのように覚えている。
一方、フクヤマ氏のストーリーはいまだ未完であることも疑いない。
理由はシンプルだ。「共産中国」が崩壊していないからだ。ソ連の後を追っていないからだ。
それどころか、米国発の金融危機、欧州初の債務危機が世界経済をめぐるトラブルメーカーとみなされるようになり、且つ気候変動やテロリズムなどグローバルイシューが台頭する中で、チャイナ・インパクトが益々重んじられ、「中国の協力、関与、リーダーシップなしには世界政治経済システムは機能せず、グローバリゼーションは前進しない」という論調が国際世論の主流になりつつある。
「チャイナモデル」(中国模式)とも言われることのある中国の発展形態に現実味を見出し、そこに魅力を感じ、追随するかのような現象すら途上国を中心に見受けられる。この世紀の事実を最も切実に受け止めているのが、他でもない、アメリカ合衆国である。私はこの事実を渡米して以来、肌で感じている。
「フクヤマは当初の論調に修正を加えている。ソ連のように崩壊するというシナリオでその後の中国をウォッチしていないし、逆に、アメリカの自由民主主義とは異なる中国の体制がなぜここまで続いて、機能しているのか、その源泉はどこにあるのかという部分に多大な好奇心を抱いているようだった」
フクヤマ氏と親交のある中国人学者は、同氏と政治体制をめぐって議論したときのことをこう振り返る。
フクヤマ氏は2011年に『The Origin of Political Order―From Prehuman Times to the French Revolution』(Farrar, Straus and Giroux)を出版した。同書の中では、タイトルの如く、「政治秩序の起源」を歴史的に模索する作業が展開され、「中国の政治体制をめぐって古来脈々と流れるエッセンスは何なのか」という命題を、西側における自由民主主義との比較を通じてなされる検証に多くのページが割かれている。
2012年10月、中国共産党第18党大会直前、即ち習近平氏が総書記の座を胡錦濤氏から受け継ぎ、共産党政権における最高意思決定機関である政治局常務委員の新メンバーが登場する前夜、フクヤマ氏による「政治秩序の起源」の簡体字中国語版が中国大陸で出版された。
フクヤマ氏は『政治秩序の起源』において中国の政治体制に何を見出すのであろうか。その論考は、中国民主化への道にどのようなインプリケーションをもたらすのであろうか。「歴史の終焉」は何処へ……。
次回以降、考察していくことにする。
<加藤嘉一氏の著書>
「逆転思考」(集英社)
「頼れない国でどう生きようか」(PHP新書)[アマゾン][楽天ブックス]
http://diamond.jp/articles/print/35051
【第2回】 2013年4月23日 佐々木融
「インフレ=善」、「デフレ=悪」は本当か?
インフレには3つの種類がある。そのうち、良いインフレはひとつだけ。だが、無理にインフレを起こそうとすれば、良いインフレにつながるとは限らない。そして、仮にインフレに転じることができても、銀行預金程度の資産しか持たない人の暮らしは厳しくなる確率が相当高い。
そもそも、インフレーション(インフレ)とは何だろうか。
簡単にいえば「物価上昇」だ。若干小難しい金融用語辞典などで調べると「通貨膨張による物価の持続的騰貴、その逆数としての貨幣価値の下落」と定義されている。インフレとは物価が上がることだが、物価が上がるとはつまり「お金の価値が下がる」ことも意味している。財布の中にあるお札の価値が下がるのである。なぜか?それは、世の中にお札がたくさん出回るからである。
では、インフレはどのようなプロセスで起こるのだろうか。大きく3つに大別できるが、“良いインフレ”はそのうちひとつしかない。まずは、3つの違いから説明しよう。
第1は、原油価格、食料品価格等が上昇することによって発生する“悪い”インフレである。雇用や所得を増加させないまま、エネルギーや食料品の価格だけ上昇するので、実質的な購買力が低下する。円安によって輸入品の価格が上昇するのも、同じタイプのインフレである。昨年11月以降進んだ円安により、今後は輸入品の価格上昇が予想されるが、これを喜ぶ消費者は少ないであろう。
最悪のインフレはどのように起こるのか?
