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イスラムこそ1000年以上にわたって世界史の中枢であった。その絢爛豪華さは中国すら及ばす、ゲルマン人は…/小室直樹
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/336.html
投稿者 仁王像 日時 2016 年 1 月 13 日 20:01:05: jdZgmZ21Prm8E kG2JpJGc
 

「日本人のためのイスラム原論」小室直樹/インターナショナル‘02年 (はじめに)から抜粋

≪はじめに≫
 イスラム世界の本質は、比較宗教社会学的にイスラム教を研究して、はじめて明らかにされるであろう。イスラム世界とは、イスラム教を奉じる社会だからである。
 イスラム教では、宗教とは法である。
 では、法とは何か。
 法とは神との契約である。神との契約は宗教の戒律であり、社会の規範であり、国の法律である。この四つがまったく一致するのが宗教の理想であり、イスラム教はまさにそのとおりである。
 イスラムの信者にとって、法を守ることは、そのまま神を信じることにつながる。法を守ることによって、ムスリムは容易に安心立命の境地に達する。
 しかるにキリスト教には法もなければ、規範もまた存在しない。このような宗教において、信者が神を信じるには、絶大な努力を要するのである。
 また、イスラム教とキリスト教とは、同じ一神教であっても天地雲壌の違いがある。
 また、イスラム教はキリスト教と違って、原罪論およびイエスの贖罪による人間の救済、三位一体説、予定説、神の母マリアなどの奇態きわまりない教説を持たない。
 イスラムでは教えのエッセンスが「法を守れ」に縮約され、理解を絶するような教義は、一つもない。誰にでも至極分かりやすい。

 イスラム教が沖天の勢いで広まっていったのは、まさに当然すぎるほど当然のことであった。
 マホメットの死後100年ほどで、イスラム帝国は全盛期のローマ帝国より広大な領域を支配した。この大帝国においてイスラムは被占領地の住民を和合し、同化し、その都であったバグダートは世界経済の中心となって繁栄をきわめた。生産力は進歩し、富は蓄えられ、貨幣経済も伸展をきわめた。
 イスラムこそ1000年以上にわたって世界史の中枢であった。その絢爛豪華さは中国すら及ばず、同時代のヨーロッパに至っては、ゲルマン人はいまだ汚い野蛮人であった。
 大航海時代、ルネッサンスを契機として、ヨーロッパは近代へ向けて発進することになるが、いずれもイスラムの文化的指導がなければありえなかった。世界がイスラムに負うのは、アラビア数字だけではない。代数学、天文学、化学はもとより、ギリシャ、ローマの思想研究もまたアラブを母体とする。
 このことを欧米人がすっかり忘れてしまっている忘恩こそが、イスラムと欧米の紛争の原因なのである。  

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コメント
 
1. 中川隆[1149] koaQ7Jey 2016年1月13日 20:44:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[850]

イスラム教は典型的なカルトです。

宗教だと思わない方がいいです。

カルト信者の特徴は批判に対しては一切聞く耳を持たないことですね。

イスラム教に一番近いのはこれ:

新興宗教「神の子どもたち」
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/181.html

___


ムハンマドは元々多神教だったアラビアの宗教を改造して、多神教の最高神で月の神のアッラーフを唯一神として崇拝する宗教に作り変えただけ。

ギリシア神話でゼウスだけを抜き出して拝んでいるのと全く同じ。

神道で天照大神だけを抜き出して拝んでいるのと全く同じ。

当時のアラビア半島にはユダヤ教徒やキリスト教徒もいた。

多神教時代のカアバ神殿にはキリストやマリアの像も祭られていたくらい。

文字もロクに読めない文盲のムハンマドがユダヤ教徒やキリスト教徒からユダヤ教やキリスト教の知識を聞きかじりで覚えた。

ムハンマドはそうやって聞きかじりで覚えた、いい加減なユダヤ教やキリスト教の知識を混ぜてイスラム教という宗教をでっち上げた。

イスラム教にユダヤ教やキリスト教の知識を混ぜ込むことで、あたかもイスラム教がユダヤ教やキリスト教と同系統の宗教であるかのように偽装している。

アッラーフとヤハウェが同じ神だなんてことはクルアーンにすら書かれていない全くのでっち上げの俗説。

マホメットの聖書知識は不正確だった

マホメットの聖書知識は、かなり後期に至るまで不正確で、しばしば曲解に基づく知識が見受けられました。

マホメットは、イエスの母マリヤを「アロンの姉」と呼んでいます。

これはマリヤを、預言者モーセの兄アロンの姉であった「ミリアム」と混同したものです(『コーラン』第19章28節)。

「マリヤ」と「ミリアム」は同じ名であるため、勘違いをしたのでしょう。

アブラハムの父は「テラ」であるのに「アザル」としてみたり(『コーラン』第6章74節) 。

イスラエルの民がシナイ山のふもとで子牛の黄金像を造り悪行をなしたときの主人公は「アロン」であるのに、「サマリヤ人」であると誤解したりしています(『コーラン』第20章85節) 。


マホメットは聖書の「三位一体」を、「神・マリヤ・イエスの三者」と誤解していたようです。

『コーラン』日本語訳の翻訳者として知られる関西大学の藤本勝次教授は、こう述べています。

「マホメットはどうやら、正統派キリスト教の三位一体論を、神とマリヤとイエスの三者と誤解していたようである」(中公新書『マホメット』136ページ) 。

マホメットは、三位一体論を批判してこう言いました。

「啓典の民(イスラエル) よ。・・・
神について真理でないことを一言も言ってはならない。
メシヤこと、マリヤの子イエスはただの神の使徒である・・・。
けっして『三者』などと言ってはならない。
・・・神は唯一なる神。神に子どもがあってよいものか」
(『コーラン』第4章171節) 。


「『まことに神は三者のうちのお一人』などと言う人々は、すでに背信者である。唯一なる神のほかに、いかなる神もない。

・・・マリヤの子イエスは、ただの使徒にすぎない。・・・
また彼の母は、誠実な女であったにすぎない。
両人とも食べ物を食べていたのである」
(『コーラン』第5章73、75節) 。


14 : 名無しさん@お腹いっぱい。2015/12/10(木) 05:35:58.98 ID:Vx+EZ8ky

キリスト教は、カトリックから、マルチン・ルターらの宗教改革によって新教や清教徒(ピューリタン)等メソジスト、バブテストやオーソドクス正教徒等に分派して行き
時代に対応していった。

勿論、新教の中にも米国でもネオ・コンサーバテイブと呼ばれる原理主義者がいて、恐竜とアダムとイブが同時代に住んでいたとか とんでもな人たちがいるのも事実である。

仏教もまた然り、
大乗仏教、小乗仏教と分派して時代や地域に対応して改革を行ってきた。


然るにイスラム教の場合は、シーア派、スンナ派と分派しても単なる本家、宗家争いに過ぎない。

この一千年の間、なんら時代に即応して改革してこなかったし、コーランは一字一句変わってない。

そういう時代遅れの「老害」宗教なのである。

コーランの教えの殆どは千年前の砂漠土人に対する生活習慣と規律に過ぎないのだ。

なんでイスラム教徒が

「ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は同じ神を信仰している」

とか

「ユダヤ教とキリスト教とイスラム教はアブラハムの宗教だ」

とか大嘘を付くかって言うと、イスラム教徒としてはイスラム 対 他の宗教って構図になると困るんだよ。

多神教の神道信者のふりをして「一神教は全て危険」みたいなことをいうのもイスラム教徒の工作活動に含まれる。

一神教 対 多神教 って構図にしてしまえば、イスラムを攻撃できないって姑息な計算なんだよ。

アメリカとかロシアも一神教世界に含まれるから、アメリカとかロシアをわざわざ敵に回したくないと普通は思うからね。

こういう狡猾さがイスラムにはある。

「ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は同じ神を信仰している」

とか

「ユダヤ教とキリスト教とイスラム教はアブラハムの宗教だ」

とか大嘘をつく一方で、イスラム教徒はイスラエルを持ち出してユダヤ教を攻撃し、十字軍を持ち出してキリスト教を攻撃している。

クルアーン自体にもユダヤ教やキリスト教を貶めるような記述だったらいくらでもある。

「宗教は全て危険」とか「一神教は全て危険」とかいうのはイスラム教の異常性をごまかすためによく使われる手口。

人類の敵であるイスラム教をこの地球上から完全に撲滅したあとで、他の宗教を問題視すれば済む話。


___

イスラム教が最悪・最低のインチキ宗教であることに間違いはありません。

キリスト教や仏教は基本的に人倫道徳であって、人間としての正しい生き方の教えです。
それ故、キリスト教欧州諸国は発展しました。

それに対してアラビアなどの西南アジアにはゾロアスター教のような原始的な宗教しかなく、アラビア諸国はヨーロッパ国家に押され気味だったのです。

さぁ、そういうアラビアに救世主として登場したのが商人マホメットでした。

マホメットは、商人でした、

需要のある客たちにその品物を届ける(売りつける)のが商人の仕事だ。

マホメットは神アッラーの啓示を受けたと称して「コーラン」を書きイスラム教を作ったのです。

その「コーラン」の内容は、唯一の神アッラーのもとに (アラビアの)人々が絶対信仰・絶対服従の元に結集して、キリスト教ヨーロッパの圧迫を跳ね返す、

そのためにはイスラム教の聖戦のために「片手にコーランを、もう片手には剣を持って戦う」、

その聖戦で亡くなったとしてもイスラムの聖戦戦士は直ちに神アッラーの天国に召されて永遠に生きる、


という内容なのです。

思想とか倫理とか宗教とかいったものとしては、マホメ ットのイスラム教なるものは、日本の靖国神社(自爆攻 撃の特攻隊で名誉の戦死をしたら、靖国神社で英霊として永遠に生きる)式の、非常に原始的でお粗末なシロモノです。

しかし、アラビアの商人マホメットは、ヨーロッパに押され気味だった西南アジアには、そういうものこそが需要があるとして商品提供したわけです。

才覚ある商人は、お客たちの要望に応じてどんなインチ キ商品でも提供する。

マホメットが思ったとおり、西南アジアの人々は、イスラム教・「コーラン」に飛び付いたのです。

こういう邪教は、こういう邪教なるが故に、なかなか廃れることはないと思います。馬鹿たちには、解りやすくて簡単に受け入れ可能なわけだから。


2. 中川隆[1151] koaQ7Jey 2016年1月14日 07:55:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[853]

「イスラム国のやっている事はイスラム教徒じゃない!」

って話もあるけど、

昔、預言者ムハンマドが行っていたことを、今現在、最も忠実に再現して行っているのが、イスラム国だと思う。

「アッラーアクバル!」言いながら、 異教徒に対しての、シャバ代強要、略奪、奴隷売買、誘拐人質、身代金要求、用が済んだら首チョンパ、

イスラム国が今やっているこれらのことは全部、千数百年前の中東で、予言者ムハンマドがやっていたのと、まるっきり同じこと。

(違いは、使っている武器の種類が高性能になったという、ただそれだけ。)

だからISの連中が、

「自分たちは飽くまでムハンマドに忠実に従っているだけだ。」

って言っているのは、こじつけでもなんでもなくて、本当の話。

マレーシア人を見て、

「この人たちはムスリムだけどこの国はまあまあ平和だから、イスラム教は別に悪い宗教ではないんだ!」

という希望を持って、イスラム教についていろいろ質問してみたら、

一日5回の参拝の時刻は覚えてない、
こっそり彼女作ってる、
たまにモスクに行くだけ

であまり真面目なムスリムでは無いことがわかった。

女子の友達は、布で肌さえ覆ってなかったり、プレイガールだったり、「マジムスリムやめたい」みたいな人たちばかりで、信仰心の薄さに衝撃を受けた。

よく、

「テロを起こしてる奴らと自分たちは全くの別物」

って言うけど、テロ起こしてる人たちの方が、コーランやムハンマドの教えを無視して好き勝手にやってる人たち’と一緒にされたくないと感じてると思う。

たぶんだけど、マレーシアみたいなイスラム教国家だけど平和な国は、国民の信仰心が薄い国だと思う。

もしもマレーシアにいるムスリムたちが全員コーランに従い始めたらあそこもテロ国家になるよ。

まあ、50過ぎの金持ち婆のツバメに30でなったマホメットが
商いの手段に始めたヒット宗教だからな〜。

売春を禁止しながら、7人の売春婦を妻にしたマホメットを信じている奴らって目出度いよな。

上記の真実を指摘したラシディをつけ狙らい、 翻訳者を暗殺したバカ宗教♪

_____

114 : 名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/25(土) 21:23:29 ID:???

バッカじゃないの、おまえらカーフィルはどうしてイスラームの偉大さを
理解しないのか?

いいか、猿以下の頭脳しかないカーフィルにもわかるように真実の宗教

イスラームの美徳を教えてやる


まずイスラームに入信すれば、慈悲深く慈愛遍きアッラーフのお定めになった聖法に従い、4人まで妻が持て、また女奴隷をいくらでも所有することができる

さらにだ、イスラームでは9歳の女の子(小学校3年生)との結婚・セックスも合法だ。

預言者ムハンマド(彼の上に平安あれ)も、9歳の少女アーイシャと結婚し、性行為を遂行された。

またイスラームに入信すれば、天国でうまい酒や食い物も飲み放題食い放題、一人当たり72人の専属美少女がつき、セックスし放題。

彼女たちは永遠の処女で、貞淑でやさしい最高の女の子たちだ。

どうだ?馬鹿なカーフィルにも、イスラームの偉大さがよく理解出来たろ?

125 : 名無しさん@お腹いっぱい。2009/12/01(火) 07:57:28 ID:???
>>114
イスラム教って男の願望を叶える都合のいい宗教なんだね
宗教自体が男のもんだしな
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/news5/1099074654/


3. 晴れ間[940] kLCC6orU 2016年1月14日 22:24:21 : xni5yVaf3k : Fxfse0RTtHo[62]

> イスラムの信者にとって、法を守ることは、そのまま神を信じることにつながる。法を守ることによって、ムスリムは容易に安心立命の境地に達する。
⇒ まさにカルトだね。「自分の頭」で考えることもせず、疑うこともなく、「安心立命」が聞いてあきれる。ヨーロッパには宗教もあったが、大昔から様々な「哲学」があった。ギリシャ哲学、スコラ哲学、・・・そしてユマニスム等、近代につながる思想の流れ。イスラム教徒には「哲学」はないの? 単なるコーランの「解釈」だけ? 「イスラム法学者」というのは「哲学」はしないの? 「疑問」が持てなければ、思惟も思索も始まらない。

> キリスト教には法もなければ、規範もまた存在しない。このような宗教において、信者が神を信じるには、絶大な努力を要するのである。
⇒ 欧州にはローマ法など成文法もあれば、ゲルマン法など慣習法もある。教会法もある。生活の細々したことに干渉する規定は、人類社会の発展を阻むものであるから、そんなものなくて幸い。神など信じる必要はない。神にすがらねば生きてゆけないなど、知的・精神的弱者に関すること。神が支配する世界から、人間中心の世界へと転換したことこそが、欧州の発展をもたらした。逆に、神の支配を受け入れ続ければ、現在の中東のような、蒙昧がもたらす政治的・社会的混迷と絶望に陥るだけ。

> イスラムこそ1000年以上にわたって世界史の中枢であった。
⇒ まあ、中世においてはイスラム圏の方が学問・文化は進んでいたと言われている。しかし、その後なぜ、すっかり遅れてしまったのか。文化的・社会的・政治的後進地域になってしまったのか。イスラムにその原因はないのか?
⇒ たかが1000年。イスラム以前の文化を抹殺するのか? 古代エジプトやメソポタミアの諸文明を、どう評価するのか。ISやタリバン、イスラム十全主義者(≒原理主義者) のように、爆破・破壊して抹殺するのか?

> ギリシャ、ローマの思想研究もまたアラブを母体とする。
⇒ 「研究」だけでしょうが。単に「翻訳」していただけ。思想や哲学自体は、ギリシャ・ローマ(起源) のもの。

> イスラム教が沖天の勢いで広まっていったのは、まさに当然すぎるほど当然のことであった。
⇒ 今のISのようなやり方をしてたんだね。中川隆さんのハリコ通り。預言者ムハンマドの伝記がそのことを証明している。「ジハード」(「聖戦」と訳すからごまかされる) という名の略奪戦争。戦闘で他部族の男を皆殺しにし、土地と家畜を奪い、生け捕りにした女たちを「戦利品」として分配。一人当たり4人の「妻」がもらえ、残りの女たちは「性奴隷」として数に制限なし。(私は伝記そのものは読んでいないが、それについて書かれている本なら少し読んだ。)
⇒ 決して「徳による支配」ではない。まさに「恐怖による支配」。恐怖を感じないためには、自分では考えず、命じられる通りに盲目的に従うこと。そうするとハッピーになれる。



4. 晴れ間[951] kLCC6orU 2016年1月15日 07:41:58 : xni5yVaf3k : Fxfse0RTtHo[73]
>>3 (追加)

> イスラムの信者にとって、法を守ることは、そのまま神を信じることにつながる。

⇒ まさに「形式主義」だね。形式を守ることが「信仰」?

そう言えば、キリスト教徒にとっては婚姻は「秘跡」sacrement であるが、イスラム教徒にとっては婚姻は単なる「契約」contrat に過ぎない、と書かれている本を読んだことがある。イマム?? の所に行って、契約書を作成するんだよね。そして「おまえを離縁する」と3回唱えれば、簡単に離縁可能。

昔のことは知らないけれど、キリスト教徒も財産があれば、婚姻契約書は作成する。(離婚時にもめないように。)
でも、手続きが面倒だから、皆結婚しなくなった。そもそも宗教離れしているし。結婚していくなても、子供は保護される。

岸恵子さんが自分の離婚のことを随筆に書いているが、キリスト教徒でも財産がある階層になると、離婚手続きは本当に面倒そう。
日本ほど手続き簡単な国はないかもしれない。


5. 晴れ間[952] kLCC6orU 2016年1月15日 07:52:22 : xni5yVaf3k : Fxfse0RTtHo[74]
>>4

フランスは世俗国家だから、教会での結婚は法律的に無効。
市役所での民事婚のみが法的に有効。民事婚の手続きを済ませていないと、教会も結婚式は受け付けない。
そこへ日本人が、パリの教会だとかに、結婚式だけ挙げに来る。
最近は中国人が大勢押しかけているみたいだ。写真を撮るだけ? (こういうことを扱う専門業者がいるらしい。)
なんだろうね? ま、私が干渉することではない。


6. 2016年1月20日 16:30:33 : gqALBXHZ2k : W4lR2kq37r4[46]
イスラームの問題になると
必ず顔を出してdisる

 「晴れ間」 「中川隆」

彼らは、典型的なイスラモフォビアの欧米の
シオニストグループの手先です。

しかも。
かなり末端のメンバー。。。ということが
イスラム文献をほとんど勉強していないようすから
ありありわかります。

恐らく、彼らはイスラム勃興以前のアラビア半島の
精神史の端っくれも勉強してないでしょう。


7. 中川隆[1223] koaQ7Jey 2016年1月20日 21:33:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[964]

>>6

遊牧民に精神文化なんか無いよ

文字も読めないし学問も無い

仕事は略奪だけ

イスラム教というのはそういう人間の屑に合わせたアホ宗教なのさ


8. 中川隆[1224] koaQ7Jey 2016年1月20日 21:39:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[965]

ベドウィンの精神 = 「やらずブッタクリ」


本多勝一 アラビア遊牧民

 この本を読むと、「中東和平」なんて永遠に無理ではないか、という気になってしまうのだが..

