★阿修羅♪ > 雑談専用36 > 440.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
ここ阿修羅サイトにおいて、「売国奴」、「売国」、「売国」何々、といった言葉を好んで使う人たちがいる。数年前はそういった言葉をここ阿修羅サイトで使う人はそんなに多くなかったような気がする。ここ数年で増えてきたように思われる。わたしはこのような言葉がここ阿修羅サイトで頻繁に使われることに違和感を抱かざるを得ない。 簡単に言ってしまうと、売国奴という言葉は極右政治結社が敵と見なす個人、団体に対してレッテル貼りとして好んで使う言葉であったし、いまでもそのことに変わりはない。例を挙げれば、日教組に対して極右政治結社が使う、などだ。 「売国奴」の公的な言語としての意味は、「売国的行為を行う者をののしっていう語」(大辞林 第二版)、とある。それでは「売国」の意味とは何かを調べると、「自国に不利で敵国の利益になることをして私利を図ること。 」(同)、とある。 つまり、言葉の正確な意味としては、その行為によって何らかの個人的利益を得る者をののしっていう言葉を「売国奴」ということになる。よく小泉元首相や竹中元経済財政政策担当大臣などを好んで売国奴と呼ぶようだ。言葉の正確な意味からすれば、これらの人がその行為によって、敵国の利益になることをして何らかの個人的利益を得た、と見なしていることになる。 売国奴という言葉は、戦争状態にある敵国を利する行為を行なったことで個人的な利益を得たもの、という意味からすれば、小泉元首相や竹中元経済財政政策担当大臣が、そうした者に該当するかといえば違うだろう。そもそも戦争状態にないのだ。その点だけでも売国奴という言葉を使うのは不適切だ。極右がよく売国奴という言葉を使うのは、観念的に自分たちは戦闘態勢にあるから売国奴という言葉がぴったりくるのだろう。迷彩服の戦闘服を着て軍歌を流しながら走り回っているその姿から、極右が売国奴という言葉を使うことにはばかばかしいが納得できる。 しかし、極右ではない、と思われるここ阿修羅サイトの投稿者が「売国奴」という言葉を安易に使う現状には強い違和感を抱かざるを得ない。感情的には分からないではない。非難の対象をできるだけ悪者にしたい、という感情から売国奴といった刺激的な言葉を使うのだろう。しかし、その姿勢は論理で論破するのではなく、感情に重きを置いた姿勢として映る。 いま、まっとうな政治評論家、経済評論家で「売国奴」という言葉を使って対立するを非難するものがいるだろうか。わたしの知るかぎり、一人もいない。植草一秀氏は「売国」という言葉を使っている。植草氏はもともと経済評論家だったはずだが、最近は政治評論家まがいの言説を吐いており、今の植草氏は以前の経済評論家だった植草氏とはまったく異なる人物のようにわたしには受け止められる。少なくともしっかりした政治評論家なら、言葉の正しい意味からずれた「売国」などという言葉を使うはずがない。植草氏はみずからが運営するブログにより多くの人々を引きつける目的のために売国などという刺激的な言葉を使っているのだろう。わたしはいまの植草氏は傾聴に値する政治?評論家とは思えない。 数年前には今ほど売国といった言葉を使う人は少なかったと思う。ここ数年で増えてきた気がしてしかたがない。売国という言葉には排外主義を連想させる意味がある。排外主義は非常に危険な考え方である。それは容易に全体主義に傾斜する。かつての全共闘運動において、「売国」という言葉は極右の専売特許だった。左翼で売国などという言葉を使うものはいなかった。そして今、自民党右派の中には売国という言葉を使う政治家がいるようだが、民主党、共産党、社民党の議員のなかで売国という言葉を使う議員をわたしは知らない。極右が共産党を攻撃するのに売国共産党などという言葉で攻撃するだけだ。間違っても中道や左派が「売国」という言葉をつかうことはない。 しかしながらここ阿修羅サイトでは「売国」という言葉が日常的に使われている。「売国」という言葉を使う人の政治的立ち位置はどこにあるのだろう。 |