第2は、お札の価値を引き下げることによって発生する“最悪”のインフレである。インフレはここで挙げる3つのタイプ全てにおいて「お札の価値が下がる」ことを意味するが、この場合は、意図的にお札の価値を下げてインフレを引き起こすケースが想定される。特に、中央銀行と政府が無理にインフレを起こそうとすると、このタイプのインフレが起きる可能性がある。お札の価値の下がり方が急激かつ大幅になりやすいので、ハイパーインフレーションにつながる可能性が高い。今の日本も、そのリスクを排除できない。
このタイプのインフレは、どのようなプロセスを経て起こるのだろうか。
元来、お札の製造原価は1万円札、5000円札、2000円札、1000円札のいずれもそれほど大差はなく、20円前後である。それを、皆さんが1万円札は千円札の10倍の価値があると信じているから、実際に10倍の価値があるかのように使われている。しかし、日本銀行が株や土地、もしくは国債を大量に購入し続ける中で、政府も多額の歳出を行ったとすると、株や土地を保有していた人や、政府の歳出により潤う人たちの預金が急激に増加する。その結果、メリットを受けた人たちが預金を取り崩すことで、市中に流通するお札の量が急増する。世の中に1万円札が氾濫するようになると、所詮は1枚20円程度の紙切れであるから、みながありがたみを感じなくなり、極端にいえば、単なる紙切れ同然となる。これがハイパーインフレである。
第3は、需要が増加することで発生するインフレである。これは“良い”インフレで、日本経済にとって必要なのはこのタイプである。
さまざまな製品やサービスに対する需要が増加すると、企業は製品やサービスをもっと生産・提供するために雇用を増やす。各企業が雇用を増やすようになると、人材を確保するのが難しくなる。そうなると、給料が上がり、需要がさらに増える。この好循環が続くと、企業は製品やサービスの価格を引き上げ始める。
「デフレは悪だ。インフレにしなければならない」と主張する人は、当然このタイプのインフレを想定している。しかし、経済の構造がこれまでと変わらず、需要が増えにくいのであれば、価格の引き上げだけで、需要増→生産増→雇用増→給料増という好循環には繋がらないだろう。下手をすれば、価格の引き上げによって需要が減退するだけで終わってしまう可能性がある。
デフレの間に格差は縮まった
日本ではここ数年(数十年というべきか?)、経済停滞を反転できない問題の根源を「デフレ」であるかのように議論し、「デフレ脱却」が政策の主要テーマに据えられてきた。このため、「インフレ=善」「デフレ=悪」という考え方が一般の間でも定着しつつあるようだ。
しかしこれは、強者の論理ではないだろうか。
緩やかなデフレが続く中で、資産価格が下落し続けた日本の消費者物価指数は、結局は横ばいといえる状況が20年間続いてきた。この間、国民の平均賃金は4%程度上昇している。さらに多くの社会人は勤続年数が長ければ、それなりに昇給しているはずである。つまり、弱者である個人、平均的な労働者にとって、それほど悪い状況ではなかったはずだ。
一方、デフレの間、最悪な思いをしたのは、企業や資産家である。企業は、物価が上昇しなければ収益が伸びず、成長ができない。資産価格や物価が下落するということは、借金をして投資をしても価値が毀損しやすくなる。また、資産家にとっては保有資産の価値がどんどん目減りしてしまう。過去20年間の緩やかなデフレの間に、資産家と普通の労働者の間の格差、つまり貧富の格差は確実に縮まった。
インフレで痛手を受けるのは弱者だ
今後、インフレに転じれば、みなさんが比較的多額の資産を持っている資産家でない限り、今の生活が改善する保証はない。むしろ悪化する可能性のほうが高い。それにも関わらず、日本では強者である企業や資産家が「デフレは悪だ」と言い続けるので、弱者である個人や平均的な労働者まで同じことを言い始めている。もし本当にインフレが起きたら、弱者には非常な痛手となることに気づいているだろうか。
安倍晋三首相からの要請もあって、複数の大手企業が2013年春の労使交渉でボーナス(一時金)の引き上げを決めた。これにより、今年の賃金上昇率が、目標インフレ率の2%と同程度になる企業も出てきたようである。そうした企業に勤務する人は、仮に今年のインフレ率が2%上昇しても当面は今と同じ暮らしができそうだ(よくなるわけではない)。
しかし実際は、ボーナスすら引き上げられない企業のほうが多いだろう。そうした企業に勤務する人は、もしインフレ率が2%上昇すれば、実質的な購買力は2%低下する。むろん、今年のボーナスが引き上げられて、年収が2%以上増えた人も安泰ではない。基本給部分が上昇したわけではないため、来年は年収が下がるリスクもある。こうして、インフレになると経済的な格差が拡大していくのである。
次回は4月24日更新予定です。
http://diamond.jp/articles/print/34922
【第18回】 2013年4月23日 山口揚平 [ブルーマーリンパートナーズ 代表取締役]
お金とは、実体が存在しない
最も純粋な投機である
ゲスト:岩井克人・東京大学名誉教授【前編】
お金とはいったい何か?社会においてどのような役割を果たしていて、私たちはどのようなスタンスで接するべきなのか?『なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?』の著者・山口揚平さんが同著の主題でもあった「お金」について、東京大学経済学部名誉教授で貨幣論の権威である岩井克人さんから、長年の研究と思想の一片を聞き出す。
他の人がお金として受け取ることで、価値が生まれる
山口 先生の一連のご著書はもちろん拝読してきましたが、改めてまず伺いたいのは、「お金とは何か?」というテーマについてです。先生はお金をどういったものであると捉えているのでしょうか?