 などと書く理由は、私がこの本でもっとも重要なポイントとなっているのは「親切で慎み深いベドウィンの正体」という章であると思うからである。

最初のほうに「親切で慎み深いベドウィン」という章があるが、それに対して終わりのほうにあるのがこの章であり、ベドウィンと同じく厳しい自然環境にあるエスキモーとベドウィンとの比較、あるいはそれらと我々の常識との比較検討をしているのである。

 たとえば、「エスキモーにおけるギブ・アンド・テイクは、我々の知っている典型的なそれだったが、

ベドウィンの場合は、そこから一歩踏み込むと「やらずブッタクリ」になる」

といったくだりなど実に興味深い。そして、次のようにまとめている。


 エスキモーとともに生活したとき、私たちは「人間は、未開・文明を問わず、民族を問わず、結局同じものなんだ」という実感を強く覚えた。(中略)この実感は、ニューギニアのモニ族・ダニ族と生活したときも、強められこそすれ弱まりはしなかった。

だが、ベドウィンはどうか。ここではエスキモーとは正反対に、「人間は、なんて違うものなんだろう」という実感を強く覚える。(中略)これこそ、本当に「異民族」なのだ。

 私たちは、好むと好まざるとにかかわらず、このような「つきあいにくい隣人」と世界を共にしている。世界は「異民族」の寄り集まりなのである。地球上では、おたがいに理解しにくい異民族がたくさんいる。この事実を無視して、一方的な考え方で他民族に接する「大国」は憎まれる。

 そしてさらに「ベドウィンのほうが普遍的で、日本人こそ特殊なのだ」の章が続く。

 そこでは、「どうもすみません」「失礼しました」という軽い謝罪の言葉を日本ほど乱発するところはない、ということを扱っている。


 自分の失敗を認めること。それは無条件降伏を意味する。そんなことをしたら「人間はすべて信用できない」のだから、何をされようと文句はいえない。(中略)

 世界の主な国で、皿を割って直ちにあやまる習性があるところは、まことに少ない。(中略)

日本とアラビアを正反対の極とすると、ヨーロッパ諸国は真ん中よりもがっとアラビア寄りである。(中略)

だが、日本人と確実に近い例を私は知っている。それは、モニ族(ニューギニア)とエスキモーである。(中略)異民族の侵略を受けた経験が多い国ほど、自分の過失を認めない。日本人やエスキモーやモニ族は、異民族との接触による悲惨な体験の少ない、ある意味ではお人好しの、珍しい民族である。

 これを読んで、2つのことを思う。

 1つは、どうあがいても免れられない日本の戦争責任については、非は非として認め謝罪しそれにともなう責任もとるべきである、ということ。もちろん、それとアメリカの原爆・都市空襲の非人道性弾劾は別問題である。

 もう1つは、一番最初にあげた「中東和平」は無理なのではないか、という予感である。

 何にしても、もう我々とは全く異なるメンタリティの民族同士の争いであり、日本は傍観者にならざるを得ない。石油を輸入しているのだから平和にも貢献すべきだ、などというのは論外である。歴史的にもこの地の民族対立の責任はイギリス及びアメリカにある、と断言できる。日本には義理も無いし、ましてや彼らのメンタリティなど全く理解できないだろうから、首を突っ込むこともない。
http://classic.music.coocan.jp/_book/etc/honda.htm


9. 中川隆[1225] koaQ7Jey 2016年1月20日 21:45:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[966]

本多勝一著「アラビア遊牧民」(朝日新聞社、340円)


 朝日新聞記者の著者は1965年の夏、アラビア半島の小オアシスで遊牧民とともに20日間を過ごした。新聞記者の単なる体験ルポと異なり、この著者のルポルタージュは文化人類学的手法を用いた中身の濃い内容になっているのが特徴だ。

 遊牧民にとってラクダは特別な存在である。年齢によって、性別によって、細かく呼び名が変わる。日本の出世魚と同じである。エスキモーは雪をその質や状況によってさまざまに呼び変える。日本では雨の呼称がたくさんある。どの民族にとっても生活に密接に関わる物の名前は、こと細かく言い換えられている。

 遊牧民の間では、家畜を飼うためにかつて奴隷を使っていた。サウジアラビアには1960年代はじめまで、世界で最後の奴隷制度が残っていた。

「奴隷といっても貧困な自由人より豊かな暮らしをしていた者が多かったので、解放されたときは行く場がなくて困ったそうだ。結局月給取りとなってもとの主人のところに残ることが多い。奴隷もサラリーマンも本質的に同じだという証明でもある」。同感!!

 20日間の生活で、著者はアラブ人と日本人のカルチャーギャップをいやというほど実感した。自分が悪い場合でも相手に責任をなすりつける、「やらずぶったくり」とでも言い表せそうな、彼らのやりくちに、最後は「海賊船から脱出する思い」でアラビア半島を去った。

「異民族の侵略を受けた経験が多い国ほど、自分の過失を認めない。日本人やエスキモーやモニ族(ニューギニア高地人)は、異民族との接触による悲惨な体験の少ない、ある意味ではお人好しの、珍しい民族である」

 著者は「日本こそ秘境」なのだ、とも書く。つまりは今も昔も「ガラパゴス」。私の東南アジア、インド、アフリカ体験からも、納得するところがある。

 私は自分のこと(日本人のこと)を著者のように「お人好し」と称するのは好きでない。お人好しというより交渉下手、「なーなー」で「ツーカー」となる「部落主義」「島国根性」なのだと思う。島国根性というと悪く聞こえるが、そこに暮らせばそれはそれで心地よい。
https://paraunawa.wordpress.com/2011/06/30/%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E5%8B%9D%E4%B8%80%E8%91%97%E3%80%8C%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%93%E3%82%A2%E9%81%8A%E7%89%A7%E6%B0%91%E3%80%8D%EF%BC%88%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE%E3%80%81%EF%BC%93/


ゲルマン人もアラビア遊牧民と同様、遊牧民出身だから略奪が生業

欧米流の植民地支配というのはアラビア遊牧民と同じ略奪と「やらずブッタクリ」の精神でないとやれないのさ。


10. 中川隆[1226] koaQ7Jey 2016年1月20日 21:55:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[967]

ゲルマンの文化もアラビア遊牧民と同じで、略奪が生業の「やらずブッタクリ」の遊牧民文化

欧米人もアラブ人も人間の屑
キリスト教もイスラム教も狂ったアホ宗教

アングロサクソンの文化  

アングロサクソンは戦争で勝つ事で世界の覇権を持つことが出来ましたが、日本との世界最終戦争で核兵器を使用した事で自らの手を縛る事になってしまった。核戦争の時代ともなるとアメリカ本土と言えども核ミサイルの脅威にさらされて戦争が出来なくなってしまった。

戦争が生業のアングロサクソンは、戦争が出来なくなると金融で世界支配を試みようとしたのだろう。大戦後は朝鮮戦争からベトナム戦争・イラク戦争に至るまでアングロサクソンは戦争に勝てなくなり限定戦争を余儀なくされた。いわば自分で墓穴を掘っているようなものですが、戦争によって栄えたアングロサクソンは戦争ができなくなった事で覇権は終わろうとしている。

それに代わって金融による経済覇権や英語による文化覇権は戦争に代わり得る手段だろうか? 戦争に強ければ経済覇権や文化覇権はついてきたのですが、これからは経済力と文化力で覇権は争われるようになるのだろう。アングロサクソンは経済力や文化力でもでも覇権をとり続けていけるのだろうか?

それを考察するには、アングロサクソンの文化を知らなければなりませんが、太田述正氏のブログには「アングロサクソン社会は当初から資本主義社会であり、それと同時に反産業主義であった」ということです。彼らにとっては戦争が生業であり、平和な時は酒を飲んで賭け事に夢中になっていた。勤勉に働くという事は彼らの文化には無い。


だからこそ大戦後には限定的な戦争で覇権を維持したのでしょうが、イラク戦争やアフガニスタン戦争は大義のない戦争であり、アングロサクソンの時代は終わったとも言える。核戦争の時代では戦争で決着をつけることは不可能だからだ。それで彼らはバクチで稼ぐ金融覇権を試みたのですが、今回見事にそれは失敗した。

アングロサクソンは、ローマ化した大陸のゲルマン民族とは違って、戦争好きなゲルマン文化を多く残していた。個人主義と自由主義はアングロサクソン文化でもあり、大陸の全体主義文化や社会主義文化とは相容れないものだ。しかし今回の金融恐慌は社会主義的な方法でしか混乱は収められないものであり、市場原理主義は敗れたのだ。

だからこそ倉都康行氏は、社会民主主義的な伝統を持つEUが主役に踊り出るだろうと予想していますが、そもそもヨーロッパ全体が戦争好きなゲルマン文化の要素を持っており、ヨーロッパの歴史は戦争の歴史でもあった。すなわち全面戦争が出来なくなった時代は長く平和が続き、戦争で決着をつけるアングロサクソンの文化は衰退せざるを得ない。

http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu178.htm


アングロサクソンは純粋のゲルマン文明

アングロサクソン文明とアングロサクソン以外の欧州(以下、欧州とします)文明は、なぜ近くにあって大きく違うのでしょうか。また、それぞれどのような文明なのでしょうか。

 太田さんの言によると、アングロサクソンはゲルマン民族の伝統をほば変わらず持ち続け、他方、欧州(のゲルマン諸族)はローマ化してゲルマンの伝統をほぼ失ってしまった人々であり、また(大雑把に言って)アングロサクソン文明はゲルマン由来の「個人の自由の尊重」(=個人主義)を中心的価値とする文明であり、欧州はローマ由来の「宗教(中世まで)や一般意思(近代以降)の優越する」文明(=全体主義的)、ということのようです。

 では具体的に、ゲルマン民族の価値観や文化とはどういうもので、どのように形成され、なぜブリテン島のアングロサクソンにだけ受け継がれたのでしょうか。


戦争を生業とするゲルマン人


「タキトゥスの「ゲルマーニア」(岩波文庫1979年4月。原著は97-98年(1世紀))は、ローマ時代のゲルマン人について記述した有名な書物ですが、以下のような記述があります。

 「人あって、もし彼ら(筆者注:ゲルマン人のこと)に地を耕し、年々の収穫を期待することを説くなら、これ却って、・・戦争と[他境の]劫掠<によって>・・敵に挑んで、[栄誉の]負傷を蒙ることを勧めるほど容易ではないことを、ただちに悟るであろう。まことに、血をもって購いうるものを、あえて額に汗して獲得するのは欄惰であり、無能であるとさえ、彼らは考えているのである。」(77頁)
 これは、ゲルマン人の生業が戦争であることを物語っています。つまり、戦争における掠奪(捕獲)品が彼らの主要な(或いは本来の)生計の資であったということです。

 こういうゲルマン人がやがてローマ帝国に侵攻し、これを滅ぼしてしまうのですが、欧州大陸のゲルマン人はやがてローマ化していまい、戦争が生業ではなくなっていきます。

 ところが、ローマが自分でイングランドから撤退した後、文明のレベルが違いすぎてローマ文明を受け継ぐことのできなかった原住民のブリトン人(ケルト系)を、スコットランドやウェールズといった辺境に駆逐する形でイングランドを占拠したアングロサクソン人(ゲルマン人の支族たるアングル、サクソン、ジュート人がイングランド侵攻後、混血したもの)は、ゲルマン「精神」の純粋性を保ち続けます。

だから、アングロサクソンにとっては、戦争は生業であり続けたのでした。


「では、そのゲルマン人とは、どのような人々だったのでしょうか。

 私はかつて(コラム#41で)、タキトゥスの「ゲルマーニア」(岩波文庫)の中の以下のようなくだり・・(略)(77頁)・・を引用して、「これは、ゲルマン人の生業が戦争であることを物語っています。つまり、戦争における掠奪(捕獲)品が彼らの主要な(或いは本来の)生計の資であったということです。」と指摘したことがあります(注8)。

 (注8)戦争にでかけていない時、つまり平時においては、男性は「家庭、
    家事、田畑、一切の世話を、その家の女たち、老人たち、その他す
    べてのるい弱なものに打ち任せて、みずからはただ懶惰にのみ打ち
    暮らす。」(79頁)というメリハリのきかせ方だった。

 ゲルマーニアには、「彼らは、公事と私事とを問わず、なにごとも、武装してでなければ行なわない。」(70頁)というくだりも出てきます。

 つまり、ゲルマン人の成人男性は全員プロの戦士であったわけです。
 しかも、以下のくだりからも分かるように、ゲルマン人の女性もまた、その意識においては男性と全く同じでした。


 「妻・・らはまた、・・戦場に戦うものたち(夫や子息たち)に、繰りかえし食糧を運び鼓舞・激励をあたえさえする・・。」(53頁)


戦争が生業であったということは、ゲルマン人はハイリスク・ハイリターンを求める人々(リスク・テーカー=ギャンブラー)であったということです(注9)。

 (注9)「彼らは・・賭博を・・あたかも真摯な仕事であるかのように行な
    い、しかも・・最終最後の一擲に、みずからの自由、みずからの身
    柄を賭けても争う・・。」(112頁)

 注意すべきは、ハイリスクであるとはいえ、戦争は、それが生業である以上、合理的な経済計算に基づき、物的コストや自らの人的被害が最小になるような形で実行されたであろう、ということです。」(コラム#852(*2)より抜粋)

 以上のように、ゲルマン民族は一人一人が戦士であり、戦争を生業とする人々であったようです。額に汗して働くことよりも、自分が負傷したり命を落とすリスクがあっても、戦争によって掠奪品を得るほうが、はるかに効率がよく得るものも大きいと、当然のように考えている人々だったのです。

 そして戦争遂行という最優先事項のためには、部族の全員が一丸となって協力し、また戦争をする上では、合理的な計算に基づいて、可能な限りコストや被害を少なくして、いかに効率よく戦争を遂行できるかということを追求した形で、実行されていたのです。


ゲルマン人の個人主義


ゲルマンの成人男子は一人一人がプロの戦士で、部族全体が戦争という生業のために一致協力していた、ということは分かりました。では、その戦闘民族的な側面以外に、ゲルマン特有のユニークな点はあるのでしょうか。

 「ここで、女性も戦場に赴いた、という点はともかくとして、このようなゲルマン人と似た特徴を持った民族なら、例えば、モンゴル等の遊牧民を始めとしていくらでもある、という反論が出てきそうですね。

 それはそうなのですが、ゲルマン人がユニークだった点が二つあります。

 その個人主義と民主主義です。

 「彼らはその住居がたがいに密接していることには、堪えることができない・・それぞれ家のまわりに空地をめぐらす。」(81〜82頁)、「蛮族中、一妻をもって甘んじているのは、ほとんど彼らにかぎられる・・。・・持参品は・・夫が妻に贈る・・。妻はそれに対して、またみずから、武器・・一つを夫に齎す。」(89〜90頁)が個人主義を彷彿とさせる箇所です。

 また、「小事には首長たちが、大事には・・[部族の]<成人男子たる>部民全体が審議に掌わる。・・最も名誉ある賛成の仕方は、武器をもって称賛することである。・・会議においては訴訟を起こすことも・・できる。・・これらの集会においては、また郷や村に法を行なう長老(首長)たちの選立も行なわれ・・る。」(65〜69頁)のですから、古典ギリシャのポリスのそれ並に完成度の高い直接民主制であったと言えるでしょう。

 以上をまとめると、ゲルマン人は、個人主義者であり、民主主義の下で、集団による戦争(掠奪)を主、家族単位による農耕(家畜飼育を含む)を従とする生活を送っており、合理的計算を忘れぬギャンブラーであった、というわけです。」(コラム#852より抜粋)


「まず、押さえておくべきは、プロの戦士であったアングロサクソンにとって経済活動は、食い扶持を確保した上で、更に戦士としての実益の追求を兼ねた趣味ないし暇つぶしに過ぎない、ということです。

 ここで実益の追求とは、個人的戦費及び集団的戦費(税金)を確保することであり、かかる実益の追求を兼ねた趣味ないし暇つぶしを、彼らはいかに楽に行うかに腐心しました(注13)。

 (注13)ちなみにアングロサクソンは、「戦士としての実益の追求を兼
    ね」ない趣味ないし暇つぶしの多彩さでも知られている。彼らが後
    に、読書・科学研究・スポーツ・レジャー・観劇・旅行、等に狂奔
    したことが、近代文学・近代科学・近代スポーツ・近代レジャー・
    近代演劇・パック旅行、等を生み出すことになった(コラム#27)。

 タキトゥスの叙述からもお分かりのように、彼らは、その生業としての戦争に従事している間、生死をかけること等に伴うストレスにさられただけでなく、集団行動に伴うストレスにも(個人主義者なるがゆえに)さらされたことから、平時においては、各自がばらばらにリラックスをして過ごすことによって、精神的バランスを回復する必要がありました。

 しかも彼らにはその「自由の意気と精神」から支配者がおらず、またその「戦争における無類の強さ」に恐れをなして彼らを掠奪の対象とするような者もほとんどいなかった上に、彼らにとって戦争が経済計算に立脚した合理的営みである以上、戦費は巨額なものにはなりえませんでした。ですから彼らは、支配者に貢ぐために、あるいは外敵によって掠奪されることを見越して、あるいはまた巨額の戦費を捻出するために、ひたすら額に汗して働かなければならない、という状況にはなかったわけです。

 そういうわけで彼らが経済活動にあたって考えることといえば、目標とした一定の収益を、いかに最低限の労力やコストの投入によって確保するかだけでした(注14)。」(コラム#857(*3)より抜粋)


自由の意気と精神、つまりは戦士たる己の力(能力)のみを頼りとして支配されることを由としないということ、それぞれが戦士として自立していること、戦時以外の自由を尊重すること、これらのことから、ゲルマン人にはごく自然なこととして個人主義が定着していたと思われます。

 部族内においては、戦時以外では自分も他人も自由が侵されず、制度的なしがらみもない。ゲルマン人は戦争を生業とする戦士であったことで、かなりの程度、個人主義、自由主義が文化として浸透していたようです。また(義務を果たしている人々である)戦士による直接的な民主主義も行われていました。一見、個人主義や民主主義というと、古代ギリシャ等、文化的に高いレベルにあって初めて実現すると思い勝ちかもしれませんが、なるほど、武の伝統から生まれることもある、というところはユニークで面白いですね。


アングロサクソンの起源


では、このようなゲルマンの伝統が、いかにしてブリテン島に伝播し、維持されていったのでしょうか。アングロサクソンの起源を確認しておきましょう。

 「今まで随時、アングロサクソン論を展開してきましたが、このあたりでアングロサクソンとは何かを振り返っておきましょう。

5世紀に、スカンディナビア及び北ドイツから様々なゲルマン支族がイギリスに渡ってきて、ケルト系先住民のブリトン人(=ローマ文明を継承できていなかった)を辺境に駆逐した上で定住し、相互に通婚してアングロサクソンとなります。(8世紀にベード(Bede)は、アングル支族、サクソン支族、ジュート支族の三支族が渡ってきたと記しましたが、これは単純化しすぎだと言われています。)(Historical Atlas of Britain, Kingfisher Books, 1987 PP30)

 このアングロサクソンは、7世紀末までにキリスト教化します(前掲Historical Atlas of Britain PP32)。アングロサクソンの部分的ローマ化、欧州化です。
しかし、9-10世紀には、アングロサクソンは、まだキリスト教化していない、デンマーク(一部ノルウェー)のバイキング(デーン人)の侵入、定住化を経験します。(前掲 PP38)(なお、11世紀初頭には、アングロサクソンは、後にデンマーク王とノルウェー王を兼ねることになる、デーン人(その頃には既にキリスト教化していた)の王族カヌートに一時征服されます。(前掲 PP52))
 更に1066年には、アングロサクソンは、フランス北部に侵入、定住したバイキング(ノルマン人)の子孫である、ノルマンディーの領主ウィリアム公に征服されます。(前掲 PP55-57)

 このように、アングロサクソンは、もともとゲルマン人としての純粋性を維持していた上に、キリスト教化した後も、累次にわたってかつての同胞であるバイキング・・キリスト教化していなかった者も少なくなく、しかも、極めて能動的(=悪く言えば、好戦的で侵略的)でした・・の侵入、定住化、征服を受け、その都度、ゲルマン精神を「再注入」させられ、「純化」させられたのです。そのおかげで、アングロサクソンは、精神のローマ化・欧州化を基本的に免れることができたのです


「また、メイトランドが、アングロサクソン文明と欧州文明の最初の岐路について、イギリスではアングロサクソンが侵攻した時にローマ文明が拭い去られた(swept away)のに対し、欧州(フランス・イタリア・スペイン)ではゴート族やブルグンド族は侵攻先のローマ=ガリアの人々の中の圧倒的少数派に過ぎず、しかも彼らが(征服者ではなく)ローマ皇帝の家来ないし同盟者に他ならなかったことからローマ文明の法・宗教・言語が生き残った(注4)ことを挙げている(PP77)ことも知りました。」(コラム#1397(*5)より抜粋)

 以上のとおり、ガリアのゲルマン諸族はローマ化した結果、ゲルマンの伝統を失うことになり、海を渡ってブリテン島に渡来して現地民と同化したアングロサクソンには純粋な形で残ることとなりました。さて、そんなゲルマンの伝統をほぼ純粋に受け継いだアングロサクソンの国、英国とはどのような社会になったのでしょうか。(ちなみに最新の研究によるとアングロサクソンの起源はバスク系の人々とベルガエというゲルマン系の人々がかなり関係しているようです。詳しくはコラム#1687(*6)を参照してください。)