岩井 お金は交換の一般的媒体です。すべてのモノは基本的にはお金と交換に手に入れることができる。それは、人類が生み出したものの中で最も抽象的な媒体です。多くの人はいま起こっているキャッシュレス化はお金が消える過程と言っていますが、お金の本質を理解していない。そもそもお金はこの世に発生した時点から抽象的なものでした。
山口 具体的には、お金のどういった側面が抽象的なのでしょうか?
岩井克人(いわい・かつひと)1947年生まれ。東京大学経済学部卒業、マサチュセッツ工科大学Ph.D.イェール大学助教授、コウルズ経済研究所上級研究員、プリンストン大学客員准教授、ペンシルバニア大学客員教授、東京大学経済学部教授等を経て、現在、国際基督教大学客員教授、武蔵野大学客員教授、東京財団上席研究員、東京大学名誉教授。著書に、Disequilibrium Dynamics(日経図書文化賞特賞)、『ヴェニスの商人の資本論』、『貨幣論』(サントリー学芸賞)、『二十一世紀の資本主義論』、『資本主義を語る』、『会社はこれからどうなるのか』(小林秀雄賞)、『資本主義から市民主義へ』ほか多数。(写真・住友一俊)
岩井 よく考えると、お金とは非常に不思議な存在です。お金のお金としての価値は、お金のモノとしての価値を必ず上回っています。かつて金本位制の時代には、お金の価値は金のモノとしての価値に支えられていると考えられていました。でも間違えです。なぜなら、もしも「金のお金としての価値」が「金の金としての価値」を下回ったら、誰しもその金を手放さないで、モノとして使うからです。つまりお金として流通しない。金がお金として使われた途端に、「お金のお金としての価値」が金の価値を上回ってしまいます。
山口 それは当然のことですよね。
岩井 言い換えれば、お金の唯一の価値とは、他の人がお金と認識して受け取ってくれることにあると言えるでしょう。つまり、自分が使うからではなく、他の人が受け取ってくれることで価値が生み出されるという性質のものなんです。しかも、また別の人が受け取ってくれると信じているからこそ、その人はお金を受け取るわけです。
山口 言語もそれに近い側面がありますね。
岩井 はい。言語もモノとして捉えた場合は空気の振動であったり、インクのシミにすぎない。だが、それは「意味」をもつことによって、大きな力を発揮する。でも、その意味とは、同じ言語を用いる人たちの誰もが意味として受け取ってくれるから意味でしかない。たとえば、同じ日本人なら「水」という言葉を「水」として理解してもらえる。
山口 お金には、それを発行している国の存在も大きく関わってきますね。
岩井 多くの人は国の信用力や権力によってお金の価値が支えられていると思っています。でもそれも間違いです。第一次世界大戦後にドイツがハイパーインフレ(通貨価値の暴落)に見舞われたように、いくら国がお金を発行しても誰も受け取ってくれなければ、その価値は失墜してしまいます。こうして国の信用力や権力もお金の価値をバックアップできないことに、多くの人がようやく気づきはじめています。
お金はお金として流通するからお金である、という基本原理に、ようやく認識が追いついてきた。その例が電子マネーですが、その原理はお金が生まれた時点からあったということです。突き詰めれば、人間が言語を話し始めて、人間が人間となった頃からその原理は存在しました。
山口 どちらかといえば、僕は実態価値に基づいて判断するファンダメンタリストとしてのスタンスで物事を見ていて、お金は価値と信用を数値化したもので、それらを媒介するものだと考えています。しかし、一方でマネタリストたちは交換価値を非常に重視していますよね。そして、価値と信用を媒介するというお金本来の役割が忘れ去られてしまい、たとえばGDPよりもはるかに多くのマネーが流通するといった状況を招いています。あるいは、各国の中央銀行が無節操に輪転機を回してお金の価値がどんどん希薄化している現象とか、そういった金融政策に関して先生はどのようにお考えでしょうか?
岩井 少なくともこれまでのところ、短期的政策としてはアベノミクスはうまくいっていると思っています。
アベノミクスの真の狙いは、世代間の所得移転にある
山口 人為的に流通量を拡大してお金の価値を希薄化させる権限を、時の権力はあまり行使すべきではない、と考えています。たとえば、貨幣のモラルという観点でも、お年寄りが大事に抱えてきた現金の価値を希薄化させることは問題がありそうで、非常に判断が難しいとの思うのですが、その点はいかがでしょうか?