(*4)コラム#74<アングロサクソンと北欧神話(アングロサクソン論3)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955759.html

(*5)コラム#1397<マクファーレン・メイトランド・福澤諭吉(その1)>
http://blog.ohtan.net/archives/50954436.html

(*6)コラム#1687<アングロサクソンの起源>
http://blog.ohtan.net/archives/50954197.html


11. 中川隆[1227] koaQ7Jey 2016年1月20日 22:05:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[969]

性を敵視する遊牧民の文化


アンドレイ・ルブリョフ 監督・脚本:アンドレイ・タルコフスキー
Andrei Rublev / Андрей Рублёв – 7・8/21
https://www.youtube.com/results?search_query=Andrei+Rublev+


Andrei Rublev - Pagan ritual scene
https://www.youtube.com/watch?v=pNdT5sHTxck

the witches andrei rublev
https://www.youtube.com/watch?v=qZzOv_Td1us


アンドレイ・ルブリョフはキリスト教のあり方に疑問を持ちます。

先輩画家からは、愚かな人間たちなどどうでもいいじゃないか、画は神のために描くものだと諭されます。 先輩画家は、愚かな人間たちの上にはもうすぐ最後の審判が下るぞと言います。 しかし、アンドレイ・ルブリョフは先輩画家の言葉に納得ができないのです。

アンドレイ・ルブリョフはモスクワ大公から依頼された修道院の壁画「最後の審判」を描くことができません。 そんなある晩、アンドレイ・ルブリョフは異教徒の祭りに迷い込みます。

すでにキリスト教化していたロシアでは、アニミズム信仰を持つ人びとが異教徒と呼ばれて、教化の対象になっていました。 森の奥から響くざわめきを聞きつけたアンドレイ・ルブリョフは好奇心に勝てずにひとりで奥へ奥へと進んでいきます。

裸の女たちが松明を持って川に飛び込んでいました。

アンドレイ・ルブリョフは異教徒の祭りを垣間見ます。 小屋の中では、ひとりの女がはしごをのぼっては飛び降りてを繰り返しています。 女が飛ぶごとに着物がはだけて女の裸体がちらつきます。 アンドレイ・ルブリョフがそんな光景に見とれていると、男たちに「黒い悪魔がいたぞ」とつかまって小屋の中にひきずりこまれて縛られてしまいます。 アンドレイ・ルブリョフは、

「何をする、やめてくれ、お前たちは、最後の審判が恐ろしくないのか」

などと口にします。 小屋の中にはアンドレイ・ルブリョフと女が残りました。
翌朝、アンドレイ・ルブリョフはうしろめたそうな顔をして村をあとにしました。全裸の女がうるんだ瞳でアンドレイ・ルブリョフのうしろ姿を見送ります。


異教の女マルファとの会話


マルファ

なぜあなたは頭を下にしたいの?
気分がもっと悪くなるのに。
なぜあなたは天の火でわたしたちを脅すの? (ルブリョフが「最後の審判」を口にしたことへの反感)


ルブリョフ

裸になって君たちがしようとしていることは罪なのだ。


マルファ

何の罪ですって?
今夜は愛しあうための夜なの。
愛しあうのは罪なの?
ルブリョフ
こんなふうに人を縛り上げるのは愛なのか?


マルファ

あなたが他の修道士をよぶかもしれないからよ。
あなたの忠実さをわたしたちが受け入れることを強制しようとする人たちよ。
あなたは恐怖の中で生きることが容易なことだと思っているの?


ルブリョフ

君は恐怖のなかで生きている、なぜなら君が知っているのは愛ではなくて獣欲なのだ。魂のない肉欲、しかし愛は兄弟愛のようであるべきだ。


マルファ

すべての愛は同じではないの?
ただの愛なのよ。


マルファはルブリョフに近づきキスをする。 
http://foonenbo.asablo.jp/blog/2010/03/21/4962351

性を敵視するキリスト教


 1966年、イニス・ベアグ島のアイルランド系の島民に関する人類学的研究によって、島民の性生活において、19世紀のキリスト教の父権的パターンをもつ小型の文化が続いていることが明らかとなった。

女性はオルガスムを経験しなかった。女性はセックスを享受するよりも耐えるように訓練されていた。男性はいつも数秒で果てた。節度というものが抗しがたく両性の心を占めていた。

夫も妻も相手の裸体を見たことはない。前戯は寝巻の上から乱暴になでまわすだけであった。正常位Venus Observa以外の体位はとらなかった。

婚前交渉は事実上行なわれなかった。というのは若いカップルが2人だけになることはなかったから。旧式のデート方法である「散歩」さえも許されなかった。若者は性に関する知識はいっさい与えられなかった。結婚してから「成行きにまかせればいい」と島民は悪びれずに語った。

 男たちはしばしば小船に乗って海に出るが、泳ぐために人前で服を脱ぐのがいやで泳ぎを学ばなかった。「海水浴」というのは、服を着たまま海中を歩くことを意味した。海水浴をする男女は厳しく分けられた。男性は病気になったり負傷しても、本土の病院に行くよりも死を選んだのであった、というのは病院に行けば看護婦の目に自分たちの身体をさらすことになると考えたからである。

 イニス・ベアグ島ではイヌでさえも、陰部をなめたり、他の「卑猥な」振舞いをすると答で打たれた。

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/sex.html

「キリスト教中世」は、「性的快楽は全て、男女を問わず、悪だ」と考えた。


「肉には善きことは何もない。神を恐れる者は、禁欲せねばならぬ」(聖クレメンス)。

「生殖を目的としないセックスは全て悪魔の仕業だ」(聖アウグスティヌス)。


これが、数百年にわたってキリスト教の「結婚道徳」の礎(いしずえ)となった。
十九世紀には、「女性の性」への敵意は、一種の歴史的集団ヒステリーにまで高まっていた。

「女性にオルガスムスがあるなどと考えるだけでも精神病者の妄想である。そんなものはありえない」(当時の精神科医の話)

「女性に性的な感覚があるなどという主張は、汚らわしい中傷だ」(当時のイギリスの権威、ウィリアム・アクトン)。

http://www.porsonale.co.jp/semi_i194.htm#1

キリスト教会が、女性は性的快感を覚えてはならず、子を産むためにのみ性交をすべきであると教えたために、成長期にある男子も女子も、できるかぎり女性の性的能力については知らされないようにされた [註6]。

医者でさえも、貞節な女性には陰核がないと信ずるようになった。

 中世以来、貞節な女性はその裸身を男性に、そして夫にさえもめったに見せることはなかった。

そのため、暗闇でごそごそと女体をまさぐっていた男性が、女体がどういう構造になっているかまったく知らなかったとしても、それは驚くにあたらないことであった。

信心の深い夫婦は頭巾のついたシュミーズを着ていた。それは前面に小さな穴の開いているたっぷりとしたナイトガウンで、肉体の接触は最小限で妊娠させることができるものであった [註7]。

 1593年の魔女裁判で、審問官(既婚者)は初めて陰核を見つけ、それを悪魔の乳首と思い、魔女の有罪を確証するものだとした。

陰核は「小さなこぶで、いわば、乳首のように突き出ていて、長さは半インチ」であった。

審問官は「初めて陰核というものを見たが、それが見るのもいやらしい秘所に隣接しているために、誰にも見せないつもりであった。しかし結局、そのようなまことに珍しいものを隠しておくことができなくなって」、彼はまわりにいる人々にそれを見せた [註8]。

人々もそのようなものは見たことがなかった。魔女は有罪と宣告された。


 西欧社会は、たしかに、男根については熟知していて、男根崇拝はキリスト教時代になってもなくならなかった。Phallus Worship. しかし、陰核のことは忘れられていた。

 「人生のそもそもの始まりから、私たちはみな、主要な男性生殖器は男根であり、女性性器で主要なのは膣であると教わる。そしてそれらによって男であるか女であるかがはっきりわかるし、男女の違いが現れるものと考えられている……これは嘘である……女性の性的快感を考える場合、こうした定義があてはまらない場合が多い。もし女性性器の目的が女性に快感を与えることであると思うならば、女性が性欲をはっきり自覚するのは別の器官によるし、それに集中する。幼児のころから、主要な男性性器は男根で、女性のは陰核であると、すべての者が教わるとよい」 [註9]。

 19世紀の医学の権威者たちは、女性の性的能力を女性たちに気づかせまいと心を配ったようであった。男の子と同様に、

自慰によってオルガスムが得られることを覚えた女の子は、医学的に問題のある子だけだとみなされた。

そういう女の子は、しばしば、陰核を切り取られたり焼灼されたりして「治療」され、「矯正」され、

あるいはまた、

「小さな貞操帯をはめられて、陰唇を縫い合わせて陰核に手がいかないようにされ、卵巣を外科手術で切除されて去勢されたりもした。

しかし医学的文献を見ても、自慰をやめさせるために男根を切断したり、睾丸を外科手術で切り取ったりしたということは、どこにも書いてない」 [註10]。

 アメリカで、自慰行為をやめさせるために陰核摘出をした記録の最後のものは、1948年のものであった。5歳の女の子であった [註11]。

 カトリック教会は、1976年、自慰行為を「重大な道徳的退廃」だとしたが、それは、女性が自慰行為によってオルガスムに達することができることを恐れたこともあったのかもしれない。男性と同様に、自慰行為によって女性がオルガスムに達することは、今ではよく知られていることである [註12]。ヴィクトリア朝時代、聖職者や医者たちは、「女性の性的能力を全面的に抑圧することが、女性を飼いならすのに決定的なことである」と思っていた。

アイザック・ブラウン・ベイカー博士のような指導的な権威者たちも陰核摘出を数多く行って、女性の神経衰弱、ヒステリー、強硬症、狂気、女性痴呆症、その他性的欲求不満の徴候を示す数々のふれこみ文句で言われている症例を治療しようとした [註13]。

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/clitoris.html


マッサージ機の歴史


テーマ:芸能・エンターテイメント 「松島・町山の未公開映画」というマイナー番組。オセロの松島さんと、アメリカ評論家(?)の町山さんがアメリカ社会の事実をお届けするという番組。

今日はとても面白かった、町山氏の解説がね(笑)

そもそもヨーロッパでは、キリスト教の教えにより、女性にとって陰核刺激をすることは低俗なことであり、挿入快楽によって主人と同時絶頂が理想とされた。その考えは今も根強いとも言われる。

18世紀後半ビクトリア朝のイギリスでは、女性は束縛された。女性はきれいな言葉を使い、働いたらだめだし、さまざまな権利も保障されない。女性たちは当然、ストレスがたまり、欲求不満でイライラするようになる。

これは、当然の結果だ。にもかかわらず、当時イギリスでは、これを女性がかかる「ヒステリー」という病気だと断定した。

実際、束縛された女性たちはイライラがつのり、医師のところにどんどん行くようになる。

医師は、これに対してどういう治療をしたかというと、陰核刺激だった(爆笑)
女性たちは、医師による陰核刺激で絶頂に達し、すっきりして家に帰るわけである(爆笑)

夫たちも、別にその陰核刺激は、ヨーロッパでは性行為ではないという概念であるし、治療行為なので気にしないし、何せ妻がすっきりしてイライラがおさまるのだから、悪くはない。

さらに、女性たちは病院に通った(爆笑)

すると、今度は医師たちの指が疲れるわけである(笑)

そこで、バイブレーターというものが発明され医師たちに愛用された。その後、バイブレーターを肩などに当てても気持ちがいいということで、電動マッサージ機として発売されることになった。 つまり、電マで陰核刺激することは、バイブレーターに転用したということではなく、本来の使い方だったというわけである。

番組の本題は、アメリカで女性用バイアグラを政府が認可するか、しないかという話の前半であった。

アメリカでは女性が挿入絶頂しないのはなんと病気(FSD)だと今、半ば定義づけられており、政府がお墨付きで病気だと断定するか、しないかという段階だという恐ろしい話なのである。

病気じゃないものを病気だといわれると、昔のイギリスのような無知なアメリカの主婦たちが、その女性用バイアグラを買っていき、製薬会社はボロ儲けという構図なのである。

アメリカは性教育が発達していると思われる人が多いかもしれないが、実際は逆。 これはアメリカの最重要問題の人工中絶の是非の問題にもからんでくる。

アメリカの少し内陸部になると、ものすごく保守的で古いキリスト教義が根強く、人工中絶は禁止だし、性教育で生徒には、いまだに婚前交渉はだめであり、結婚後も避妊はだめだと教える。そういう土壌の中、保守的な女性たちにFSDは病気だと製薬会社が政府とつるんで教え込み、儲けようとしているのである。


加筆・・・・

翌週。結局、ホルモンを使った薬は今回は認可を阻止することができた。しかし時間の問題だという。そして一足先に、EUで認可されたそうである。 これについて、町山氏が松島さんに言う。2週にわたって、見てきたが、一回も「愛情」という言葉が使われなかったよね、と。

アメリカは、女性が絶頂に達しないのは病気であるとし、薬で絶頂に達せようとしたり、手術までしようとしたり異常としか言えない。

仮に、薬を飲んだり、貼ったり、したら快楽が増し絶頂に達するというのであれば、好きでもない男でもどんな男に対しても絶頂に達するということになる。それはおかしいことだ。女性はまず愛情があるからこそである。手を触られただけでも、大好きな人であれば、ドキっとするものであり、それは、科学だとか薬だとかの話ではない。

一切、そういう愛情というものを度外視して、ただ絶頂しないのは病気であり薬で解決させようとするのは、機械的であり、まったく、日本では理解できないものだ。 本当に、「愛」という言葉が1度も聞かれず、ただ絶頂に達することについてだけ議論しているという完全に異常、異様なVTRだった。
http://ameblo.jp/winterorange/entry-10691576426.html

538 名前:名無しさん@ピンキー [2009/05/24(日) 02:15:31 ID:Hy/HEkgwO]

穴でなんか一度もいったことないよ。


541 名前:名無しさん@ピンキー mailto:sage [2009/05/24(日) 02:26:11 ID:fDLmN/nc0]

ペニスを膣に挿入したときに、凸凹が摩擦する感触が気持ちいいのではないのかな?

自分の経験では穴のひとが多かったんだが…


546 名前:名無しさん@ピンキー [2009/05/24(日) 02:38:33 ID:viH56mHZ0]

「凸凹が摩擦する感触」が痛いんだよ。
凸凹で摩擦されて気持ち良いのは男だよ。

以前、付き合ってた男がSEX経験ほとんどなくて、意図的に凸凹を刺激してきて、それが死ぬほど痛かったので「イテーんだよ!!」って言ったら、そこが気持ちいのかと思って、凸凹や抵抗感のある場所にわざと当てていたと言ってた。
好きな男にやられても痛いんだから、それ以外だったらもっとダメなことは想像つく。


552 名前:名無しさん@ピンキー [2009/05/24(日) 02:56:27 ID:viH56mHZ0]

奥に当たるのはそのまま痛いって感じで、凸凹にあたるのは不快で、度を超えると痛いって感じ。

私はクリ派だけど、確かに中のある特定の場所がクリとセットなら感じる場所がある。 必ずクリとセットでないとだめだけど、そう言うと中に入れて、クリを手で刺激されたりすると、一気に気持ち悪くなって覚める。

自分が思ってるのとちょっとでも違うと気持ち良いどころか気持ち悪く感じるんだよ。でも相手は一生懸命運動だか体操だかやってるわけだから、よっぽど危害が及ばない限りは、言えないし、言わないよ。

本当に痛いときだけ最終的にキレて、「イテーんだよ!!今日は終了!!」ってなる。


555 名前:名無しさん@ピンキー mailto:sage [2009/05/24(日) 02:59:08 ID:21289bkw0]
>>541
自分の経験で穴が多いと言うけど、多分それは演技だと思う。
あなた自身は穴で感じられるのとクリで感じられるの、どっちが楽しい?

穴じゃない?
穴で感じたフリすると喜ぶから感じてなくても「感じた」と言うよ。
穴は全く感じないクリ派だけど、私もきっとお客には穴派だと思われてると思う。 そういうものだよ。

男性は、女の中に何かが入った瞬間ぞくぞく〜っと感じてくる、みたいに思ってるようだけど そんなことは全くない。(全員とは言わないけど)
そんなんじゃおちおちタンポンも入れられない。

男の人が思ってる以上にまんこはただの穴だよ。

http://qiufen.bbspink.com/test/read.cgi/club/1287420731/

395 :名無しさん@入浴中 :2009/04/06(月) 12:14:06 ID:PF547pgvO (5 回発言)

挿入時に逝かせる一番の近道は男性は全く動かないか超微振動してるだけの時ですが、これは嬢に逝く意思がなければ逝けません。

また、大切なのは女性の足をどうするか。 女性も足をピンと伸ばしてオナニーする子が多いのですが、足ピンオナニーの子はM字挿入ではまず活きません

風俗嬢と言えども逝くことを知らない子が多いんですよ。 足ピンオナニー癖でM字で逝けないからです。

その場合、女性を上にして足を伸ばさせて、クリを男性の恥骨に当てるように小刻みに動いて貰う。 この時男性は動かない。 普段早漏な人でも激しく動かなければ女の子を逝かせるまで持ちこたえますのでこの方法は一石二鳥。 男性が上になってもちんちんにある程度の長さがあれば女性の足をピンと伸ばして、恥骨をクリに当て振動すれば逝けます。 この時ちゃんと女の子に、恥骨が痛くないか確認してください。

恥骨同士が当たると激痛が走ることもあるから。 力を入れる必要は全くないです。

M字でいける場合でも、クリとちつ穴の距離が2センチ以上離れている女性はクリを刺激しながらでなければほとんど逝けないことを海外の研究機関が発表しています。

また逝ったことがあると答えた女性の1割は勘違いだったそうです。
女性にとって逝くことは難しいと言うことをしっかり理解して、大きな心で受け止めてあげて下さい。

693 :名無しさん@入浴中 :2009/05/16(土) 00:58:35 ID:T9EQsH1PO (4 回発言)

女性が挿入で逝くときは大抵、クリへの同時刺激が必要です。

足ピンでクリを男性の恥骨にしっかり当てながら、膣の筋肉も微妙に動かしながら、快感に集中するため、その微妙にピクピクした動きが、お尻、太もも、ふくらはぎ、爪先まで起こります。

ですので、足を閉じてもクリに刺激が無い体勢では殆んど逝きませんし、無駄にピストンしても逆効果なわけです。

M字でもクリに何らかの刺激が必要ですが、男性が挿入しながら触るのは、よっぽど練習しないと全く効果がないか、あるいはやっても逆効果でいく気が萎えると考えたほうがいいです。

M字か通常のバックスタイルなら、ロータを使いながらが一番の近道です。

http://logsoku.com/thread/qiufen.bbspink.com/soap/1241947801/

881 :名無しさん@入浴中 :2009/04/23(木) 02:35:27 ID:ySsmoPXnO (10 回発言)

基本的に膣は鈍感で敏感な神経が集まってるのは膀胱入り口付近のGだけ。

膀胱の位置やスイートスポットに個人差がある。
Gはクリと繋がってるから同時刺激は効果絶大。
片方だけでは逝けなくても両方なら逝ける或いは両方で逝くほうが強い快感を得る。

アナルが感じる人はアナル側にも性感帯ありますがそれは稀。
チンココリコリするより挿入時にクリをどうにかして刺激することが必要です。
このクリ刺激で大概失敗するしチンコも動かしすぎてGからずれるから気持ち良くない。カリは無いよりあったほうが多少はいいかもしれないけど世間で言われる程必要でもない。

人気嬢ならカリのデカイ客が来たらその点を誉めちぎっていい気分にさせて繋ぎますけど…

245 :名無しさん@入浴中 :2009/04/03(金) 00:45:27 ID:gGK7aufAO (7 回発言)

騎乗位されて下でじっとしたまま逝ける男性がほとんどいないのと同じように、

女も逝くときは女が動いてクリを男性の恥骨に当て擦らないと逝けないこと多いんだもん

ポリネシアンセックスも房中術もタントラも男はほとんど動かないように指導するよ

女が逝く時の動きは正直、AVに洗脳されてる人にとっては驚くほど地味で色気のないものだと思います。 AVのせいでセックスレス、少子化と言う社会問題があると言っても過言ではないなと感じる。

ソープで発散するだけが目的なら嬢を逝かせることなんか忘れて素直にAVセックス楽しんで嬢の演技力を堪能してればいい

下手な愛撫でも逝くのは演技だとしても、それなりに感じて本気汁でびちょびちょになるから!