岩井 アベノミクスの真の狙いが、お年寄りから若い世代への所得移転を促すことにあるというのは正しい。そして、わたしはすでに年寄り世代ですが、それは望ましいことだと考えています。
そもそも、資本主義と金融は密接な関係にあります。資本主義とは、アイデアを利潤に転化する仕組みです。多くの場合、若い人はアイデアを持っているものの、お金がありません。一方で、多くの年寄りは、お金はあるけれどアイデアがない。金融が両者を仲介することでアイデアが新しいビジネスとなり、新しいイノベーションを起こすきっかけともなっていくわけです。
山口 金融を介してタスキがつながれていくわけですね。
岩井 アベノミクスの話に戻ると、デフレとはお金の価値がモノの価値に比べて上昇することです。だから、アイデアはなくてお金だけがある人や企業がお金を手放さないので、なかなか利潤が生み出されません。
そこで、金融緩和を進めて若干インフレ気味にすることによって、お金を持っているだけでは損をする状況にしようとしている。「それなら、誰かに貸したほうがいい」と思う人が増えてくる。インフレ期待が高まれば、将来的に高い値段で売れる可能性が出てくるので、アイデアを持っている人がそれを商品・サービスに実現化するインセンティブが高まってきます。その結果として投資が促進されて景気が刺激されていくという好循環が期待されるわけです。
もちろん、それが行きすぎるとハイパーインフレを引き起こしかねませんが……。でも、一国内のハイパーインフレは、先進国であれば制御可能です。
山口 お金を抱え込んだまま動かない人の背中を押そうとしているわけですね。ただ、僕が心配しているのは、それに伴ってお金そのものに対する信用が損なわれることです。先生が指摘する効果が期待できる一方で、それがとどまるところを知らなければ、いつか大量にばらまかれたお金のことを誰も信用しなくなってしまう。その分岐点は。いったいどこになるのでしょうか?
岩井 なそれがマクロ経済学において最も重要ポイントの1つですね。デフレは基本的に悪です。これに対し、緩やかなインフレは先程述べたように経済にはプラスの作用をもたらします。ところが、その一方で常にインフレはお金の価値を低下させてしまいます。
山口 そこがネックになってくるわけですよね。
岩井 先程の言語の話に戻って考えてみましょう。
自己循環論法的にいえば、言語はほかの人も言語として用いているから言語なのであって、人が言語を覚えるのは、その言語が将来的にも使われ続けることに無意識のうちに賭けているわけです。お金にも同様の原理が働いて、お金とはすべての人がお金として受け取るからお金なのです。同じ貨幣を使い続けるという行為は、実は、将来に対する投機にほかならないのです。
しかも、通常の意味での投機の対象は、株式や商品先物や金融派生商品に至るまで、どこかで必ず実体的な生産活動や消費活動に結びついている。たとえば原油の先物取引にしても、最終的にはその実需に左右されていくわけですし、派生商品であっても例外ではありません。ところが、お金の場合は、どこにもこうした実体が存在しない。誰もお金を食べるためや見るために使うわけではなく、常にほかの人に渡すために使うわけです。つまり、お金とは最も純粋な投機なのです。
(後編に続く)
【第83回】 2013年4月23日 出口治明 [ライフネット生命保険(株)代表取締役社長]
女性・若者に焦点をあてた
アベノミクス成長戦略第1弾を評価する
安倍首相は4月19日、日本記者クラブで「成長戦略スピーチ」を行った。金融緩和・財政出動に次ぐ3本目の矢(成長戦略)の第1弾が放たれたことになる。
成長戦略の中核は「女性の活躍」
まず、首相スピーチの内容を見てみよう。その骨子は概ね以下の通りである。
●成長戦略の3つのキーワード
・「挑戦:チャレンジ」
・「海外展開:オープン」
・「創造:イノベーション」
●「健康長寿社会」から創造される成長産業
「規制・制度改革」再生医療・創薬が1つの鍵
「日本版NIH:国立衛生研究所」
医療研究開発の司令塔を創設し、難病対策を加速
●全員参加の成長戦略
「失業なき労働移動」
労働移動支援。財成金の大幅増。トライアル雇用制度の拡充。
●世界に勝てる若者
「公務員試験に生きた英語を必須化」
「就職活動を後ろ倒し」
3年生の3月(春休み)から広報活動開始、
留学生が帰国した8月から採用選考活動。
●女性が輝く日本(成長戦略の中核は「女性の活躍」)
「役員に1人は女性を登用」
「待機児童解消加速化プラン」
横浜方式の全国横展開。今後2年間で20万人分の保育の受け皿を設備。
さらに2017年度末までに20万人増を図り、待機児童ゼロを目指す
(従来の国の計画を2年間前倒し)
「3年間抱っこし放題での職場復帰支援」
3年育休の推進を経済3団体に要請。助成金や「学び直し」プログラムも。
「子育て後の再就職・起業支援」