177 :名無しさん@入浴中 :2009/05/11(月) 21:21:21 ID:J79s0C/y0 (3 回発言)

挿入での絶頂は、20代の女の子でしたら、大半、8割以上といってもいいくらいが、未経験です。

これって、一回「コツ」をつかめば自分でコントロールできるんですが、
そのコツを得るのが偶然性に拠るものが大きいので、かなりの経験が必要なんです。

でも、クリトリスでの絶頂でしたら、10代の、セックス未経験の女の子でも簡単です。 これは、弱い一定的な刺激を与え続ければよいだけで、ピンクローターを使用するのが一番手っ取り早いといえます。

相手に好みの強さを聞いて、あとはただ単にクリに当て続けていればいいだけです。

いく際にはわかりやすく膣内が収縮を繰り返すので、指を一本中に入れていれば、判定が可能です。 その際、クリ自体も、まるでペニスの射精時のように脈打ちます。

膣内の動きは女の子自体がコントロール可能ですが、クリ自体は動かせないので、これで嘘をつくことはできません。

挿入時にいかせたいというなら、挿入しながらクリトリスに刺激を与えるというのもあります。 正常位で挿入したまま、指でやさしく撫でるように、さすってください。 この時、あまり激しくピストンしているとイクことに集中できないので、控えめに。

最後に、挿入だけでいかせる場合ですが、まず「挿入でいったことがない」女の子はほぼ無理です。正常位で覆い被さって、抱きつくような体勢のまま奥まで入れて、そして あまり激しく抜き差ししないで、トントントンと、奥をやさしくつつくような感じで。 これを、リズミカルに絶え間なく、10分程度続けてください。

イク際はかなりの集中力を要するので、話しかけたり、動きを急に変えたりすると萎えます。 イク前は、大きな声を出すよりも、黙って集中する感じになる子が多いと思います。

あんあん声をだんだんと張り上げていくのは演技です。 演技でイク場合、大抵、女の子もAVを何度か見ているので、AVでのイク場面でよく使われるような動作や声をマネするのです。

私も15のときからセックスをして経験が多かった方ですが、初めて挿入でいけたのは、24歳の時、2年付き合った相手としつこいほどにセックスを繰り返したときでした。

それくらい、若い女の子ではなかなか難しいです。 ですから「いける嬢」を探したいのなら、30代、40代の方がおすすめです。 実際に、お客さん相手でも相手次第なら楽しめる、と言っているのは30代以上のお姉さんです。 20代前半の子はほとんど、触られるのも嫌、という感じです。 まあ、高級店や大衆店のナンバーでしたら、どんなに若く見えても実際は30代以上の方がほとんどですが。

あと勘違いされたくないから言っとくけど同じようにされてイッても嬉しいのは「いいお客様」だけ。 それ以外はイッても体の反応だけだから。 
http://logsoku.com/thread/qiufen.bbspink.com/soap/1241011460/
http://logsoku.com/thread/qiufen.bbspink.com/soap/1241947801/
http://logsoku.com/thread/qiufen.bbspink.com/soap/1241011460/


かってヨーロッパのキリスト教国などでは、若い男女がマスターベーションを行う習慣をやめさせようとする時代がありました。19世紀には、特に女性のクリトリスは性的快感を与える以外には何の役にも立たず生殖出産には全く不要であるとして、クリの切除が合法化され、奨励されていました。

当時の高名なある医者は、オナニー(マスターベーション)の習慣をもつ多数の少女のクリトリスを、焼きごてで焼きつぶして、オナニーと言う病気、を治療したと明言しています。

http://mas.fromc.com/life-partner/danjyo~tame/kuritorisupenisu.htm

中世ヨーロッパのキリスト教国などでは、若い男女のマスターベーション、オナニーは禁止されていました。

今でもクリスチャンにはオナニーを悪魔の誘惑に負けることだといって、慎む人たちがいます。その中でも女性のクリトリスは性的快感を得ること以外に役には立たないという認識があり、こんなものは子供を作る際にも不要だ!ということで、クリトリスの切除が、奨励されていました。

「イタイ!!」

慢性的にオナニーの習慣を持つ少女に関しては、病気だと診断し、クリトリスを焼きつぶしたりしてオナニー癖を治したりしたそうです。

魔女裁判とも密接な関係があり貞淑な女性には性欲の象徴であるクリトリスがないものだという考えが浸透し、クリトリスがあると魔女扱いされたりしました。当時はオンナは、オトコの欲望、好奇心の対象物でしかなく、自らセックスの楽しむを得ることは許されてなかったのです。

http://htsx.blog.so-net.ne.jp/index/4

クリトリス切除はマスターベーションを防ぐ方法の一つだと考えられていたが、アメリカではコーンフレーク王のJ.H.ケロッグがまた別の治療法を考えだした。女の子が自分で楽しむのをやめようとしなければ、「純粋な石炭酸」をクリトリスに塗ればいいと提唱したのである。

http://diary.mrmt.net/2745


X線の最初に知られていた治療上の機能は女性のクリトリスを照射し、焼灼・破壊することだった。

1860年代からは clitoridectomyのための方法によって、取って代わられた。

http://www.brandbihar.com/japanese/women/history_female_sexuality.html

949. 名無し調教中。 [sage] 2006/12/07(木) 01:03:00 ID:m7yYpyRH

ヨーロッパじゃ一時期 オナニーに対して過剰な措置を取っていた時期があるよ。
ペニスにつけるアンチマスターベーションデバイスが売られたり、就寝時に子供の手を縛って性器に触れなくするとか。


953. 名無し調教中。 2006/12/07(木) 10:32:14 ID:XN5tKFeY

まあ、マスターベーションは精神病、特にヒステリーの原因と考えられた時代があってな。そのころは、クリトリス切除をマジで推進する医者が欧州にもいたんだと。精神に変調をきたした女から子宮摘出とかやってた時代だ。


954. 名無し調教中。 2006/12/08(金) 03:10:57 ID:gQmoBRBp

マスターベーション禁忌は聖書にも記載されているから、敬虔なキリスト教徒なら嫌うだろう。 逆に近代に入ってからの性感帯信仰が異常とも言える。

女子割礼反対の根拠ともされるが、クリトリスが女性の体にとって本当に欠かせないものかどうか怪しいな。

一つだけはっきりしていることは、どの社会でも女の性器に自由はあまり無いということ。男根のように放置されることはまず無い。 生理や出産など常にケアと点検が欠かせないからね。

955. 名無し調教中。 2006/12/08(金) 10:15:03 ID:NURGfebo

うんにゃ、聖書にオナニーしちゃいかんって記述はない。オナンが罰せられたのは姦淫の罪でだな。妊娠を目的にしないセックスをしちゃいかんというタブーならあった。

マスターベーションがタブーになったのはキリスト教とストア派が融合した結果、「肉なるものはずべて悪」って思想ができた時代だと思う。

意外に思うかもしれないが、イスラム世界のハレムでは女たちの同性愛と自慰が性的コンディションを高めるために容認というより奨励されていた。もっとも、子種を植える畑を耕しておくという意味においてだけど。

http://pink.nihongodeok.net/thread/pie.bbspink.com/test/read.cgi/sm/1107523811/


まあ、儒教の影響が残っていた昭和の日本でもこの感じだったから…


オナニーが無害だと実証されている現代において、母親はまだ頭が古くて固い人間で、女の子がオナニーするなんてはしたないと決めつけ、することは有害だと強く信じていた。最初に見つかったときは激怒され、おしりを叩かれた。部屋はあったけど扉はつけさせてもらえない家だったから、やってる時に親が来たらアウト。3回目のときは股を縫い付けると脅された。

見つからないようパンツの上からやっていたら今度はパンツが汚れてばれた。
脱がされ押さえつけられた状態でクリトリスをピンセットで強く引っ張られ、今度やったら小陰唇の上部を縫い付けると脅された。その後は慎重になったので見つかることもなかったけど、時々今度やったらカッターで切るとか灸をすえるとか脅されてた。扉をつけさせてもらったのは高校入学後でした。

上記は中2のときで、一番やりたい時期でした。でもピンセットでつかまれて引っ張られた痛さや縫い付けられる恐怖(当時は本気だと思ってた)から回数は大分減りました。今なら虐待だとか相談できるかもしれないけど、義務教育時代には親の言葉は絶対でした。だから高校生になるまで、オナニーすることはいけないことなのだと本気で思い込んでましたね。つらい環境でしたよ。


_________


まじな話、昔母親にクリトリス切り取られそうになったことがある。もちろん、そうされても仕方ないくらい悪いことをしたんだけど。あの時はまじで切られる
と思った。

体押さえつけられた状態で股を広げられ、母親が左手でクリトリスをぐっとつかんだ。右手には小さな包丁。目の前で包丁とぎでよく磨き、その上で私のクリトリスに近づけてきた。さぁ切るからね、といわれクリトリスに包丁があたったときはもうだめだと思った。必死であやまり、ようやく離して貰えた。

そこまでしなきゃわからないほど、中学生の時の自分は悪だったと思う。だいぶ迷惑かけたな。でも厳しくしてもらったから今のあたしがあるって思えるようになってきた。すごく怖かったけどね。
http://saturn-tv.net/~satchin/ero/readres.cgi?bo=erosodan&vi=1087746498&rm=100

陰核切除 CLITORIDECTOMY
http://www.google.co.jp/search?q=CLITORIDECTOMY&hl=ja&rls=com.microsoft:ja:IE-ContextMenu&rlz=1I7DAJP&prmd=ivnsb&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=UAigTe_BFIa-vgO47oj0BA&ved=0CDYQsAQ&biw=972&bih=821


コートジボワール、少女たちを待ち受ける「悪習」
http://www.youtube.com/watch?v=b-tE3ZXdcp8&feature=related

Female Genital Mutilation (FGM)
http://www.liveleak.com/view?i=b6e_1248548199

FGM
http://www.youtube.com/watch?v=PS0UpDiAa1E

Clitojap
http://www.youtube.com/watch?v=EqGwI2jojcY&eurl=http%3A%2F%2Fja%2Eclitoraid%2Eorg%2Fnews%2Ephp

「陰核切除」 

女子に対する「割礼」のことで、陰核を幼いうちに切り取ってしまうこと。


「陰核切除」の目的は、女性器性感を鈍化させることによる浮気封じにある。つまり男上位主義に基づく男の身勝手から出た発想で、女から性的快楽を奪うことにつながる。モハメツトは教典『口伝律(スンナト)』で、割礼は男のための儀式だが女にとっても名誉なこと、と言っている。しかし女の割礼を神聖な行事とするイスラム教の割礼儀式、ことに陰核切除は、中東やアフリカの一部に見られる残酷な弊習にすぎない。

従来、たいていの陰核切除手術で、施術者は少女を押さえつけ、麻酔も施さずにクリトリスを擦って勃起させ、その頂点で切り落とす。女の子は痛みに悲鳴を上げ、予後ケアーも不備なため、命を落とす者も珍しくなかった。

一八七〇年頃ヨーロッパで女のオナニー有害説が流布し、その影響もあってクリトリス切除が流行した。この傾向はアメリカにも飛び火し、一八九〇年代女たち(多くはプロスティテュートだが)は骨盤矯正という名目の手術を受け、その流行に乗ったことを証明するべく手術跡を見せ合ったという。

http://mistererog.seesaa.net/article/174587783.html

FGMを行う理由

・処女性確保・性的自由の剥奪・性欲抑制・夫への配慮・結婚の条件

・恥と村八分の回避・誇り・美容・伝統の尊重・通過儀礼・・・

・ 処女性確保=陰部封鎖の場合、切開したり、ぼちぼち広げないとペニスは入らない。

・ 性欲抑制・性的自由の剥奪=痛みがある(快感はない)のでセックスしようとしない。陰部封鎖の場合は広げなければ自由にセックスできない。

・ 夫への配慮=セックスが夫だけの快感となるために施術する。

・ 結婚の条件=夫だけのための女と認められる。

・ 恥と村八分の回避=部族への帰属心が求められている。

・ 誇り=痛みに耐えしきたりに従った自信。

・ 美容=黒っぽくなる所を取るので、きれいになると思われている。

・ 伝統の尊重=2000年以上に渡って続けられてきた。

・ 通過儀礼=痛みに耐えることが、大人の条件


 女性が男性より強いと思われ、男が性的コンプレックスを持っていることがFGMを継続させているのだと内海夏子さんもその著書で述べている。

つまり、FGMは、自信のない男が、強いと思われている女より優位に立つために、女を傷付ける風習なのかもしれない。問題なのは、女の地位があまりにも低いために、人間としての付加価値を求めて女自身がFGMを積極的に継続させていることにある。

http://yoshiko2.web.fc2.com/fgm.html


陰核切除が良い事だと見做された理由


96 名前: 名無し調教中。 投稿日: 02/02/21 03:23

女の場合、外性器(クリトリスなど)を刺激することによって性的快感を得ることを覚えてしまうと、膣への挿入行為にまで至らずに本来の生殖行為が妨げられてしまう。

だから純粋に子作りに集中させるために外性器を切り取ってしまおうというのが、 女子割礼の基本的な考え方らしい。

617 名前: 名無し調教中。 投稿日: 02/12/28 22:33

世界的にはFGMとして、十把一絡げにされて非難の対象になっているけれど、結局、女子の割礼をする理由ってのは、それぞれの集団の事情によるのではないかな?

たとえば、エジプトでは、女子の性欲を抑えることは当然第一の目的として、あの国では、成人女性は皆、陰毛を剃るでしょ?
やっぱ、毛のない割れ目のてっぺんに肉の突起があるのはグロテスクに見えると思うな。
ブサイクだから取ってしまう、というのが第2の理由なのでは?


また、ペルーの奥地あたりでも思春期の女の子のクリトリスを取る習慣があるらしいけど、 こんなこと地理的にも、どこか他からわざわざ持ち込まれるはずはないわけで、自然発生的に、「これは取ってしまおう」ということになったのだと思う。


それと、アフリカ関係の本で読んだけど、女子割礼が普通に行われている集団では、男は、「女の股間にイチモツが有るのを見たら、勃つモノも立たない」そうです。 女の股間にクリを見たら、即、勃起する我々とは大違いです。

その感覚って、日本人に例えると、「女だとばっかり思っていたオカマのホステスのちんちんを見てしまった」幻滅感みたいなものなのでしょうか?


622 名前: 名無し調教中。 投稿日: 02/12/31 00:16

さっきまた、ドイツ人の女の子からチャットが。
タイでも10パーセントの女性は切除されているという話でした。
なんでも、タイの子供用の施設の中で切られているとか。
性欲のコントロールのためか何かで。

626 名前: 名無し調教中。 投稿日: 02/12/31 19:28

オレも聞いたことある。 将来売春婦にならないように防止の意味で陰核、小陰唇を切除するらしい。 施設でいるためには割礼を受けるしかないようだ。

しかし施設でいれる少女はまだ幸せな方らしい。
路上生活してる少女たちは強姦や人身売買の危険と飢えに苦しんでるそうだ。

少し前、日本テレビか何かのニュースで特集してた記憶がある。

629 名前: 名無し調教中。 投稿日: 03/01/01 03:31

番組名は忘れたがニュースの特集なので10分くらいだったと思う。

タイの身寄りのない子供が入る施設に男の医者が来て施設内のホールのような部屋で割礼してた。 女の子をベッドに仰向けにして看護婦らしき女性が2人で片足づつを持って股を開き上半身を私服の男性が抑えつけてた。(たぶん施設の職員)

局部を消毒したあと医療用のハサミで切除してた。
ハサミで切るたびにパチンパチンという音がしてたと思う。
もちモザイクしてたけどイメージは大体わかった。
麻酔したかどうかは不明。

割礼されてる女の子の顔が一瞬アップになったけど目に涙をためて我慢してた。
目が大きな可愛い娘だった。

VTRが終わったあと女性キャスターが取材担当の女性記者に「割礼とは具体的にどのような処置をするのですか?」 みたいに聞くと「一般的には陰核と小陰唇を切除することです」と女性記者が真面目に答えていた。

この番組は少女への割礼は人権問題だと非難していた。

633 名前: 名無し調教中。 投稿日: 03/01/01 20:31


2 女の子の年格好は?

10歳くらいの娘で下半身のみ裸にされてた。
他にも数人の娘がこの日に割礼を受けたと言ってたような気がする。


3 切るときの音は本当にパチンパチン?

どう表現したらいいかわからないがマウスをクリックするような感じの音だった。 ばねが弾けるような感じの音だったかもしれない。


少女たちには事前の説明をせずに割礼するらしい。

おそらく何の処置なのかわからないまま性器の痛みに耐えて、後で性器を見たら陰核と小陰唇がなくなっているのに気付くのだと思う。

20代くらいの女性職員がインタビューを受けてて、その女性もこの施設の出身で
入所した時に割礼を受けたと言ってて、割礼の有効性を主張してた。 しかし担当記者の報告では割礼を受けてても施設出所後に生活苦から売春に走る娘が多いらしい。

http://pink.bbspink.com/sm/kako/1010/10104/1010499056.html

早い話が、無割礼の女性は安いからです。

一部の途上国での妻の立場とは先進国の愛情を注がれるような生活ではなくて、使い勝手の良い労働者なので、それなら健康な女性であれば誰でも良かろうにと思うのですが、ひとつの理由に宗教上の処女崇拝などが根深いというのもあるらしいのです。

無割礼ですと貞操が守られることはないだろうし、親が娘を嫁がせる時に夫側から受け取る金品類も減って商品価値が下がるのではないでしょうかね?

http://ekura.blog.so-net.ne.jp/2009-07-10


62. 名無し調教中。 05/03/12 16:48:38

割礼は国際的にフェミ団体を中心に批判されているが、当事国の女たちは自ら進んで割礼を希望している。

それは、いい男と結婚したいからだ。

先進国で女が男を引きつける為にする美容整形と同じ意味合いもある。 美容整形のように皮を剥ぎ、骨を削る手術シーンの方が遥かに酷いだろう。

宗教的伝統儀式から生まれた割礼だが、現状では女としての価値を高める意味合いがつよい。

割礼をする国の男性は女性器の小陰唇がグロいという認識がある。
キレイな性器の女と結婚したいというのは万国共通だ。

ある日、日本に海外の団体がやってきて美容整形は女性差別なので直ちに禁止しろと言われたらどう思う?
割礼を禁止するよりも、まっとうな医師の元で安全に行なえるように指導と援助するのが正しいであろう。 異国の伝統と文化を否定する権利は誰にもないはずである。


83. 名無し調教中。 2005/03/24(木) 11:29:08

アマゾンのある部族の女子は初潮を迎えると、大陰唇の両側の縁を傷つけ左右を癒着させてしまう。尿と経血の出口である小さな穴だけを残す。

結婚式の初夜、新郎がハサミまたはナイフで切り開くのである。

またある裸族の習慣では、

女性は大陰唇に一対一列のピアス穴をあけ紐を通して陰裂を縫い合わせている。
この紐は、めでたい席では赤、葬式などでは黒、普段は白と決まっている。
この紐は貞操帯の役割をもはたし夫だけがほどくことが許され、陰部を洗う場合でも妻が自分でほどくことは許されないし、紐のつけはずしも陰部の洗浄も夫の役目であり、女性は自分の陰部に触ることも許されない。

結婚とは陰部の所有権・使用権を夫に明け渡すことなのである。


186. 名無し調教中。 2005/06/24(金) 12:59:35 ID:k1TOEymO

陰核、小陰唇切除のメリット

1.ヒステリーを起さなくなる。
2.自慰防止効果。
3.衛生状態の改善。
4.貞操観念の向上。
5.外性器の美観向上。

187. 名無し調教中。 2005/06/24(金) 14:29:42 ID:UdVjm00Q

ネタだとは思うが、たまに真性馬鹿がいて本気で言ってることがあるので
>>186を訂正しておく。

1、ヒステリー=子宮なんで昔は子宮摘出なんて馬鹿もやってた。
アリストテレスの頃からの迷信がベース。子宮がない男もヒステリーになる。まあ、たまに摘出手術のストレスで塞ぎこんで大人しくなったのを快方に向かったことにしちゃってた
んだな。


2、自慰が心身の健康に良いのは実証済み。まあ、女性の自慰がタブーな地域じゃ
「うちの娘はオナニーしません。」と、嫁の品質保証にはなる。


3、衛生に関しては百害あって一利なし。健康な性器はとりあえず放って置いても健康に影響がない程度には清潔だ。トラウマから性器に触れるのを畏れて不衛生にして健康被害が出ることがある。メスを入れると感染しやすくなるのだ。