なお、スピーチ全文は、首相官邸のホームページで読めるので、ぜひ一読してほしい。
私見では、3つのキーワードを始めとして、成長戦略第1弾は、正しい方向に放たれたのではないかと思われる。とりわけ女性・若者に焦点を当てたことは高く評価したい。
具体策の中身にもう少し
踏み込んでも良かったのではないか
首相がスピーチの中で繰り返し強調したのは、女性の活躍は成長戦略の中核をなす、という考え方である。首相は具体的に、こう述べている。
『優秀な人材には、どんどん活躍してもらう社会を作る。そのことが、社会全体の生産性を押し上げます。現在、最も活かしきれていない人材とは何か。それは、「女性」です。女性の活躍は、しばしば、社会政策の文脈で語られがちです。しかし、私は、違います。「成長戦略」の中核をなすものであると考えています。女性の中に眠る高い能力を、十二分に開花させていただくことが、閉塞感の漂う日本を、再び成長軌道に乗せる原動力だ、と確信しています。』
この認識に異論を唱える人は恐らくいないだろう。
ところで、女性の活躍と言えば、フランスのシラク3原則が脳裏に浮かぶ。
1.子どもを持つことによって新たな経済的負担が生じないようにする
2.無料の保育所を完備する
3.3年後に女性が職場復帰するときは、その3年間、ずっと勤務していたものと見なし、企業は受け入れなくてはいけない
このシラク3原則と首相スピーチを比べて見ると、次のような違いがある。
●スピーチでは、1に言及されていない。もっとも、好意的に解釈すれば、今回は子育てではなく女性の活躍に焦点を当てたものであるので、子育ての問題は第2弾以降に語られるのかもしれないが。
●2は、まだスピードが遅いのでは、という気持ちが無い訳ではないが、わが国の自治体の現状等を勘案すれば、スピーチは現実的なプランかもしれない。
●3は、強制力を持つフランスの方がはるかに強い。安倍内閣は世論の高い支持を受けているのだから、ここはもっと強く踏み込んでほしかった気がする。同様に、女性役員の登用についても、ヨーロッパのクオーター制に比べれば、まだまだ改善の余地がある。
同様のことは、「世界に勝てる若者」についても言える。『将来のわが国を担う若者たちには、もっと能力を伸ばしてもらわねばなりません。(中略)国際的な大競争時代にあって、求められているのは「国際人材」です。今、必要なのは、「世界に勝てる若者」なのです。』という首相の認識は正しいと考える。『世界との大競争時代に、日本の将来を担う若者が、目の前の就職活動にとらわれ、内向きで能力を伸ばす機会を失うのは、看過できません』と、ここまで真っ当な現状認識を持つ首相が、どうして「3年生まで学業に集中」するだけで満足できるのだろうか。ロジカルに考えれば、「学生の間は学業に集中して、卒業後に就活を」という結論に当然なるはずだと考えるが、どうか。
第2弾、第3弾に期待
その他、首相スピーチで少し気になったのは、痛みを伴う構造改革や規制緩和に触れた部分が少なかったことでもある。もっとも、新聞報道によれば、首相は参院選までに少なくともあと2回は新たな成長戦略を打ち出す考えだと伝えられているので、成長戦略第2弾、第3弾に期待したい。少なくとも農業改革やエネルギー政策、社会保障と税の一体改革等、喫緊の政策課題について、成長戦略の文脈で政府の考え方を詳らかにしてほしいと考える。加えて、長期的な課題である人口を増やす政策についても、同様である。
顧みれば、バブル崩壊以降のわが国の政治・経済情勢の中で、今ほど、景況感も上向きで市場や市民の政権支持率も高い時期は、数えるほどしかなかったと記憶する。骨太の構造改革を断行する好機は、今をおいてはないのではないか。
(文中意見に係る部分はすべて筆者の個人的見解である。)
http://diamond.jp/articles/print/35057
【第122回】 2013年4月23日 小川 たまか [編集・ライター/プレスラボ取締役]
主婦たちの財布の紐はゆるみがち?
予算は多いのに外出に消極的な今年のGW
今週末からいよいよゴールデンウィーク(GW)に突入する。4月30日、5月1日、2日の平日に、3日間の有給を取って10連休にする人も多いのではないだろうか。アベノミクスの影響か、昨年よりもGWにかける金額が増加傾向だという調査結果もある。
昨年より「GW予算増」と
答えた主婦は25.3%
ネオマーケティングが既婚女性400人を対象に行った調査(※1)によると、GWに使う予算は、子どもがいる家庭、いない家庭どちらも「5万円以上」と答えた人が最も多かった。お出かけ予算については昨年と変わらないと答えた人が最も多かったが、昨年より「増えた」と答えた人は25.3%で、「減った」と答えた人(9.3%)を2倍以上も上回った。また、子どもがいない人より、いる人の方が「増えた」と答えた割合がやや多かった。
今年のGWのお出かけに使う予算は昨年に比べて増えた?減った?