4、長くなるんで、「喜びの秘密」を読むべし。旦那とのセックスが痛いだけでは貞操とは言えまい。


5、クリトリス見ると萎えるって事はあるらしい。
もっとも、インターネット上で観音様見放題の時代なんで、北アフリカ地域でも割礼してない女性が歓迎される風潮は出てきた。特に都市部ではほぼナチュラルマンコ派が大勢を占めた。
地方から出てきた保守的な家族、あるいは女子割礼をイスラムの教義と混同する神学校教師の影響を受けた家庭。そんなところの娘が被害にあうことになる。
もちろん、テレビもラジオもない地方では何の変化もない。

188. 名無し調教中。 2005/06/25(土) 00:34:05 ID:Jr2DdXCf
>>187
陰核とは男性的器官であり、陰核を切除することにより女は完全な女の体になれる。

女にとって性欲は弊害でしかなく、性感帯である陰核、小陰唇の切除は精神衛生的にも不可欠である。 女の性の乱れは社会、家族の崩壊に直結するからである。

陰核と小陰唇は性的快楽のためだけに存在するものであり、切除しても健康上の悪影響は一切ない。 割礼実施地域の女は、日本等の女と比較しても家族、子供を大切にし、貞操観念もしっかりしており夫を裏切らない。

それは陰核のない完全な女の体と精神を持っているからである

964. 名無し調教中。 2006/12/15(金) 01:57:06 ID:zzWVwTRr

数年前出た「女子割礼」ていう新書読んでたら、割礼廃絶の動きが活発化する中、割礼やらずに済んだのに、大学生や大人になってからわざわざ割礼受けにくる女性が後を絶たないのだとか。 やっぱり成人してからの女子割礼も珍しくないんだね。

最近増えてるだけかもしれないが、背景には、やるべき部族の伝統を守らなかった後ろめたさがあるらしい。

966. 名無し調教中。 2006/12/15(金) 03:06:13 ID:zzWVwTRr

命に影響しないなら、あとは痛みに耐えるかどうかの問題で、みんな頑張ったのにさぼった卑怯者みたいな扱いになり兼ねないし。 まあ、出身コミュニティにおいては成人扱いされないし、はっきり言って差別の対象でしょう。 兵役逃れした成人男子みたいなものか。

972. 名無し調教中。 2006/12/15(金) 16:20:59 ID:7IFxs/KV

割礼じゃないんだが起源が比較的明確な纏足の例で考えるとな。
纏足ってもともと唐の時代に胡姫(金髪おねえちゃん)がダンスをするときに足をきつく布で縛ったのを真似したわけだ。最初はちょっと前に流行った上げ底ブーツみたいなお洒落だったわけね。 ところが、時代が下ってそれが女のたしなみになってくると事情は変ってくる。

個人的に足を小さく見せる方法を工夫したのが親が娘にたしなみとして教えるようになり専門にそれを職業にする人も出るわけだ。歯止めが利かなくなり、幼児の足を縛って骨を折るなんてことになるわけだね。そうなると男の方の嗜好も変って、よたよたと危なっかしく歩く姿に萌えるなんてことになる。金蓮歩なんて言葉ができるのは宋になってから。

女子割礼も最初は似たようなもんだったんじゃないかね。今の日本で言うボディーピアスかなんか。

http://pink.nihongodeok.net/thread/pie.bbspink.com/test/read.cgi/sm/1107523811/

女子割礼と文化摩擦


 「フランス,女子割礼に有罪」という記事が新聞の社会面(2月28日付『朝日新聞』)に載った。フランスに住むアフリカ系女性28人が,娘に割礼を施したとして禁固2〜5年の判決を受けたのだ。

 米国でも最近,ナイジェリアからの移住者の母親が,娘に自分で割礼を施して傷害罪で訴えられるなど,同じような事件がつづいている。アフリカからの移住者団体は「割礼は伝統であり,欧米の批判は文化的な帝国主義だ」と主張,それに反対する人権擁護団体との間で激しい論争が続いている。まさに「文明の衝突」である。米国の女性保護団体の調査ては,女性割礼か行われているのは世界で28カ国に及び,1億2000万人か受けているとも推定される。女性会議のたびに反対決議か採択されるが,現在でも毎年200万人が新たに受けているという。

 女性の割礼には,大きく分けて3種類ある。もっとも多いのは「クリトリス切除」だ。クリトリスだけをえぐり取ってしまうのが普通だが,同時に小陰唇や膣口の周辺を切り取ることもある。クリトリスの先と包皮を切り取る「スンナ割礼」は,中東で行われるが数はあまり多くないとされる。

 そして,拷問以外の何ものでもないとされるのが,「ファラオ式割礼」である。エジプト南部のヌビア地方からスーダンやエチオピアにかけては,ほとんどこの方法だ。クリトリスから大陰唇,小陰唇を切り取って外陰部の両側を閉じて癒着させる。閉じるのには羊の腸線を使ったり,樹脂などでノリ付けにする。このときに尿や生理の血が通るように,木切れを差し込んで小さな穴をつくる。完全に癒着するまで数週間,腰から両足にかけてしばって固定する。

 大都市では,欧米で教育を受けた医師が近代的な手術をする場合もあるが,通常は村の年長の女性,長老,鍛冶屋などが,消毒もしていないナイフやカミソリで行う。対象は,7歳から10歳ほどの子どもだ。最近ではさらに低年齢化する傾向にある。「ファラオ式割礼」は,原始キリスト教のコプト教徒に多いが,カトリック,プロテスタント,イスラム,アミニズムなどのあらゆる宗教,階層,民族を超えて,伝統的習慣として行われている。私たちからみれば野蛮な行為だが,社会に深く根を下ろして現地では議論の対象にすらならない。

 手術のとき破傷風などの感染症で死んだり,切除の痛みで舌をかみ切って死ぬこともある。尿道や肛門の括約筋までが傷つけられて障害が残る例さえ少なくない。出産のときも産道が萎縮して赤ちゃんがうまく出てこなかつたり,会陰部が大きく裂けて多量の出血が起きたりする。アフリカで出産時の母子の死亡率がきわめて高いのは,割礼も原因だ。

 表向きの目的は「女性をレイブから守るため」というが,現実には男性の処女崇拝や女性器支配,さらには女性の性感を奪うことにある。割礼を受けないと売春婦扱いされたり,結婚のときに「欠陥品とされて親に婚資(男性が花嫁の父親に支払う財産や労働)が支払われなかったりする。それを恐れる親が娘に強いることになる。割礼はアフリカなどで女性の置かれた立場の象徴でもある。現実に,途上国の農村の多くでは,女性が農作業,炊事,洗濯,育児などの労働の大部分を担わされている。

 このために,女性の社会的地位の向上が開発途上国の発展の力になる,とする意見が世界的に強まっている。女性の地位の向上は割礼の廃止からということで,国際的な関心も高まつているのだ。

 

女子割礼の実態とその詳細

解剖学 では、具体的に女子割礼とはどのようなものであるか見てみよう。女子割礼には大きく三つに分けられる。(引用「女子割礼」フラン・P・ホスケン)


Types of Female Genital Mutilation
http://www.wunrn.com/news/2007/11_07/11_05_07/110507_female.htm

一、 スンナ割礼
   クリトリスの包皮と先(もっとも柔らかい部分)の除去。この高度な技術を要する   手術はの知識を持たず、粗製の道具を使い、周囲の状況が悪くてもアフリカや   中東でみごとに行なわれる。


二、 切除/クリトリス切除
   クリトリスと下陰部、そして時々外側の生殖器全部を含む外側の隣接部分の除   去。地域によって膣がさらに切られる。(出産を楽にするためであるが逆に困難   にすることも事実である。この方法が一番よく行なわれる。


三、 陰部封鎖(ファラオニック割礼)
   クリトリスと大陰唇と小陰唇を除去した後、外陰部の両側を膣の上で閉じる。こ   れは出血する大陰唇の両側をとげや腸線、あるいは粘着性の練り物で留めら   れる。尿が出るように木切れをさし込んで小さな穴をつくる。それから子供の両   足をしっかり縛って数週間、すなわち傷が治るまで固定する。

   
このような手術がどのように行なわれるかというと非常に杜撰な方法を取られる。執刀者は主に老女、伝統的出産付き添い人であり、現代では病院や助産婦(ダーヤ)によって行なわれる。手術といっても用いられる道具は主に特別なナイフやカミソリの刃などの手に入る鋭い器具である。無菌法は知られていないので、少女は手術後合併症などで死ぬケースもある。

儀式に乗っ取って行なわれる場合、木の下や小屋の床などで行なわれ西アフリカでは、泥や灰などが出血をとめるために用いられ、麻酔薬も使用されないため、少女たちの痛みは計り知れないであろう。これらの儀式は、クリトリス切除は伝統的に成年に達した儀式として行なわれるが、最近ではもっと幼い子供たちに行なわれる。陰部封鎖は4才から8才の少女に行なわれ、こちらも若年化が進んでいる。生後数日の赤ん坊に行なわれている場合もあるのだ。

 歴史的に見てこの女子割礼は2千年もの間、赤道沿いの広い地域のアフリカや諸国で行なわれてきた。アフリカの人口増加に伴い、以前より多くの子供たちが手術を施されている。最近の動向では、西アフリカの指導者や、ケニアで生殖切除を禁止しているもののその後、禁止がまったく履行されていないのは悲しむべきことである。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kuribou/katurei.htm

28 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 01/09/03 06:27 ID:RhdwwuWs

「FGM トーゴ共和国、チャンバ族・コスントゥ族など部族の例」

性器を全て切り取ったうえで外性器を縫って塞いでしまう。

本格的な手術とかではなく、かみそりかナイフを使用して4人の女の人が娘の脚を広げて押さえつけ女の部分をそぎ取るのである。その後は止血のため薬草をあてがわれ、両足を腰からひざの所までを結わえられたまま40日間傷が癒えるのを待つ。その間娘はベットで過ごし肉親が用を足すのを手伝い傷の癒え具合を確認する。その期間は誰とも会うことが出来ない。

だいたい15歳くらいに行われて、結婚する前までには行われ、1人前の女として認められる。

もちろんそんなやり方なので、破傷風や出血多量などで死に至る人もいるがこの慣習を信じる人達は、施術を行わないと恐ろしいことが起きると信じられていて、施術自体が死にいたらしめたとは思っていない。

ちなみに、FGMのやり方は部族によってちょっとずつ違うので、他にもいろんなやり方がある。


32 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 01/09/03 23:25 ID:8pYJI9Z6

FGMの手法は大きく分けて三つある。

1、 クリの切除
2、 クリと小陰唇を全部そぎ取る
3、 クリと小陰唇をそぎ取った後、尿や生理を通す穴を残して大陰唇を縫い合わせる。


28で紹介したのは、3の例だろう。

この場合初夜に夫が癒着した大陰唇を切りひらいて事に及ぶので、この場合のFGMは嫁にした女が100%処女だいう女の実家側の「品質保証」でもあると言える。

むろんされる女はいやだろうが、これをしないと嫁に行けないそうだ。

http://www2.bbspink.com/sm/kako/999/999014200.html

『砂漠の女ディリー』


著者は、世界的トップモデルだったソマリアの遊牧民出身のワリス・ディリー。
本は、彼女の自叙伝。その中で、彼女が受けた女性器切除について詳しく書かれている。

まだ5歳の子供だった頃、ワリスは早く大人の仲間入りをしたいと親に頼んだ。
当日、砂漠からベドウィンの老女がやってくる。そしてワリスは岩の上に仰向けにされる。母親に押さえつけられて、老婆がワリスの足の間に座り鞄から何かを取りだす。

それは歯が欠けたカミソリ。カミソリは使いまわしで、血が付いている。
老婆は血が付いたカミソリに唾をつけ、ワリスの股間に手を伸ばす。

そして歯がボロボロのカミソリで、のこぎりのように女性器を深く切除する。
そしてトゲで穴をあけ、その穴に糸を通して縫い付ける。

切除のときも激痛に失神したが、トゲで穴を空けるときはもっと痛くこのまま殺してくれーー!って思ったと。 この一連の作業は、麻酔などもちろんなし。

生きていた彼女はまだ幸運で、多くの女性が出血多量や感染症、破傷風にかかって死亡するという。その一連の作業で死亡した女性のことを家族や誰も口にしない。元々その女性が、この世に存在していなかったように・・・

この女性器切除、国、地域、部族によって切除部分が違うらしい。
一番軽いのは、陰核切除。(軽いと言っていいものだか・・・)
ソマリアの場合は、全部切除するらしい。
そして、切除だけじゃなく、縫い付けて結合させるらしい!

フォーラムでも、「縫い付ける」とは言ってたけど、私には意味がわからなかった。縫い付けるって、どこをどう縫い付けるの??

ワリスの場合は、縫い付けられた女性器の部分はまっ平らだったという。

縫い付けるときは、2つの小さな穴だけを残す。その2つの穴とは、小便と経血の穴。その穴が、後々女性を苦しめることとなる。

結合のため、小便や経血はせき止められ、小便は全部出すまで10分もかかるらしい。生理の時は、生理痛がひどくて、何度も失神するらしい。生理が終わるのにも10日を要するらしい。 1カ月のうちの10日間、女性は酷い酷い生理痛に苦しめられる。

女性は元気そうにしていても、年齢や個人差はあるけど、生理の時はほんとうに苦しい。若い時など1日中動けず寝込むこともある。それはたいてい1日や2日だったりする。でも、女性器を縫い付けられた女性は、そんな苦しさを10日間も味わわなくてはならない。しかも毎月・・・

もう想像しただけで恐ろしすぎる・・・


このような女子割礼ともいわれている女性器切除は、アフリカだけではなく、アジアのイスラム国もで行われてるらしい。そして、ヨーロッパやアメリカに移住したアフリカ系の人たちは、そのままその習慣を持ちこみ今では、欧米諸国でも行われていて、地域で見ると広がっているという。

で、なぜそのような恐ろしい習慣が続いているのかというと、いろんな説があるけど、


結婚した時、処女であるという証のため、

女性の性の喜びを強制的に排除してしまうため、

男性優位社会で、男性が女性を押さえつけるため、


などなどだそうだ。 

ソマリアでは、女性は割礼をしてないと、お嫁に行けないらしい。
割礼していないと、家族、一族の恥だという。

これは、「親の役目で、子供を結婚させるためにしなければならないこと」と、何千年にわたり思い込まれている習慣。

女性は、そのことを誰にも言わない。そして、女性たちは、世界の他のどの女性も同じようにしていると思っている。だからあえて言うことでもないし、酷い生理痛であろうが耐えてしまうという。

出産のときも、女性器が結合されていることで、赤ん坊も出てこれず、
母子ともに出産時に死亡することも多い。

女性器を切除された女性は、そのことで一生苦しめられることになる。これは伝統文化というたぐいではないと思う。

フォーラムで、このようなことが行われている国が色分けされていて、
エジプトも多く行われていることに私は驚いた。
分布図はこちら『FGM Map』

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Fgm_map.gif#filehistory

本では、エジプト人女性も多く結合されていると書かれていて、ヨーロッパなどで結合されている部分を開く手術を受ける人もいるとあった。

http://kaoridon.blog68.fc2.com/blog-entry-1167.html

20 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/04/30 22:39

生殖器の部分的切断を割礼という。
場合によっては段世紀包皮の環状切開以外に包皮全体の切除や尿道の切開なども含む。

21 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/04/30 22:39

一番ひどいのになると、外陰部(大陰唇、小陰唇、陰核)を全部切除、挙句に小さな穴をのこしただけで縫い合わせてしまう。

対象は小さな女の子で当然ながら消毒も麻酔もない手術だけでショック死する子も多い。 手術後に感染症をおこして死ぬ子とあわせて40%に達するとか聞いたことがある。

傷がいえた後も小便さえもままならない、一回の小便に2時間もかかるようなとんでもない体になってしまうこともある。

結婚すると縫い合わせた陰部を夫がナイフで切りさいて性生活をする。 長期にわたり家をあけるようなときはまた縫い合わせてしまう。

中央アフリカの多くの女性はこのような生活を強いられている。アメリカに移民したブラックアフリカ系の女達もいまだこんなことをしているのが数万人いるとか・・・

24 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/04/30 23:29

>21
陰唇を切除すると、縫い合わせられないんじゃないの?
仮に縫えたとしても尿道口とは関係ない。 つまり、

1、陰核の切除
2、外陰部の完全切除
3、女性器の縫合

はヴァリエーションとして分けたほうがいい。 1と3は並存可能だが。


25 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/05/01 00:08

>>24は何が勘違いしてると思われ。 切除したら縫合しなきゃならない。
アフリカでの女子割礼でいう陰唇切除ってのは事実上外陰部の完全切除(ファラオ式)をさしている。 だから尿道口もあけておく必要があるんだよ


26 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/05/01 00:41

>25
ややこしいな。
羊の腸線や,樹脂などで癒着させる。
と書いてくれ。

216. 名無し調教中。 2005/07/25(月) 15:36:22 ID:dQfsirh/

素直に運命を受け入れて痛みに耐えようと歯を食いしばるが、気絶してしまう子もいい。

一口に女子割礼といっても苦痛のレベルは様々
いちばん辛いのは、

陰核、小陰唇、大陰唇、膣口切除、膣拡大術、外陰部封鎖

これをぼろぼろの剃刀刃でえぐるように時間かけて施術

15 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/06/29(金) 01:25 ID:R0emiL.6

飲み屋のババアから、終戦直後のパンパン(ストリートガール)の「オサネ切り」リンチの話を聞いたことがあります。オサネ=クリトリスですね。

いくら言って聞かせても、ナワバリや掟を守らない女がいると、まずリンチでボコにする。それでも聞かないやつを、みんなで押さえつけて、クリトリスをちょん切ったそう。

慣れてる女がいて、包皮をつまんでキュッと上の方にしごくと、クリのあたまがプルッと出てくるのだそうです。 そこをカミソリでスパッと切ると、その瞬間、切断面からおしっこみたいに血がピュと出て、切られた女はほとんど失神、あるいは失神寸前の状態になるそうです。

これをやられた女は、娼婦としては使いものにならなくなるらしい。 お客がオサネのない女をいやがるとか言ってた。もちろん私生活のセックスも楽しめなくなって、つらい思いをするそうです。 ああ。こわ。


40 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/05(木) 05:29 ID:twOvt3ek

何年か前、東スポに「陰核切除」という見出しが踊っていた。しかも一面トップで。
オウムの麻原がかわいがっている何人かの女性幹部のクリトリスを切除する手術をやらせたって。 理由は浮気を恐れてのことだったとか。

だから石井久子とか、あと名前忘れたけど彼女たち、オウムでクリトリスちょん切られたんだね。 気の毒に。まあ東スポだけどね。

それにしても、その日はどの駅の売店でも「陰核切除」 コンビニでも「陰核切除」 日本全国「陰核切除」(w)

55 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/11(水) 00:31 ID:O5ESLiJY

ガラス壜がいっぱい並んでいて、そこにホルマリン漬けのクリトリスが一個づつ入っていて、それぞれ名前が書いてあるの。「石井久子」とか「飯田エリ」とか。
ずらっと並んだクリたちの前で、ふんぞり返って四姉妹に陰茎を世話されているショーコー。

萌え................ないな。気色悪くなってきた。スマソ逝ってくる.....