ただし、リサーチバンクが20代〜50代までのビジネスパーソン1200人(性別・年代ごとに各150人)に行った調査(※2)では、この傾向は見られない。GWに使う費用が昨年より多い予定と答えた人は15.4%で、少ないと答えた人は14.7%。これは、昨年に行った同調査とほぼ同じ数値だった。
とはいえ、ネオマーケティングが行った調査は家計を握る主婦が対象。お父さんはまだ知らなくても、昨年より少し贅沢なGWが計画されている家もあるのかもしれない。
(※1) 調査期間は2013年4月5日〜9日。首都圏在住のゴールデンウィークに出かける予定がある既婚女性、20歳〜49歳の400人(子どもがいる人200人、いない人200人)にWEB調査。
(※2) 調査期間は2013年4月4日〜10日。調査対象は20〜50代までの会社員・公務員の男女1200人(各年代・性別均等)。
予定ナシ派も20%以上
聞いてみたい「理想のGW」
リサーチバンクが行った調査では、GWに休暇がある人(1200人中1001人)に複数回答で休暇中の予定を聞いている。これによると、ベスト3は「自宅でゆっくり過ごす」(33.7%)、「外食をする」(24.2%)、「特に予定はない」(24.0%)という、外出にはやや消極的とも言える結果に。「海外旅行」と答えた人は、2%台だった2011年・2012年調査より少ない1.9%。これは海外旅行先で邦人の巻き込まれる事件・事故が今年に入ってから連続して起こったことも影響しているのかもしれない。
Yahoo!ニュースクリックリサーチが行っている「あなたのGWの予定は?」(調査期間4月19日〜29日)を聞いた意識調査でも、4月21日の時点ではGWに「家で過ごす」「まだ予定が決まっていない」「仕事」と答えている人が目立って多い。
リサーチバンクの調査では、こんなコメントが紹介されている。
「ゴールデンウィークは会社で出勤日に当たる日はなるべく働くようにしています。休日手当がつくし、電車も朝はすいているし、いつもよりもオフィスも静かで仕事がはかどるし、いうことなし!人が休んでいるときに働いて、人が働いているときに休むのが、私のこれまでのゴールデンウィークの快適な過ごし方です」(40代女性)
「寒い季節に大掃除はしたくないので、うちはGWに台所を大掃除する。長い休みほど先送りになって、最終日に換気扇を分解していることが多い」(50代女性)
「一昨年までは、カレンダーと関係なく勤務していました。転職したての去年は、ついうっかりGWの存在を忘れていて、何も予約しなかったので旅行に行けませんでした。今年こそはしっかり予定を立てて遊ぶぞー!」(30代女性)
過ごし方はさまざまだが、終わってしまえばあっという間のGW。実際の予定だけではなく、「理想の過ごし方」も聞いてみたいと感じた調査だった。
(プレスラボ 小川たまか)
http://diamond.jp/articles/print/35056
【第85回】 2013年4月23日 竹井善昭 [ソーシャルビジネス・プランナー&CSRコンサルタント/株式会社ソーシャルプランニング代表]
ニッポン女子の動向をウォッチせよ! 「女子力」が景気回復と社会貢献ブームの起爆剤になる
なんだか景気が良くなっている。そう感じている人も多いだろう。もちろん、アベノミクス効果で円安・株高だとか、百貨店の売り上げが好調で、といったような誰でもわかる客観的な数字によって景気の上昇を判断している人も多いだろうが、もっと定性的というか、世の中の「気分」として、景気は回復している。あるいはバブルに向かっている。そう感じている人も多いと思う。
もちろん、経済は最終的にはすべてが数字で現れるわけで、景気の良し悪しも数字で判断すべきものだが、数字というものは「結果」でしかないので、世の中の「気」がどちらに向いているのか、日本の経済活動全体がどちらに向かっているかを知るためには、数字には現れない「気の流れ」、生活者の「気分」のようなものを理解する必要がある。
そういった定性的なデータとして昔から言われているものに「タクシーの運転手」の話がある。彼らが「最近は景気がいい」、つまり客足がいいと言うときは世の中の景気も良くなっているという話である。これはこれで、ひとつのわかりやすい景気インジケーターではあるのだが、ハッキリ言ってタクシー運転手が「景気がいい」と感じる頃には、すでに世の中は好景気になっている。
つまり、タクシーの運転手インジケーターは結果論であり、株価の上昇より遅いので、「いまの景況感が正しいかどうか」を確認するためには使えるが、「これから」を知るためには適切ではないし、2〜3年くらいのスパンでの景気動向を予測するにも足りない。ビジネス・パーソンが景気について知りたいのは、やはりこれからどうなるかだろう。実はそのための予測インジケーターというものはある。『女子力』である。
「女子力」と景気の相関関係