58 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/11(水) 05:29 ID:N.esd4nA

ところで、瓶詰めといや、ベトナム戦争時代の現代の奇談があるみたいね。

ベトコンだかへの拷問は熾烈きわめたけど、けっこう女のベトコンが一番しぶとかったみたいで、電気拷問とか、なにやっても口割らない。もちろんそのころには、クリなんて電気責めでこげてしまってるんだろうし。

んで、精神的恐怖ってことで、クリではないけど、女性の内外性器、つまり膣と子宮などを、処刑したベトコンから摘出して、ホルマリンずけにして、名前書いたビン詰めにして、棚にずらってならべて、新しい女囚を威圧した、ってどっかの英語サイトにのってたけど、似たり寄ったりだね。

顔写真もガラス容器のところに貼ってあるらしく、仲間のベトコン女兵士のなれの果てを見て、卒倒する女囚が後を絶たなかったそうで、その手の拷問が一番効果覿面だったらしい


61 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/13(金) 01:53 ID:7/cHgX7s

>>58
ベトナムは酷かったみたいだね。
なにかの本で読んだが、乳飲み子を抱えた若い母親の両乳首を、ナイフで切り取ったり(フランス兵だと書いてあった)、 ペニス切り取られた男もたくさんいたそうだ。
クリトリスやラビアを切られた女もいたんじゃないかな。


62 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/13(金) 05:36 ID:2CbJa/bU

戦時中のベルリンでは薄く剥ぎ取られた女性器そのものが見せしめに玄関に釘で貼り付けてあったそうだよ。


63 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/13(金) 06:17 ID:7FPat022

日本でも今ある結構大きな宗教団体で陰核切除やってるよ
両親ともにその宗教に属してるとその子供にやるんだよ


66 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/14(土) 02:27 ID:FYVdZk7E

「ドイツの古代には、姦通したら女性器を切り取る刑罰があり、切った品物は女の家の門に釘づけにしたという。」

「大阪の千日前の刑場では、女の性器をえぐりとり、晒して民衆にみせた。」

以上 井上橘泉著「写真集 残虐の女刑史」(綜合図書)より

切り取られた自分の性器を、さらしものにされるのはどんな気分だろう。
怖いような、萌えるような。

77 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/18(水) 00:14 ID:OZoMEO/s

確かアフリカのクリ切断は、クリがあるせいで淫乱になるってゆう俗信かららしいけど、本当にクリを切断しちゃうと、ほかの性感帯で快感を得ようとしてかえって淫乱になってしまうらしいね。
皮肉なもんだ。


80 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/19(木) 05:30 ID:Ec7w5sPw

>>77
アフリカの女性器切除は有名ですが、19世紀はじめの欧米ではオナニーの治療として、クリトリスの切除手術をやっていました。

オナニー=罪悪という西欧キリスト教的価値観から来ているのでしょうが、もともと性欲の強い女性のクリを切り取るわけだから、その残酷さは、ある意味アフリカのより酷いかも、、、

88 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/23(月) 23:59 ID:ytmGckNw

BME じゃ あんまりにも 性欲が強い 女が.. クリトリスを先の細い半田ごてで内側から 焼き潰すってのをやったみたいよ 一度ならずも 二度も..

一度目は 焼く時間が短くて 感覚が残ったから.. 二度目は 5秒ぐらい焼いたらしい...

95 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/26(木) 21:20 ID:KAEscDwI

>>88
アメリカなどで自慰過多症の女に手術を施すとき、切断する前にまず硝酸銀などで焼いて感覚を麻痺させていたらしい。
それでも直らなければ初めてクリを切断したワケ。


99 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/29(日) 03:42 ID:bSRjdmlM
>>95
自慰過多症の治療って、まさか本人が医者に相談して荒療治うけてたともおもえんから、それって子供なんだろうか? それにしても、その場合親に自慰過多賞が発覚して医者につれてかれるってことなんだろうけど、どうやって親に娘のオナニーがばれてたんだろうか?


100 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/29(日) 22:36 ID:7vN9Rjsw
>>99
大人だよ
20世紀初めまでは男女とも自慰過多は廃人になっると信じられていた時代だった
本人が罪悪感に悩んで医者に行くケースや精神病患者の自慰が発見されるケースが手術の対象になった
精神病の男の場合は去勢されることも珍しくなかった

103 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/31(火) 00:14 ID:noxBRbE2
>>102
テキサス州の病院での3人の自慰過多病の男性患者(白人1人黒人2人)の去勢手術について「優生学の名のもとに」という本に出ていたよ。

105 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/08/02(木) 05:03 ID:gfUHaq9k

知り合いの女の人で、バイクの事故で、クリトリスと小陰唇を全部なくした人がいるそうです。
入院中はほとんど、切断した性器のことなんて頭になくて、もっと人目につく、顔や体の傷やアザが治るのかということの方が、切実だったそう。

でも退院してから、自分のうちのお風呂で自分の股間をひろげて見た時にショックを受けた。
クリもびらびらもなくなって、穴だけになった自分の性器が惨めで、その日は何時間も泣いたそうです。

再建手術もイヤで(医者や看護婦に見られるのがイヤとのこと)、結局その人、精神的にセックスできない状態になっちゃったそうです。

8 :/名無しさん[1-30].jpg[sage]:2006/07/27(木) 01:24:23 ID:HhA5P4o20

調査した女性が居たが、「何もないカベを見ているようだ」って言ってたなぁ
クリ・小陰唇切り取り、大陰唇縫合・マッチ棒程の穴を残す、、、、


18 :/名無しさん[1-30].jpg[sage]:2006/10/18(水) 15:34:41 ID:H7QVXylk0

女の欲はそれだけ底なしだから そういう風習ができたんじゃないかね
そこまでしなくてもと思うが…


139 :/名無しさん[1-30].jpg:2008/08/07(木) 15:50:51 ID:jmAtR7us0

アフリカはかなり男尊女卑だからな。
女は男の所有物なので、下手に性欲に目覚められたら気が気じゃない。
そんで、女が自分から欲しがらないようにクリを切除。

少し前まで(否、場所によっては今でも?)石の矢じりのようなもので長老等が少女の性器を切り取った。 そこから感染症を起こして亡くなる場合もあったそうだ。 あまりに女性の意思を無視した危険な習慣との事で、これを無くそうという運動団体もある。

http://www2.bbspink.com/sm/kako/993/993375254.html
http://unkar.org/r/ascii/1153582447

娘の女性器を切除をさせないため米へ亡命 妻に浮気させないため…アフリカで毎日8000人切除


1 ◆TvN8RkVODg @ターンオーヴァーφ ★ 投稿日:2010/03/24(水) 00:43:06 ID:???0

古き悪習を絶て!

     
現地時間3月22日夜、ロンドンで開催中のヒューマン・ライト・ワッチ映画祭で、 ドキュメンタリー映画 『ミセス・グンドス・ドーター』(原題)の2度目の上映が行われた。 本映画祭での上映がイギリスでのお披露目となる本作、 アメリカからやってきた共同監督のジャネット・ゴールドウォーターとバーバラアティが質疑応答した。

本作は、アフリカのマリ共和国から、アメリカのフィラデルフィアに逃れてきたグンドス夫人を追ったもの。 夫人の渡米理由は、娘の女性器切除を避けるため。 マリでは一般的に行われている習慣で、夫人自身も記憶がないほど幼いころに切除された。 ひどい痛みをともなうという切除で、物心ついてからは、切除後の子どもたちが泣き叫ぶ声がトラウマになったという。

本作ではマリの様子も映し出される。マリの男たちは仕事を求めて何年も家を空けて旅することがあるため、留守中、妻に浮気させないためにも女性器切除が有効という男性支配が、 宗教などとも結びつけられた習慣だということも明かされる。 村ごとに子どもたちをまとめて数十人も、剃刀で次々切り落としていくという荒っぽさで、出血多量や感染から死に至るケースさえあるという。

マリに限らず、アフリカ各地で行われている習慣で、年間約三百万人、換算すると毎日約八千人ずつ切除されているというショッキングな数字が示される本作だが、
「映画にとりかかった最初のころの統計ではマリの女性の92パーセントが切除されていましたが、最新の統計では85パーセントです。少しずつ、減少には向かっています」とアティ監督はマリ国内でも女性の人権意識が芽生えつつあることを説明した。

本作で問題としていることの一つが亡命認定。最終的には認定が下りるグンドス夫人だが、簡単ではない。 ケニア出身だという若い女性観客が「ケニアでも同じような状況です。 もっと認定がスムーズに下りるよう、こういう問題が広く理解されるべきだわ」と強い調子で訴える一幕もあった。
アフリカからの移民も多いイギリスでも、遠い問題ではないようだ。

23 名無しさん@恐縮です 投稿日:2010/03/24(水) 00:59:39 ID:VrJkY0cv0

中国の纏足もそうだったらしいが「やんねぇと嫁に行けない」ってんで女がかえってハッスルしてズルズル続くらしい。

で、たまに母親が早世しちまってやりそこなって独身確定な女がハイパー化して名人と呼ばれる腕になる

泣こうが喚こうが容赦しないから

42 名無しさん@恐縮です 投稿日:2010/03/24(水) 01:14:56 ID:J8vLhlkYO

ごっそり切って糸で縫い合わせるんだろ

んで初夜に旦那がナイフで…

恐すぎる


81 名無しさん@恐縮です 投稿日:2010/03/24(水) 02:06:26 ID:w9ov5aTG0

マジでグロい
本で酷い時は錆びたカミソリでギコギコ切り落とし出血多量で死ぬ場合もあるとかあった


104 名無しさん@恐縮です 投稿日:2010/03/24(水) 02:46:04 ID:d9nHajFP0

切除するだけではなく、縫い合わせてるんだよね。
だから初夜と出産は縫合してる皮膚が裂けるので酷く苦しむという。

「女がセックスの快楽を知ったら元気になり過ぎて夫の手に負えなくなる」

と、集落の長が言ってた。


115 名無しさん@恐縮です 投稿日:2010/03/24(水) 03:37:38 ID:rUF7F7ud0

 浮気できないように、縫合してしまうので、不衛生になりやすく、結婚した時にまた、切り裂いて、夫に処女だという証明になるそうで、 痛くてたまらないとか、、、、、


196 名無しさん@恐縮です 投稿日:2010/03/24(水) 10:43:36 ID:LtfVUPX60

まあ騒いだところで容易には解決しないけどなw
無知がたまたま発展途上のアフリカの事に気づいただけでの話だし ちょっとネタにして忘れるだけだろ

バリバリ先進国のサウジアラビアでも女はレイプされると死刑とかそんなレベル

http://horo346.blog75.fc2.com/blog-entry-857.html

奪われたクリトリスを取り戻そう!


1 :名無しさん@ピンキー :2007/04/13(金) 09:26:14 ID:???0 (76 回発言)


アフリカの狂った慣習「女性器割礼」

この事に関して考えるスレです。

伝統・慣習の名のもと、毎日多くの女性が暴力にさらされています!
1年間に世界で約200万人の女性たちが「女性器割礼(クリトリスを含む女性器を切除する習慣)」という宗教的な暴力の犠牲者となっています。

クリトレイド(http://www.clitoraid.org/)は性器切除に反対し、クリトリス再生治療を無料で受けることのできる施設「快楽病院」をアフリカに建設するための「クリトリス再生プログラム」をスタートさせます!


2 :名無しさん@ピンキー :2007/04/13(金) 09:30:56 ID:???0 (76 回発言)

クリトレイドのビデオ(日本語版)

http://www.youtube.com/watch?v=EqGwI2jojcY

32 :名無しさん@ピンキー :2007/05/30(水) 00:52:47 ID:cZDg9ba20 (2 回発言)

ひと:キャディ・コイタさん=女性性器切除の撲滅を訴える邦訳自伝を出版

 ◇原因は男たちの幼児性、文化の差と思わないで−−キャディ・コイタさん

 フランスで05年にベストセラーになった自伝「切除されて」が今月下旬、邦訳出版されたのを機に初来日した。

 7歳の時の写真が表紙に使われた。モノクロ写真の少女が上目遣いでこちらを見ている。

悲しみ、不安、不信感に加え、瞳には強い怒りが宿っている。撮影のことは覚えていない。だが、同じ年、ひどい目に遭ったあの日、声を限りに叫んだあの時の激痛だけは忘れることができない。

 親類の家に身内の女児ばかりが集められた。年配の女性に押さえつけられ麻酔もかけられず、カミソリでクリトリス(陰核)を切り取られた。

「誰も何も教えてくれなかった。今思えば、脳の一部を切られたようなもの。その後の早すぎる結婚や夫による性暴力に耐えてきたのは、あの切除で人格をおとしめられたせいだ」

 因習は、南部を除くアフリカ大陸の約30カ国を中心にいまも続く。毎年推定で200万人の少女が犠牲になる。儀礼的なものから性器全体をえぐり、縫いつけてしまうものまで、さまざまだ。

 起源はわからない。「切り取った部位をナイル川にささげれば土地が肥よくになるという説もある。 だがやはり、処女、貞節が重んじられ、女は性を求めてはならないという男たちの考えが大きい。根にあるのは、女は怖い、信用できないという男の幼児性です」

93 :名無しさん@ピンキー :2007/08/30(木) 21:08:46 ID:YIIcbLjIO (1 回発言)

浮気防止で切るって聞いた事ありますね。浮気どころか旦那との性交為さえ痛くて苦痛らしい。

好きな人との性交為の気持ち良さを知れないのは可哀そうですね。

107 :名無しさん@ピンキー :2007/09/28(金) 17:05:00 ID:b9KQq6QL0 (1 回発言)

アフリカだけじゃなくて、キリスト教国でもやってたんだよね、これ。
魔女狩りの時は、裁判官が股開かせて、栗が大きいのが見つかると、魔女認定で死刑だということもあったらしい。

まー、白人連中も似たり寄ったりだな。


115 :名無しさん@ピンキー :2007/10/14(日) 15:09:53 ID:???0 (76 回発言)

クリトリス(陰核)とは、全ての女のマンコ・オメコの中に付いていて快感を得る為だけにしか機能しないというエッチでエロい器官を指します。
本当に生殖や排尿や生命維持には何ら関係なく、快感を得る以外は機能しません。

使用方法は自分で弄ったりが主な使い道となりますが男に優しく弄ってもらったり、舐めてもらったりする方が機能的にも発揮されます。


116 :名無しさん@ピンキー :2007/10/15(月) 01:45:14 ID:NBBzmSZbO (3 回発言)

>>115
多分、妊娠とか無麻酔の中絶とかの痛みを和らげるのに使用するんだよ。
婦人科のお医者さんも乳首を気持ちよく触診してから下を診察するお医者さんが評判いいよ。
おばちゃんたちの井戸端会議からの情報だけど。
栗も緊急手術のときなんか活躍しそう。
http://logsoku.com/thread/pele.bbspink.com/hnews/1176423974/

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__________

一方、こっちがまともな社会のまともな男女関係

日本もこういう社会にしたいね:


春画が海外で人気な理由  あまりに自由で即物的な性描くから


計700万点を超える収蔵品を誇る大英博物館。その中の日本絵画、浮世絵コレクション内に江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である「春画」が含まれている。

 明治時代以降、西欧の影響を受け、「性」に対する意識が変化するとともに春画も海外に流出。反対に西欧の美術愛好家たちは春画に魅了され、芸術品として収集してきたという経緯がある。近年では世界各地の有名美術館で展覧会が開催されている。

 世界最古にして最大級の公立博物館である大英博物館にも、春画は250点以上も所蔵されている。2013年には、同博物館で春画展の開催も予定されているほどだ。

 ここまで春画が海外で人気なのはなぜか。長年にわたり春画を研究してきた、浮世絵研究家の白倉敬彦氏が解説する。

「性をタブー視するキリスト教的宗教観が強い西欧では、あまりに自由で即物的に性を描いた春画のインパクトは絶大だった。

江戸時代の日本ではセックスの禁忌事項はほとんどなく、オーラルセックスや複数プレー、媚薬や道具を用いての行為なども普通のことでした。現代にあるセックス関連の事項で、江戸時代になかったものは皆無といっていいでしょう。

しかも、日本人がそれら奔放な性を屈託なく享受していたという事実も衝撃的で、日本の性文化を表わす資料としても価値が見出されたのです」

※週刊ポスト2011年1月28日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110115_10251.html

日本人がガンガン“性”楽しんでいた昔、欧米人は禁欲生活


江戸文化史研究の第一人者で、法政大学教授の田中優子氏が興味深い示唆を与えてくれた。田中氏には、浮世絵研究家・白倉敬彦氏との共著『江戸女の色と恋――若衆好み』(学研刊)などがある。
 
「性に関するタブーのほとんどは西欧文化、特にキリスト教的宗教観の強い影響の下にあります。日本は明治維新とともに、政治と社会制度や経済体制、教育システムを刷新するだけでなく、性のタブーも受け入れてしまったのです」(田中氏)

 キリスト教的セックス観はいたってシンプルだ。性の営みは子孫繁栄のためにだけ存在するものであり、愉悦や快楽が介在してはいけない、というものだ。
「オーラルセックスやゲイなど生殖に関係ないセックスは、法律で厳しく罰せられました」(田中氏)

 欧米の一部では、今もこれらのセックスを禁止する法律が存在する。
“正常位”がカトリックの定めた“正しい体位”であり、後背位は獣と同じと否定されていたことも有名だ。ちなみに、江戸期に正常位は存在せず、この体位は“四つ手”と呼ばれていた。

 田中氏も笑う。「そもそも江戸の性には、正常と異常の境界線がなかったんです」
 
 欧米では、オナニーも生殖に直結しないという理由で罪悪視され続けた。ところが、江戸の自慰観は実に健全なうえ、医学的見地にも立脚している。江戸の性指南書『閨中紀聞枕文庫』は「男女とも若時婬欲をこらへるも頗(すこぶ)る毒なり」と看破しているのだ。

「おまけに西欧では女の性が抑圧され、快感はもちろん性欲すら抱いてはいけないという理不尽ぶりです」(田中氏)

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101103_5019.html

今のエロ 江戸時代にほぼ全部あり、しかも彼らは楽しんでいた


江戸時代の浮世絵は芸術的な価値だけでなく、当時の市井に生きる人々の生活や風俗、習慣、事件、考え方などを見事に表現している。ことに「春画」は、セックスをテーマとした一大ジャンルを形成してきた。

 浮世絵の研究者であり、春画にも詳しく、『江戸の春画』(洋泉社新書y)や『春画にみる江戸の性戯考』(学研刊)などの著者がある白倉敬彦氏は、江戸のセックスライフの最大の特徴を「江戸期の性には、タブーがなかったということです」と断言する。

 白倉氏は同時に、江戸期のセックスライフが、今日をも上回る自由さと平等観に裏打ちされていたと力説する。

「もちろん階層別の法度や、婚姻などのルールは決められていました。でも、セックスの本質部分においてほとんど忌避事項は存在していません。フェラチオやクンニリングスなどのオーラルセックスばかりか、アナルセックスも日常茶飯事ですし、衆道とよばれるホモセクシャルだって盛んでした。不倫は男女を問わずに行なわれていたし、廓(くるわ)での売春や夜這いの風習は社会公認です。アダルトグッズも研究と改良が進み、バイアグラそこのけの媚薬もありました」

 白倉氏は「今の世の中にあるセックス関連の事項で、江戸期になかったものはほぼ皆無。しかも、すべてが、なんの衒(てら)いや遠慮もなく、嬉々としてエンジョイされていたんです」と語る。いやむしろ、まだまだ現在のほうが性の制約が強いくらいだ――。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101101_4733.html


現代のようにラブホテルもなく、“公然わいせつ罪”のような罪もなかったため、江戸時代の男女は野外で行為に及ぶことも珍しくなかったという。

 不倫関係にある男女が庭の物陰に隠れて行為に及ぶ姿や、畑の中央に積まれた藁の上で性交する夫婦……。江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である「春画」には、そんな姿も描かれている。浮世絵研究家の白倉敬彦氏が解説する。

「出合茶屋という逢い引きの場所は存在しましたが、高額だったため利用者は限られていました。ですから、不逞な間男などは、野外で交わるか夜這いをかけることが多かったといわれています」

 夜這いといえば田舎の風習のように思われるが、江戸でも盛んに行なわれていた。その様子は春画にも多く描かれていて、女中が家の主人に狙われるシーンや、逆に女中が若旦那に夜這うものなどがある。

 一見して強姦のように見える絵もあるが、ほとんどが合意の上の夜這いなのだという。つまり、夜這いはノーマルなプレー。ここからもやはり、江戸時代が性をポジティブに受け入れていたことがわかる。

 春画は自由奔放で多種多様な江戸時代の性のすべてを活写した、“性の歴史絵巻”なのである。

※週刊ポスト2011年1月28日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110121_10489.html

春画 着衣のままセックスする絵柄はなぜ生まれたのか?