景気は女子力に比例する。女子力とは何かについては、はてなキーワードでは、「女性の、メイク、ファッション、センスに対するモチベーション、レベルなどを指す言葉」と定義しているが、筆者もほぼ同義として考えている。そして、この女子力の高さと景気は相関関係にあるのだ。世の中の女性の女子力が高い時代は景気も良くなり、低いと悪くなる。相関関係は必ずしも原因と結果の関係にはならないし、女性が女子力を高めただけで、GDPが約500兆円と言われる日本の経済全体が上向くわけもない。しかし、それでも定性的な指標としては、やはり使えると思うのだ。
景気が上向けば女性の経済力が上がり、ファッションなどへのモチベーションも上がるのは当然ではないかと思うかもしれないが、そうではない。基本的に女子力は景気の上昇に先行する。景気が良くなったから、ファッションへの関心が高まるのではなく、景気に先行して関心が高まる傾向があるのだ。
その端的な例が80年代バブルだろう。バブル時代の女性の象徴と言えばワンレン・ボディコンだが、その流行は80年代前半から始まっていた。日本におけるボディコンの先駆者とも言えるジュンコ・シマダが大人気だったのが83年、84年頃、そして85年頃にボディコンの代名詞となるピンキー&ダイアンが大ブレイクする。バブル景気の到来はその1年後の86年からだ。
日本の「女子力」に
大きな陰りが見えた時代も
ちなみに、日本経済が最も危機的な状態に陥ったのは、90年代後半の頃だろう。山一証券と拓銀の破綻が97年。長銀の破綻が98年だが、この頃、女子大生の女子力も急激に低下していた。ある意味で、女子力を最も開花させるべき世代である女子大生が、オシャレに関心を持たなくなった時代である。ジーンズにフリースを着てればOKといった感じで、当時の女子大生から色気というものがどんどん失われていた。
フリースがダサいとは言わないが、安くて暖かいというだけの理由で多くの女子大生がフリースを着るという状況は、やはり女子力が低下していたと言えるだろう。ハッキリ言って、ジーンズにフリースの女子大生とは、男は金をかけたデートをしようとは思わないのだ。
その頃、女子力低下の象徴的な出来事を僕は目の当たりにしている。たしか、97年か98年のクリスマス・イブの夜だったと思う。当時、僕も妻も仕事が忙しくて、イブの夜の予定が立てられず、レストランの予約もできなかった。しかし当日、運良く僕も妻も仕事が片付き、イブの夜を家族で過ごすことができることになった。しかし、バブル世代の僕らは、「イブの夜には小洒落たレストランはどこも予約で満席で、飛び込みで食事できるはずがない」と考え、「ラーメン屋なら空いているだろう」と考え、まだ小学生だった娘を連れて親子3人でラーメンを食べに行った。ところが、店に入るとそこには大学生と思われるカップルが3組も(!)いたのである。
イブの夜にラーメンを食べて悪い理由はないし、事実、僕ら家族もラーメン屋に行ったわけだが、若いカップルがイブの夜にラーメン屋で当たり前のようにデートしている(しかも何組も!)という光景はやはり大きなカルチャー・ショックだった。世代による価値観の違いと言ってしまえばそれまでだが、この頃の女子大生の女子力が大きく低下していたことの事例であると言えるだろう。考えてみれば、この頃からバレンタイン・デーも大きく盛り下がり、義理チョコなるものも廃れてきたように思えるが、ともあれ、この頃は日本経済に暗雲が立ちこめ、日本の女子の女子力にも大きな陰りが見えていたわけだ。
そして時代は21世紀に入り、徐々に日本の女子力は回復していく。2004年頃からだったと記憶しているが、モデルの蛯原友里が人気を集め出した頃から女子大生の女子力がみるみると回復していった。いわゆる小泉景気の時代だが、経済的にはその後、2008年のリーマン・ショックで大きな打撃を受けるものの、日本の女子力は衰えを見せず、どんどんアップしていく。はてなキーワードのデータに拠れば、『女子力』のネットでの「言及ランキング」は2009年から2010年にかけて微増し、その後はほぼ横ばい。PVランキングも同様だ。これはつまり、リーマン・ショック後も『女子力』に対する関心は高まり、現在はほぼ定着しているということが言える。
出典:はてなキーワード「ランキング」より
日本オリジナルの「女子」という存在
ところで、日本の「女子」というのは世界的に見ると、特殊な存在で独特なものだ。「女子」を意味する英語はない。「女子」=「Girl」ではない。なにしろ日本には「60代女子」という女性も存在する(実際に僕は、深夜のコンビニで60代女子とおぼしき女性を目撃したことがある)。英語で「a girl in the sixties」という言い方は成り立たないはずだが、日本語では「60代女子」という言い方は成立する。もちろん、「30代女子」「40代女子」も存在する。
手前味噌で恐縮だが、僕の妻で家族問題評論家の池内ひろ美も、代表的な「50代女子」である。40代女子や50代女子は、いわゆる美魔女とは違う。女子とは、外見のことではなく、中身が「女子」ということである。40代、50代の女子が、外面的に若くて美しいのは結果にすぎない。
池内ひろ美
http://ikeuchi.com
50代女子を代表する働く女性、一女の母。家族問題評論家。30冊の著作があり、テレビ出演、全国各地での講演活動を行う。50歳で女優デビューし、今年3月に新国立劇場の舞台「国家」に出演。桓武天皇の義弟の母(井上内親王)役。金子修介監督の最新作「百年の時計」にも主人公の母親役として出演。5月25日(土)よりテアトル新宿、6月15日(土)よりテアトル梅田ほか全国順次公開。http://www.100watch.net
彼女たち女子は新しいことを怖がらない。ちなみに、妻の池内ひろ美は評論家としてのポジションを確立させているにもかかわらず、50歳を超えて女優になることを決意した。実際、この3月には新国立劇場の舞台にも立ち、平成ガメラ・シリーズや「デス・ノート」の金子修介監督の映画「百年の時計」(2013年5月全国公開予定)にも出演している。
このように、年齢を無視した(超越した)人生に対する積極性、能動性、つまり、精神的な若さを持ち続けている女性が「女子」なのだが、いまの日本は、20代から60代まで、このような「女子」が大幅に増殖している時代なのである。言葉を換えれば、日本女性の女子力が大きくアップしているわけで、これにアベノミクスの効果が加わり、バブルの予感を醸し出しているというわけである。
実際、恵比寿や渋谷あたりのカフェに行けば、女子力の高い20代女子で溢れかえっており、その活況ぶりはバブル時代を彷彿とさせる。最近の若者はミニマル消費と言われ、節約志向、お金を使わないと言われ続けてきたにもかかわらず、若い女子たちのなかには、スタバなら一杯300円(shortサイズ)で飲めるコーヒーを、カフェ・ラウンジで600円払って飲む時代になっているのである。
「女子力」が社会貢献の起爆剤に
さて、このような女子力の高まりが、社会貢献とどう関係があるのか。実は、日本の社会貢献シーンを大きく活性化するキーワードが、この『女子力』ではないかと筆者は思っている。
というのも、ブームだと言われて久しい社会貢献が、実はいまいちブレイクしきれてないという実情があった。しかし、ブレイクしないのは起爆剤がなかったから。エネルギーは高まっているものの爆発しないため、多くの人を巻き込むだけのパワーが発揮できないという状態。それがいまの日本の社会貢献シーンだろう。
だからこそ起爆剤が必要だ。『女子力』は、その十分な起爆剤になると思っている。なぜか。理由はシンプルで、いつの時代も女子力が高い女性は、マーケット・リーダーになりえるからだ。特にいまの20代、30代女性は、オシャレへの関心だけでなく、社会貢献への関心も高い。これがバブル女子との最大の違いである。
バブル世代のオヤジどもはいまだに誤解しているようだが、いまの20代女子にバブル時代の極め技は通用しない。ジャガーやベンツに乗っているからといって、ホイホイとドライブ・デートにつきあってくれるわけでもないし、そもそもドライブ・デートしたいとも思っていない。狙った女子大生を落とすためにデートの度に高価なブランド物をプレゼントしていたら、それが理由で嫌われたオヤジもいる。高級ホテルのスイートルームより、オシャレなカフェ・ラウンジでのデートのほうを好む。金をかければ落ちるというものではないのだ。いまの若い女子は。
その一方で、社会貢献をテーマに若い女子と仲良くなることもできる。自慢ではないが、僕のiPhoneにはミス・キャンパスの女の子の携帯番号とメアドが5人分、入っている。まあ、携帯番号やメアドを教えてくれたからといって、それで深い関係になれるわけでもないのだが、お茶くらいはしてくれる(かもしれない)。なにゆえに50歳を超えたオヤジに女子大生が携帯番号を教えてくれるかというと、彼女たちと僕の間には、社会貢献という共通の価値観があるからだ(それだけしかないのが残念だが)。
というわけで、女子力と社会貢献には、一見なんの関係もないはずなのだが、女子力と併せて社会貢献意識ともに高い女子が増えていることは事実である。そして今後、アベノミクスによってお金が溢れることも既定路線である。あとはこの状況をどう活かして、社会貢献を大きなムーブメントにしていくか――社会セクターや企業のCSR担当者などの社会貢献業界の人間には、いまそれが問われている。
なんだかんだ言っても社会に大きなインパクトを与えるためには、大きな資金も必要。つまり、世界を変えるためには、強い経済力の背景が要る。お金が余ると同時に、ラグジュアリー・ブランドよりも社会貢献に関心のある女子が増えているいまだからこそ、社会貢献を志す人間はこのチャンスを活かさずして世界を変えることなどできないだろうし、その自覚を持つべきだろう。自戒を込めて、そう思う。
http://diamond.jp/articles/print/35055
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。