江戸時代の識字率の高さや教育制度の充実は世界的にも群を抜いていた。大名や武士などの上層階級だけではなく、職人や商人など庶民も書物に接し、高度な文化を享受した。

彼らは西洋的な性意識に縛られていなかったために、生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。出版文化という切り口から江戸時代の寛容で奔放なる性に迫る――。


 * * *

 エロティック・アートの普及は、肉筆から木版という出版文化の興隆と密接にリンケージしている。とりわけ元禄期は、『好色一代男』に代表される好色本(浮世草子)の井原西鶴や、『曽根崎心中』で知られる近松門左衛門ら実力ある作家の台頭で京・大坂の出版業者が活況を呈した。
 
 同時期、上方絵師の西川祐信や吉田半兵衛、月岡雪鼎らが春画を描き、浮世草子の挿絵も担当した。ことに祐信は、町人や庶民の性生活を、情景も含め思い入れたっぷりに活写してみせた。彼の着想と作品は江戸絵師たちに衝撃を与え、従来の武家社会や古典から、庶民へとモチーフを転換させる原動力となった。

 一方、江戸では菱川師宣が木版春画を創始し、肉筆浮世絵から墨摺絵へと形態を激変させた。そこに前記の上方出版文化がなだれ込むことで、エロティック・アート全盛の素地は固まったといってよいだろう。

 さらに、文化文政期は江戸庶民のパワーが爆発する。『江戸の出版事情』(青幻舎刊)の著者、昭和女子大の内田啓一教授に当時の状況を聞いた。

「カルチャーの中心は上方から江戸に移ります。文学では滑稽本、黄表紙、人情本や川柳などが流行しました。絵画も金銀摺、空摺、艶摺など技術の飛躍的向上により、縮緬模様や透かし、ぼかし、凹凸まで印刷できるようになり、浮世絵は一気にカラフルとなり大人気を博します。当然、江戸の出版業は繁栄し、流通システムも発達しました」

 春画に関する著書が多数ある、浮世絵研究家の白倉敬彦氏は頂点を極めた印刷技術と春画の相関関係を語る。「春画で着衣のままセックスする絵柄が多いのは、着物の色彩や柄、文様まで表現可能になったからです。女性にとって春画は、最新ファッションテキストでもありました」

 春画や艶本はたびたびの規制、弾圧を受けたものの、しぶとく生き残る。しかも購買層は庶民だけではない。大名や旗本たちは当代一流の絵師や戯作者たちを呼び、私家版の絵暦を春画仕立てで制作、正月には殿中で交換しあっていた――まさに、エロティック・アートは江戸の華だったのだ。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110312_14482.html


江戸時代は確かに生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。しかし、色道指南書は何も江戸期の専売特許ではない。

『衛生秘要抄』(1288年)は鎌倉時代に編まれた、わが国の代表的医学書であり同時に性指南書でもある。本書は隋唐医学を体系化した『医心方』や宋代の医書『証類本草』のダイジェスト版であり、その意味で、いわゆる「艶本」として編纂されたものではない。

 本書は右大臣で皇后宮権太夫だった西園寺公衡(1264‐1315)の命により、宮廷医師の最高位にあった丹波行長が撰述した。西園寺公の役職を考えれば、本書が当時の貴族や高位の武士に読まれたのは間違いない。

『衛生秘要抄』は全31章のうち、17章以降のすべてが「房中術」すなわち性に関する記述で埋められており、わが国におけるセックスの高い位置づけが窺われる。同時にセックスが日常生活の健康に大きく関わっていることの証左ともなろう。

 文章は中国の黄帝が女医の素女に質問しつつ、さらに采女なる神仙の方術に長けた者からアドバイスをもらうという形で進む。黄帝の目指すところは不老不死であることは論をまたない。

「一夜の中に、女色にふけることが十度に及んだとしても、決して射精をしないことだ」

 接して漏らさず――貝原益軒が『養生訓』で広めた訓戒の源泉はここにある。『衛生秘要抄』によれば、「射精しない者は、さまざまな病気が治り、寿命が一日、一日と長くなる」のだ。そればかりか「ひと月に2回、年に24回射精するように制限すれば、誰でも100歳、200歳と長生きできる」という。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110313_14516.html


江戸時代、日本の自由な「性」には「文化」があった。だからこそ性を描いた「艶本」もブームになったが、その中でも作者の英泉が、性にまつわるすべてが本書に凝縮されていると豪語し、初版が刊行されるやたちまち江戸の大ベストセラーとなったばかりか、10年を超すロングセラーを記録するに至った艶本『閨中紀聞枕文庫』(青林堂)では、交合の秘術を10に細分し、詳しく開陳している。その中から白眉ともいうべき心得を現代語訳で紹介してみよう。

 まずは、「量度情訣」。「女を口説くには、まず世間話などをして近づき、だんだんとエッチなネタへもっていくのがよい。さらに、女は欲深きものなれば、カネやファッション、流行の小物(本書では“煙管や煙草入れ”とある)で落とせ。あの手この手で迫れば、女は押し黙ったり、手が温かくなったり、頬が赤くなったり、乳房や腹も熱くなるものだ。そういうサインを見逃さす、ぐいと押し込んでいくべし」

「戯弄真情」では、セックスで大事なのは、まず女にエクスタシーを堪能させることだと強調する。「男が快楽にまかせて先に射精してしまうことは、大いに戒めなければいけない。男は真心をもって、女体を懇切丁寧に、焦ることなく愛撫し、クリトリスをやさしく弄んでやる。挿入に際しても、男は女の様子をつぶさに観察し、自分がいきそうになったら気をそらして、長く保つこと」

 いつの世も、男はガマンが大事ということか――。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110309_14395.html

江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である春画は、性の秘技も紹介されている。意外にもオーラルセックスを描く春画はそれほど多くないのだが、平安末期の春画にすでにその場面が登場しているように、古くから日本で行なわれていたプレーであることは間違いない。

 ただし現代のように前戯として当たり前に行なわれていたものではない。尺八は“吸茎”ともいわれ、江戸時代では、女性が男性に“再戦”を促すためにするものだとされている。そのため、春画で尺八を描く場合は、男性が疲れきった表情であることも少なくない。数多く存在した性の指南書に尺八の方法は描かれていないそうだが、それは「女性に秘技を覚えられると疲れて後が面倒」という心理が影響しているのかもしれない。

 一方、クンニリングスは“舐陰”と呼ばれていた。女性が“私への恋心が真実ならば舐めて”と、男性の心情をはかるための行為だったという。春画に描かれるオーラルセックスからは、男性以上に性欲旺盛な“肉食系女子”が多く存在したことがわかるのだ。

※週刊ポスト2011年1月28日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110118_10382.html


江戸の大ベストセラーとなった艶本『閨中紀聞枕文庫』(青林堂)。作者は淫乱斎主人白水こと渓斎英泉で、文章のみならず挿絵も自ら手がけた。そこでは、交合の秘術を10に細分し、詳しく開陳している。

「三峯採戦」とは上峯つまり唇、中峯の乳房、下峯の女陰という3つの性感帯を同時に責める技だ。「セックスの前戯としては、まず戯れにおかしき噺などして、乳を捻りなどして、そろそろ股へ手を入れろ」

 江戸期のセックスにおいて、前戯としてのキッスは皆無だと知りおきいただきたい。「三峯採戦」の法にもあるように、女の心を動かすトークで迫ったら、速攻でタッチに入っていく。しかも、攻撃目標は乳房よりも下半身重視だ。これを「くじる」という。

 浮世絵研究家で艶本にも詳しい白倉敬彦氏が解説してくれた。「パンティーを穿かない文化だったこともあるのでしょう、江戸の男はその気になったら、すぐ着物の裾をめくって女陰に手をやりました。さらに、春画の題材をみても歴然としているのですが、乳房や尻といった女性の第二次性徴には女性器ほど興味を抱かなかったようです」

 また、本書における女門の品別と解説の詳細さや、図版のリアリティー、さらには度を越した誇張(どの艶本、春画も性器をビッグサイズにデフォルメして描いている)を見ても、江戸のセックスにおける性器の重要視ぶりが理解できよう。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110308_14361.html


門外不出の性指南書、備州岡山藩秘伝『秘事作法』。『秘事作法』は上、中、下三巻構成で、江戸初期の1652年に成立した。筆者の秀麗尼は岡山藩の池田家奥御殿に仕えた女中だった。

『秘事作法』の特色は、何といっても懇切丁寧な記述にある。江戸期の性愛文化を代表するセックスガイドブックといっても過言ではあるまい。そのなかで明らかにされる、奥女中の性の秘儀の数々の中でも、上巻で述べられる、若君に対するセックスの所作は驚愕に値する。

 幼少君は、学問や武芸だけでなく帝王学の一環として、御殿女中たちから性の手ほどきを受けていた。当時の武家は現在の中学生の年齢で元服し、妻を娶って子づくりに励むののだから当然のことではあった。

 幼少君は5歳で割礼し、7歳になるとペニスの皮をむく(現代でいうところの「むきむき体操」)。早くから亀頭部を露出させ、刺激になれさせるのだ。10歳ともなれば、女中は若君の会陰部へのマッサージを入念に施してさしあげる。同時にペニスを布で巻き、厳しく鍛えることも忘れてはいけない。まだ子どもだけに、快感とは程遠く、痛みや辛さで泣き出すこともあろうが、それを叱り、あるいは慰め、励ますのも女中の務めであった。

 幼少君が12歳になったら、さらに本格的なセックス指南に進む。その作法を現代語訳してみよう。「最初は殿のペニスを指でさする。時には口に深く含み、亀頭を喉の奥深くに入れ強く吸う。続いて亀頭を舌で愛撫し、勃起の兆候がみられたら、舌先で鈴口を押さえ、亀頭をリズミカルに締めたり緩めたりする」

 いわゆる“手コキ”で奉仕するだけでなく、積極的にフェラチオをするように指導している。それもディープスロートあり、亀頭や尿道口への微妙かつ繊細な愛撫ありと、現代の性技と比べて遜色がない。いや、むしろ約360年前に、このようなテクニックが開発されていたことを称賛すべきだろう。

※週刊ポスト2010年12月24日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101218_8130.html

Gスポットは江戸時代からすでに発見されていた


江戸の性技法の特色であり、現代セックスとの際立った差異はイントロダクションにある。江戸の男たちは、女と言葉を交わし、春画や艶本などを見せてエッチなムードづくりにいそしんだ。

 艶本『艶道日夜女宝記』は、そのまま今のセックスに通じる技法を伝授しているから驚く。「膣の入り口の上側に、袋のようなものがある。そこを指腹で撫でよ」

 この「袋のようなもの」とはGスポットに他ならない。Gスポットの存在が江戸期、すでに知れ渡っていたのは間違いなく、『艶本幾久(えほんきく)の露』という喜多川歌麿の作にも「膣の奥に“名所旧跡”がある」の記述がみえる。ちなみに、性医学界でGスポットが紹介されたのは1950年、ドイツ人医師エルンスト・グレーフェインベルグによってとされているのだが――。

 春画『會本 拝開よぶこどり』では子宮口周辺のポルチオ性感や、オーガズムに達する際の膣の変化も鋭く観察し、描写しているから仰天だ。

「指を深く入れると、子宮が進み出てくる」――この状態を「玉が出る」といいGスポットと並ぶ“名所旧跡”に数えた。本番の交合前に、ストレートかつ、たっぷりと指でくぢる――なるほど、江戸のセックスは奥深い。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101105_5021.html

上半身は口吸い、中間部の乳房を手で愛撫するという同時三点攻撃を「三所攻め」といい、大事なセックス技術とされていた。

 何より江戸期の性指南書は、男だけが快感を満喫する身勝手を厳しく非難している。溪斎英泉の記した江戸時代を代表する性科学百科『閨中紀聞枕文庫』でも、男女和合のため二人が一緒にオーガズムに達するべきだと説く。

 その極意が、前書にいう「三峯採戦」の法として紹介されている。「三峯とは、女体の口と鼻の先を“上峯”、乳房を“中峯”、陰戸(ぼぼ)を“下峯”という」「上峯の口を吸いながら、中峯の乳首をひねったりさすったりしながら女の唾を飲めば、女の精気をとって薬になる。下峯では玉門(ぼぼ)が淫水で潤い、子宮(こつぼ)がひらいたときをみはからって、とっくりと玉茎を挿入し、ゆるゆると九浅一深(くせんいっしん)の法で交合する」

 ポイントは三所攻めで女にオーガズムを得させることであり、かくして男も安心かつ満足のうちに射精することができる。これぞ、同書にいう「男女相感をもつてたのしむ」だ。

 現代のAVへ眼をやってみると、潮吹きや電マなど下半身への愛撫と執着が著しい。残念なことに三所攻めのシーンは実に少ないのだ。一方、江戸の春画には、二所攻めからまさに三所攻めへ移行しようとする絵柄がたくさん見られる。

 たとえば『正写相生源氏(しょううつしあいおいげんじ)』における、後座位で抜き差しの快感を与えつつ、乳房をさわり、いよいよ口吸いをも狙って、三所攻めを完成させようという場面は秀逸そのもの。

 絵の書入れで、女の台詞がオーガズムの到来も近いことを予感させる。「あなたは、まァどうしてこんなにお上手でいらッしゃるか」――男なら、女にこういわせてみたいものではないか。

『色道取組十二番』でも、男が後側位の体勢から身体をねじって女の乳首を吸っている。彼の一連の動きからして、口吸いへ移行し、空いた手で再び乳房を弄ると想像できよう。 多くの性研究者は、江戸において「三所攻め」は珍しくなく、むしろ一般的な性技だったと指摘している。彼らの性技のレベルの高さを証明するエピソードといえよう。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101103_5023.html


江戸時代の大ヒット本は中国の性書や欧州の性知識網羅する艶本


江戸時代は、西洋的な性意識に縛られていなかったために、生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。
 
 艶本『閨中紀聞枕文庫』全4篇は文政5(1822)年に、版元青林堂から初篇が刊行された。作者は淫乱斎主人白水こと渓斎英泉で、文章のみならず挿絵も自ら手がけた。

「艶色の一道此巻中に尽きせり」 英泉は、性にまつわるすべてが本書に凝縮されていると豪語した。果たして、たちまち江戸の大ベストセラーとなったばかりか、10年を超すロングセラーを記録するに至った。改訂や増補、新版、ダイジェスト版などの編纂が重ねられ、8冊とも9冊とも10冊とも、いやそれ以上のシリーズがあるとも推察されている。

 浮世絵研究家で艶本にも詳しい白倉敬彦氏は話す。「この本は江戸の性指南書の白眉です。日本に伝わっていた性のエッセンスのみならず、中国の性書やヨーロッパの性知識までもが網羅されています。その内容の豊富さと広範さに加え、挿絵の精密さと意表をついたアイデアが江戸っ子たちのド肝を抜きました」

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110310_14434.html

性の文化が花盛りだった江戸時代。さまざまな性に関する工夫があったようだ。たとえば、江戸時代の性指南書『好色旅枕』によると、射精を遅らせる鍵は「蟻の門渡り」だという。

発射しそうになったら、蟻の門渡り(肛門と陰嚢の間)を中指で押さえよ、と説き、また、左の人差し指で睾丸の根元を押さえ、両足の親指を強く反らして10回ほど呼吸をしても、射精を止めることができる、と解説している。

また、江戸時代は一流絵師たちが競いあって春画や艶本を描き、豊かな性文化を形成した。性指南書『房内経戯草』によると、女性の陰部には48の名があるという。

良い名は、「しほいずみ」(皺泉)、「りんゑのごう」(輪廻刧)、「てんやくのすけ」(典薬助)、「ちごのて」(稚児手)、「みずはじき」(水弾)、「さこめ」(小籠)など。悪い名は、「すぎばり」(杉針)、「あしのよ」(葦節)、「ふるせ」(旧瀬)、「にもちゐ」(似餅)、「ひきめ」(蟇目)など。

そして、江戸時代の人々は西洋的な性意識に縛られていなかったために、生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。そんな時代の性指南書は、女性器の鑑別や品定めが必須事項でもあった。『好色訓蒙図彙』によると、良い女性器の陰毛は「ラッコの皮」だという。

上開(良い女性器)の陰毛は濃すぎず薄すぎず、やわやわと柔和であり、猟虎(らっこ)の皮を想像させるばかりである。「猟虎の皮」は、手で撫でるとその方向になびくといわれる。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110307_14349.html


キスには挨拶、親しみと友愛、性愛と欲情という3種類があるが、江戸期の日本では、セックスにまつわる“舌偏重”のキスだけが一般化していた。軽く唇や頬、手の甲に押し当てるキスという形式は普及していない。だから幕末期に英語がどっと押し寄せてきた際、「口吸い」だけでは訳語に困り「接吻」という新しい言葉をひねくりだしたのだという。

 また、口吸いのセックスにおけるポジショニングも男女差があったようだ。口吸いが、交合への第2ステップであり決め手だったのは男の場合で、女から仕掛けるケースでは口吸いからスタートすることが多かった。まず、抱きつき口吸いして男を誘惑する。男がその気にならねば、果敢に股間へ手を伸ばす……こんな流れが春画に描かれている。

 もっとも「口吸い」にも時代的な変遷があった。当初「男の舌を女に吸わすことなかれ」だったのが、いつしか男が女体をくぢるときに欠かせぬ性技として定着した。やがて女も負けじと口吸いするようになり、結局は男女を問わず積極的なほうが、主導権を握る展開になっていく。

 艶本『艶紫娯拾餘帖』では、奥女中が小姓の若衆にかぶさり、しっかりと彼のペニスを握りながら、口吸いを強要している。書入れ(春画の中に記された説明書きやセリフ)はいう。「初心な男はままならないわ。まずは口をお吸わせなさい」

 江戸の性を大らかに描いた歌麿の春画にも口吸いのシーンは多く、この性技の日常化が見てとれる。『歌満まくら』のように、女のほうから舌を出して男に吸わせるスタイルもあれば、『艶本葉男婦舞喜(はなふぶき)』では、坊主にくぢり放題にくぢられた後家が、「舌をしごき、あるいは食いつき」と口吸いによる反撃に転じている。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101101_4739.html

江戸時代自作女性向け自慰グッズ 1650回以上の抜き差し推奨


古くから、適度なセックスは肉体ばかりか精神面にも良好な影響を及ぼすことが知られていた。だが、「大奥」の女中(奥女中)は男との性交渉のチャンスが極端に少なかった。

 江戸初期の1652年に成立した、セックスガイドブック『秘事作法』の中巻では、奥女中が積極的に実践すべき健康法として「独楽」すなわちオナニーを奨励。“マイ張形”の製法と独楽の楽しみ方の指南も述べている。

「わらび湯か葛湯に紅絹布を浸して丸め、乾かし、何重にも巻く」――これが作り方だ。 サイズは太さ約3センチ、亀頭部が約4.5センチ。全長は約20センチで、先端から16センチあたりに陰毛を模したつけ毛を施す。おそらくリアリスティックかつ勇猛な外観であろう。

 用意万端、いよいよ独楽を開始するわけだが、その回数が凄まじい。「性器の表面を愛撫すること50回、それと同時に乳房を100回ほど揉み、張型を浅く挿入し100回、クリトリスから陰唇への刺激を300回、騒水が湧き出たら深く挿入して200回」

 さらに張型を枕台箱で挟んで固定し、ヒップを落としていく。ここからの所作も回数つきで紹介しよう。「尻を上下にグラインドさせ200回、それをスローテンポに落としながら、空いている手で陰核にアップテンポの刺激を加え、尻を上下左右に強く揺らして200回……」

 ちなみに絶頂までの抜き差し、摩擦の回数は、割愛したものも含め実に1650回以上! これを生身の男に置き換えると……想像するだにおそろしい。

※週刊ポスト2010年12月24日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101215_8101.html



08. 中川隆 2011年4月18日 21:55:13: 3bF/xW6Ehzs4I : MiKEdq2F3Q

春画とは江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵だが、そこには人々の性への願望も描かれている。日本が世界と比べても自慰が盛んな国だったことは、数々の春画が証明している。

 かつて西欧では、自慰は生殖に直結しないというキリスト教的観念から禁じられ、中国では「接して漏らさず」の『養生訓』の教えのごとく精液の節約という意味で良しとされていなかった。ところが日本の春画は自慰シーンのオンパレード。その方法は実に多岐にわたり、現代からは想像もつかないような性具や媚薬が豊富にあったことがわかる。

 男性器を模した“張形”を使ったり、他人の行為を覗き見て、あるいは想像で手淫するなど、設定はバラエティに富んでいる。
男性器に巻きつけることで挿入時に女性を刺激する“肥後芋茎”や、金属の玉を女性器の中に入れて性行為をすると女性が快楽を得られるという“琳の玉”、また女性器に塗る媚薬など多彩だった。

 江戸時代は、『四つ目屋』というアダルトショップが堂々と表通りで営業されており、この手の性具は簡単に手に入ったという。

http://www.news-postseven.com/archives/20110119_10417.html

性の文化が花盛りだった江戸時代。さまざまな性に関する工夫があったようだ。たとえば、江戸時代の性指南書『好色旅枕』によると、射精を遅らせる鍵は「蟻の門渡り」だという。

発射しそうになったら、蟻の門渡り(肛門と陰嚢の間)を中指で押さえよ、と説き、また、左の人差し指で睾丸の根元を押さえ、両足の親指を強く反らして10回ほど呼吸をしても、射精を止めることができる、と解説している。

また、江戸時代は一流絵師たちが競いあって春画や艶本を描き、豊かな性文化を形成した。性指南書『房内経戯草』によると、女性の陰部には48の名があるという。

良い名は、「しほいずみ」(皺泉)、「りんゑのごう」(輪廻刧)、「てんやくのすけ」(典薬助)、「ちごのて」(稚児手)、「みずはじき」(水弾)、「さこめ」(小籠)など。悪い名は、「すぎばり」(杉針)、「あしのよ」(葦節)、「ふるせ」(旧瀬)、「にもちゐ」(似餅)、「ひきめ」(蟇目)など。

そして、江戸時代の人々は西洋的な性意識に縛られていなかったために、生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。そんな時代の性指南書は、女性器の鑑別や品定めが必須事項でもあった。『好色訓蒙図彙』によると、良い女性器の陰毛は「ラッコの皮」だという。

上開(良い女性器)の陰毛は濃すぎず薄すぎず、やわやわと柔和であり、猟虎(らっこ)の皮を想像させるばかりである。「猟虎の皮」は、手で撫でるとその方向になびくといわれる。

http://www.news-postseven.com/archives/20110307_14349.html


江戸の大ベストセラーとなった艶本『閨中紀聞枕文庫』(青林堂)。作者は淫乱斎主人白水こと渓斎英泉で、文章のみならず挿絵も自ら手がけた。そこでは、交合の秘術を10に細分し、詳しく開陳している。

「三峯採戦」とは上峯つまり唇、中峯の乳房、下峯の女陰という3つの性感帯を同時に責める技だ。「セックスの前戯としては、まず戯れにおかしき噺などして、乳を捻りなどして、そろそろ股へ手を入れろ」

 江戸期のセックスにおいて、前戯としてのキッスは皆無だと知りおきいただきたい。「三峯採戦」の法にもあるように、女の心を動かすトークで迫ったら、速攻でタッチに入っていく。しかも、攻撃目標は乳房よりも下半身重視だ。これを「くじる」という。

「パンティーを穿かない文化だったこともあるのでしょう、江戸の男はその気になったら、すぐ着物の裾をめくって女陰に手をやりました。さらに、春画の題材をみても歴然としているのですが、乳房や尻といった女性の第二次性徴には女性器ほど興味を抱かなかったようです」

 また、本書における女門の品別と解説の詳細さや、図版のリアリティー、さらには度を越した誇張(どの艶本、春画も性器をビッグサイズにデフォルメして描いている)を見ても、江戸のセックスにおける性器の重要視ぶりが理解できよう。

http://www.news-postseven.com/archives/20110308_14361.html

浮世絵

http://www.youtube.com/watch?v=qqKarRHRtaM
http://www.youtube.com/watch?v=3fAY9gBqjLs

Kitagawa Utamaro
http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Shunga_by_Kitagawa_Utamaro

http://www.akantiek.nl/shunga.htm


Ukiyo-e, UTAMARO, 'Michiyuki koi no futusao, shunga, erotic
http://www.degener.com/1793.htm


Prints by Utamaro, Kuniyoshi, Kunisada I/II, Eisen & Utagawa School
http://www.ukiyoe-gallery.com/gallery9.htm
http://www.ukiyoe-gallery.com/gallery9.htm#Toyoshige
http://www.ukiyoe-gallery.com/gallery9.htm#Tomioka

http://www1.ocn.ne.jp/~matikado/index.html
http://www1.ocn.ne.jp/~matikado/super.html
http://www1.ocn.ne.jp/~matikado/toku.html

http://www3.tokai.or.jp/youko45/0602edayo/edayo00mokuzi.htm


浮世絵の展示室
http://homepage3.nifty.com/itoti/index.html


___________

___________


西洋の画家にとってジャポニズムとは何であったのか?


 デフォルメされた男のイチモツが天井まで届かんばかりに隆々とそそり立ち、枕、炬燵(こたつ)、火鉢、食器も打ち遣る、アクロバティックな体位でねっとり絡み合う男と女。

 葛飾北斎、喜多川歌麿、菱川師宣といった江戸時代最高峰の浮世絵師も、多くの春画を描いた。外国では、日本人の男性器を指して「ウタマロ」と呼ぶこともあるほどにメジャーなジャンルだ。19世紀の終わりごろ、ヨーロッパでジャポニスム・ムーブメントがあり、印象派やアール・ヌーボーの画家たちに大きな影響を与えた。

http://www.cyzo.com/2009/12/post_3371.html

ゴッホやモネなどの印象派画家 春画から大きな影響受ける


江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である春画は、明治時代以降、西欧の影響を受け、「性」に対する意識が変化するとともに海外に流出。大英博物館にも所蔵されている。

春画は、描かれている内容だけでなく、構図や色彩感覚など、アートの技法に対しての評価も非常に高い。春画で特徴的な性器の誇張表現は、西欧の美術理論に多くの影響を与えたのだという。

「性器を大きく描く“デフォルメ”という表現は、当時写実主義全盛だった西欧にはない発想でした。日本には、現実そのままの描写では面白くない、いかに絵画を絵空事にするかという芸術理論があったのです。こうした日本絵画の装飾性は、『ジャポニズム』という形でブームを呼び、ゴッホやモネなどの印象派画家を生むきっかけとなりました」

http://www.news-postseven.com/archives/20110117_10354.html

33. ノイズn(コネチカット州) 2009/11/13(金) 09:11:26.65 ID:kurydIXX

いや真面目な話し、絵画を学ぶ者にとって、春画は貴重な良い手本なんだよ。

女性の毛髪の一本一本がもの驚くほど繊細に表情豊かに描かれていたり
デフォルメされた人間の絡み合う姿の動きある四肢の描き方だとか
それまでの西洋絵画にはなかった技法だったので
当時の海の向こうの画家達は、それこそ度肝を抜かれたらしい。

http://www.nihongodeok.net/thread/tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1258043676/

浮世絵を学んだ印象派


1986年オルセー美術館がオープンしたとき、「ジャポニズム展」がパリと上野で開催された。その副題は「19世紀西洋美術への日本の影響」というもので絵画だけでなく版画・彫刻・工芸・建築・写真など400点が出品された。浮世絵は印象派の画家はほとんど学んで影響を受けている。あまり学んでいないのはピサロ、シスレー、スーラなど少数である。

モネは北斎の「富嶽三十六景」をもとに描いた、また200点をこえる浮世絵を収集して居間にも飾っていた。日本趣味がこうじて庭に太鼓橋をつくり、屏風絵のような庭園を造っている。「衣装・扇子・団扇のモネ夫人」という絵がある。ゴッホには広重の模写の絵がある。「タンギー爺さん」の背景には浮世絵の画がある。日本びいきで「僧侶としての自画像」という画も描いた。マネは日本の団扇、扇子を描いた屏風の画がある。セザンヌの絵の構成は浮世絵の影響が強く出ているといわれる。異国趣味もあるがジャポニズムとして多かれ少なかれ影響を受けていたことは確かである。

http://www.tranzas.ne.jp/~smikio/insyouha.html


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           O 。
                 , ─ヽ
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|__|__|__|_   __((´∀`\ )< というお話だったのサ
|_|__|__|__ /ノへゝ/'''  )ヽ  \_________
||__|        | | \´-`) / 丿/
|_|_| 从.从从  | \__ ̄ ̄⊂|丿/
|__|| 从人人从. | /\__/::::::|||
|_|_|///ヽヾ\  /   ::::::::::::ゝ/||
────────(~〜ヽ::::::::::::|/        = 完 =



[32初期非表示理由]:担当:関連が薄い長文

12. 中川隆[1228] koaQ7Jey 2016年1月20日 22:07:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[970]

という訳で


欧米人もアラブ人も人間の屑
キリスト教もイスラム教も狂ったアホ宗教


というのを理解してもらえればそれでいいです。



13. 中川隆[1229] koaQ7Jey 2016年1月20日 22:36:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[971]

欧米人もアラブ人も自分達では乳製品以外は何も作れないので、略奪で食べていくしかなかったのですが、


1、遊牧民族はなぜ強いか?

そもそもなぜ遊牧民族は戦争に強いかと言えば、普段から馬の扱いになれており、戦争になればすぐさま騎兵に転用できるからだ。

騎兵というのはコーエー作品をやっていると勘違いしがちだが、実際のところ運用するには膨大な資金と時間を費やすことになる。大量の飼葉を用意しなければならないし、乗りこなすにはそれだけ訓練が必要だ。中国にしろローマにしろ、古代の文明圏で馬を用意できるということは金持ちの証明だった。中世では日本の鎌倉武士にしろヨーロッパの封建貴族にしろ、馬の訓練に命をかけていた。

それでも、文明圏にとって騎兵はそれだけ頼りになる存在だった。文明圏は火器や野戦構築を発明するまで、野戦で騎兵に突撃されればほとんど為す術もなかったからだ。だから高価でも、専門的に訓練させてまで用意する価値があった。これが遊牧民族にしてみれば全くの正反対の状況で、仕事(遊牧と交易)に馬を使うからわざわざ訓練するまでもないし、そもそも飼葉を求めて遊牧しているのだから膨大な資金なんて必要が無い。むしろ歩兵を用意するほうが金がかかるくらいだろう。金属をふんだんに用いた鎧や槍なんて、どこから調達すればいいのだ。


もう一つ重要なこととして、彼らの通常の仕事といえば馬や羊、山羊の放牧だが、それだけをやっているわけではない。先史の時代ならいざ知らず、歴史上最初に出てくる遊牧民族スキタイでさえ(紀元前8世紀頃から紀元前3世紀頃まで、南ロシア〜西トルキスタンで活動)、すでに貴金属や嗜好品を持っていたし、衣服や薪などの生活必需品は遊牧だけでは手に入らなかった。

つまり彼らは遊牧のかたわらで、オアシス都市に住む民族の隊商に警備として雇われたり、逆に隊商やオアシス都市を襲う蛮族側になったり(その点で見事なマッチポンプなわけだが)、自分たちが隊商として牛や羊の皮や肉を文明圏の商品と交易することに従事していた。彼らも人類が文明を構築して以来、例外なく貨幣経済に十分組み込まれていたということだ。シルクロードで何より潤ったのは、オアシス都市の住民を除けば彼らであっただろう。

さて、遊牧民にとっての領土とは、自分たちの遊牧地と、交易にすんなりと従ってくれるオアシス都市群ということになる。彼らとて略奪するよりは交易したほうが将来的には儲かることくらいの知恵は働く。それでも遊牧民=略奪のイメージがどうしても存在しているのは、やはり貧すれば鈍すと言うべきか、食うものがなくなったり、一度反逆したオアシス都市は破壊しつくすからだ。

すると、彼らの領土には文明圏よりもだだっぴろい範囲が必要であるということも自然と理解されうるだろう。遊牧にも交易にも、膨大な土地がいる。そしてどちらも、広ければ広いほど、自分たちの生業にとって有利であるということも自明である。より多くの馬や羊を飼うことができるようになるし、商品はより遠方へ輸送したほうが高値になりやすい。つまり、彼らには征服することに対する見返りが大きく、とかくその首長は野心が芽生えがちであったということだ。


2−1、遊牧民は有能な君主を抱くと急激に強勢となる

いかに遊牧民の騎兵が強いといえども、基本的に彼らは文明の民ではなく、無文字であることも多く、まあはっきり言ってあまり頭は良くない。

しかし個人個人で見ればそんなこともなく、時折バカみたいに力強くかつ頭の切れる奴が登場する。

遊牧民族は大概の場合実力社会なので、そういう奴はすぐに出世して首長になる。遊牧民は普段バラバラに生活しているが、一度「有能な奴が現れた」となると結束力は高い。反抗しても何も良いことはないし、そんな頭の切れる奴と戦争しても勝てないことは明白だからだ。それよりは結束して新たな文明圏に侵攻し、領土を広げたほうがずっと儲かる。

そして一度結束して文明圏に侵攻すれば、大して負けることなく略奪、服属に成功する。そしてより儲かるので、遠方にまでその名声は広がり、より多くの遊牧民が彼の下に服属する。なにせ遊牧民の活動範囲は広い。東はモンゴル高原とオホーツク海、南はイラン、西は黒海沿岸やカフカースまで、中央アジアを横断して存在する。こうして、一大交易圏が構築されていく。

しかし、逆に言えば彼があっさり死ぬと、途端に後継者争いが始まる。実力社会なのであまり血縁は重視されない。それでも一応世襲されることが多いが、大概の場合さっさと瓦解して内紛に陥り、それも二人連続で優秀な頭脳の持ち主が現れることはめったにないので、一度内紛が起きれば各文明圏の反抗が始まり、あまりにもあっさりと駆逐される。いかに騎馬が強かろうとも、人口は文明圏のほうが多いし、歩兵だって集まれば強いし、教育水準の関係上優秀な人物も文明圏のほうが出現しやすい。

実のところ、あまり長く文明圏に居座ってもよろしくない。当たり前といえば当たり前のことだが、基本的に遊牧民の生活よりも都市での生活のほうが居心地がいい。彼らの生業のうち軍事と商業は都市でも可能だが、遊牧は言うまでもなく不可能である。ゆえに一度都市の支配者として定住してしまった遊牧民族は二度と馬に乗れなくなり、その特権的地位を失う。元々少数でもあるのでそのまま都市の支配層として同化してしまう。中国の大帝国、隋や唐の支配者層も、元々は鮮卑というモンゴル系の民族出身で、漢民族に同化したものだ。

3−1、遊牧民の活動領域と、他の遊牧民族の領土

1と2で示した通り、遊牧民族の活動範囲というのは広く、中央アジア一帯に広がる。それは四つの文明圏に囲まれている。

一つは中国、一つは中近東・イスラーム、一つはインド、そして最後にギリシア・キリスト教のヨーロッパだ。

逆に言えば、ユーラシア大陸の残りは全て遊牧民の活動領域だったと言ってしまっても、言いすぎにはならないだろう。このうち、西トルキスタンは中近東文明(特にペルシア)と、東トルキスタンは中国文明との係争地であり続けた。

ただし、地域としてのペルシア(イラン)については、扱いが難しい。現在の国号がイランであるように、イランのど真ん中に存在するペルシア高原はイラン系の民族の原住地である。イラン系もまた、モンゴル系やトルコ系と並ぶ遊牧民の一つであった。ここから登場したアケメネス朝ペルシア帝国が、やがて大帝国を築くことになる。

これを前提として、まず他の代表的な遊牧民族の最大領域を確認してみる。

たとえば突厥の場合、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AA%81%E5%8E%A5、こうなる。

ご覧の通り、中国と中近東の両文明に接する形でユーラシアの中央ほぼ全域を支配している。インドにはチベットとペルシアに阻まれて接しようがないし、ヨーロッパはウクライナに侵入しているという意味では接しているとも言えなくもない。

別の例として、突厥の次に強勢となったウイグルの支配領域を見てみよう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8A%E7%89%A7%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%82%B0%E3%83%AB%E5%B8%9D%E5%9B%BD

突厥と比較すると小さく見えるが、モンゴル高原と東トルキスタンを支配している。

実は820年の時点ですでに西トルキスタンにはイスラーム帝国(アッバース朝)が進出しており、イスラーム化が始まっている。

西トルキスタンを通過しないとインドにもヨーロッパにも行けないから、その意味ですでにウイグルの攻勢は限界だったと言えるかもしれない。しいて言うなら、イスラーム帝国を倒して西トルキスタンを確保することはできたのではないかというくらいだが、当時はアッバース朝も最盛期なので無理難題というものだろう。

現在、東トルキスタンに住むトルコ系ムスリムを「ウイグル人」というように、実はこの8〜9世紀に活躍したウイグルと現在の彼らに直接的なつながりはないものの、ウイグル人もトルコ系の遊牧民族であって、最盛期を過ぎた頃からイスラーム化したようだ。
http://blog.livedoor.jp/dg_law/archives/51697675.html
http://blog.livedoor.jp/dg_law/archives/51697689.html
http://blog.livedoor.jp/dg_law/archives/51697690.html



14. 2016年1月25日 16:11:07 : c3G26FYTrE : RXy2je5nYk8[6]
長々とコメントしている人のカルトという表現が気になる。

この外来語は何を意味しているんだろうか?

こういう言葉が好きなのは東京都知事に共通する。

桝添が連発した言葉がカルト、
猪瀬はサイコパスを連発した。

曖昧な印象しか持てなくて、捉え難い外来語のカタカナ表記、

英語を母国語としても学者でなければこれらの言葉の意味は正確にはわからないのではないだろうか?

レッテルを張ることで本来の意味がわからなくなることの方が多いと思う。


15. 中川隆[1271] koaQ7Jey 2016年1月26日 02:12:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[1049]
>>14

通俗的な意味で使っているだけ:

カルト(仏: culte、英: cult)は、悪しき集団であることを明確にするために用いられる通俗用語である。良い意味ではなく、反社会的な団体を指す世俗的な異常めいたイメージがほぼ定着し、犯罪行為を犯すような反社会的な集団を指して使用される。元来は、「儀礼・祭祀」の意味を表す否定的・批判的なニュアンスを持たない宗教用語であった。

本来の宗教は無意識のイメージを表現したものなので神は人間か動物の姿をしている

イスラム教は神がイメージ化されていないから本来の宗教とは違う頭で考えた紛い物

即ち、イスラム教はまともな宗教ではないのでカルトという言葉を使った


16. 晴れ間[963] kLCC6orU 2016年1月28日 22:21:31 : xni5yVaf3k : Fxfse0RTtHo[85]
>>6

ペンネームを使わないマナー知らずの「gqALBXHZ2k : W4lR2kq37r4」よ、
あんたは「シオニスト」とか「イスラモフォビア」とか、身につかない言葉を使って私を誹謗しているけど、私の反論はきちんと読んだのか?

まず、イスラム批判についてのまともな本を読め。(一般向けの普通の本が多いが、高度に専門的な知識を持った人が書いた本もある。フランス語なので、ここでは 1冊しか挙げていない。)
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/340.html#c42

コーランについての正しい理解をしろ。
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/340.html#c45

あんたのような掲示板住人にまともなことを言っても理解できないだろうけど、私はイスラム過激派のために亡命を余儀なくされたり、親族を殺された人を知っている。
「真実を語れば殺される世界」なんだよ。
イスラム批判をしている元イスラム教徒の著者たちも、「殺す」という脅しを受けながら、命がけで闘っている。


中東や北アフリカで、イスラム教徒の家庭に生まれ育った人たち自身が、「異教徒や不信心者を殺せ」というコーランの教えに疑問を持ち、イスラムから離れ始めている。これは厳然とした事実だ。

あんたは、そういう殺戮宗教を擁護したいようだけど、その種の殺戮に同意するつもりなんだね。(イスラム過激派と穏和派の区別は無意味なんだよ。そういうことも、上掲本には書かれている。)


反ユダヤ主義(ユダヤ人差別)についても、私は陰謀論批判との関連で一貫して批判してきた。
ところで、あんたは、一度でも反ユダヤ主義批判としての陰謀論批判をしたことがあるかね? ないだろう。
阿修羅の政治板にも大勢いるが、特にカルト板には反ユダヤ主義の陰謀論者が群がっている。あんた、カルト板に殴り込みに行ったら? 陰謀論者に対して、あんたがまともに反ユダヤ主義批判をすれば、少しは見直してあげるよ。


本当のところ、私にはあんたのような掲示板の虫はどうだっていい。あんたなど関係ないよ。
ただ、仁王像さんがイスラムについて、正確な理解を持っていないようなので、コメントしただけだ。仁王像さんなら、正確な理解に至ることは可能だ。
しかしそのためには、日本人が書いた妙な本を有り難がったりしないで、欧米のまともな本を直接(仏語や英語で) 読むことは不可欠だ。

なお、上掲本の著者はアラブ語でも出版しているが、私自身がアラブ語を読めないので責任を持てないから、署名は挙げていない。(出版地はレバノンが多い。)

上掲本の著者も含めて、またそれ以外の作家・思想家の講演等も、YouTube にいくつもアップされているから聞くことができる。英語のものも少なくないから、容易に聞けるはずだ。
昔の著書では、過去イスラムに対して比較的融和的な姿勢で対処してきた人も、今では厳しい姿勢に変わっているのが興味深い。



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